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 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

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A 回答 (4件)

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。



WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。
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日本が戦争を起こした理由は、


欧米諸国が、世界中を植民地支配をしてきました。
そして最後に残ったのは極東地域でした。
それで欧米諸国に匹敵する日本が韓国や中国を植民地支配というか、保護しました。
そしてとうとう東南アジアに乗り出しました。
これはイギリスやオランダの兵士を追い出すためです。
侵略ではありませんhttp://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_ …
と言うわけで日本が戦争を始めた理由は、
「欧米諸国の侵略」でした。
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こんにちは



下記のサイトを参照してください。
第一次世界大戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80% …
第二次世界大戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C% …
なお、詳細は各リンクの目次から、どうぞ。
以上
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第一次世界大戦の直接のきっかけは


サラエボ事件。これは
オーストリア皇太子フランツ・フェルディナンドが
セルビア人学生プリンチップに暗殺された事件で、
オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告、
これでヨーロッパ各国の集団的安全保障が発動されて、
セルビアの同盟国ロシア、その同盟国フランスとイギリスが
オーストリアに宣戦布告し、オーストリアの同盟国ドイツ、トルコが
それぞれ宣戦布告して、大戦が始まるわけ。

第二次世界大戦の直接のきっかけは
ヒトラーのポーランド侵攻。
ヒトラーがミュンヘン会議での約束を反故にして
ポーランドに侵攻したことから
ポーランドの同盟国イギリス、フランスが
ドイツに宣戦布告。
当初はソ連はドイツの同盟国だったが、
ドイツが中立国ベルギー・オランダを侵犯して
フランスを征服し、イギリスを爆撃した後、
不可侵条約を破ってソ連に侵攻。
一方で、当初は中立だったイタリアは
ナチのフランス占領で欲を出して、参戦。
これで”枢軸国”が形成されるわけだが
北アフリカでイギリスにやぶれる。
一方、日本はヨーロッパとは関係なく
中国で1931年からずっと戦争していたが、
ドイツのモスクワ侵攻目前というのに悪乗りし、
石油禁輸処置をとっていたアメリカへの戦線拡大を決意して
真珠湾攻撃。これで名実共に世界大戦となるわけだが、
第二次世界大戦のきっかけは、あくまでもポーランド侵攻。
しかし日本の戦争は第二次世界大戦の開始よりも
8年前からなので要注意。ま、事実上、日本の戦争は
サイドエピソードといえるね。
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Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q小学3年生に、第二次世界大戦が勃発した理由を説明するには。

先日小学3年生の息子と戦争がテーマのアニメ映画を見た際、息子はその悲惨さにショックを受け、第二次世界大戦はいったいなんで起こったのか聞いてきました。

日頃ぼんやりしている息子が、あまりにまっとうな歴史の質問をして来たので「これは大切な歴史的事実学んでもらう絶好のチャンス」と思い解りやすく説明をしようと試みたものの、お恥ずかしいことに全くうまく話せませんでした。家に帰って改めて調べてみても、この事実を長々と話して小学3年生に理解してもらえるとは思えません。

小学3年生に、「なぜ第二次世界大戦は始まったのか」「なぜ日本も参戦したのか」について、どの国が良い悪いという視点ではなく、歴史的事実を偏見無しに解りやすく説明する事はできますか?
情けない親ですいません。これを機会に自分も勉強してみます。

Aベストアンサー

私の偏った知識で簡単に説明してみます。基本的には戦争は両方とも悪いです。
まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏み倒しました。で、強い国に戻るべくドイツは自分より弱い国に攻め込みます。最初は傍観していた英仏もポーランド侵攻には驚いて宣戦布告。ドイツは自分の次くらいに貧乏で困っていたイタリアを誘って同盟。ヨーロッパでの世界大戦が始まります。
で、日本は以前から他国に侵略されない強い国になるべく努力していました。でもロシアに勝ったあたりからかなり調子に乗っておりました。中国に侵攻して中国を子分にしようとする日本は、アジアで商売をしたいアメリカにとって邪魔な存在。英米を始め各国は日本に石油や鉄を売らないことにしました。アメリカはこのへんで日本が折れると思っていたでしょう。なぜなら戦争になったら自分(アメリカ)に勝てるわけないし。しかし日本はキレてしまったのです。ヨーロッパで仲間はずれチームだったドイツイタリアと組んで更なる対立、そしてアメリカ組に宣戦布告…。

私の偏った知識で簡単に説明してみます。基本的には戦争は両方とも悪いです。
まず、ヨーロッパのドイツいじめ、第一次世界大戦で負けたドイツは戦勝国に「お前のせいでこちらは損害こうむったんだよ金で弁償しろや」と無理な賠償金を請求されます(最初は1,320億マルク)。ドイツの極貧生活、その後は正しく債務整理。やっと立ち直りかけたところでおこったのが、アメリカ発世界恐慌。ほかの国でも大変な不景気だったのにもとから貧乏なドイツはなお悲惨です。そこで出てきたのがナチスです。ナチスは賠償金を踏...続きを読む

Q第二次世界大戦って何で起きたの?小学四年生への回答

小学四年生の子に、
「第二次世界大戦って何が原因で起こったの?」という質問をもらいました。

色々と細かいことは数知れず説明が必要かと思うのですが、これを簡単に、かつ、四年生にもある意味バッチリと理解させるためには、どのような説明を行えばよいでしょうか?

ドイツの負債やブロック経済云々を話しても難しいですし、何と伝えれば理解しやすいでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで問題を解決してしまえと考えている人達が沢山いる為です。

第二次世界大戦が始る前の頃には、世界の国が二つのグループに分かれていました。
一方は日本とドイツ、イタリアのグループでした。
もう一つはアメリカやイギリス、フランスなどヨーロッパの国々でした。
今の国連とよく似た国際連盟というのがスイスにありましたが、なかなか話し合いが上手くいきませんでした。

ヨーロッパではドイツが初めに周りの国へ軍隊を送り戦争がはじまりました。
日本はその頃、中国の東北地方と呼ばれる朝鮮半島の北側の一帯に満州国という国を作って、そこへ沢山の日本人が移り住んでいました。
このことについてアメリカなどが強く反対していました。
日本とアメリカや他の国といろいろ話し合いをしましたが、上手くいかずに戦争で勝負を着けようということになってしまいました。
ドイツはフランスなどヨーロッパの国と戦争し、日本はアメリカや中国と戦争をするという状態になってしまいました。
ドイツと日本は同じグループでアメリカやフランスは別なグループですから、結局このグループ対グループの戦争となり世界中が戦争をしているという状態になってしまいました。

ドイツがなぜ他所の国へ軍隊を派遣したのか
第二次世界大戦の前に第一次世界大戦と呼ばれるヨーロッパの国々どうしの戦争が有りました。
この戦争でドイツは負けました、
負けた後に払いきれないほど沢山の賠償を要求されてしまいました。
この為に貧乏になって生活が出来なくなりました。
これを止めさせることをスローガンとした政治家が現れて、国民の支持を受けて独裁者となりました。
そして約束通り周りの国を武力で降参させていきました。

日本がなぜアメリカと戦争を始めたか
日本が中国大陸の一部に満州国という国を作ったことに対して、アメリカが強く反対しました。
その頃東南アジアの国々はフランスやイギリス、オランダなどの植民地でした。
これ等の国々も中国の各地方を自分の支配下に置こうとしていました。
フィリピンもその頃はアメリカの植民地でした。
日本のまわりの国を植民地にしていた国々がアメリカと同調して経済的な圧力を加えてきました。
今の経済制裁というやり方です、何も売らない、何も買わないというやり方です。
この話し合いが上手くいかずに、中心となっていたアメリカに対して宣戦を布告をしました。
当時、日本は石油はほとんど全てアメリカから輸入していました。
鉄も同じように輸入していました。
これを売ってもらえなければ、日本は生活ができませんでした。

今と全く違うのは、アメリカやヨーロッパの国も、戦争で勝負を着けることがごく当たり前という考え方でした。

こんなところですかね~
何かの参考になれば幸いです。

お子様がどの程度知識がお有りになれて、どんな切っ掛けで質問されたのか判りませんが取敢えずトライしてみます。

今は日本とかアメリカという国どうしで色々な問題があったときは、話し合いで解決しようとします。
その話し合いの場所として国連というのが、ニューヨークにあります。
今から70年ぐらい前の第二次世界大戦が始る前までは、どこの国も戦争をして勝ち負けで決めようという考え方をしていました。
今でも、シリアやアフガニスタンやアフリカで戦争をしています。
これも、話し合いよりも腕ずくで...続きを読む

Qなぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのか。

一応検索したのですが見つからなかったので質問させていただきます。
どうか教えてください。

タイトルの通り、なぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのでしょうか。
その背景には五・一五事件や二・二六事件も関係していると聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。
そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q朝鮮戦争の原因は何ですか?

映画「BROTHERHOOD」を観ました。
突然に北側から攻撃が始まるのですが、この戦争の原因は何でしょうか?
主義が違うからといっていきなり同じ民族同士で戦争を始めるというのが理解できません。
また韓国にはアメリカ軍もついているわけですから、勝てる見込みもありません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり、補給も中国を経由して確保できますから短期決戦で勝利出来る計画でした。
開戦当初は計画とうり戦車部隊を先頭にした北朝鮮が優勢でしたがアメリカ軍がその背後の仁川に逆上陸し、補給路を切断したので補給を絶たれた北朝鮮軍は敗北後退し、アメリカ軍の優勢な空軍力により中国国境近くまで追いつめられました。

緩衝地帯の消滅を恐れた中国が義勇軍を送り中朝連合軍と国連韓国連合の戦争になり持久戦となりました。

この時点で中国とアメリカの戦争になったのです。

戦争に残虐な行為はつきもので、双方の兵士、民間人を問わず戦場になった所は悲惨な運命にあいます。

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり...続きを読む

Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

2・なぜ日本が戦争をしなければならなくなったのか
  またその引きがねとなった理由は

3・日本はどこと戦争していたのか

4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Q第一次、第二次世界大戦

課題で困っているので、教えてください!!!
第一次、第二次世界大戦はなぜ避けることができなかったのでしょうか?
そして、もし避けることができたならどのように避けることができたのでしょうか?

Aベストアンサー

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、ということもできます。
実は、1870-71年のプロイセン・フランス戦争の後は、第1次世界戦までヨーロッパで列強同士の大きな戦争は起こっていません。しかし、激しい軍拡競争は展開されていました。また、局地的武力衝突が起こったときに、前面戦争を回避するためのメカニズムが整備されておらず、電報で瞬時に情報が伝わっていくことにも不慣れなところがありました。

第2次世界大戦の場合は、先行して満州事変につづいて日中戦争が東アジアで起こっていたことはまず1つの前提となります。日本が、軍事力による領土拡張と国際連盟の脱退という点で、ドイツに先例を与えたことの意味は大きいと思います。
第2次大戦に先行する時期にも、ナチス・ドイツは戦争も覚悟の賭けを何回かしています(1935年のザールラント併合や徴兵制復活・再軍備宣言、36年のロカルノ条約破棄とラインラント進駐など)が、これを米英仏が容認したことが、ドイツの領土要求のエスカレートの直接の要因となっていて、ミュンヘン会談が有名ですが、英仏はその要求も認めます。この段階で、英仏がドイツに対してもっと強く出ていたならば、早期に戦争になっていたら、ドイツの軍備拡張が追いつかず、早々とドイツの敗北で終わっていたでしょうから、ドイツ側が戦争回避に動いた可能性があります。戦争が防げたかどうかはわかりませんが、もっと違った展開になっていたのは確かだと思います。
1939年9月のポーランド侵攻のときも、ドイツは英仏と全面戦争になるとは予想していませんでした。これに対して英仏は対独宣戦布告はしますが、ポーランドの独ソでの分割占領の段階では、ドイツと英仏の大規模な軍事力の衝突は起こっていません。それで、ドイツは英仏を恐れるに足らず、と考えるようになって、その後、北欧・ベネルクス3国・フランスを「電撃戦」で次々に占領下に起きますが、そこには英仏の油断があったことは否めません。英仏がドイツを甘く見たということです。これはソ連についても言えます。ドイツが、英仏やソ連に勝てないと思うような状況だったら、また違う歴史がありえたとは思います。

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、という...続きを読む

Qヒトラーはなぜユダヤ人を大量虐殺したの???

お世話になります。
基本なのかもしれませんが、ヒットラーはユダヤ人を何故あのような形で虐殺しひどい事をしたのでしょうか?その根拠を分かり易く教えて頂けると嬉しいです。

Aベストアンサー

なぜかというのは解明されていないので、真実は調べてもわからないと思います。ヒトラーはユダヤ人の血がまじっている可能性だあったという噂がありますが、それも噂なだけで、まだ解明されてはいません。(参考URLにつけときます)

当時のドイツの状況はご存知でしょうか?
戦争に負けて、ものすごい額の賠償金を課され、軍事力は制限され、領土や海も奪われた。負け戦におわされたあまりに一方的な代償、国民の政府への反感は相当なものであったと思われます。

そこに世界恐慌が起こり、貨幣価値が60億分の1にまでなるというありえないインフレになり、失業率が30%をこえるまでになりました。バター400グラムのために丸二日休みなく働かなければならない状況です。しかも、まだまだ不景気は悪くなる傾向で、お金がない、食べるものもない、仕事もない、明日どうなるかもわからない、そんな状況でした。それを国は解決できないでいました。

日本も不景気な時に小泉首相が人気出てましたね。あれとは程度がまったく違いますが。独裁的なまでのリーダーシップとわかりやすい言葉で説明できる弁舌力を持つ指導者を求める声が強くなっていったのです。

それがヒトラーでした。ヒトラーは貧乏だったという通説がありますが、実は裕福でおまけに神童といわれるくらい優秀だったとの話もあります。そして青年時代のヒトラーは画家を目指していましたが、美大の受験には失敗してます。このウィーンにいた時代は、貧乏だったとナチスの発表している公式な伝記にはのっていますが、実は裕福だったようです。

この頃のヒトラーは絵を売る生活をしていたヒトラーにとって裕福な芸術人の多いユダヤ人はよき取引相手であったようです。それなのに、ヒトラーはナチスに入ってからどういうわけかユダヤ人を嫌う発言や文書を残しています。

この頃になにかあったのかもしれませんが、ヒトラーが個人的にユダヤ人に恨みがありそうな記録はありません。ただ、ヒトラーは作曲家ワーグナーに心酔していたという記録があります。ワーグナーはユダヤ人への差別意識がある作曲家で、ドイツ人・アーリア人種の純粋さを保つことが大切であると風潮しており、のちの「ゲルマン主義」につながるような思想を持っていました。

ヒトラーの話はとりあえずこれで十分だと思いますが、ドイツが経済的に最悪な状態にあったのですが、そこにいたユダヤ人はドイツでは少数民族ではありましたが、昔から銀行業などを営みその利子で生活をしいる人が多かったのです。この金貸業は「いやらしい職業」として一般的に嫌われていました。このことはシェークスピアのヴェニスの商人でも感じられます。経済が低迷し失業率が高まってくると「働きもせずに、利子で暮らしている」という嫉妬心がユダヤ人に対して芽生えてきたのは不自然ではないと思います。

ここに目をつけたナチスは「ユダヤ人はイエス・キリストを殺した悪いやつら、今度の戦争もユダヤ人が足をひっぱったから負けた。ユダヤ人はこの国をのっとるつもりだ」という話で国民を扇動。政党の支持率もあがりますし、ユダヤ人から富を奪い取ることで経済力も向上させることに成功したのです。

もともとユダヤ人はキリスト教との関係で差別されることの多い民族で、金貸等で恨まれている人もいましたから、そういう差別意識に火をつけることは難しくなかったといえます。

個人的にはユダヤ人迫害は「お金」と「妬み」と
「民族主義」があいまって起こった悲劇と考えます。


下のサイトはかなり詳しくナチス・ヒトラーについての解説をのせています。

ただナチス関係の情報は私はあてにならないと思っています。というのも旧東ドイツの体制は、金融・マスコミ・軍事力を制圧しており、絶対的な独裁でした。その当時に作成した資料は全て国の管理下におかれた状態で作成・発表されたものであり、不都合な情報の削除などはいくらでもできたからです。

また旧東ドイツ体制の崩壊で多くの貴重な資料が流れています。いろいろとうやむやになったことも多いようで、そのときにこっそり書き換えてても不思議ではありません。結局歴史上なにがあったかは当人にしかわからないものなのでしょうね。

参考URL:
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/_floorB1F_nazis_X.html

参考URL:http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc616.html

なぜかというのは解明されていないので、真実は調べてもわからないと思います。ヒトラーはユダヤ人の血がまじっている可能性だあったという噂がありますが、それも噂なだけで、まだ解明されてはいません。(参考URLにつけときます)

当時のドイツの状況はご存知でしょうか?
戦争に負けて、ものすごい額の賠償金を課され、軍事力は制限され、領土や海も奪われた。負け戦におわされたあまりに一方的な代償、国民の政府への反感は相当なものであったと思われます。

そこに世界恐慌が起こり、貨幣価値が60億...続きを読む

Q■要約お願いします!■第二次大戦のおこりについて

こんにちは。僕は中学2年の男子です。今、期末テスト(学年末テスト)に向けて、歴史の勉強をしていることろです。

勉強方法としては、教科書や参考書、ノートなどを見て、それを自分なりのノートを作ってまとめてるんですが、なかなか国語力がないため、はかどりません。

今は、第二次世界大戦のおこりのヨーロッパ(ドイツ)の動きのところをやってるんですが、要約がうまくいきません・・・。
丸写ししてしまうと、長くなったりして分かりにくいので、なるべく簡単にしたいのですが。。。
自分でできるところまでは頑張ってみましたが、これよりも短くしたいので、どなたか協力してください。
内容は、次の通りです。


1938年3月、ドイツはオーストリアを併合し、チェコスロバキア西部の併合も要求。
ヨーロッパに戦争の危機が強まると、ミュンヘン会談を開き、ドイツの要求を認めた。
ところが、ドイツはミュンヘン協定に反し、チェコスロバキアの残りの領土も併合し、続いて、ポーランドも侵略しようとした。
このドイツの動きに対して、イギリス・フランスはポーランドと相互安全保障条約を結んで、対抗した。


以上の文なんですが、出来事の流れが分かる程度にお願いします。(これでも、かなり短くしました!)

こんにちは。僕は中学2年の男子です。今、期末テスト(学年末テスト)に向けて、歴史の勉強をしていることろです。

勉強方法としては、教科書や参考書、ノートなどを見て、それを自分なりのノートを作ってまとめてるんですが、なかなか国語力がないため、はかどりません。

今は、第二次世界大戦のおこりのヨーロッパ(ドイツ)の動きのところをやってるんですが、要約がうまくいきません・・・。
丸写ししてしまうと、長くなったりして分かりにくいので、なるべく簡単にしたいのですが。。。
自分ででき...続きを読む

Aベストアンサー

出る試験内容によっても、勉強の仕方が変わってくると思います。

流れと出来事を覚えるため、文章ではなく、年表形式にしてまとめると、大抵はよく覚えられて得点できます。
(しかも、ただまとめるのでなく、問題形式にする)
私はこの方法でまとめて、歴史は結構得意でした。

たとえば、、

1938・3 ドイツは(1)を併合し、(2)の併合も要求
                ↓
       ヨーロッパに戦争の危機が強まる
                ↓
       イギリスは、ドイツ、イタリアと(3)会談を開き、ドイツの要求を認める→(2)を併合

1939・3 ドイツは(4)を破り、(5)の残りの領土を併合

       (6)との領土交渉→(6)はイギリス、フランスと相互安全保障条約を結び、これに対抗
 
       更にイギリス、フランスは(7)と軍事同盟の交渉に入る
                   ↓
                 交渉が難航
                   ↓
1939・8 その間に、(7)の指導者(8)は、ドイツの指導者(9)との提携を決意→(10)条約 

1939・9 ドイツは(11)に進撃、第二次世界大戦の開始  


以上の要領でノートにまとめると、まとめながら流れも覚えられるし、大事な語句は問題になっているので、別に覚えられます。

難しいところかもしれませんが、頑張ってくださいね~!

※上の問題の回答
1、オーストリア
2、チェコスロバキア西部(ズデーテン地方←教科書に無ければ覚えなくてOK)
3、ミュンヘン
4、ミュンヘン協定
5、チェコスロバキア
6、ポーランド
7、ソビエト連邦
8、スターリン
9、ヒトラー
10、独ソ不可侵
11、ポーランド

出る試験内容によっても、勉強の仕方が変わってくると思います。

流れと出来事を覚えるため、文章ではなく、年表形式にしてまとめると、大抵はよく覚えられて得点できます。
(しかも、ただまとめるのでなく、問題形式にする)
私はこの方法でまとめて、歴史は結構得意でした。

たとえば、、

1938・3 ドイツは(1)を併合し、(2)の併合も要求
                ↓
       ヨーロッパに戦争の危機が強まる
                ↓
       イギリスは、...続きを読む


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