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ここで歴史を動いてを見ていての疑問ですが・・・

日本で使われていた古文は
いつまで使われていたのでしょうか・

自分がテレビを見ている感じ
明治までは、~候(そうろう)とかいう言葉が
使われていたので、

明治以降に古文が廃止されて
今のような言葉になったのではないかと
勝手に推測していたのですが・・・

教えて下さい。

A 回答 (3件)

古文はちょんまげや刀のように法律で禁止にはならなかったので手紙の「候文」は昭和でも使う老人がいました(江戸時代に生まれた老人が姿を消したのは1960年頃です)。


古文といっても時代によって少しずつ形を変えていったのですが、明治期以後は擬古文調といって文語と口語の交じった文が長く残っています。
その一番最後のもので有名であり現在簡単に入手できるものは吉田満の『戦艦大和ノ最期』(講談社文藝文庫)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061962 …
永井荷風の『摘録 断腸亭日乗(上下)』(岩波文庫)
だと思います。↓

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003104 …
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「古文」と「現代文」は連続的なものであって、古文が廃止されて現代文になったわけではありません。



大昔は、ハ行の子音は[p]でした。
それが次第に[f]を経て[h]になりました。

こういった音の変化のみならず、単語もそうです。
古文で絶対必要な助動詞の「む」ですが、鎌倉時代ごろには現在の「う」になっていました。
(ただ音便化しただけですが)
「蹴る」の活用も江戸時代には四段化しています。
「死ぬ」は明治以降でもナ変も併用されていました(走れメロスに「死ぬる」と出てきます)。
現在でも「ありうる」など下二段(終止形は連体形に統合)動詞を使います。
候文も結構近代まで使われていました。
(「です・ます」の敬語体系は明治以降の教育で定着)

明確な線引きはしようもありません。
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いわゆるところの文語と口語の乖離は随分昔から起こっています。



「言文一致」という運動が明治時代に起こりました。ようするに書き言葉を話し言葉と同様にしようという運動です。

Wikipedia-言文一致
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E6%96%87% …

「廃止」というよりは、自然発生・同時発生的に文語を使うのではなく口語によって記述しようという動きが起こったと考えてよいのではないかと思います。
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