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犬が足にかみついた。
の「に」ですが、
犬が足をかみついた。
と「を」にならないのはなぜですか

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A 回答 (8件)

質問者さんへ


個人的ですが
「に」は収束、という感覚を持っています。
収束、あらゆる位置から1点に向かって集まる。その結果は点になります。
足に→足に収束、何を、聞く人の意識を、続く言葉でそこに何等かの変化が現れます。
収束、といえば反対語は「拡散」
拡散→一点【起点】から発し、あらゆる方向に発散、無限空間では【動き続ける】、有限空間では、その限界点で動きが止められる【拡散結果】
「を」の場合は複数の内容があり得るので。これだけでは決めつけは困難です。
自分の経験で得た知識の中で、どのケースを当てはめるのが適当か。曽於時の儒教前後の内容で、自分で(相手に支持されるままではなく)判断する必要があります。
例 
汽笛一声新橋を・・・起点
足を上げる・・・・・起点
頂上を目指す・・・・有限空間での拡散結果(方向は一つに特定)
冬の京都を行く・・・冬の京都の風情が散在、有限空間での拡散結果
洗濯する前を蝶々が・無限空間で動き続ける
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足 机のあしも足、四つ足動物のあしも足、鳥のあしも足、自分のあしも足、他人のあしも足、交通手段のことも足と言われます。


犬にかまれる、足にはさすがに、交通手段は含まないでしょうね。
でも提供された文字情報のみで受取・判断する人は「足」を辞書で調べて意味のみを受取、考えます、自分の経験で得た「足」に関する周辺情報?とも言える知識なんかそっちのけで、いわば言われた(提供された)言葉だけで考える?。
だから、足が占める空間の位置云々、足を指さして「ここ=この位置」「そこ=その位置」なんてこと言いだします。
話の理解にそんな位置は無関係ですね、唯我独尊、おれ様の論理は正しい、の独りよがりに過ぎません、与えれれた借り物の情報にこだわっているだけ。
通常は「足」の言葉に対し。人生経験で得た足に関する自分の知識の内容から、最適なものを選びます、最初に言ったように足にもいろいろ、形も異なれば、自分の足であれば痛みも感じますが、他人の足では痛みは感じない・その他、周辺情報といえばよいのかな、同時に記憶が蘇ります、これが認識。
あたえられた言葉の意味だけではなく、それにまつわる周辺情報を伴う「足」という言葉。
であれば、立っているだけの足もあれば、歩いている状態の足もあります。ボールを蹴る動きの足もあります。
動いている状態の足、言葉でいくら説明を尽くしても、動きそのものは表現(再現)できません、実際に動いている状態を見ない限り。
一瞬のスナップ映像(静止画)を何枚見せられても。動きそのものは再現できません。
動画として再現すれば、目の残像効果を利用して何とか再現はできますが。
言葉のみでは不可能。
いかがですか
言葉で与えられた情報はいわば静止画像、いくらひねくりまわしても、動きの表現はできません。
与えられた情報で自分の中にある知識(経験による記憶)を引っ張りだすことができれば、動きのイメージも同時によみがえります。
これが決定的な相違なんです
形容動詞の誤り?、ではなく、自分の経験で得た動きのイメージと言葉をリンクさせることができない故、理解できないだけなんです。
動詞の現在形
あれは動きの一瞬を切り取って(静止画)動きの概念を表現、と説明されます。
ある会合で議長?「間違っていたなら謝ります」を繰り返しました。
議場から「謝ります」というだけで、一体何時謝るんだ・
ちっとも、現在形ではありませんね、むしろ基本形とでも言ったほうが。
そちらには何の疑問もないんですね
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犬が足に


動作の対象「足」を空間的に位置付けているからです。
「に」、時間的、空間的な位置の認識→(訂正)認識付け、から少しは進歩したようですが、まだ苦しいですね。
空間的、「的」は似てるけどチャイまっせ、という意味でも使われます、最も仮想空間でも使われるから・・・的?。
足が占めている空間、具体的には、「どこ?」足を指さして「ここ」または「そこ」と言われれば確かに認識できますね。
で、認識した位置「ここ」をもって理解するとき、犬が「ここ」に噛みついた。
これで意味が通じるんですね、いやーまいりましたね。
相手が使った言葉、そのままでしか思考できない?、自分の経験で得た知識と整合したうえで表現できない、典型、
言い換えれば、借り物の知識の範囲内でしか・・・・?。
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地球上で、位置の認識といわれても、緯度・経度・海抜、の位置情報のことなのかな?。


空間で足が存在する位置・言い換えれば「其処」のことですね。
ならばややこしい表現は不要、其処にある「足」を認識すれば十分なんです。
「認識」わかったようで実態は?、わかっていない可能性も?
「足」で表現されるものを自分の経験で得た知識の中で該当するものを探します、その中から話の内容によって、絞り込みます。
※何の同物の足、誰の足?、たぶん表現者自身の足?、そばにいた友人の足も十分ありえます。
そうすれば以降は自分の知識にある「足」の言葉で表現可能です。
他人から教わったままの表現ではなく、異なる表現も可能になります。
これが「認識」?。
とすれば、自分んの知識の中での「足」に意識を集中(この場合は、経験から自身の足、または近くにいる他人の足も十分あり得ます)。
そうしていれば(準備態勢)、続く言葉「噛みつく」で変化が現れ、すんなり理解できます。
足に意識を集中するべし、とい示唆(暗示)、これを収束という感覚で表示すれば、、反対語は「拡散」
「噛む」(現在型の終止型は具体的な意味不明)「噛んだ」なら具体的な意味確定。
「を」は拡散という感覚で対峙すれば?
起点(一点)から・・起点があります。無限の空間では拡散し続けます(とどまることありません。動き続けます)。
有限の空間では、有限の境界点でとどまります(拡散した結果)。
足に収束=足に意識を集中、なら足を拡散?=足を起点として意識を周囲に拡散して対峙。
他の行動による結果が現れます。
足を上げる=足が起点、足をかまれれる=まさに受け身表現がぴったりですね。
冬の京都を行く→冬の京都の風情があちこちに拡散の結果の中を行く。
「認識」、他者からの言葉だけの切り貼りではなく、自身の経験による知識の中に取り入れて、以降は自分の知識として表現を組みたてる必要があり、それが可能になります。
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「かむ」だと目的語は対象物なので「を」を伴いますが、「かみつく」は「かんでつく」ということで、「つく」の目的語は場所なので「に」を伴います。

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この場合、足をくいちぎった、なら大丈夫ですね(笑)。


「に」は場所を特定するのに対し「を」は人体の部位を特定するからでしょう。
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話者が動作の目的ではなく、「かみつく」という動作の対象(足)を空間的に位置付けているからです。

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「かみついた」は、単なる動作ではなく


かみつく対象に向かって動いたという「方向性」
を含んでいるんです。
足に向かって動いて、そしてかんだんです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2025/04/04 01:46

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