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太郎という名はいつ頃から日本の代表的な男性名として扱われるようになったのでしょうか?
また、史実上または文学上で、太郎ないし○太郎(例:桃太郎、金太郎など)という名前の日本最古の出典/登場はいつでしょうか?
論拠となる具体的な事例、参考書名などを明記して回答していただけると嬉しいです。

A 回答 (5件)

論拠は正史にあると思いますが、源義家(1039-1106)は八幡太郎と言われていますから、桃太郎や金太郎よりはずっと早いのではないでしょうか(金太郎のモデルという下毛野公時は義家より時代は早いのですが、金太郎伝説は江戸時代ですね)。


ただ、日本最古かどうかは知りません。
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この回答へのお礼

回答していただいてありがとうございます。
金太郎にモデルが実在したのですね。
金太郎伝説が江戸時代からということも知りませんでした。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 20:33

源為憲(~1011年)の「口遊」という、平安貴族の副読本の中に


「雲太、和二、京三」という文章があります。
これは
 雲太---出雲太郎=出雲大社
 和二---大和二郎=東大寺大仏殿
 京三---京三郎=平安京大極殿

と、当時の大きなものを太郎、次郎、三郎と兄弟に例える言葉ですから、この当時は太郎と言う言葉はあったのでしょう。
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この回答へのお礼

回答していただいてありがとうございます。
宗教建築の大きさを兄弟にたとえたわけですね。
「口遊」は面白そうです。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 20:37

いつ、ということは、ちょっと記憶にないのですが、武士の社会ができはじめた平安時代だと思います。



ちなみに、『太郎』とは、長男の意味を持ちます。
「悪源太○○」という名乗り名があったのですが、
『悪』:強い
『源』:源氏
『太』:長男
源氏の強い長男の○○という意味になります。

つかうところは、合戦のときの一騎打ちの前に、自分の名前を名乗るときに形容詞(?)的につかわれていたそうです。

大学の講義のことなので出典はちょっとわかりません。

ということで、男性の代表的な名前になったのではないでしょうか?
(封建社会の名残でしょう。)

参考まで。
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この回答へのお礼

回答していただいてありがとうございます。
なるほど。
「太郎」の名は封建時代の残滓かもしれませんね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 20:40

平安期武士団の登場とともに郎党の言葉が使われ、年齢順に太郎、次郎、三郎などと、呼ばれるようになったのでしょう。

    郎の字は古く中国で大臣を助ける侍郎の官名があり、これから郎党が始まったと思います。    
従ってかなり古くからあるものと思いますが、私の知るところでは、平 将門の乱に関する武勇の士の、大宅(おおや)太郎光国です。   ついで前九年の役の時の 海道小太郎成衡 次が後三年の役の八幡太郎義家です。   
利根川を坂東太郎と称するようになったのは、ずっと後でしょう。
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この回答へのお礼

回答していただいてありがとうございます。
中国に「侍郎」という官名があったのですね。
「郎党」の語源はこれですか。参考になりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 20:44

> 史実上または文学上で、太郎ないし○太郎(例:桃太郎、金太郎など)という名前の日本最古の出典/登場はいつでしょうか?



こちらについては、蘇我入鹿の別称「林太郎」が最古ではないかと思います。
もしくは、やはり蘇我入鹿の別称である「蘇我大郎鞍作」(「太」ではなく「大」です)が、これに該当すると思います。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/mretu/mretu …
↑こちらのサイトにもありますが、
『上宮聖徳法王帝説』には、「皇ノ御世に 乙巳ノ年ノ六月十一日に 近江天皇(生まれまししより廿一年ソ)林太郎を殺したまひき □□明日を以って、其ノ父豊浦大臣ノ子孫等を皆滅したまひき」とあります。
「大郎鞍作」については、『日本書紀』に見られます。

> 太郎という名はいつ頃から日本の代表的な男性名として扱われるようになったのでしょうか?
「太郎」などを「名前」と捉えると難しいですね。
あくまでも便宜的な呼称からはじまったものと思われます。
平安時代の貴族の娘は、入内する、官職を得るなどしなければ「名」は残りません。
実際にはあったのかもしれませんが、記録として残されていません。
ですが、物語等から屋敷内では「大姫(おおひめ)・大君(おおいぎみ)」(長女)、「中姫(なかのひめ)・中君(なかのきみ)」(次女)、「三姫(さんひめ、さんのひめ)・三の君(さんのきみ)」(三女)…以下略-と呼ばれていたような事例が見て取れます。
太郎、次郎、三郎…もこういった便宜的呼称から派生した「名前」ではないでしょうか。
先に述べさせていただいた蘇我入鹿についても、「大郎鞍作」や「林太郎」は通称、異称、別称-とされるものですから。
八幡太郎義家も、それで充分誰のことかは分かりますが、八幡太郎は通称であって、実名は「源義家」(朝臣とか付けるのが正式なんでしょうが)ですよね。
「太郎」などが独立した「名前」となるのは、ずっと後世、明治時代以降といってもいいのかもしれない-と思ってしまいます。
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この回答へのお礼

丁寧な回答していただいてありがとうございます。
蘇我入鹿に「林太郎」「蘇我大郎鞍作」の別称があったとは知りませんでした。
『日本書紀』に出典があるということは、これが最古の出典/登場のようですね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/05/02 20:48

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