「戦争は悲惨なものだ」と、言う事を子供たちに教える場合体験談を紹介する方法が考えられますが、なぜか「おばあちゃんの空襲体験」「原爆体験」「学徒動員体験」とかがメインのような気がします。
 確かに悲惨なんですが、もっと悲惨な「一兵士の玉砕戦体験談」とか、「ニューギニアの戦い」とかを写真も交えて使用したとするとどうでしょうか?私はこっちの方が戦争の本質であり、効果的だと思うのですが。
 もしこれを使用して子供達がショックを受けた、気分が悪くなったと親にでも言えば、その教師は「子供に対してなのに敢えて刺激の強い教材を使用し、ショックをうけさせた。」として責任問題にでも発展すると思いますか?
 みなさんの考えをお聞かせください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (12件中1~10件)

 申し訳ないですけど、NO.12さんの意見には誤りがあると思います。



 日本は、戦後台湾の国民党政府や中国の共産党政府に対して一貫して日本が残してきた邦人資産と戦後賠償とを清算することを求めてきましたが、それに今日にいたるまで答えていないのです。賠償を放棄したのも当たり前で、両国とも正規に得られる賠償よりもはるかに膨大な資産を不当にぶんどっているのですから。台湾国民党などは今日に至るも世界一の金持ち政党です。

 台湾での総資産額は当時の金額で110億円、全台資産の6割とも8割とも言われる莫大な資産で、満州ではもっと規模の大きい資産が取られました。

 蒋介石は大陸から台湾に現在に続くありとあらゆる災厄を持ち込み、台湾人は『アメリカは日本に原爆を落としただけだが、台湾には蒋介石を落とした』と言ったほどです。よく言われる『徳を以って怨みに報いる』と蒋介石が終戦時に言ったというのも、後になって流されたデマです。
    • good
    • 2

敗戦後、日本は貧しい中でも


迷惑をかけた国々に賠償金を払いました
 どこの国にどれだけ賠償したかはっきり大きく
報道すべきです、
 償いはしているのですから、堂々と賠償したことを
言うべきです、
 
 中国は日本には賠償金を払うより、日本に復興してほしいと放棄しました、しかし、これば中国共産党政権ではなく国民党の蒋介石政権で、今の中華民国(台湾)です、
 
 戦後の日本がしてきたことも正確に教育してほしい
ものです
    • good
    • 1

日本がかつてアジアで行った虐殺や従軍慰安婦のこと、


戦後アメリカが世界各地で起こしているテロ、などを教えるべきでしょう。
    • good
    • 4

単純に「体験者」が少ないから。


「玉砕」体験者は生き残っていないはず・・。

本質を考えれば、「戦闘」が本質じゃありません。「侵略された側」がそれに甘んじ続ければ「戦闘」はおこりませんが、甘んじるかどうかの是非は侵略した側が判断するべきじゃない。

日中・日韓についていえば、戦前の日本が中国や朝鮮半島に侵略していったのは事実であって、「米英も東南アジアでイジメをしているんだから、日本が中国でイジメをしても文句を言われる筋合いはない」という問題。
    • good
    • 0

日本政府がみずからのやったことを認めないで.ごまかすでしょうし.


米国政府にしてもみずからが行った情報統制や対外各国に対する各種嫌がらせを正当なものと主張するでしょう。

ですから.この手の責任問題は自国(統治者)の都合の良いように書き換えが行われます。

当時日本兵が一般市民に対して行っていた暴行と殺戮をどう説明したら良いのでしょうか。たとえば.埼玉県某集落で食料供給を受けよという命令を受けた兵士たち(近所の小学校の元育英会会長達)が.食料がないと答えた住民たちを煮て食ってしまったこととか
脱走兵を捕まえて.都内某所大通りで切り刻んでいたとか
某空襲のあと.死体(死後括約筋が緩むので付近には糞便があつまる・夏すぐに腐敗する)の転がる焼け野原をさまよって食料の調達とか
ちょっと.兵隊に口答えしただけで.反逆罪で付近の人々が見守る中一家皆殺しになったとか.
上官の命令に従わなかっただけで.拷問死した兵隊とか.
捕虜として捕まえた人々を拷問し(含強姦し)させいてた兵隊とか.

色々有ります。ただ.統治者が行ったことは.正当なこととして扱われ歴史から消えて行きます。
    • good
    • 0

いつも思うのは、なぜ戦争になったか、


その原因や背景は殆ど教えません
 日本がアジアに手を広げたのを欧米諸国が自分たちが
すでに世界中を植民地にしたのを日本に奪われるのを
阻止しようと経済封鎖やABCD包囲網とかして日本を
押さえ込もうとしたんじゃないですか
 東アジアで植民地でない国は日本、中国(当時内乱状態で部分的植民地)タイだけですよ、そのほうが異常状態です。・
 原因をもっと教えないと、戦争をしないようにする対策も何もできないのは何でも同じですよ。
 平和、平和とわめいても、平和にはなりません
    • good
    • 4

まず気をつけることは戦争に関する題材はプロパガンダ、すなわち政治宣伝によるものが多いことです。

今日日本人が学校で受けている教育は戦後、GHQ(占領軍総司令部)のGS(民政局)のCEI(民間教育情報局)の宣伝によって作られた歴史を基にしたものです。かれらは連合国を正当化するために、「真相はこうだ」という映画を作り、日本各地の通津浦裏にいたるまで映写機を運んで教育を行ったのです。そのとき作られた歴史が現在学校教育に使用されているわけです。占領終了後も米大使館にUSIA(広報文化交流部)というのがあり、この組織は実はCIAの元に活動していて、さらに米政府直属のOCB(工作調整委員会)が監督しています。ここで日本人を米国戦略に沿ったかたちに思想工作しているのが実態です。同じくソ連も戦後コミンフォルムなどの組織がシベリア抑留帰還者などを使って日教組(社会党系)や全教組(共産党系)を通じてプロパガンダ教育を推進してきたわけです。そもそも戦争とは国家と国家の正義がぶつかるものですから、当然そこには宣伝によるバイアスが掛かっているのが当然といえるでしょう。悲惨をうたい文句にするのは特に左派系の宣伝に多いいようです。戦争指導者を悪とするものは米英などの宣伝ににもともと多かったようです。最近は中共政府などがしきりにやっています。
感情に訴えるのは宣伝としてはやりやすいのでしょうが、十分に危険性を知って行わないと宣伝戦略に乗せられることになります。
戦争についての教育は記録などの資料に基づいて教育するのが基本でしょう。この際政治面について評価が分かれるのはいたし方ないことであるので、後に回して戦闘の推移などを淡々と教育すべきです。なぜなら、軍事的な知識がないとどうしても判断ができないからです。また戦時国際法の教育も必要です。これは条約上においても義務化されていて、将兵以外の民間人に対しても教育しなければならないことになっています。ヘーグ陸戦規則やジュネーブ第1~4条約などです。これらを知らなければ何が合法か違法かわかりませんし、たとえば海外を旅行していて戦闘に巻き込まれたときや、日本そのものが戦場になったときに国際法に沿った行動ができないことになります。
    • good
    • 1

以前から中国における戦争についての誤った【風説の流布】についてはkawakawa氏が指摘されており、私も同感ですがその


引用文に書かれている方々の内の一人から生前、実際に話を聞きましたが数万の【南京虐殺】の事実はなかったと明言しています。

もっとも彼が実際に見たのは死刑の方で、見方によってはショッキングなのですが捉えた[便衣隊:スパイ]に自分が入る穴を掘らせ
その前に正座させ、曹長クラスの兵士が目の前で首を刎ね・・・胴体からは一度に血が吹き上げ、その首は穴に転がり落ちるのを
見たとはっきり言っていました。

確かにこれも残酷に見えますが、勝手に数万の虐殺事件をでっち上げマスコミも巻き込み日本非難をする同胞が居るのは困ります。
・・・たまたま下のメンバーの8人の中に名前があったので私の聞いた体験談をご紹介しました。。。


・・・南京陥落と同時に入城した新聞・雑誌記者、カメラマンは約百五十名といはれています(外人記者五名を含む)。
その他に大宅壮一、野依秀一、杉山兵助、木村毅、西条八十、草野心平、林芙美子、石川達三といった著名な評論家、詩人、
作家等が入城し、東京都世田谷区よりも狭い南京城内外(約四〇平方キロ)を取材し、視察していたというのである。   
    • good
    • 0

まず対中国の外交を考えないといけないでしょうね。

今のままでは歴史は捏造され続けるでしょう。中国によって。
正しい史実を教えて批判されるいわれはありません。きちんとした教科書を作ることから始めるべきだと思います。
戦いの場面だけをクローズアップしても戦争の本質は伝わりませんよね。なぜ戦争をしなければならなかったのか、ということを学習すべきだと思います。
それが判れば悲惨さも伝わるでしょう。いかに中国がでたらめかも判るでしょう。そうすれば政治にも外交にも無関心でいられないと思います。
でも時間がかかるでしょうね・・・
いまだにNO.1の人のように南京大虐殺があった、などと言っている人がいるのが現状です・・・
ちょっと考えればわかることなんですけどねえ・・・
    • good
    • 2

Naodon1020さんが書かれていますが,正しい史実を教えるというのは大切ですネ。


政治的にゆがめられた現在の多くの報道のような誤った知識は非常に問題ですから,先に書かれています南京の例では次のサイトをご紹介しておきます。非常に役に立つと思いますヨ。
http://ww3.tiki.ne.jp/~mahoroba/html/134.html

さて,ご指摘の教育の仕方というのは「銃後の婦女子が戦争での一番の被害者である」という感情論としては最も受け入れ易いところなんですネ。
実際に戦っている将兵達は当然命をかけています。
そして,戦地に赴かなかった人々も,いざ戦争がおこると無縁ではいることができないのですネ。
そして,本来ならばアメリカによる戦争犯罪として裁かれなければならなかった行為;ドレスデン大空襲,東京大空襲,大阪大空襲,広島,長崎‥;といった行為は典型的な悲劇として教えられるのです。
ただ,これが北朝鮮や中国になると,同じような爆撃は「アメリカ帝国主義」による犯罪行為としての教育となり,アメリカに対する敵意を煽るものとなっています。
同じような教材を用いても,日本とは全く異なる戦意高揚の材料として使われるのですネ。
中国や北朝鮮のように国が教科書から教え方までの全てを厳重に管理しているのと異なり,日本の教育の仕方というのは直接教える教師の資質に大きく左右されているだけということでしょう。

日露戦争での肉弾攻撃は有名ですネ。
ノモンハン事変の際でも日本兵は地雷を胸に抱いて敵戦車に突っ込んでいき自爆しました。
日本ではこれよりも前から自殺攻撃というのはかなり普通に行なわれてきたのですネ。
こういったことを認識した上で‥
玉砕や特攻などは有名ですので,これらを実際の教材とするのもよいでしょう。

単に人が撃たれて血を流し,頭を吹き飛ばされ‥といったことであれば,戦争に限らず多くの場面があるのです。
ただ,国家同士の国勢的に認められている紛争解決手段,或いは,国際的に認められている集団自衛手段としての戦争は否定しても,現状では意味がありません。
日本が無事でいられるのは在アジア米軍と自衛隊によるところが大きいのは事実ですから。

どのようにして戦争に至ったのかということを,「日本が悪者だった」というような単純な議論のすり替えではなく,明治維新以降の世界常識,世界情勢,国際バランス‥もっと突き詰めれば大航海時代からの歴史の流れを踏まえた上で,冷静に教えるべきだと思うのです。

戦争と言う行為は最終手段であり,なければないにこしたことはありません。しかし,やむを得ず開戦することもあったり,また,開戦をほのめかすことによって強い圧力をかけるということも政治上の手段として用いられているのです。
そういったことを正しく教えることが大切だと思います。

以上kawakawaでした

参考URL:http://ww3.tiki.ne.jp/~mahoroba/html/134.html
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

2・なぜ日本が戦争をしなければならなくなったのか
  またその引きがねとなった理由は

3・日本はどこと戦争していたのか

4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Q戦時中教育

私の身内でも、先の大戦中・後に学生であった方がいますが、戦時中の
教育内容について聞くと誰も言葉を濁すような答えしか帰ってきません。私も戦時中の教育が正しいものであったとは思えないのですが、
具体的にどのような内容だったのでしょうか?
先人達は後世に正しい内容を後世に伝えるべきだと思っています。
たとえ内容が辛辣なモノ、又は現代の思想一般では納得できないものでも。。。それが悲劇を二度と起こさない一番重要なモノではないかと考えています。(教育が根幹であると認識しています)
何方か、戦時中教育について詳しい方、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

意外に思われるかもしれませんが、戦前の教育と現在の教育との違いはあまり大きなものではありません。戦前の教育の最終発展型である昭和10年代の義務教育の基準である「国民学校令」によれば、初等・高等教育の内容は次のように規定されています。

(1)国民科:修身、国語、国史、地理
(2)理数科:算数、理科
(3)体錬科:体操、武道(女子は体操のみでも可)
(4)芸能科:音楽、習字、図画、工作(女子初等科には裁縫を、女子高等科には家事・裁縫を加える)
(5)実業科:農業・工業・商業・水産の科目
(6)その他、高等科においては外国語など必要な科目を加える。

理数科、体錬科、芸能科、実業科の内容が今日のそれと違うはずがありませんから、科目の名称が変わっていることを除けば、いかにも戦前らしい科目は、忠君愛国の修身、皇国史観の国史があるほか、体操の中に兵式体操という名の基本的な軍事訓練が含まれていたことくらいです。

教育が人間の形成に大きな役割を果たすのは言うまでもありませんが、しかし、所詮、学校教育は教育の一部に過ぎません。より大きな、そして根本的に重要なのは家庭教育であり、社会一般の風潮なのです。特に、同質性を重視し、出る釘は打たれる日本の社会においては、社会一般の風潮(過度の忠君愛国、軍国主義)に抵抗するのは勇気の要ることだったのでしょう。長いものに巻かれて恥じなかった当時の日本人は、勇気と自主性のないカラッポの臣民だったのです。

意外に思われるかもしれませんが、戦前の教育と現在の教育との違いはあまり大きなものではありません。戦前の教育の最終発展型である昭和10年代の義務教育の基準である「国民学校令」によれば、初等・高等教育の内容は次のように規定されています。

(1)国民科:修身、国語、国史、地理
(2)理数科:算数、理科
(3)体錬科:体操、武道(女子は体操のみでも可)
(4)芸能科:音楽、習字、図画、工作(女子初等科には裁縫を、女子高等科には家事・裁縫を加える)
(5)実業科:農業・工業・商業・水産の科目
(6)...続きを読む

Q現在の小学校においての平和教育について

福岡在住の28歳の会社員(男)です。

昨日の夕方、NHKの「子供ニュース」という番組をなんとなく見ていましたら、ヒロシマの日ということなので「原爆」をテーマに取り上げていました。
その番組で、現在の小中学生にアンケートをしたところ「原子爆弾」「ヒロシマの日」「ナガサキの日」の三つをちゃんと認識している人の割合は、約10%しかなかったという放送を見て驚きました。

私が小学生の頃は、毎年8月6日は学校の登校日で原爆についてや平和の教育が当たり前のようにされていました。
黙祷をしたり、戦争体験者の話を聞いたり、「夾竹桃(きょうちくとう)のうた」を歌った憶えがあり、「原爆」「ヒロシマの日」などを今の小中学生より十分認識していたように思います。

そこで質問なのですが、現在の小学校などでは、私が過去に受けたような平和教育はされているのでしょうか?
ゆとり教育などで省かれているのでしょうか?

何もしらない子供が大人になっていくのが恐ろしく思ってしまい質問させていただきました。
個人的な愚問ですが、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

横浜市です。小学三年生の子供がいます。
今の小学校では、そういった特別教育が行われている様子はなさそうですね。8月6日も15日も当然のように夏休みですし、前期の授業でなにかそんな話を聞いてきたということもなさそうです。

もっとも私が小学生の頃(1970年代)もそんな授業は一切ありませんでしたが....
原爆については、少年ジャンプに連載していた「はだしのゲン」で始めて知りました。NHKの「みんなのうた」でちあきなおみ(コロッケのものまねでおなじみ)が「さとうきび畑」を歌っていましたが、はじめは歌詞の意味がさっぱりわかりませんでした。
戦争についてのほとんどの情報は、テレビや図書館で勝手に得ていました。

これでいいんじゃないですかね。
小学生に戦争の愚かさを伝えるのは意味があるとは思いますが、子供への授業の形式をとってしまうとどうしても主義・主張が一方に偏りがちになってしまいます。(そうしないと授業が難解になってしまいますから)それが行き過ぎて結果的に、『卒業式で国旗・国家に反対』なんていうバカモノが現れたりします。

関係ありませんが、昨日の朝日新聞主催の夏の高校野球の開会式では日の丸を「国旗」君が代を「国歌」と思いっきり言っていましたし、観客に起立脱帽を呼びかけていましたね。反対を叫ぶ高校球児はいなかったようですが。

このくらいがちょうどいいのだと思います。

横浜市です。小学三年生の子供がいます。
今の小学校では、そういった特別教育が行われている様子はなさそうですね。8月6日も15日も当然のように夏休みですし、前期の授業でなにかそんな話を聞いてきたということもなさそうです。

もっとも私が小学生の頃(1970年代)もそんな授業は一切ありませんでしたが....
原爆については、少年ジャンプに連載していた「はだしのゲン」で始めて知りました。NHKの「みんなのうた」でちあきなおみ(コロッケのものまねでおなじみ)が「さとうきび畑」を歌って...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Q戦争教育は無くすべきではありませんか? 過去にひどいことがあったのはわかりましたし、戦争はしちゃいけ

戦争教育は無くすべきではありませんか?
過去にひどいことがあったのはわかりましたし、戦争はしちゃいけない事だともわかっています。
これだけを教科書に書けば良くないですか?
わざわざ、広島や長崎まで行って戦争体験について語られても、キモイだけだし、不快感だけ残して気味が悪いですよね。

Aベストアンサー

ふーん、人が焼け死んだりすることが書かれているのがキモいって事?
残虐な場面がキモいって言っているのかな?

それとも、時の権力者の思考がキモいって事?

戦争じゃなくても、死人がキモいって事?
この辺がはっきりすれば、回答者と話がかみ合いそうな気がしますけど。


戦争で出る残虐に殺された死人がキモいって事であれば・・・

それをやることで、「死人をなるべく出さない社会にしよう」と生徒に思わせたい教育者の思惑があるんでしょう。
「こんなキモい状態にするなよ」
と思わせればそれなりに成功だとは思いますが・・・

本当は、「こんな状態にされて、かわいそう、むごい、この人の人生は何だったのか、この人の家族はどんな思いだったのか、こんな悲惨な状況を生み出した時の権力者はどう思っていたのか」
この辺を考え学んでほしいと言うことだとは思うんですけどね。

この辺が、自由とは何か、責任とは何か、民主主義とは何か、あたりまで考えてくれれば、教育者側としては万々歳だと思うんですけどね。

結構、現在の「道徳観」をはぐくむ、現代社会の社会的に生きていく上で重要な部分にも触れるので、「大学で専門的にやる分野」というより、「道徳の授業」でやっておく方がふさわしいでしょうね。


「死人はキモい!」とか、思うだけでなく言っちゃうような人であると、「こいつこの死人の家族の気持ちとか考えない奴なのかよ・・・避けよう」みたいになりかねないですからね。
大学で専門的・・・と言う分野とは違いますかね。

ふーん、人が焼け死んだりすることが書かれているのがキモいって事?
残虐な場面がキモいって言っているのかな?

それとも、時の権力者の思考がキモいって事?

戦争じゃなくても、死人がキモいって事?
この辺がはっきりすれば、回答者と話がかみ合いそうな気がしますけど。


戦争で出る残虐に殺された死人がキモいって事であれば・・・

それをやることで、「死人をなるべく出さない社会にしよう」と生徒に思わせたい教育者の思惑があるんでしょう。
「こんなキモい状態にするなよ」
と思わせればそれなりに成...続きを読む

Q人に嫌な事・ばかにされた事を言われた時の対処法

人に嫌なことうを言われた時や、ばかにされた事を言われたときなど、頭にわくるのですが、何も言い返すことができず、冗談にしたり、聞かない振りをしたり、話を変えたりしてしまいます。このような、態度でいるとあの子には何を言っても平気と思われてしまうみたいで、他の人にはひどいことやひどい行動をとらないのに、私にだけなんで!!と、思うことがよくあります。
もともと、短気のせいか何か言われると頭にはくるのですが、なにもうまく言い返す言葉がみつからず、それなら怒ればいいのですがそんな勇気もなく・・・。
特に会社ではしったぱのせいか何かわからない事があった時に、教えてもらえなくなると、と、思ってしまうと、頭にくるようなことを言われても、何も言葉が思いつかず黙ってしまうことが多いいです。そのせいか、会社ではなめられっぱなしです。
こんな時、その人との仲が終わらず、うまく言い返す方法はないでしょうか?

Aベストアンサー

私は、人のことをバカにしたような言葉を吐く人を信用してないし、不快です。

ひどいことを言われたときは頭にカッと血が上って、言葉を無くしてしまいます。

なめた口をきかれたときははっきりと「あんたと話してると気分悪くなるから黙っててくれない!!」と言ってしまいますし、明らかに態度と顔にでてしまいます。

そういう私ですから、広く浅いつきあいの友達はいません。
もっと密で私を解ってくれる人が友人としてつきあってくれます。

態度に出すことによって、「あいつは下手に何か言うとかみついてくるからな」と周りの人は私に対してバカにした態度はとらなくなりました。

>その人との中が終わらず、うまく言い返す方法は・・・

うまく言い返す必要はありませんよ。
それよりあなたがいかに不愉快かを、態度でも顔でも「うるさい」の一言でもいいから示すべきです。

そしてそんなことをあなたに対して言う人との中を終わらせてしまいましょう。

あなたの人生からそんな人たちは一人残らず追い出してしまって下さい。
人に暴言を面白がって吐く人は、信用のかけらも無い人です。

・・・ちょと興奮してしまいました・・・済みません

あなたの曖昧な態度で、相手はあなたの心の傷をかすり傷くらいにしか感じていないのかも。

あなたの本心が分かれば、相手の態度もきっと変わります。
負けないでね。

私は、人のことをバカにしたような言葉を吐く人を信用してないし、不快です。

ひどいことを言われたときは頭にカッと血が上って、言葉を無くしてしまいます。

なめた口をきかれたときははっきりと「あんたと話してると気分悪くなるから黙っててくれない!!」と言ってしまいますし、明らかに態度と顔にでてしまいます。

そういう私ですから、広く浅いつきあいの友達はいません。
もっと密で私を解ってくれる人が友人としてつきあってくれます。

態度に出すことによって、「あいつは下手に何か言うと...続きを読む

Q太平洋戦争中の食生活は?

この時期になると太平洋戦争時のことがとかく問題になります。
今年も靖国参拝問題とか戦争責任とか・・・。とはいえ、現在の日本を見れば、
不況だ不況だといいながらも飽食を貪っている。戦争自体は毎年語られるけど
戦争中に国に残って生活していた人たちについては忘れられがちな気がして。
どのような生活で、どのようなものを食していたのか良くご存知の方、教えてください。

Aベストアンサー

この時期の人々は既に高齢化しています。

私が昭和8年,1933年生まれ、戦争の終結が昭和20年,1945年。現在68歳
戦争の前線に出た人々は70歳を越えています。

私の体験は小学生の2年から6年まで、この間の体験は到底このようなところで
総てを書くことは不可能です。

育ち盛りの年齢、最後には食べ物の話になります。
生活していた場所、環境により違いはありますがこと食べ物については農村が
有利でした。

粟、稗こそ食べませんでしたが、大豆の絞り粕、小麦のふすま、かぼちゃ、
薩摩芋、干し杏、大麦、等が主食の座を占めたことも有ります。

白米のご飯と梅干は最高のご馳走。肉などお眼にかかることも有りませんでした。
総ての生活物資は国の統制下、一人にどれだけかの割り当てが有りましたが、

戦争末期になるとこの割り当ても有名無実でした。
履物、衣類も総て同じ、年々大きくなる子供は履物には苦労しました。

右左大きさの違う靴を貰って喜んでいましたが最後にはこれも無くなり
草鞋を履いていましたがこれも新しい物は学校で盗まれました。

欲しがりません勝までは、この標語の下に耐乏生活をしていました。

海に魚は多く居たようですがこれを獲りに行く漁船も軍の管理下、
漁をする人も少なくなり、漁船も海に出ると爆撃の標的になりました。

私は戦争終結後、微熱が続きましたが飢餓熱、栄養失調の発熱でした。
私達年代の人が戦争の体験を語るとき最後には食べ物話で終わります。

日本の大中都市に暮らした人々の殆どは爆撃の恐怖を体験し、衣食住総てで
辛酸をなめた筈です。

このような生活が精神的な重荷になり語ることを拒否する人もあると聞きました。
野坂昭之(字が違うかも)のアメリカひじきと言う小説が終戦前後の食生活を書き賞を貰った筈です

確かこれをもとにしたアニメが有りました。
見ていて目頭が熱くなりました。

私の姪がこのような話を聞きたがり話し事が有りますが2時間くらい話しても
終わりませんでした。

このような生活をしてきても人間は生きています。改めて生命力の強さを
実感するときも有ります。

この時期の人々は既に高齢化しています。

私が昭和8年,1933年生まれ、戦争の終結が昭和20年,1945年。現在68歳
戦争の前線に出た人々は70歳を越えています。

私の体験は小学生の2年から6年まで、この間の体験は到底このようなところで
総てを書くことは不可能です。

育ち盛りの年齢、最後には食べ物の話になります。
生活していた場所、環境により違いはありますがこと食べ物については農村が
有利でした。

粟、稗こそ食べませんでしたが、大豆の絞り粕、小麦のふすま、かぼちゃ、...続きを読む

Q戦時中、みんな何をしていたのでしょうか?

度重なる質問申し訳ありません。
戦時中について興味を持ち調べてみたところ、次から次へと疑問が噴出してきまして。
さて、今回の質問ですが。
まだ徴兵検査を受けていない、20歳以下の人達についてです。進学して学校に通っていれば、学徒動員などがあったようですが、小学校を卒業後に就職した人達はどのような仕事をしていたのでしょうか?
やはり、学徒動員するほど人手が足りなかったわけですから、彼ら学生に混じって軍需工場などに動員されたのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

☆小学校

昔は数え年で年齢を数えていました。
生まれたときが1歳、その後正月が来るたびに年齢が上がります。
小学校へ入るのは毎年4月です。
1~3月生まれは「早行き」とか「7つ行き」といって、数え年7歳で入学、それ以外は「おそ行き」とか「8つ行き」といって、数え年8歳で入学でした。
小学校を卒業するのは数え年13歳か14歳で、卒業すると家業を手伝うか、男子は丁稚奉公、女子は女工さんや女中奉公に出て「食い扶持」を減らすのが多かったようです。

小学生たちは、昭和17年以降、12月8日には近くの神社へ必勝祈願のお参りをしました。
千人針を縫ったり、千羽鶴を織ったりして「武運長久」を祈りました。
山へ入って、松の根っこを拾い集めました。
松脂から松根油というのを作って燃料にしたのです。
大勢の男を湯船にいれ、おならをさせ、それを集めてメタンガスを作る実験があったとか無かったとか。
そんな話が、当時では笑い事ではなかったのです。

毎日のように防空訓練というのがありました。
防空頭巾をかぶって防空壕へ非難したり、バケツリレーで消火する訓練です。
出征する兵隊さんを日の丸の小旗を振って送り出すこともありました。

☆中学校、女学校

昭和に入ると、裕福な家庭や都会では、中学や女学校に入ることが多くなります。
いまとは違い、「男女16歳にして席をおなじゅうせず。」といわれ、男女共学ではなかったのです。
中学に入るとすぐ始まるのが、軍事教練と学徒動員です。
女学生の場合、看護訓練などもあったと思います。
軍隊から派遣された教官が中学生を心身ともにしごきあげます。
「一億一心」「鬼畜米英」「海行かば~」と、お国のために命をささげる訓練です。
戦火が激しくなると近くの工場へ学徒動員されます。
軍事物資の生産に狩り出されるのです。
しかし、原材料がなくなると工場の掃除や草むしりです。
動員された工場に爆弾が落とされ死傷者がでることもありました。

幼年兵学校というのもありました。
少年航空隊というのもありました。
予科練習生というのもありました。

☆「甲種合格」

男子は(多分)16歳になると全員徴兵検査を受けることになり、甲種、乙種、丙種に分類登録されます。
「甲種合格」といって喜んではいられません。
先ず最初に徴兵されるのは「甲種合格者」です。
密かに喜んでいたのが「丙種合格者」かも知れません。
しかし、戦争に行かずに街中をうろうろしていると憲兵に捕まり鉄拳制裁を受けます。
あの家にも、この家にも、次々と「赤紙」が届き「恩賜の煙草」を戴き徴兵されていきます。
「練兵場」という場所に集められ訓練を受けた後、戦場へと送り出されます。
しかし、送り出された兵士たちに、弾薬や食料はわずかしか送られません。
そんなものは現地で調達しろというのが「大本営」の方針だったのでしょうか。
旧厚生省調査によれば、日本人戦没者は310万人、内訳は軍人軍属230万人、空襲被災者80万人だそうです。
軍人軍属の犠牲者のうち半分以上は「餓死、病死」といいます。
「復員」した人の話では、蛇、トカゲ、蛙などはご馳走のうち、飢えを紛らわせるために靴の半皮に水を含ませてしゃぶることもあったそうです。
当時の日本の人口が6000万人だとすれば20人に1人が戦争で死んでいったことになります。

戦争末期には殆どの成年男子は戦場へ駆り出されました。未成年者も予科練や特攻隊に志願していきました。死を覚悟して。
沖縄では看護兵として狩り出された女子学生までもが、本土防衛のため、戦闘に加わって死んでいったそうです。

☆小学校

昔は数え年で年齢を数えていました。
生まれたときが1歳、その後正月が来るたびに年齢が上がります。
小学校へ入るのは毎年4月です。
1~3月生まれは「早行き」とか「7つ行き」といって、数え年7歳で入学、それ以外は「おそ行き」とか「8つ行き」といって、数え年8歳で入学でした。
小学校を卒業するのは数え年13歳か14歳で、卒業すると家業を手伝うか、男子は丁稚奉公、女子は女工さんや女中奉公に出て「食い扶持」を減らすのが多かったようです。

小学生たちは、昭和17年以降、1...続きを読む

Q日本史Aと日本史Bの違いについて教えてください。

こんにちは、疑問なのですがセンター試験の日本史Aと日本史Bとはどのような違いがあるのでしょうか?
ちょっと気になって調べてみたのですが、ほとんど日本史Bの事しか載っていませんでした。

二つの教科の違いや、選択時の有利不利などを教えてください。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古代史からスタートするので日本史Aの教科書より内容的に若干難しい内容も取り扱います。

 したがって、単位数の違いにより、日本史Aと日本史Bの教科書を使い分けていることです。主に、日本史Aは、職業科の学校で使われています。

 農業高校・商業高校・工業高校など普通科以外の学校で日本史Aの教科書を採択しているケースが多いです。普通科の高校でも日本史Aで近現代をやって、日本史Bで古代から江戸まで勉強して、受験するときは日本史Bで受験するというケースも見られます。

 つまり、日本史Aでは、教科書の構成上、近現代史がメインになりますが、日本史Bでは、古代史からスタートして現代史まで扱うという幅広内容になるということになります。そういうことから、日本史Aで勉強したいようで、勉強していないところ古代史~江戸時代の内容に関しては自力で勉強することが求められます。

 【大学受験での日本史選択】
(1)センター+私大(日本史で受験)する場合
 →「日本史B」を選択
(2)センターのみの場合(日本史A・B両方選択可で2次試験で日本史を必要としない学部学科を受験の場合)
 →「日本史A」を選択(学習時間が少なくてすむ)

 ※私大受験を考えていて、日本史で受験を考えているのであれば「日本史B」を選択するのが無難です。リクルートの進学サイトのURLを載せておくので受験科目の選択に参考にして見てください。

 何らかの参考にならば幸いです♪

参考URL:http://www.shingakunet.com/cgi-bin/shingakunet.cgi

 日本史Aと日本史Bの違いは、高校での単位数の違いと、教科書で学習する内容の対象が若干違うことです。

 日本史Aは、単位数が2単位など。単位の少ない時間で取り扱う科目です。教科書の内容も近現代史~の内容をメインとした教科書の構成となっています。日本史Bの場合は、大体4単位で、教科書の構成が古代史~スタートし歴史全体の内容を取り扱うものです。

 日本史Aでは、大体どの時代も勉強すると思いますが、教科書の構成上「近現代史」に特化した取扱になっています。また、日本史Bでは、古...続きを読む

Q戦前と戦後の教育の違い

戦前と戦後の教育制度の違いについて教えてください

Aベストアンサー

教育内容についての違いはさておいて、制度上の一番大きな違いは戦前の学校制度が複雑な複線であるのに対して、戦後はいわゆる63制という単線であることです。
戦前と言っても時期によって多少の差異がありますが、基本的には6年制の尋常小学校が義務教育になります。それを卒業した後は色んな線に分かれますが、中心となるのは中等学校(中学校、工業学校、商業学校、高等女学校、家政女学校など)で、その上に高等学校→大学とあるのがいわば王道です。
それ以外に中等学校へ行けない、行かない人のためには2年制の高等小学校がありました。そして高等学校と平行する高等教育機関としては各種の専門学校、師範学校などがありました。また私立では大学予科というのがありまして中等学校卒業後すぐ入学することが出来ました。
留意すべきは戦前には時期、地域にもよりますが、中学校へ進学する者は限られており、ある意味ではその地域のエリートであり、ましてや高校、大学へ進学する人は超エリートといってもいい存在でした。
戦後は6334の単線化となりましたが、例外として新制度の大学に昇格するには資格不足の専門学校は暫定的に2年制の大学として残し、そのうちに解消するはずが図らずもその後恒久化し、短大として今に残っています。それと、昭和30年代末、時代の要請から5年制の高等専門学校が開設されたのが63制の例外として存在します。

教育内容についての違いはさておいて、制度上の一番大きな違いは戦前の学校制度が複雑な複線であるのに対して、戦後はいわゆる63制という単線であることです。
戦前と言っても時期によって多少の差異がありますが、基本的には6年制の尋常小学校が義務教育になります。それを卒業した後は色んな線に分かれますが、中心となるのは中等学校(中学校、工業学校、商業学校、高等女学校、家政女学校など)で、その上に高等学校→大学とあるのがいわば王道です。
それ以外に中等学校へ行けない、行かない人のためには...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報