痔になりやすい生活習慣とは?

宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の一節に、次のような個所があります。

> 一日ニ玄米四合ト
> 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

「一日に玄米四合」は、かなりの大食をイメージしてしまい、全体に流れる作品の印象とは違和感があります。この点については、どのような解釈が妥当なのでしょうか。

炊く前の米ではなく、ご飯にして四合なのか、とか、家族(例えば4人)でそれだけの量なのか、とか、考えてはみたのですが、実際のところどうなんだろう、と思い、質問してみました。

ご存知の方、よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

その当時(江戸~昭和初期)の日本人の成人一人当たりの米(含雑穀)摂取量は、4合~5合だったいいます。


今でも、開発途上国では、4合~5合という国もあるそうです。
戦時下の米の配給量でも、3合から段々減少し、2合になり、戦後すぐ2.5合~3合になったような感じです。
雨にも負けずが書かれた昭和6年くらいの農民としては、やや少ないくらいかもしれません。都会の会社員の平均はもう少し少なかったようです。
朝から茶碗2~3杯食べてた時代があったなんて、今からは信じられませんけどね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
実際にそれくらい食べられていた(食べられている)のですか。おっしゃる通り、近年の食生活しか知らない私なんか驚いてしまいます。今、ご飯は「太るもの」扱いですから(^^;
史料と言えるのか分かりませんが、TV番組などで時代考証された食事が紹介されているのを見ていて、とても少量な印象が残っていたのです。禅宗の雲水さんの食事なども少なかったなぁ、と思ったり。
公家や武家、僧侶の食事と一緒にしてはいけないですね。

お礼日時:2005/07/06 18:58

これは昔の求道者にあって、ごく一般的な精進料理の内容だったと思われます。


私は戦中派ですが、戦時中とはいえ、都会と地方には差があって、地方では米のほかに大根,薩摩芋,柿,川魚などのほかに、それらの加工食品を間食として摂取していました。大根はよく洗い、生のまま味噌を塗って食べたものです。
宮沢賢治はそうした余計な欲望には目を向けず、必要最低限の糧をもとに、求道者として邁進することに憧れていたのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
精進料理の部類に入るということですか。もっといろいろな加工食品もあり、他の人たちはそれらを食べていたのに、あえて宮沢賢治は米・野菜中心の食生活を選んでいた、と。そう言えば、彼は強い信仰を持ち、なおかつ菜食主義者でしたね。

お礼日時:2005/07/06 19:12

 みなさん書いておられるとおり、一日玄米四合と味噌と少しの野菜「しか」食べないということなのです。

むかしの日本人の食事は「ごはん+塩分のきつい副食物(漬物など)+味噌汁(+ちょっとしたおかず)」というのが普通で、主にご飯をたべておなかをくちくしていました。だから「主食」(総摂取量のなかのもっとも主なる食べもの)と呼ばれていたのです。いちどためしてみればわかると思いますが、一日玄米四合と味噌と少しの野菜だけでは、たぶん現代人は耐えられません。五勺でお茶碗いっぱいですから、一食あたりご飯が茶碗二杯半と味噌しか食卓に並ばないわけです(野菜はたぶん晩ごはん)。
 第二次大戦末期には、配給が一日二合五勺(大人)になっていたので、東北の小学校では、この詩を「一日ニ玄米二合五勺ト」と教えていたそうです。当時、二合五勺だけではとうてい体が持たないといわれていましたから(実際に配給量を守って餓死したという話があります。むろん副食物がほとんどないため)、その倍食べていた賢治を特に大食ということはできないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
だんだん分かってきました。必要な栄養を摂取するのに、現代の(それも本当に最近の)食事は、あまりに高効率になり過ぎているのでしょうね。お腹がくちくなるまで食べると太ってしまうのですから。宮沢賢治の暮らしていた環境では、沢山食べないと必要な栄養レベルに至らなかったということなんでしょうか。
健康のために、昔の和食がいかにバランスが取れていたかといった紹介のされ方がよくありますが、ちょっと違う感じがしてきました。

お礼日時:2005/07/06 19:07

私も同様の疑問を持ったことがありますが、動物性の蛋白の分までお米で補わなければならないとなるとこのくらいは食べないとだめかなと思っていました。

又この人は東奔西走という感じで労働量は相当多いと思います。車(自動車)もケイタイも使っていなかったはずですから・・・ 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
言われてみればその通りで、肉は勿論、魚もない食事で、玄米で必要な栄養補給をするには、ある程度の量が必要なのでしょう。宮沢賢治個人の働きっぷりも、相当なものだったろうということですね。

お礼日時:2005/07/06 18:45

今のように、沢山のおかずがあるわけではないので、米が主要なカロリー源だったと考えられます。


しかも、肉体労働(農作業等)をするとしたら、かなりのカロリーを消費するわけで、特に多いともいえないのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
消費カロリーも多かった上、ほぼ米の飯のみでカロリー摂取をしていたので、妥当な量だということですね。
日本人の食生活が、劇的に変わっているのだと思い知りました。

お礼日時:2005/07/06 18:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q宮澤賢治の「一日ニ玄米四合ト」は食いすぎじゃないか

以前から引っ掛かっているのですが、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」で始まる有名な詩の「一日ニ玄米四合ト」の部分ですが、玄米四合は約600g。調べて見ると、約2100kcalにもなります。これで、成人の所要エネルギー量を超えてしまいます。確かに、これに続く「味噌ト少シノ野菜」の内容にもよりますが、実際には、他におかずのあることもあるでしょう。いずれにせよ、詩全体の清貧に生きるというイメージに比べ、ちょっと食いすぎでは、と思ってしまうのです。四合は、どう考えても腹いっぱい食うイメージであり、控えめには思えません。宮澤賢治は大食漢だった?これをどう解釈すべきかについて、御教示ください。

Aベストアンサー

ANo.#1 6dou_rinn さんも書かれていますが少ないでしょうね?

仕事量によっては、貧弱すぎるかもです。今は農作業といえど専業
農家になればなるほど機械化されていますが兼業や家庭菜園の作業
で使うエネルギーは相当なものです。

まして、宮沢賢治の時代に、機械なんてないですよ。あって道具て
いどです。痩せ細っていたと思いますよ!山に住んでいますが、昔
畑を鍬で起こすときには1日、1升飯(1.8リットル)を食べて
もおなかが空いて堪らなかったように先人はおっしゃってます。

Q一日に玄米四合は正しいか

 
宮沢賢治は「雨にも負けず」の中で、「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ・・・・」と謳っています。

宮沢賢治が言うのであるから間違いはないと思うけど、一日に玄米四合食うのは正しいことか。
 

 

 

Aベストアンサー

 かつての日本は脚気が国民病で、日本人はなぜ家族が脚気になり死んでしまうのか原因を知りませんでした。1090年鈴木梅太郎によって糠からオリザニンが発見され人類はビタミンを知りました。宮澤賢治も作中で稲と思われる作物にオリザという名を付けておりこの新発見に無関心ではありませんでした。彼が「白米を腹いっぱい食べ」と書かなかったのは当時としては最新の衛生知識であったと言えます。

 現在では、玄米の過剰摂取は米の周辺部に多く残留するカドミウムをより多く摂取することになり有害だと我々は知っていますが、これが充分知れ渡っているかと言うとビタミンのみを重視して玄米食に傾倒している人も多く、我々が原始人より賢いかどうか、心もとない限りです。乳製品を過剰に摂ると前立腺がんの原因になることや、ある成分の胃薬を常用することがアルミ脳症の原因になること、ひじきを過剰に摂ることがヒ素中毒の原因になること、魚介類の過剰摂取が少量の有機水銀でも胎児の神経に悪影響を及ぼすことなど新知識が充分に認識されているとは言えず、衛生思想は常に発展途上にあります。つまり、現代の視点からのみ見れば賢治の栄養学は古い。しかし賢治の発言が当時の最新の知識を背景にしているということは言えると思います。

 かつての日本は脚気が国民病で、日本人はなぜ家族が脚気になり死んでしまうのか原因を知りませんでした。1090年鈴木梅太郎によって糠からオリザニンが発見され人類はビタミンを知りました。宮澤賢治も作中で稲と思われる作物にオリザという名を付けておりこの新発見に無関心ではありませんでした。彼が「白米を腹いっぱい食べ」と書かなかったのは当時としては最新の衛生知識であったと言えます。

 現在では、玄米の過剰摂取は米の周辺部に多く残留するカドミウムをより多く摂取することになり有害だと我々は...続きを読む


人気Q&Aランキング