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かつてアフリカは暗黒大陸と呼ばれていたそうです。
現在でも経済発達している国家少ないです。
これはどうしてなんでしょうか?

古代エジプトの時代には既にあれだけの文明が発達していたのに、その後西洋諸国に遅れをとってしまったのは何故でしょうか?
ヨーロッパの近くで人や文化などは流入していたはずです。
現代になっても部族対立が激しく、農業や工業が発達しないのはどうしてでしょうか?
経済大国がその気になって本格的に援助したら発達するものなのでしょうか?
資源などはあるはずです。
それとも部族問題が解決しない限りムダなのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

暗黒大陸というのはヨーロッパ人が自分たちの価値観からそう呼んだだけで、特に根拠のある言説ではありません。



古代エジプトは位置的には北アフリカですが、文化/文明/人種の点で「アフリカ」とは言えないと思います。文化ではメソポタミアと並ぶ古代東方文化ですし、アフリカ大陸の他の文化よりもこちらとの関係が一貫して深いです。人種もネグロイドではありません。
また、アフリカというのはローマ人がつけた名前で、大体いまのチュニジアあたりのことです。そこから南は特に認識されていません。南方ではまた独自の文化/文明が発展していました。
これについては
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061493 …
が大変よい参考書になると思います。
西ローマ崩壊後も北アフリカについてはイスラムによる征服後もむしろヨーロッパに対する先進文化地域でした。ヨーロッパから文化の流入?とんでもない。たしかにローマやギリシアの影響はうけていますが、むしろ中世ヨーロッパこそイスラム文化の影響をうけていました。
この関係がひっくり返ったのは近代になってからです。近世ヨーロッパがひたすら武力に偏った発展を遂げ、その武力によってまずは「新大陸」を、ついでその富を背景にアフリカ(とりわけ中部/南部)や、アジアを征服し始めるまで、ヨーロッパは世界の後進地域でした。しかし、これらの征服後、その富と資源を以て近代の技術文明が発展するにつれ、経済力などが逆転し、現在に至ります。
先進諸国というものは、これらのアフリカ/アジアに対する既得権(そんなものを勝手に主張するのがヨーロッパ)を守るため各種の征服戦争、反乱鎮圧、さらには裏工作を行い、また行い続けているわけです。現在はこれらのやりくちを新植民地主義と呼んでいますが、たとえば「イラク戦争」もこういった観点を抜きに考えることはできません。

アフリカ諸国の側に問題がないわけではありませんが、こういう問題を解決させない努力をしている国がある、という琴も忘れてはならないと思います。
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#6です。

歴史的には、前述の通り植民地的・新植民地的状況というものが根本的です。部族問題についても、(部族といういいかたは、実はかなり差別的なんで、つまり民族問題なんですが)アフリカの国々の多くは民族国家ではなく、自然発生したものでもない。国境線がまっすぐなのは定規で引いたから。自然に出来た境界ではなく、ヨーロッパ諸国が分割支配の都合上引いた線です。だから民族は国境と無関係に分布しています。
また近代的な政治の経験が少ない。まあヨーロッパの3分の1ぐらいは近代民主国家(実のところ女性/民族差別を含んでいたのが出発点だが)の経験が100年単位であります。それに対し、アフリカの年といわれた1960年の独立からかんがえても半世紀に満たない、統一国家としての経験も、民主主義の経験もなお未熟、その上旧宗主国やヨーロッパ諸国の都合から歪んだ政治形態が誘導ないし強制される。経済的にも傾斜産業といって、たとえばコーヒー豆ばかり作らされる。これで安定した国家がつくれたらそれこそ奇跡でしょう。
それから、今後の発展において「農業、工業の発達」と安易に言っていいかどうかは考察の必要があります。ヨーロッパと同じようになるイコール発展とは限りません。
今後の方策は大変難しいのですが、比較的民族問題の少ない国家が率先して成功例を作り出すのが一番かと思います。だれもやったことがない仕事なので、成功例は励みにも参考にも大いになります。そのためにも「先進国」の不当な干渉と経済的帝国主義は排除されねばなりません。
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12の続きです。


いま国連を含め大国がアフリカに大量の
資金援助をしていますが内戦が続いてる今
ほとんど意味がありません。
まず内戦をやめさせることが肝要です。
そして強力な政府とそれをバックアップする
大国が求められます。
その上で資金援助を行い、インフラや教育機関、
社会保障制度を作っていかなければなりません。
農業問題ですが、アフリカは砂漠が多く
肥沃な土地が限られています。
このため農業依存度の高い国ほど苦しいです。
農業というのは経済的に不安定なもので
その理由は収穫高が気候などに大変影響
されやすいからです。
はっきり言って農業の発展は科学の進歩が
ないかぎり望めません。
暗黒大陸といわれたのはもしかしたら
これが原因かもしれません。
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経済の発展にはまず高いレベルの教育が


必要となります。
安定した経済力には不可欠となる産業を
作るには優秀な人材が必要となるからです。
しかしアフリカはどこも内戦をしており
教育を受けられる状態ではありません。
だからいつまでも経済が発展せず
インフラも整っていないので伝染病が起こり
社会保障制度もないので貧困にあえぐ人が
多いのです。
内戦が起こる理由は民族対立が主な理由として
多いですが、これはかつて帝国主義をとる欧米列強が
民族間で境界を引かず、経線や緯線、川などを
目安に引いたことにあります。
そうした土地争いもあるんですが、
植民地を支配しやすくするため欧米列強が
少数民族を利用して多数民族を支配させた
ことからも内戦の火種になっています。
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マリ王国はアフリカの13-15世紀の華と言える広域のイスラーム国家でした。

首都であるトンブクトゥは「黄金の都」「学問の都」として有名でした。その後のソンガイ王国でも、同じくトブクトゥを首都とし、大学が設立されています。
また、インド洋沿岸ではインド洋貿易で繁栄した海港都市があり、現在のジンバブエにおいては、モノモタパ王国が15世紀において壮大な文明国家を建設しています。

アフリカの悲劇はヨーロッパに近すぎたことでしょう。

帝国主義以前には、コンゴなどで大量の奴隷が輸出されましたが、ヨーロッパ人が奴隷狩りを行ったのではなく、アフリカ人が異なる部族のアフリカ人を禽獣を狩るようにして奴隷狩りしていました。

帝国主義の時代には、原料の供給と市場として期待され、イギリス・フランスをはじめとする列強の分割を受けます。これに抗して独立を維持できたのは、イタリア軍を撃退したエチオピア王国と、アメリカの解放奴隷が入植し支配層を形成したリベリアのみでした。

こうして、アフリカの諸王国は、イスラームとしての価値観・歴史を全部否定され、キリスト教と武力による支配を強制され、文化的・社会的に壊滅的打撃を受けます。

これはアメリカで、ネイティブインディアンが土地を詐欺的な手段で取り上げられ、文化や社会を壊滅的に破壊された上に、害獣のような扱いで虐殺されていった経緯と似ています。

現在で「も」経済発達している国家が少ない、のではなく、実質的には19世紀以降のヨーロッパの帝国主義諸国の侵略が原因で、かつて豊かな交易国家が栄えたアフリカ大陸が失われ、疲弊したアフリカ大陸が作り出されたのです。

解決策は、基本的な教育を全国民に行き渡るようにすることと、教育を通してアフリカの歴史と文化を取り戻すこと、部族同士のここ200年の対立の原因が、ヨーロッパ帝国主義から生じたことを共通の歴史観として持ち、自主自立自尊の道を進むことだと思います。
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アフリカやアメリカの先住民と、


ユーラシア(アジア、ヨーロッパ)人の
決定的な差は「馬の運用」です。

(アメリカには馬がいなかったけど)

中世以前の世界では、
馬という家畜を利用し、騎馬戦術を身に付けた
民族が常に勝利、繁栄してきました。
(蒙古族とか)

近代史において、鉄道がその役割を果たしたように、
馬があれば、交通網が発達し、経済も発展し、
国家基盤も磐石となったでしょう。

人間が活用する動力は、
家畜→蒸気→石油や電気
という推移を経てきましたが、アフリカはそもそも
最初の時点で、コケてしまったような気がします。
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アフリカ諸国の大多数の国で、経済的に植民地状況にある事が、根本的な原因だと思っています。



サハラ以南のアフリカ諸国は、政治的に独立していても、肝心の経済力が伴っていませんでした。
そのため、わずかな富の収奪がっせんから、内戦や独裁、部族抗争になっています。

また、自分たちの資本の集積ができなかったため、資本のほとんどを、旧宗主国にゆだねたため、経済的に自立できていません。

旧宗主国との関係を切ったところは、たちまち経済的苦境に陥り、西欧の資産摂取などを行ったため、国際的に投資対象国からはずれ、資金の流入がなくなってしまいました。

それに対し、東南アジアなどでは、自らの手で独立を成し遂げたため、旧宗主国との関係が切れ経済的に自立する一方、日本、アメリカといった先進国からの支援を受けられる一方、華僑を中心とした商業資本も根付いており、一時的な経済停滞は有っても、着実に復興しました。

アフリカ諸国で、特に悲惨なのは、旧宗主国が、勝手に撤退してしまった国々です。
西サハラ、アンゴラ、モザンビーク、コンゴ(旧ザイール)

西欧撤退の後の権力の空白に乗じた自分の事しか考えない政治的に未熟な指導者が支配した国
中央アフリカ、ジンバブエ、ソマリア、ルワンダ、ウガンダなど。

イスラム原理主義の席巻した地域
スーダン、アルジョリアなど。

アパルトヘイトに翻弄された地域
南アフリカ、ジンバブエ、ナミビア、ボツワナ、レソト、スワジランド

アメリカなどの勝手な政策に振り回された国
リベリア、シエラレオネ

常に隣国の紛争の影響を受け続けた国
エチオピア、ザンビアなど。

本来独立する力が無いのに無理やり独立した国
エリトリア、コモロなど。

東西冷戦の対立に利用された国
アンゴラ、モザンビークなど。

フランスが相変わらず実質経済的植民地としている国
チャド、ニジェール、マリ、など。

問題は山積みです。

中南米カリブ諸国も、アフリカより多少マシなだけで、アメリカ産業資本の支配下に入っている国は沢山あります。
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1)黒人貿易で多数の人口を他国に強制連行された。


  その為アフリカ社会そのものが崩壊した。
2)諸外国の勝手な考えで国境設定された為、人種・部族間の融和が難しい。

>経済大国がその気になって本格的に援助したら発達するものなのでしょうか?

まず、国境線の引き直しから始める事でしょう。
部族範囲と国境が全然合っていません。
又、援助の際「ひも付き」を止められるかですね。
従ってアフリカの将来は暗いと僕は思っています。
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独立は50年早すぎたというのが答えでしょうか…



 英国のモントゴメリー元帥がアフリカの独立問題の時に「アフリカの独立はあと50年は必要」と述べました。

 アフリカの国境のほとんどが、欧米の植民地獲得競争の際に引かれたものです。つまり地理的事情で引かれたものではありません。また、部族的に支配層向きと労働者向きの民族がいるのですが、米国式民主主義を強引に押し付けた結果、ルワンダのように多数派であるフツ族が政権を握り(フツ族は体が小さい、それに対してツチ族は体が大きく力も強い)、ツチ族の叛乱を恐れて虐殺を行ったりしました。結果は内戦となり、少数派のツチ族が勝利しました。
 民衆の民度が低く、資源が豊かで、国境が人工的なため、覇権を目指す輩が現れます。

 アフリカは独立が早すぎたため、未来が無くなったと言えるのではないでしょうか。
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予想ですが、



(1) 遙か昔から気候が暑い
(2) その地域で得られる穀物(食べ物)は生きるのに最低限の量だ
(3) 余計なエネルギーがないから研究・開発に投資できない

(4) 文明がアフリカ大陸より少し発達した欧米人達が、ルックスが自分たちと異なるアフリカの人々を奴隷として平気で扱うなどあり、アフリカにはかなりのダメージがあった。
(他には、金・ダイヤモンド・ウラン等鉱山目当てに外国人が介入とか?)
(5) (4)の間、文明の開きはますます大きくなり、差を埋められなくなった。

(6) 最近になってようやく井戸などを掘り食料を増産できるようになったが、(4)の後遺症が続いている。
(Nスペでは、水を吸い上げすぎて自然破壊がどうとか言っていたような気がします。→ ウォータークライシス)
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