アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

数年心療内科に通っていますが、現在は少しずつ薬を減らすため…という感じで、ほとんど困ってることはありません。すごく元気です。

が、数年前より肉体的にすごく疲労感が強く、一昨年にいよいよ動けなくなり、家事もままならない状態のまま結婚しました。その時体が動かないことで家事などが出来ず責められて本当に辛かったです。

が、その事に関して「甘えてる!」と言われたことが何度もあります。出来ないのを病気のせいにしてるとか…(こちらのサイトだけのことではなく、色んなところで)。もちろん励ましてくれる人もたくさんいたのですが。

が、何度医師に相談しても「とにかくゆっくり休んで」と言われるだけなので、とりあえず出来ることだけやって休んでいました。すると不思議なことに本当に身体的な不調も回復したのです。もちろん今は普通に家事なども出来るので、特に家庭生活において問題はありません。

基本的に前向きな性格なので「な~んだ、やっぱ大丈夫じゃん!」と思っているのですが、ふとしたときに「本当に辛かったときに甘えてると言われたことは辛かったなぁ~!」と思います。
そのことで落ち込むとかイライラするとかではないんですが、ちょっとだけ悔しいです。そういう言葉がなかったら、少しは精神状態も違ったのかな?と。

今ではこういう経験をバネに、簡単に人に「甘えてるだけ」とかは言わないようにしてますが、簡単にそう言えてしまう人はどういう心境なのでしょう?そういう人に限って「自分も大変だったのに頑張って乗り越えたんだ!」と言う人が多いような気がします。
私は頑張ってたわけではなく、好きなことを好きなようにしてたら良くなったので、頑張って乗り越えた!という気が全くしません。ヘラヘラしてる間に治っちゃった、って感じなのですが…。

A 回答 (13件中1~10件)

確かに・・・こういった悩みに厳しい意見ってよく見られる気がします。



「甘えてるだけ」と言い切る人はsisyuumishinさんの言っている
「自分も大変だったのに頑張って乗り越えたんだ!」という
体験談からくる励ましの場合。できる人がいるんだからあなたも
できる!と活を入れる感じで応援してくれているんでしょう。
全員が自分と同じ頑張りやさんだと思っているのかな~?なんて
思ったりしますが、大概は応援してくれているんだと思いますよ。

逆に体験談ではなくて、自分が心の病とかにかかったことが
ない人(私もそうですが・・・)が自分の中の常識の目で
見てしまっていることもあるのかなぁ?とも思いました。
身近にそういった人がいて、実際に一緒に苦労してみないと
なかなか理解できないかもしれません。

どちらの場合も、相談するときのsisyuumishinさんの文章次第で
大きく回答が変わってくると思います。
なかなか文章って難しいですよね。同じような内容でも書き方
ひとつで・・・言葉がひとつ足りないだけで回答が違ってきて
しまいますもんね。

それにしても「辛いときに甘えてるって言われた」っていうのは
かなり堪えますね。ネットの世界は励ましも多い分、普段言われた
こともないような厳しい内容もあったりして、なかなか怖いな・・・
と思うこともあります。

ちなみに私は昔から片付けが苦手ですが、ADHDという病ではなく
多分単なる甘え(怠け)っぽいです(^ー^;)
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね、相談するほうもされるほうも、言葉一つで相手の受け取り方って凄く変わってきますね。特に最近はメールも含めて文字だけのコミュニケーションが多くなってるせいか、より敏感になってる気もします。
説明しようと言葉を足すと「言い訳」と言われたりして難しいと思います。

実際には言われないようなこともネットでは顔が見えないからか言えたりするんですよね。世の中そんなもんかもしれませんが、やっぱり怖いですね。お気楽に生きてきたからなのかもしれませんが、それがショックだったのかもしれません。

命を絶つことも考えたことがありましたが、生きてて良かった~と思います。

お礼日時:2007/02/01 20:11

どんな状況でどんなふうに言ったかで言葉の持つ意味って変わってきますよね。


具体的なことが何もわからないので、あなたに「甘えているだけ」と言った人の心理はわかりかねます。ほかの方々がいろいろ言っているようにいろんなパターンが考えられます。

あなたを励ますつもり、喝を入れて元気づけるつもり、で悪気は無かったと思いたいですね。(たまに意地悪な気持ちでそう言う人もいますが)
もしかしたら「ヘラヘラ」としていた姿が「甘えている」と見えたのかもしれません。
でもあなたにとって「ヘラヘラ」としていることが必要であったのなら非難するようなことを言うべきではなかったのです。

>そういう人に限って「自分も大変だったのに頑張って乗り越えたんだ!」と言う人が多いような気がします。
あなた自身がそう思うのなら、あなたにその言葉を言った人の心理はそうなのでしょう。
褒められて伸びる人、叱られて伸びる人、人はさまざまですから。
その言葉であなたが傷ついたのなら、その言葉を発した人は少しばかり思慮にかけていて、使うべきではない相手に使ってしまったのでしょうね。

元気になって本当に良かったですね。
でも完治したわけではないのでお大事になさってください。
NO9.の方が言っているようにこれはいつまでもこだわらないほうがあなた自身のためのような気がします。あの時こんなことを言われて辛かったと考えるより、励ましてくれた方もたくさんいたのだからそちらのほうを心に留めて置くことのほうがだいじなのではないですか?

もしどうしてもそのことが心にひっかかるなら「あの時は『甘えているだけ』と言われてちょっと辛かった」とその人に直接軽い感じでうちあけてみてはどうでしょう。
相手を責めたり、恨み言を言うのではなく、あくまでも自分の気持ちを知ってもらうというつもりで。

でも、私は思うんです。人生、人に甘えることが必要なときってあるんです。
だから甘えることは決して悪いことではないと思うのです。
人は互いに持ちつ、持たれつじゃないですか。
自分が助けてもらったら、次はそのお返しを誰かにしてあげればいいのです。
だから、心ない言葉に傷ついたのはわかりますが、そういう人のことをあれこれ詮索するよりも自分を励ましてくれた人に感謝し、自分もそのような存在になるよう心がけるほうがずっと素敵なあなたになれるような気がします。

私もこのサイトで回答するときこれまで以上に自分の言葉に気をつけたいと思いました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

悪気があって言われたんじゃないと私も思いたいです。ただちょっと配慮が足りなかっただけ。そうであってほしいと思います。
穿り出すと言うより「あ~辛かったよなぁ~。でも負けずに生きてて良かったなぁ~」とぼんやり思ってたくらいですので、そんなに深くは考えてません(^^;)
言った相手もきっとそう言ったことすら覚えてないでしょうし、元々そういう言い方しか出来ない人なのであれば自分が不快になるだけなので接触はしないと思います。「だから何なのよ、キー!」となりそうで。

私が経験したことが、他の人の心を軽くすることに役立てば嬉しいですね。

お礼日時:2007/02/09 11:46

まだ続きを書かせてくださいね。


先入観については私の子の例を書きましたが、子供じゃなくても兄弟でいませんか?
私は、夫の親がこういう人だという先入観があります。
友達にもこういう人がこうだ!という決め付けがあります。
本当はいけないことなんでしょうが、

>最終的にはそれを望むでしょうが、「今は」まだいいよ、少しずつやることが大事だよ、と思います。これは経験したからこそ思うことなのでしょうね。
それはすごくいい事ですよね。
今は!という条件がついていて、その一歩一歩を薦めていくことを相手に思わせることが優しさと厳しさなんだと思います。
いいよ、いいよ!と言ってるだけじゃ甘えだけど、最後はここ(目標)にいけるよう、逆に今は休もうねという考えが大事だと思います。

>たまたま私は大丈夫だったのか、はたまた「こいつならこのくらい言っても大丈夫だろう」と判断されて言われたのかは分かりませんが…。

そうなんだと思います。
私の経験なんですけど、私、とっても気の強い友達がいて、この子ならズバっと言っても大丈夫なんだろうと思ってた子がいました。
でも、その先入観や、大丈夫だろうという思い込みがとても相手を傷つけてしまいました。
本当は性格とは違ってすごく繊細な人なのに・・・
傷つけてしまってから初めて気がつきました。

>説明しようと言葉を足すと「言い訳」と言われたりして難しいと思います。
これはとても正解です。
私も読んで、言葉を足す、補足をしようとする、正しく伝えようとすればするほど言い訳でしょ?ってかかれちゃうのだと思います。
(第一ここ短いですよね、文字制限があって全部かけないし)
だからこのサイトではやっぱり他人なのでしょうがないと思うんです。
やっぱり一番は自分の友達や親、兄弟など身近にいる人に相談したり聞いたりすることが言い訳っぽく聞こえません。
でも、今度は近い人は先入観があって新たな道を開けにくいと思います。
だから、私もこのサイトにどっぷり漬かっている人よりは、新たな道を探す手段として使っているほうがいいんだと感じます。
甘えているだけ!と言える人って、その中にある細かい言葉を排除しすぎているんだと思います。
例えば男性なんて、あまり話してくれない、言ってくれませんよね。
その過程にどんな道のりがあったのか、どんな考えの変化があったのか、話してくれません。
だから結果、言葉だけ浮き彫りになって「甘え」だと言ってしまうのではありませんか?
この件ではとても考えさせられました。
私も甘えという言葉じゃなく今は!という言葉をつかって人に接したいと思います。
長くなりすみません。
    • good
    • 0

苦しまないで下さい。

医師にも理解がなく、当然家族も理解力はないのが普通。その為に味わった屈辱感でもあったのでしょう。


精神科領域における栄養療法
治療別冊 Vol.No11<2003.11>の中で、精神科医が次のような序文を記している。
『幾ら頑張って努力しても、普通に起きて家事や育児をすることが出来ず、何故だろうか?と、病院で検査したが何の異常も指摘されず、治療を受けたが好転せず、周囲からは「だらしがないやつ」と罵られ、長い間自責・屈辱・罪悪感を持ち続けてきた。ある時低フェリチン血症を指摘され、ヘム鉄中心の栄養補給で劇的に改善し、現在は別人のように多方面で活躍中の女性がいる。この女性との出会いが、精神科領域で薬物療法やカウンセリング以外に、栄養と云う治療手段があることを知った始まりである。
その後、抗精神病薬の副作用である、パーキンソニスムスやアカンジア、ディスキネジアに(対して使う)抗パーキンソン剤の代替治療として、栄養素補給が有効であることが解った。』・・・と書き綴っている。

この栄養的治療を行っている医師がホームページをもっています。
隅から隅まで読まれると 納得できることが多いかと思います。相談者様が味わった辛さを、他の人たちに持たせないように・・参考になればと思い投稿させていただきました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

栄養療法って言葉はよく耳にしますね。
実は私も症状が治まってきて、心身健康になってきた時と毎日きちんとご飯を食べるようになった時期が同じなんです!さらに、元々落ち着きがなくADDを疑われてた子供も、ほかの子についていけない部分はまだまだありますが、それでも本人の中では飛躍的に伸びていて。

元々、子供の心身の発達には「早寝・早起き・朝ごはん」が良いといわれてて、子供がもう少しどうにかならないか…と思い、きちんとした朝食を取るようにしたんです。で、ちょうど今朝、夫と「この生活にしてから、子供が凄く伸びたよね」と言う話になったばかりでした。

私は今、マルチビタミン程度しかサプリメントは取ってませんが、栄養バランスはかなり意識して食べています。(ダイエットのこともありますし^^;)結果としてそれも凄く良かったのでしょうね。

食事は侮れません…!食育に凄く興味があったのですが、より一層興味がわきました。私もそれだったのかもしれないですね。今、身近な友人がなんとなく調子が悪いと言うことでず~~っと悩んでます。一人暮らしでちゃんとした食事も食べない子なので、「ご飯食べにおいで」と誘ってるのですがなかなか。今度引っ越して家が近くなるので、この話をして一緒に食卓を囲んでみますね。

お礼日時:2007/02/07 17:14

丁寧なお礼をありがとうございます。


>私も今、悩んでる人の書き込みを見て言い訳ばかりしていた時の自分を思い出して逆に恥ずかしくなることがあります。「基本の基本ができていない」耳が痛いです(滝汗)。

そうなんですか?
滝汗だなんて思えません。
他の方へとてもよい事を書いていらっしゃると思いますよ。
ということはこの事をある程度、ご自身が乗り越えられた、ということですよね。

>ただそういう状態の人にいくら正論を唱えても耳を塞ぐだけなのは、経験者なら分かると思うんです。そんな弱かった自分を覚えてないのでしょうか。そんな時期がなかったのであれば、経験者ではないので分からなくて当然だと思いますが…。(恐らく多くの人が耳を塞いでる状態だと思いますよ)
それは・・・そうですね。
いくら正しいことをいっても心がきかないときは何を言ってもムダですからね。
その言うタイミング、その言う人との関係など色々な要素が必要でしょう。
過去、その経験があった人もきっと年月が過ぎれば忘れる人もいるし、自分が乗り越えた感覚を相手に求めている、押し付けている部分ってあるんだと思います。
ほらみろ!自分はこんなに大変だったんだぞ、でも平気だ!みたいな…

>確かに学校や仕事を3ヶ月でやめるのは甘えてるかもしれないですが(それは私も思います)、今まで1ヶ月しか続かなかった人が3ヶ月持ったのであれば「頑張ったね」と思えないものなのでしょうか?
いえいえ、それは確かに頑張った証拠ですよね。
出来なかったことが出来たという意味では頑張った証拠、証です。
でもそれが相手を救うこともあれば甘やかしてしまう結果にもなりませんか?
例えば普通は学校や会社は休まないのが基本です。
特に体の病気ならいざ知らず心の病気なら無理をしていけ!というのが昔の教育でした。
無理も時に良い結果を生むし無理してもダメなものはダメというものがあります。
じゃあ3ヶ月しかいけないのを1ヶ月出来たことは頑張った証ですが、それが世間一般で認められるレベルではないという事実が本人の心のどこかにちゃんとあればいいのかなと。
それがないと1ヶ月しか出来なかった私が3ヶ月、私は頑張った!私はやった!という思考になると甘えになってしまうのではないのかなあと思うのです。

>自分も他人も絶対評価ではなく相対評価で見ることで、自信もつき、それが結果として良い方向に向かうのでは?と思うのですが…。もちろん自分の中では一つの基準として絶対評価を持つことは必要だと思いますけど。

それがわかっているひとは大丈夫ですよ。
結局、一番難しいのは「普通」でいることなんです。
人生は長く、瞬発力がよくても続かなきゃ意味がありません。
人生に無理は厳禁であり、又、無理も時に必要でありと絶対こうだというものがないのです。
他の方へ書かれている言葉、とても考えさせられました。
>言っても無駄だから言わないというのは、一見優しいようでもありますが物凄く冷たいことをしてるのかも、と思いました。
私もそういった考えや行動がよくあります。

例えば欝で休みの多い人に本当に優しさがあるなら「もっとちゃんと出勤してください」と言います。何故ならその先にあるのは「解雇」しかないから。それは本人には今よりも大変な道だから。
でも、私にとって相手は他人であり、精々、仕事仲間。
言ってもきかない人に言って嫌なやつだなと思われたくないので、放っておきます。
もしくはそうだね、病気だもんね、大変だね、って。
だけどそれは「真」の優しさじゃないと思っています。
私も、sisyuumishinさんもその優しさってなんだろうと考えて生きていくしかないんだと思います。
例えば私も精神的な病にかかったら私も「心が大事、何より大事」となるかもしれません。
人間なんてそういう意味でいい加減な生き物なんだと思います。

でも、世の中って現実がありますよね。特に精神的な病の場合、他人へも理解を求めすぎて自滅してしまうんじゃないのかなあと考えます。
例えば病気の辛さはわかるけど、休んだり、迷惑をかけている事実をありのまま受け止められてません。逆に回りがその分、大変なんですよね。
家族にいればその分養わなきゃなりませんし職場にいればその分仕事が大変です。
じゃあ心が強い人になんでも無理を押し付けて、自分は無理ができません、では甘えだと思われてしょうがないと思うんですよ。多分この辺りを理解してないんじゃないのかなあと思います。
皆大変、自分も大変って。
その甘えに対する回答は厳しさと優しさのハザマにあるものが答えだと私は思っています。
甘えさせるだけもダメ、厳しいだけもダメ、根底に愛ある厳しさが大事なんだろうなと私の目指す優しさです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。上の分と一緒にお礼させていただきます。

いやいや、今でこそある程度普通の生活が送れるようになったものの、前は本当に何も出来てませんでした。何だったの?と思うほど…。

経験した人でも忘れてしまう人、また逆に忘れたい人というのもいるのかもしれませんね。「やっぱり自分は怠け者じゃなかったんだ!頑張ったから乗り越えられたんだ!」と思いたい人もいるのかもしれません。

>それがないと1ヶ月しか出来なかった私が3ヶ月、私は頑張った!私はやった!という思考になると甘えになってしまうのではないのかなあと思うのです。

そうですよね。第一関門として考えるのであればいいと思いますが、そこがゴールじゃないですしね。一般的な価値観と言うのも、ある意味通過点であって、そこがゴールでもないし。向上心の有無って感じでしょうか。現状に満足することは大事だけど、甘んじてる人はいくら平均値を超えていても甘えてると言われるかもしれません。後は受け取る側の気持ち次第ですね。

私は病気が原因で友人に迷惑をかけたことがあります。友人は怒りましたが「それじゃ自分が困るよ」とちゃんと言ってくれ、次は病気を理由にこんなことがないようにしよう!と強く思いました。
私の場合、そんな経験が何度も重なったのも良かったのかもしれないですね。本当の意味で優しい人たちに囲まれたのかもしれません。

先入観を出来る限り取り払うというのは、周囲の人の努力ですよね。心を病んでる人も頑張らないといけないけど、周りの人も先入観を取り払う努力は必要だと思います。そうしたら良い方向に進むんじゃないかなぁ~と…。
それは私自身もこれから努力していかないといけないことですね。

お礼日時:2007/02/07 17:01

No.4です。



質問の意図からは、だいぶ外れた回答でしたのに、ご丁寧にお礼ありがとうございました。

私は、goo6340さんの意見に大変感心&共感しました。
なので、私の出る幕は今更ないのですが、少しだけ補足させて頂きます。m(__)m

まさに、私の意見は一貫性がありません。(汗
その時々によって、アメになったりムチになったりします。
それは意図的にではなく、本能的に。

私は人を憎めないとか恨めないとか、口では良い事を言いましたが、不当&理不尽だと思ったことは、ちゃんとその場で相手に言います。
だから、溜め込まないというか、残らないというか、言われたことも言ったことも殆ど翌日には忘れています。
私に怒られた相手が逆に心配してくれるほど、私はその人を怒ったことすら覚えてなかったり。。。(汗

あ~え~、話がまた脇道に逸れそうなのでぱっぱと要点を。

折角、完治に向けて進んでいるのだから、「あまりいろんな気持ちを引っ張り出して、いじらないように。。。」ということを今回は言いたかったんです。

質問者様は、心の傷を何度も再現したり、蘇らせたりすることによって、自分が不当に扱われた恨みを自分で膨らませているのです。
それは、過去の苦しい状況(言われた言葉)を、繰り返し思い出すことによって、その状況を何とか変えたい!と無意識の願望がそうさせているのだけれど、過去の状況を変えることは、どう考えたって出来ません。

うつ病患者に「甘えている」と言うことの賛否もについても、きっと正しい答えはありません。
人はそれぞれ自分の「正論」を掲げて生きているんです。
病気を経験した人の意見、経験のない人の意見は、決してきっちりふたつに分かれることはないし、もしも、分かれたとしたら、その方が余程、悲しく恐ろしいことだと思いませんか??

ご自分が良いと信じる道を、前を向いて、胸を張って気楽に行雲流水で歩いて行かれて下さい。

健康で、家族円満で幸せに~。(*^^*)/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

私にも二面性はありますね。思えば私は何度も他人に「やる気があるなら人は必ずやる」と言い続けてきました。でも心の病気の人には絶対言いません。なぜなら言っても無駄だと分かってるから…。
言っても無駄だから言わないというのは、一見優しいようでもありますが物凄く冷たいことをしてるのかも、と思いました。それが私の二面性なのでしょうね。

ただ私は、辛いことがあったり壁にぶつかったとき、こちらなどで頂いた意見に何度も目を通しました(辛辣な意見も含めて)。きっと言ったほうは覚えてなくても、言われたほうにとっては凄く大事な言葉です。心を病んでる人に甘えてると言うのがいいのか、優しい言葉をかけるのがいいのかは分かりませんが、どちらにせよ心を病んでる状態の人には言葉って凄く大きな意味があるのでしょうから、私は大事にしていきたいな、と思いました。

どんなに優しい意見でもそれがその人に良いかどうかは誰にも分からないですもんね。私は私のやり方で生きていく、それでいいんだなと再確認しました。その道を信じてこれからも前向きに笑顔で生きていこうと思います。

お礼日時:2007/02/05 09:27

たぶん、平気なんだと思います。


私は普通の人なので何でも普通にこなすことができます。
だから当たり前に出来ることが出来ない人を「甘えている」と思うことがあります。
もちろん病気なのは頭で理解できますが疑問符の付く人も多いのが正直な感想です。
私たち普通の人も全然平気で楽々ではなく当たり前に出来るように努力して、我慢しています。
鬱病だって精神病だってなる人が多いという理屈ではなく、ならない人も多い、なる人のほうが少ないという理屈です。
だから結局自分が平気なものは他人も平気だと自分のものさしで計るだけだです。
例えば簡単に精神を病む人もいます。
甘いなあ、弱いなあと思う人も確実にいます。
逆に、ああ、今まで頑張ってきたからと思う人もいるし、こんな不幸でも、こんな大変でも!という人も、平気という人もいます。
私の知り合いに体の不自由な人がいて、色々な不幸を背負ってますが明るいです。
そして足が動かなくても生活保護も貰わず働いて母子家庭で子供を育てている人もいます。
そういう人をみると心の強さというもののすごさに圧巻されます。
逆に健康だった人があっと言う間に心の病んだ人になったのをみたことがあります。
又、心が病んで体も病んだ人もみました。
毎日引きこもって体力がなくなり新陳代謝がおち足に水がたまって、本当に不自由になってしまいました。
私がみるとここのカテの常連さんは私が見ると少し特異です。
心・精神を大事にしすぎです。
逆に普通のカテゴリの常連さんは精神を大事にしない人もいます。
結果はどっちも自分の経験したことしか理解できないだけです。
あとは先入観です。
狼少年の話があるようにいつも嘘をつく子は信じてもらえません。
いつも大袈裟な態度、(痛い、辛い、甘えなど)をしていれば「またか」と思われます。
つまり周囲の人の先入観も「あ、又こいつ甘えている!」と思わせてしまいます。
積み重なった過去、普段が大事ということです。
中々その人へのイメージというのは払拭されませんから。
私も上の子は我慢強く下の子はどうも大袈裟というイメージがあります。
>私は頑張ってたわけではなく、好きなことを好きなようにしてたら良くなったので、頑張って乗り越えた!という気が全くしません。ヘラヘラしてる間に治っちゃった、って感じなのですが…。

なんでもそうじゃありませんか?
私も大病をしたことがありますが頑張った記憶はありません。
時間が過ぎて時が傷を癒してくれるのを待っただけです。
でも不思議に皆、頑張って!といいます。
何を頑張ればいいのだろうと、思いました。
こうやって「甘えている」と言われた経験が質問者さんの心を鍛えた結果になったのではありませんか?うまくいえませんが「甘えている」というのは言葉ほど深刻にとらないでいい言葉だと思います。何故なら甘えているのかそうじゃないのか誰が判断するのでしょう?
例えば自分が甘えていると思っていても回りは思ってない人もいる。
逆に自分では思ってないのに甘えていると言われるのは言う人の基準なのです。
それが多くの人に言われるならば、「そう言われる何か」を考えなければいけませんがそれがそうでない特定の人の言葉なら何も気にしないでいいと思うからです。判断基準がその人なのですから。
でもその「気にしない」ということがこういった病気の人に出来ないことなのかもしれません。
他の回答者と同じような回答になりますが、私も世間一般の普通というは大事だと思います。
でもこの世間一般の普通に囚われているとこのての病気からは出にくくなります。
又脱出すると世間一般の普通に戻れなくなっている極端さを感じるのです。
皆と同じじゃなくていい、という考えや精神の病気の人の特有の共有感などが特異に感じます。
なのでやっぱりある程度出来て当たり前のラインをひいてそのラインを軸に考えることも大事なように思います。

もし質問者さんも心を病むことなく現在に至れば今の考えもなかったと思いますが如何ですか?
軽く「甘えている」といえる人には言えるだけの経験が。
言えない人には言えないだけの経験があるだけのことだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

先入観はあるでしょうね。凄く大雑把にいえば「精神を病んでる人はどうこう」という大きな先入観もあるのでしょう。よく知らない人からでも「自分の知り合いにも同じような人がいた」と言う場合ひどいことを言われることがありましたから。

確かに私が心身を壊したことは凄く大きなことだったと思います。そうじゃなかったら…確かに今の私はなかっただろうなぁ…。ずっと甘やかされて生きてきて、社会に出て厳しさに直面してからずっと悪かったんです。でもそれが社会。そのことすら分かってなかったのかもしれないですね。みんなが優しくしてくれて当たり前だと思ってたのでしょう。

ただやっぱり私には心を病んで闇の中にいるような人に世間一般のレベルを要求するようなことは出来ません。最終的にはそれを望むでしょうが、「今は」まだいいよ、少しずつやることが大事だよ、と思います。これは経験したからこそ思うことなのでしょうね。

昔の自分に戻れたような気がしていましたが、そうではないんだなと思いました。辛いことも多かったけど貴重な経験をしました。大事にしていきたいと思います。

お礼日時:2007/02/03 13:00

簡単に言える人は色々じゃないですかね?


たとえば精神力が強い、とか自分に厳しいとか。
乗り越えた強さもあるでしょう。
でも、世の中にはある一定の「通常レベル」というものが存在します。
私はここで「会社学校を3日でやめた」と書いているひとを心の甘い人、弱い人、と思います。
この3日というのは極端ですが2週間とか1ヶ月とか3ヶ月とか短い期間でやめる人のことです。
また、sisyuumishinさんの質問もちょっと見ましたが、これも世間の「通常レベル」からみればかなり低いんだと思います。
家事、育児ができないという部分ですね。
専業主婦ならやって当たり前という世間のレベルがあるからです。
就業も学校もそうです。
出来て当たり前、やって当たり前のレベルがあるから。
だからそれ以外は甘えもあるでしょう?と書かれたり、言われたりするのだと思います。

この世間の当たり前とか一般的なレベルというのは大事だと思います。
何故ならそれが一つの目標値だから。
甘えについては甘えがあるのか、無いのかは本人が一番わかっていることです。
例えば、ここのカテとかで眠れない、引きこもり、メンヘルと書いている人の殆どが夜中の睡眠時間に起きてここに書き込んでいます、ちゃんとした自分の健康管理をしてない証拠です。
眠れなくても横になり寝ること、朝起きて体を動かすことが大事なのはsisyuumishinさんもおわかりでしょう?
そういった基本の基本が出来てない。
ここのカテでのこの質問もこのカテならではのメンヘル同士の考えがありありと出てます。
もしこれが「ライフ」「健康その他」などでしたら回答も違います。
ここのカテのレベルは病気レベルベースだから。
病気に対しての甘えは誰でもあるでしょう。
sisyuumishinさんの回答も優しさベースで素晴らしいのですが相手を甘やかすだけでは誰も育ちません。また、根底に愛のない回答も、厳しいだけの回答も人は心動かされません。
甘えというより、自分はもう大丈夫だ!と自分で思えないのが甘えに映ったりするのではないでしょうか?
sisyuumishinさんもお書きになってますけど、体の疲労はくすりで取れるかもしれませんが心の病気に薬はききません。どっかで折り合いを自分でつけなきゃいけないのがこの手の病気なのでは?
そして人は楽なほう、楽なほうへと流れていきます。
そういう意味で世間一般という目標は皆がもつべき目標に思えます。
世の中、一生懸命働いている人もいます、世の中辛いことがあっても「心を病まない」人がいます。そういった人を見習うことはいけないことでしょうかね。
ヘラヘラしているうちに治っちゃった、いいことです。
そのいい加減を減らさないよう、増やさないように(これが増えると甘えてるの根源です)今のレベルをキープしてください。
大切なことは安定した精神をキープする、継続する力です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね、ある一定の基準値を目標値と掲げることは凄く大事だと思います。(専業主婦なら当たり前と言うレベルの論議は色々とありそうですから置いといて…^^;)
私も今、悩んでる人の書き込みを見て言い訳ばかりしていた時の自分を思い出して逆に恥ずかしくなることがあります。「基本の基本ができていない」耳が痛いです(滝汗)。

ただそういう状態の人にいくら正論を唱えても耳を塞ぐだけなのは、経験者なら分かると思うんです。そんな弱かった自分を覚えてないのでしょうか。そんな時期がなかったのであれば、経験者ではないので分からなくて当然だと思いますが…。(恐らく多くの人が耳を塞いでる状態だと思いますよ)

確かに学校や仕事を3ヶ月でやめるのは甘えてるかもしれないですが(それは私も思います)、今まで1ヶ月しか続かなかった人が3ヶ月持ったのであれば「頑張ったね」と思えないものなのでしょうか?

自分も他人も絶対評価ではなく相対評価で見ることで、自信もつき、それが結果として良い方向に向かうのでは?と思うのですが…。もちろん自分の中では一つの基準として絶対評価を持つことは必要だと思いますけど。

お礼日時:2007/02/03 12:23

同じ目にあいましたよ!でもね、そういう人は何度いっても


わかりません。それは、病気じゃないから。
わが身に起こって初めてわかる人たちの集合体ですよ。

>その事に関して「甘えてる!」と言われたことが何度もあります。出来ないのを病気のせいにしてるとか

>簡単にそう言えてしまう人はどういう心境なのでしょう?

心療内科レベルの病の方は一見元気そうに見えます。
なので、自分たちとスタートラインを同じにして物事をいう、
想像力(というかデリカシー)の足りない方たちなのですよ。
元からない想像力を無理やり付加してあげなくてもいいですよ。

>「自分も大変だったのに頑張って乗り越えたんだ!」
彼らが大変なのは病気じゃなかったはずでしょう?
前提が違うのを同じにしているのがそもそもの間違いなのです。

基本的に神経系統の病になったことのない人にわかってもらえると
思わないこと。わかってくれるのは少なくとも精神科医、心療内科医、
心理学科卒、精神科付看護師、臨床心理士、精神保健福祉士、
その他のこころのケアの職業をめざしている人か、またその系統の人たちと思いましょう。

人間、残念ながらすべてはわかりあえないものですね。
最後に、治ってよかったですね。それが1番のラッキーですから、
過去は忘れましょうよ。そして、今度そのような人に会ったとき、
精神的な味方になってあげて下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

心の病気の人は確かに見た目は元気そうですよね。私は体も元気じゃなかったのですが、原因がはっきり出ないとやはり病気じゃないと言われがちなんですよね。

>彼らが大変なのは病気じゃなかったはずでしょう?
そうかもしれません。大変だったのは他のことだったのでしょうね。
でも同じように何かに対して辛い思いをした経験があるのに、分かり合えないのはちょっと悲しいですね。仕方ないのでしょうが。

まだまだ通院してるので完治とは行きませんが、凄く久しぶりに「私」に出会えたような気がして凄く今嬉しいんです。心身健康だったときの感覚が体中にほとばしるのが分かります。治ったことはもちろんですが、それまで支えてくれた人がいたことに凄く感謝してます。
こういう病気は最後じゃ自分で治すものなのでしょうが、やはり一人じゃ治せないと思うんですよ。自分一人の力で治った!自分が努力したから治った!なんて思えません。

今度は逆に、私が誰か辛い人を支えてあげられたらと思います。

お礼日時:2007/02/03 11:24

はじめまして、僕も経験者です。



どんなものごとでも
2つの反対の事柄は、両方内在していると思うんです。
どちらか1つ、という人はいないと思います。

でも人間は勝手な生き物ですので、何でも美化しようとします。
性格悪い人をみて、性格悪いと決めつけます。でも、そんなわけ
ないじゃないですか。良い部分持ってます。
バカな事ばかり言ってる人をみて、でも、いつもバカな事ばかり
いってるわけじゃない。真面目な事ばかり言ってる人も、真面目ばかりなわけがない。真面目な教師が生徒に手を出す。みんなびっくりしますが、そりゃやるでしょう。抑制効かない人は。だからといって、真面目じゃない訳じゃない。全ての人間が両方もつと思います。でも人間は美化したがるから、どっちか1つに決めたがるんです。
天使と悪魔に分けたがるんです。自分は両方持っているのに、
他人に対してはどちらか1つだと、決めたがる。

精神的に落ち込んでいる人は、励まされて回復する場合と、
喝を入れられて闘志を燃やす人と、両方居ると思います。
(1人なかでも両方あると思います)

甘えているだけと言う人は、そういう風に言えば、回復に向けて良い方向に向かうと思ったのではないでしょうか?
励ましてくれた人も、甘えるな、という人も、結局どちらも同じなんだと思います。結局は、あなたを良くしたいと思ってくれている。

その表面的な手段が違うだけで、目的は同じだと思います。

もし、相手がそんな動機ではなくとも、
「精神的に落ち込んでいる」と
言い出したのが自分(発信したのが自分)だとしたら、
そう考えた方がいろんな意味で得だと思います。

人間ですし、みんな精一杯生きているので、
「自分も大変だったのに頑張って乗り越えたんだ!」って
思っています。たぶん、そう思っていない人なんていないです。
逆に「無理せず、好きなことを好きなようにしてたら
良くなるんじゃない?」とも、思っています。
同じ人が同時に。どちらか1つではないのは自分の事を
考えたら分かると思うんです。

「甘えるな」も「無理しないでね」も、どちらも全ての人間に
両方ある感情だと思います。言う人の精神状態も日々変わります。
「甘えるな」と言う人と「無理しないでね」と言う人がいる、
というのではなく、両方の気持ちが1人のなかにあると思います。

どちらを出しているか、という違いだけで、
もし、自分から発信したのだとした場合、
答えてくれただけでも良いのではないでしょうか?

それが人間理解に近づくよーな気がしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね、答えをくれただけでも良い…私もそういう思いでやってきました。ある意味そう思えたからこそ、前向きにやっていけたのかもしれません。(基本的に良い方向に解釈しようとするので)

ただ、そう思えない人もきっといると思いますし、思えない状況になる人もいると思います。そんな時「この人は傷つけるために言ってるわけじゃない」と思えなかったらどうなったんだろう?と思います。
たまたま私は大丈夫だったのか、はたまた「こいつならこのくらい言っても大丈夫だろう」と判断されて言われたのかは分かりませんが…。

相手を思っての言葉も、時には命取りになると思いませんか?もちろん甘すぎる言葉も、徐々に首を絞めていくのかもしれませんが。

お礼日時:2007/02/03 11:09

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!