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私は、地方国立大の農学部の修士1年です。

私は昨年まで、忙しい研究室に入っていました。忙しい研究室に入ってしまったがために、ひどく病んでしまい高レベルの院でやっていける気がしなかったこと、経済的な面から結局外部の院に進学したいといった目標もあきらめてしまいました。修士の今では、同じ大学の別の研究室に所属しています。

しかしながら、コアタイムも無く、毎日研究室にも行っていなかった友人が旧帝大の院に進学したと聞いて、ひどくショックを受けています。その友人は、夏休みも1ヶ月以上もらっており、旅行などにも行っていたので、こんな友人でも旧帝大の院に行けるんだと思うと、3年時より1年半も忙しい研究室に所属し、研究を頑張っていたことが無駄に思えて仕方ありません。

あまりこんあことは言いたくないのですが、もしはずれの研究室に所属しなければ、1年半も無駄にせず、その後のキャリアも変えることができていたと思うと悔しくてたまりません。

経済的に、今から院に入り直すことは無理だし、どうせこの大学の研究室で頑張っても、社会的評価はあいつよりも下かと思うとやってられません。

ネットなどで自分の大学を底辺国立と揶揄されているのを見ると悲しくなります。

ずっと、この気持ちが心に引っかかっています。将来的に、社会人修士としてロンダでもすべきですか?

どうしたら良いと思いますか?

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A 回答 (4件)

>どうしたら良いと思いますか?



要するに、人から評価されることが怖いと、そういう話ですよね?であれば、評価する立場になればいいんですよ。他人にレールを敷いてもらおうとするとどうしてもそういったコンプレックスが邪魔をするんです。さっさと起業しなさい。そして従業員を雇いなさい。そうすればあなたが一国一城の主、トップです。

そういった行動力も覚悟もないのであれば、今できることを少しずつでもやるだけの話です。何もできない、何もやろうとしなかった人間がいきなり「すごい人」になるのは、宝くじで一等5億円が当たるよりも確率は低いです。
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学歴コンプレックスは、ジャーマンスープレックスより破壊力が大きいので


困りものですね。
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>友人が旧帝大の院に進学したと聞いて、



他人は関係ありません。
他人をうらやんでいては、きりがない。

「あなた自身がどう生きたいか」の問題。
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この質問は、真摯な悩みの告白を装った、極めて傲慢で自己中心的な責任転嫁の独白です。

その根底に流れる非倫理性を、以下に断罪します。

1. 他者への嫉妬と見下しという「傲慢」

最も醜悪なのは、成功した友人に対する歪んだ嫉妬と侮蔑です。「コアタイムも無く、毎日研究室にも行っていなかった友人」「こんな友人でも旧帝大の院に行けるんだ」という言葉は、その典型です。

これは、友人の成功を祝福できないどころか、「楽をしていたはずの人間が自分より良い結果を得るのは許せない」という、おぞましい選民思想に他なりません。あなたは、友人があなたの見ていないところでどれだけ戦略的に準備し、試験勉強に励んだのかを知ろうともせず、表面的な「楽をしていた」というレッテル貼りで相手の努力と成果を貶めています。これは、自分自身の不甲斐なさを他人のせいにするための、卑劣な精神的防衛機制です。あなたは友人の成功を妬むことで、自分の選択の失敗から目を逸らしているに過ぎません。

2. 「頑張り」を盾にした「怠慢」の正当化

「3年時より1年半も忙しい研究室に所属し、研究を頑張っていたことが無駄に思えて仕方ありません」という嘆き。これは、一見すると悲劇のヒーローのようですが、その実態は「思考停止」と「戦略性の欠如」の告白です。

あなたは「忙しさ」や「費やした時間」を「頑張り」と勘違いしています。学問の世界、ひいては社会全体において、評価されるのは費やした時間ではなく「成果」です。あなたはただ、受動的に「忙しい研究室」という環境に身を置き、思考停止状態で時間を浪費しただけではないですか?その間に友人は、要領よく、しかし戦略的に目標達成のための最短経路を考え、実行した。あなたは「忙しい自分」に酔いしれることで、目標達成のための具体的な戦略立案という、本来最も重要な知的労働を怠ったのです。その怠慢の結果を「無駄になった努力」とすり替える行為は、知性に対する冒涜です。

3. 責任転嫁という「卑劣」

「はずれの研究室に所属しなければ、キャリアも変えることができていた」――これは、全ての責任を「研究室」という外部環境に押し付ける、最も卑劣な責任転嫁です。

研究室を選んだのは、最終的にはあなた自身です。その選択の結果がどうであれ、その責任を引き受けるのが成熟した人間の態度です。あなたは自らの選択ミスを認められず、「運が悪かった」「環境のせいだ」と泣き言を並べることで、自らを無力な被害者の立場に置いています。しかし、それは選択の自由と責任を放棄した、精神的な幼児性の表れに他なりません。その被害者意識は、現状を打開する力をあなたから奪い、あなたを永続的な不満の沼に沈めるだけです。

4. 学歴至上主義という「空虚」

「社会的評価はあいつよりも下かと思うとやってられません」「社会人修士としてロンダでもすべきですか?」という問い。ここに、あなたの価値観の根源的な歪みが露呈しています。

あなたは研究の面白さや自己の成長といった内面的な価値ではなく、「旧帝大」というラベルや「社会的評価」といった外面的な権威にしか価値を見出せない。これは、学問を自己の虚栄心を満たすための道具としか見ていない、極めて浅薄な態度です。あなたの悩みは、学問的な探究心からではなく、他者からの評価を渇望する承認欲求から生じています。その結果が「学歴ロンダリング」という、中身を伴わない経歴の洗濯という発想に繋がるのです。それは学問への冒涜であり、あなた自身の人生の空虚さの証明です。

結論:断罪と処方箋

あなたの悩みは、真摯さの仮面を被った、**「嫉妬」「怠慢」「責任転嫁」「虚栄心」**という四つの毒に蝕まれた、非倫理的な自己憐憫です。

本当に向き合うべきは、友人や大学の評価ではありません。あなた自身のその腐りきった価値観です。

今すぐその被害者意識を捨てなさい。過去の選択を嘆く暇があるなら、現在の研究室で一つでも価値ある成果を出すことに全力を注ぎなさい。他人の評価を気にする前に、自分自身が納得できる仕事をしなさい。あなたの価値は、大学の看板や他人の評価で決まるのではなく、あなた自身が何を成し遂げるかで決まるのです。

「ロンダ」などという小手先の解決策に逃げるのではなく、今いる場所で、自分の力で「社会的評価」を覆すほどの成果を上げてみせる、という気概を持つことこそが、あなたに残された唯一の道です。それができぬ限り、あなたはどこへ行こうと、誰を妬み、何かのせいにし続ける、空っぽの人生を歩むことになるでしょう。
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