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アメリカの連邦制に調べています。調べていてどうしても連邦制の成立の状況がはっきりしないのですが、自分なりに2種類の解釈をしているのですがどちらが正しいのでしょうか?それともどっちも間違っていますか?

1.保守派の人々が、強力な政府を持った、より強い結合体としての連邦国家の建国を望み連邦制が採用された。

2.保守派の人々は中央集権をのぞみ、急進派の人々は地方分権を望んだため、中間的な連邦制が採用された。

回答よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

急がば回れで、アメリカ合衆国建国の経緯を見てみましょう。


御存知かもしれませんが、アメリカ合衆国は、東海岸の13の州がまとまって、独立宣言をし、独立しました。
一つ一つの州が個別に戦っても、大英帝国には敵わなかったからです。
連衡して、大英帝国に対抗したのです。
あとは、スペイン、メキシコと戦い、インディアンを虐殺してその土地を奪い、今のアメリカ合衆国にしました。
答えとしては両方足して糖分すれば丁度いい感じです。
地方分権というよりも、「俺の土地の事に口を挟むな!」という感じですよ。
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基本的に国土が広大で、それぞれ特色があり歴史的履歴にも差があります。


国土の中央に時刻変更線がある位です。
自立精神が強く連邦制が根ずく下地があった。

成立の解釈としては2.が正答と思います。
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 現状維持派(反連邦派)は各州の分権を最大限に認める制度を求め、これに対して革新派(連邦派、フェデラリスト)は地方分権をある程度制限して、中央集権的な国家をつくりあげることを求めていました。

両者の攻防が連邦派優位で決着したのが合衆国憲法の制定であるといえますが(それ以前に反連邦派に妥協したアメリカ連合規約が制定されるが、各州の権力が大きくなりすぎて収拾がつかなくなった)、その後もこの政治的闘争は継続し、巨視的に見れば共和党・民主党の二党制にまで影響を与えています。初代大統領のワシントンは連邦派、三代目のジェファーソンは反連邦派です。
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