現在海外にて居住しております。
先日ちょっとした話題より友人(異国人)と戦国武将の部隊編成の話へと発展しました。
自分でも持っている本などをあさって調べてみましたが、はっきりとした回答を探す事が出来ませんでした。
海外の方に回答するのでなるべく正式な回答を求めております。
ちなみに1万石で騎馬武者が≒22~23騎、戦闘員総人数≒380人、非戦闘員人数≒120人程度と記載されていました。
騎馬隊、槍隊、槍もち、弓鉄砲足軽、歩行侍、中間小者、持小旗、組頭等、複雑すぎて理解し辛いので戦闘員、非戦闘員ともに簡単に説明していただけると大変助かります。
鉄砲隊の編成拡大により基準がずれてしまうと思いますが、どちらの編成でも結構です。
皆様、宜しくお願い申し上げます。
No.2
- 回答日時:
関ヶ原ごろの井伊家の編成について、軍師格の岡本半介宣就が記録を残しています。
それによれば、戦闘が主任務である先鋒の木俣勢において、総員800名の中で戦闘員は285名です。後方の部隊では、戦闘員の比率はさらに減ったかもしれません。他の家についても、戦闘員は全体の3分の1程度、と考えてよさそうです。
ただし、一般の百姓でも普通に帯刀しておりますので、逃げる敵を追い討つ状況になれば、全員が荷物などを放置の上、抜刀して首取りに血眼になります。その際は全員が戦闘員です。
No.4
- 回答日時:
戦国時代の軍編成というのは、非常に前近代的で同時代の欧州の軍編成が軍隊の形をしていたのとは大違いです。
まず、No.1さんもおっしゃられているように秩序だった軍組織になっていません。それぞれの武将が独立した私兵を持っていたと考えてください。大名は自分の直轄の兵を持っていた他に部下の武将に対する命令権を持っていたに過ぎません。
それぞれの武将は大名から「兵士は何人出せ、騎馬武者は何人、鉄砲は何丁」というように命じられていたので、それだけの兵士を用意することを求められました。ただし、これは大名の実権とも関係していたので、求心力の弱い大名だと命令ではなく「努力目標」程度だったことも多かったのです。
だから朝倉義景なんかが大名としての規模は大きかったのに大軍を動員できなかった理由は義景のいうことを武将たちが聞かなかったからです。というのも、軍事行動にかかる費用は全部自腹だったんです。だから「儲からない」と見られると武将たちはなんだかんだと理由をつけて出兵を拒否したのです。
つまり戦国大名の軍隊というのは非常にあいまいで日本的な組織なんですね。これを海外の軍隊と比較して説明しようとするとひっっじょーーにムズいです、ハイ・笑。
ご回答ありがとうございました。
皆様よりいただいた回答を拝見していますと日本の軍編成が確立されたのは江戸時代以降と考えて良さそうですね。
No.5
- 回答日時:
戦国時代は各大名によって編成の呼び名(?)や人数編成は違いがあります。
今までの回答を見てもそうです。ご質問にある歩行侍などはあまり聞かない言い方なので、足軽のことを指しているのではと思いました。
参考にされた本はそのようなものですか?
部隊編成は時代や地域によって違うと思いますので、そこをはっきりされると的を射た回答が来るのではと思います。
陣隊形などは兵法関連でネットで見ればヒットすると思います。
鶴翼の陣とか。
No.7
- 回答日時:
こちらのサイトがわかりやすいかと思います。
流れとしては時代が下るにつれて、領主による統制が行き届くようになり、軍勢の編成も洗練されていく、という理解で間違いではないでしょう。もちろん地域ごとの差異もあります。
参考URL:http://sidokan.hp.infoseek.co.jp/page079.html
No.8
- 回答日時:
No.4です。
ご返答の「日本の軍編成が確立されたのは江戸時代以降」というところがひっかかりましたのでもう一度書き込ませていただきます。戦国時代において大名の軍隊がいわゆる「軍人による純粋に戦闘する集団」になるのは戦国も末期になってからで、関が原合戦辺りでは戦国武将の兵隊は純粋な軍人が多くなっていたようです(それまでは普段は農民をやりながら合戦のときだけ軍人になる「半農半兵」が主流でした)。
しかし、秀吉による天下統一が成し遂げられると大規模な軍隊は必要なくなるわけですから大量の武士が「リストラ」にあい、大阪などの大都市には武器持った失業者がウロウロするという不穏な雰囲気になりました。
秀吉の朝鮮出兵には、こういった「失業した武士(まあ浪人ですが)に新しい職場を与える」という意味もあったのです。
徳川幕府はそういった「浪人対策」にふたつの合戦で対応しました。ひとつは大阪の陣で、これでだいぶ浪人を「始末」しました。そしてもうひとつが島原の乱で、幕府は島原の乱を未然に防がなかったのですが、それは「乱世よ再び」と望む浪人たちを囲い込んで「始末」しようとしたのです(宮本武蔵も立身出世の一縷の望みを託して参加しました)。
島原の乱をもって武士の軍人としての使命は事実上終りました。武士は軍人から官僚(役人)になったのです。官僚なので、外見上の形式は立派にしましたが、実態は軍隊というものはなくなったのです。もちろん、軍事訓練などやろうものなら「謀反をたくらんでいる」と御取り潰しの口実になります。武士にとって必要な能力は剣道ではなくそろばんになりました。
武士が「自分たちは戦士である」ことをつきつけられたのはずっと時代が下って1837年の大塩平八郎の乱のときです。
日本に限らず、東洋の軍隊では軍隊というのは中央集権化された組織ではなく、各地の太守が私兵として持っている武装組織に王朝や幕府などが「お墨付き」を与えることによって公認される組織だったというほうが近いと思います。
もし質問者さんが説明する相手が欧米の方なら、陸軍ではなく海軍の成り立ちと歴史的に似ていると説明したほうが相手の理解を得られやすいかもしれません。
(註・欧州では海軍は元々海賊であり、海賊が国家の公認を受けることで軍隊になっていったという歴史があります)
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
江戸時代の軍役(兵制)について
将軍直属軍である旗本の一例として、5000石の大身旗本の軍役は
主人を含め騎馬武者5騎に従者(馬の口取り、槍持ち、若党、鎧持ち各一人)、槍侍=徒歩(かち)武者10、長刀侍1、槍足軽6、鉄砲足軽5、玉薬箱持ち3、弓足軽3、矢箱持ち2、馬印、旗持ち4、押さえ足軽(手明という)10、ここまで戦闘員。
小荷駄、長持ち運びなど15、替え馬口取り5、茶坊主、弁当持ち、ぞうり取りなど10 総数約100人で50石あたり1人の軍役です。 戦闘員:非戦闘員は約 7:3です。
これは確立された兵制で、戦国時代は大名により、まちまちです。 旧陸軍参謀本部では昔の合戦の研究をしていて、戦国時代は30~50石あたり1人、中をとれば40石あたり1人の軍役と推定していました。 このころの非戦闘員の割合は、江戸の兵制より低く、10~15パーセントでないかと、思います。
江戸も幕末では40パーセント位との、話も聞いています。 兵士も贅沢になっているようです。
一例として、「天正13年上杉氏軍役帳」によると、軍勢100人につき、騎馬武者10、槍65、鉄砲6、旗持ち7、手明12となつているそうです。 小荷駄は不明。
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