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京都大学に関して質問があります。
私は現在大学1年生なのですが、仮面浪人して京都大学の再受験を考えています。今の大学環境に疑問があることがその理由です。
私は入学前、大学とは友人たちと一緒に勉強できる場所だと考えていました。しかし入学してみると周りにそんな雰囲気はほとんどなく、ただ授業があるから仕方なくやっているといった様子で、最近では大学に受かったことで満足している(一応旧帝なので)とも感じてきました。また、講義が上手いわけでもないのに出席など授業の束縛も緩くはなく、ほっといてくれたら自分で勉強するのにと思っています。
京都大学は本当に出席などほとんどなく、それでも学生は自分で勉強するのでしょうか?単位が楽にとれて自由だという話はここを含めよく聞きますが、その自由さを学生がどう利用しているかを知りたいです。また、京大は独創性を育て発想を育むことが東大との方向性の違いだという話もよく聞きますが、それはどういうところに感じられますか?特に京大生やOBの方いらっしゃったらお願いします。自分は工学部志望なので、文系や有名な理学部との違いなども詳しいこと知っていたら教えてください。最後に長文読んでいただきありがとうございます。

A 回答 (8件)

勉強する場所がないのを環境のせいにしてはいけません。

強い意志を持って取り組めばどんなところでも勉強はできるはずです。気持ちを変えなければ京都大学に入学できたとしても結果は同じです。

この回答への補足

お礼の欄に関連して、No.1さんはどういうふうに大学生活を過ごされたの(過ごしているの)ですか?大学をどのようなところだと考えているのでしょうか?
ちなみに誤解されるのでただ「勉強」とだけ書きましたが、ここで書いている「勉強」とは机に向ってする勉強のことのみを言っているのではありません。例えば学生で議論するとか、そういったことを含めたもっと広い意味での勉強です。後付けで、しかも分かりにくくすみません。

補足日時:2007/07/03 10:09
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
もちろん今でも自分で勉強しているつもりです。しかし自分で勉強するだけなら大学に行く必要はないと思います。大学にしかない設備が必要な理系の人はまだしも、パソコン1台あればできる学科にいる自分や文系の人は何をしに大学にいくのでしょう?大学は授業を受けに行く場所とは考えていませんし、肩書きのために行くというのも到底納得できる理由ではありません。

お礼日時:2007/07/03 10:08

京大法学部OBです。



といっても15年ほど前の卒業ですが・・・(^_^;)。

当時の話、として聞いてくださいね。
自由、というのはいい意味でも悪い意味でもありました。
授業は出席を取るものがまれでしたし、法学部でも経済学部系の科目を単位として取得できました。
後、なんと言っても最後に苦しむ「卒論」が必須ではないことですね(法学部)。これは個人的には助かりました(^^)。

また、校内には中核派などがなぜか闊歩しており、授業中いきなり乱入してきて演説を始めたことが2回ほどありました。
教授は苦笑いして「早う終わってや」という雰囲気で見ているだけでした。

しかし、単位を取るのは必ずしも楽とは思いません。
先生からの、範囲の指定とか、ヒントとか殆どありませんから。
教科書1冊丸ごと範囲、以上。そんな感じです。
出席さえすれば単位をくれる授業とどちらが「楽」と感じるかはその人次第ですね。

授業の質については、残念ながら他大学の講義を受けたことがないので詳細には語れません。ごめんなさい。
ですが、「流す」感じで授業を行う教授がそんなに多かった印象はないです。

しかし学生の受講態度や勉強に取り組む姿勢は似たようなものですよ。するヤツはするし、しないヤツはしない。
結構勉強して入ったのですから、その分抑圧が大きいと思えばむしろ京大生の方がふまじめかも知れません。試験時に集中して勉強する、みたいな。

入ってよかったか、という問いには、素直に「よかった」と答えます。
神社仏閣に囲まれ、歴史と現代が交錯する不思議な町、京都。魅力的です。
もちろん学生生活も。同級生はいま、殆どが一部上場企業の管理職で(私は違いますが)、活躍していますよ。

ひとつだけリンクを貼っておきます。私はこういう京大が好きです。

参考URL:http://freedomorita.web.fc2.com/
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
リンクの中に石垣カフェの写真がありましたが、学生運動もまだ多いんですよね。私もそういうところが独特で他の大学にはない魅力だと感じます。いきなりやぐらを建てて自分の主張をしだすなど既成概念にとらわれない感じがすごいです。他の学校だとありえませんよね。

お礼日時:2007/07/03 10:29

京大工卒です。


大学が自由なのではなくて、中にいる人が要領よく時間をつくりだすのでいつも好きなことしているように感じられるのでしょう。
ちなみに、私は一般教養に行く価値が見出せず、最低限の出席以外は図書館で専門書を読んでいました。
週2コマぐらいしか講義にはでませんでしたので成績はかなり悪かったのですが、
大学院の試験はトップレベルでした。

大学は本当の意味で自由です。しかしその自由には責任がセットで付いてきます。
大学生活に悩んでいる人に総じて言えることですが、
姿勢が受身であり、ルールとして許される範囲で自己責任で何かしようという考えや行動が足りないと思います。
大学の雰囲気、やり方なんてものはどこでも一緒だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
残念ながら私の学校では週2コマですと留年決定してしまいます。
>大学の雰囲気、やり方なんてものはどこでも一緒だと思います。
この部分には同意できません。大学の特色もいろいろあると思いますし、学生が違えば雰囲気も変わると思うのですが…

お礼日時:2007/07/03 15:53

京大に限らず、大学なら医療系以外はどこの大学でも自由ですよ。



自由と言うよりも放任、それが大学なので、他力本願な人は大学に行くべきではないですね(※医療系は除く)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/03 15:57

 今日は。

来年3月末に定年退職する団塊世代の一人です。私見です。

 私の息子も貴方と同じようなことを言っていました。彼は東大数理(D)に在籍しています。理科I、II類の数学の授業(講義ではありません)のTAをしていましたが、学生が授業内容を殆ど理解していないようだと言うんです。学生は授業には出るのですが、勉強していないようなのです。私はまさかと思いましたが、どうもそうらしいです。ただ、本当に優秀な学生が一クラス1~2名いるとのことでした。真偽のほどは分かりませんが、彼らは中学生の頃から駒場キャンパスに出入りしていていたようだとも話していました。

 京大に限らず、7大学でしたら,どこの大学でも似たり寄ったりではないでしょうか。1年生と言えば、大学に入学してほっとしている時期です。授業に出席するだけでも、十分のような気がします。貴方の言う「大学とは友人たちと一緒に勉強できる場所だと考えていました」は低学年の自主ゼミを指しているのでしょうか。個人的には、勉強は個人でするものだと思います。

 最初の2年間は後半にある卒業研究やゼミの準備期間です。そう考えて授業を受けたらどうでしょうか。たとえ京大に入学できても、現在在籍している大学と大差はないと思います。

 よく考えて、望ましい方向に進んで下さい。

 

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>最初の2年間は後半にある卒業研究やゼミの準備期間です。
私も最初はそう思って授業に行っていました。しかし自分でやった方が速く進むし、高い金払ってそれだけのために大学に行くというのも納得できません。
>個人的には、勉強は個人でするものだと思います。
数学の問題を解いたりするだけなら個人でできますが、個人ではできない勉強もあると思います。

お礼日時:2007/07/03 16:20

色々な意味で自由であるとは思います。

履修科目の選択の自由度も比較的高いと思います。
ただし、授業の質が高いとは言えないと思います。京大は学生による授業評価に対してもあまり熱心でないように思います。そこまでの、企業努力をしなくても学生が集まってくるということでしょう。したがって、他の旧帝大と比較して、質の高い授業を期待するのは少々無理があるに思います。
「京大は独創性を育て発想を育む」という面はあるかもしれませんが、決して、そういうシステムがあるという意味ではなく、そういう方向を目指す学生が多いという程度の意味であり、学風という曖昧な言葉で表される程度のものだと思います。
また、京大に限ったことではないでしょうが、学生による自主ゼミのような勉強会もあるようですね。
単位を取るのが容易であるというのは妥当ではありません。他の、国立地方大学の方が単位の取得は容易でしょう。
旧帝大の学生さんとのことですので、付け加えますと、大阪大学は京大とは対極にある大学だと思います。必修講義が多く、講義の選択肢は乏しいようです。そのかわり、みっちりと鍛えられますので、確実に実力がつくのではないでしょうか。

京大の理学部は極めて自由な学部です。学科というものがありませんし、東大のような分属もありませんので、成績の心配は不要です。必修科目は少ないですし、卒業研究も必修ではありません。好きな科目をつまみ食い的に履修して卒業することも可能です。工学部ではそのようなことはありません。

まあ、大学生にもなれば、自由には責任が伴います。自分の行動に責任が持てない人を大学が守ってくれることはありません。要は自分次第ということです。
仮に、仮面浪人して、京大に入れたとしても、過剰な期待は禁物です。現在に比べて環境が格段に好転することはあり得ません。また、合格の保証すらありません。不合格になって、現在の大学で、「普通の」学生生活に戻ることすら容易ではありません。努力を怠ればどんどん落ちていくだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は大学に授業の質は求めていません。質が低いのに出席を厳しくし無理やり講義を聞かせるといった今の大学に不満はありますが。それよりも、上で述べられたような学生が集まってくるというのに他の何にも代えがたい魅力を感じます。そのような学生達による勉強会というのは一人では決して得ることのできないものがあるように思います。
また、理学部と違って工学部は結構厳しいんですね。それほど学部間でで異なるということは知りませんでした。
最後にご忠告感謝します。合格したとしても得られるかどうか分からないもののために、現在の身分を捨てる価値があるか考えているところです。

お礼日時:2007/07/03 21:29

東北大学理学部物理の卒業生ですが、私の場合は自主ゼミの主宰や勉強系のサークル等で好きにやっていました。



「理ゼミ協」というんですが、そこには数物化生の学生が先輩後輩の別なく集まっていまして、皆でわいわい議論しながら自主ゼミをやったりセミナー発表をしたりでとても楽しかったものです。
生物系の人間と一緒に「Molecular Biology of the Cell」の読書会を開いたり、はたまた群論の自主ゼミに首を突っ込んだり、と。
ランダウリフシッツの場古典の計算を気の合う先輩とやったりとか、怖い先輩に厳しいツッコミを入れられてあたふたしたのも良い経験になりました。(川渡のセミナーハウスで合宿したのも良い思い出)
結局大学院進学とともに東北大からは離れてしまいましたが、今でもあの時の先輩後輩のネットワークにはお世話になっていますし、あの時代に徹底して鍛えられたことが今の自分の糧となっていると感じております。

さて、その後各大学の研究室に在籍し、また、他大学の訪問等でも感じたことは、
・学生のレベルや雰囲気はどこも同じで似たようなもので、京大や東大だから特別に雰囲気が優秀、ということはない。
・ただし上位レベルの凄い奴は大学名にかかわらず存在するし、彼らはチャンスをものにして確実にのし上がっていく。
・とはいっても、学閥のヒエラルキーは大いにあるから、上位の大学にいた方が研究者の生存競争に有利な面はある。
・もっともこれは大学院(M1)から上の話で、そもそも大学生は最初から員数外なのでどうでもいい話ではある。(大学院からでOK)
※ただしこれは物理の話で、工学部のことは私はあまりよく知りませんので話半分に聞いてください。

ということで、最終的には勉強好きな友人を集めるとか有益なサークルの情報を拾う等の努力はどこにいても必要ですし、京大だからその辺が特別ラクになるということもなかなか無いように思います。
少なくとも今の段階でも、周囲の先輩や教授に話を聞きに行ったり、関心のある研究室を訪問して見聞を深めるくらいのことはできると思うので、そこからやってみるのも一法かと存じます。(どんな分野であれ、人脈を作るのは非常に大事なことですから)

p.s.京大工学部の中には↓のようなところもあるようで……
http://homepage3.nifty.com/onami/sonota/boltzman …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
学部違うとはいえ、参考になります。

お礼日時:2007/07/05 16:14

私は田舎大→京大修士→東大博士と色んな大学を出てますが、その上で感じたのは



まず京大生でよく勉強する人間は孤高タイプが多いです。
質問者さんのおっしゃるような友人と一緒に勉強会といった雰囲気ではありませんでした。ただし、スタンスとしては質問者さんの方が正しいと思います。一人で何とかなるのはよほどの天才ですからね。


一方で東大は勉強会が盛んです、今はどうか知りませんが博士時代、今から10年ちょっと前には輪読サークルのようなものもあったと記憶してます。京大にはありませんでした。


そういえば田舎から修士で京大に進んだ私は「京大ってやっぱり凄いんだろうな~」と戦々恐々してましたが実際はまったく勉強してない人間が大勢いてちょっと残念でしたね。




ところで、上記の内容は全て理学部に関してです。

工学部は京大でも結構締め付けがきつい印象があります。

というか工学部は授業に出ないとどうしようもないことが多い学部(一人で勝手に勉強して製図や設計、器具の扱いができるようになりますか?)ですから、一年次からそのへんは躾られると思います。
一年から出席を厳しくする理由は教員側からしてみるとサボり癖がつくと困るだけの話であって、それ以外に理由はありません。一年の範囲なんて誰でもできます。

それに付随して工学部では大学院に進学する際に推薦入試が数多くあります。生徒が真面目に授業に出て優を取ってるかどうかを見てるといってもいいかもしれませんね。
理学部には推薦入試なんてありません。


また古典からの積み上げをやらないのが工学部です。
例えば古典物理もろくにやらずにいきなり量子工学(or光学)をやったり~と、しかもこのへんは教授のさじ加減次第なので授業に出ないとどうにもなりません。

理学部はやるべき事がワンパターンというか、工学のように学部段階からは色々やれません。このことは学部の卒業研究にも表れていて、工学部はうまくいけば雑誌論文に投稿できますが理学部は学生時代のおさらい程度のことしかやれません。数学科に至っては論文さえ書けません。

やることに話を戻すと、私は数学系なので数学で例えてみます。

線形代数・微分積分(初等)
→集合・位相
→多変数の解析・先へ進んだ線型代数
関数論あたりで今までの知識を統合・整理
→応用的なルベーグ積分や関数方程式などを

集合と位相が終わったあたりから代数・幾何を並行してやります。

あとは各自の好きなことを掘り下げる

こんな感じです。どこの大学でも同じです。やることどころか参考図書もだいたい同じです。下手すれば教科書も同じかもしれない。
違うのは学生の質のみ
物理も似たような感じでしょうか。一方で化学や生物は厳しいですね。多分京大も生物系や化学系は出席を取らないなんてことは無いと思います。
というかグループでやりますから仮に出席を取らなくても普通の良心をもっていればサボれません。

それ以前に質問者さんは一年ということで、最もつまらない学年です。授業の半分以上は教養科目に語学ですからね、私もつまらなかった。
一年がつまらないのはどこでも同じだと思いますが「専門に関係ない科目を楽に取れるかどうか」では確かに京大が最も楽だと思います。

個人的には工学部なら仮面浪人はおすすめできません。仮面するぐらいなら三年で大学院に飛び入学した方が早いです。工学部でも三年で受験できるところはぼちぼちありますね。京大もいけたかな。

理学部を受験するなら仮面浪人も有りだと思います。京大の理学部は一回でも三、四回の授業を履修できるので、出来る生徒は爆走できます。まあこれが先述した孤高タイプを生む原因にもなってるわけなんですが…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は周りから理学部向きだと前々から言われていました。迷った結果、コンピューターやインターネット関連のことをしようと思い工学部に決めましたが、もう一度学部から考えてみることにします。

お礼日時:2007/07/07 02:35

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