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ヨーロッパ諸国など、死刑が廃止されている国は多いそうです。
これらの国の庶民のみなさんは、死刑廃止についてどう感じているのでしょう?

 私の場合、凶悪犯罪が起きると「こいつは絶対死刑にすべきだ!」と思うし、刑務所に入れておくだけでは許せません。死刑廃止国の人々は、なぜ終身刑程度で犯罪を許すことができるのでしょうか? 理屈でなく、感覚としてどう思っているのでしょう?

・実はあまり興味がなくて、どうでもよい、という感じなのか。
・「野蛮な死刑制度がない」というプライドが心を支えているのか。
・刑務所から出られないならそれでいい、という感じなのか。

 そのあたり見聞きしたことがある人、ご回答お願いします。
本来社会問題や法律カテゴリの質問ですが、そう言う場所で質問すると専門の方が「人権」云々の難しいことを言い出しそうで・・ ここなら庶民の感覚を知っている人がいそうなので質問させていただきました。

A 回答 (7件)

私も基本的には、残忍な事件を犯した人物には極刑も必要と思っています。



ただ、ショーン・ペンの「デッドマン・ウォーキング」という映画を見てから考えが少し揺らぎました。一度ご覧になっては?

 (映画のストーリーとは関係ありませんが)その人生を終えるときがくるまで、一生をかけて己の犯した罪を償うと言うことも、極刑になるのかな?と思います。

この回答への補足

ありがとうございます。う~ん、映画の内容を知りたかったです。

補足日時:2007/11/06 14:52
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 以前、テレビのインタビューで見ていてなるほどと思ったことがあるので、参考までに書きます。


 まず、「死刑は野蛮」「生命を奪うことを法律で認めるべきではない」という、死刑はひどすぎるという話は知っていましたが、そのインタビューではこんなことを言っている市民がいました。
「死刑は一瞬苦しいだけで、楽になる。それよりも牢獄で一生苦しみを味わうべき」
 死刑よりも苦しい罰にするべきという意見として死刑廃止に賛成するものでした。
 つまり、死刑廃止論には「死刑よりも軽くするべき」という意見と「死刑よりも重くするべき」という両方で死刑廃止論があるようです。
 こうした国では日本とは違い、無期懲役というのは本当にでられない「仮釈放無し」という条件が付けられます。
 日本で死刑廃止にするのなら、今みたいに10年前後で出てきちゃうような名ばかりの無期懲役を改めなくてはできない、という意見もあるようですよ。

この回答への補足

どうもありがとうございます。
「死刑よりも終身刑の方が苦しい(はず)」
という考えもあるのですね。なるほど!

補足日時:2007/11/06 14:49
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死刑制度のない国には、逆に日本にはない「終身刑」制度を設けている国が多いですね。


また、アメリカなどでは懲役刑の年数を3桁で判決を下す事例があるとおり
「死ぬまででられない、死んで骨になってもでられない」
という、ある意味死刑と同じように重い刑と思われている場合もあります。

日本で死刑制度に賛成する人たちの根本の気持ちの中には
「無期懲役は模範囚だと仮釈放でまた世の中に出てくる、終身刑制度を
 設けることができないのなら再犯の可能性を捨てきれない。だから、死刑しかない」
という考えもあるようです。

日本でも、凶悪犯の死刑ができないのなら、終身刑で一生檻の外へはでられない
そして、刑務所の中で自分が作業してできたものをお金にして、そのお金がないと
刑務所のなかでも暮らしていけないような仕組みがあれば、犯罪の抑止力に
貢献する可能性はありますが、現在のままではだめだと思いますね。

この回答への補足

ありがとうございます。でも、できたら外国の現地の人の雰囲気とか考えとかを伺えると嬉しかったかも知れません。

補足日時:2007/11/06 15:05
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No.3です。


補足にもうひとつ。
死刑制度を存続させるにしても、現在のように執行決定してから
何ヶ月以内に行わないといけないという法律もそろそろ見直し時期に来ていると思いますね。

死刑を宣告されるような、凶悪犯には自分が殺した人が味わった恐怖を
身をもってしみて味わうべきだと思います。
そのためには、死刑の執行が決まっても数年単位で執行時期を設定するというような
ことも必要かもしれません。
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国によって違いますけど、


死刑制度のない国のもっとも重い刑は基本的に終身刑ですね。
日本の無期懲役の場合、模範囚だと出てこられる可能性は
ありますけど、終身刑は文字通り一生出られません。

イギリスなんかで新聞を読んでると、
懲役450年とか結構見ますよ。
要するに、死刑にはされないけど、
「死んで、朽ち果てた後もお前の罪は許されないんだ」
という事ですね。

僕は長年イギリスに住んでいましたけど、
基本的に彼らと同じで死刑反対です。
個人的な理由としては至って簡単で「死刑は楽過ぎる」って事です。
トピ主さんの「こいつは死刑にすべき!」と似たような感覚なのかも
しれませんが、「こいつだけは死刑にすべきでない!」といった
感じです。
だって、死刑は一瞬で終わるんですよ?
特に反省する事もなく、考えを改める事もなく終わってしまうので、
僕はそれが犯罪者に対して「楽&優しすぎる」と思ってます。

それなら、閉じられた世界で懲役450年の方がよほど重くて、
きつい刑だと思いますが、どうでしょうか?

この回答への補足

ありがとうございます。
死刑も終身刑も、なんか怖い刑なのですね。(怖くないと罰の意味がないですが)

補足日時:2007/11/06 14:54
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ドイツ在住者です。

ドイツの高校で教育を受けました。いつか日本人にこの声を聞いて欲しいと思っていました。

まず結論から書きます。

ヨーロッパの人々の最大の疑問は、僕ら人間がどんなに怒り、どれだけ他人に対して大きな罰を与えたいと考えても、果たして人間に下せる判断、正義というのは本当に「他の人間の命を奪うほどに」正しいのか??ということです。

この考えの元になっているのはこの社会に生きている人間の行動に互換性があるのではないかという仮定からきています。つまり、ある人AさんがBさんの所持金を全て奪うためにBさんを殺したとしましょう。しかし、AさんがBさんを殺したのは根本的な原因はAさん自身ではなく、人殺しをするAさんを生み出してしまった社会であるということになります。Aさんだってどんな感情を持ってBさんを殺したとしたって金さえあれば殺したくなかったでしょう。人間の性善性悪に関係のない悲しみに満ちた犯罪です。次に仮にAさんが完全に働くことを拒み、他の人から奪うことで生きていたとしましょう。しかしそれでもやはりAさんを生み出してしまったのは人殺しをしてはいけないと考えられるだけの教育を受けさせられなかった社会の責任です(この考えも「僕ら人間は教育で人の命の大切さを理解できるようになる」という前提からきています。当然ですね)。もし仮にそもそもAさんが生物的に欠陥のある人間だったとしても「こいつは欠陥品だから殺してしまえ」ということはできません。そういう人が一定数生まれてきてくれているからこそ残りの人々は正常に幸せな生活が送れるんだという考えです。

最終的にいえることは、凶悪犯罪での"真の被害者"は誰なのか??ということになります。


補足ですが名探偵コナンとか金田一少年の事件簿とかで人殺しが起こると加害者にも同情できますね。それさえわかればヨーロッパで人々が殺人に対してどういう心持ちでいるのかが分かると思います。まだ質問があったらバシバシ出してください。いつでも補足します

この回答への補足

ありがとうございます。
なるほど、そういう考えもあるのですか。なんか、進んだ発想で感心です。
ただ、「殺人は、殺人犯を生んだ社会の責任でもある」という発想は、日本の感覚ならインテリっぽい考えのように思います。

 ドイツでは小さい頃からそのような考えを学校や家庭で学ぶのでしょうか?
 それともそれはドイツのインテリ層に多い考えで、庶民レベルでは「終身刑の方が苦しいから、死刑には反対」という感じなのでしょうか? よろしかったらお教えください。

補足日時:2007/11/06 14:55
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下のドイツの補足です



すっごく自分の正しさを主張したくて、議論したくてムラムラしてるんですがそういうことをする場ではなさそうなので本当に庶民が学校でどういうことを議論しているのかだけに絞って書き込みます。

ちょっと遠回りをしますが、ドイツの大学には入試という物がありません。ドイツの高校で卒業試験を受け、その結果でどの大学にはいるかを含め進路が決まります。(実際には医学部など人気の学部をのぞいて卒業試験さえ通過すれば試験結果に関係なくどの大学の何学部にも入れます。マメ知識です。)そのため、授業は議論形式をとることが多く先生も的確に矛盾点をついていかなければならないので大変そうです。(よくある話ですね。飛ばしてくださって構いません。)死刑廃止のテーマへの入り方は(僕のときは)そのとき起こった凶悪犯罪を取り上げ「○○州で誰々が何々のため何人殺しました。しかし、なぜあなたは人を殺さないんですか?」という質問からでした。
ここで求められているのはどちらかというと「なぜこの人は殺してしまったんですか?」ということで(僕が最初に書いたことと同じですね)もうひとついうと「狂ってるから」とか「ばかだから」とかそんな答えは求められていなく、本当にこの人をそこの駆り立てた理由をみんなで考え、とりあえず理由1,2,3とでました。
→人殺しは防げた。(理由なしでは人殺しはしないだろうという仮定です。立てた仮定は後から検証しなきゃいけないので一応書いておきました。ここでは検証しません。)
→積極的に人殺しを防ごうとはしなかった。
→この事件の判決において絶対的な正義は存在しない。
→死刑には出来ない

帰納的にこれが全ての事件に当てはまり、死刑に出来ないというのが結論です。


またその他受け入れられている考え方としては、地球上にアミノ酸が降り注ぎ、あたかも意志を持つかのようにそれが進化を続けて今の人類になっているということが、果たして物理的に説明がつくのか??という疑問から僕らが進化する根拠となる要素(神)が存在し、僕らは遺伝子の運び屋なのではないか?と考え、人を殺すということはその遺伝子の運送を妨げる行為のため、人間が正義を持って行える行為ではないだろう。ということです。要するに死刑執行にしろ殺人犯にしろ人を殺してしまうのであれば進化の元で犯罪者であるということになりますね。こっちの考え方は一見宗教じみているようですが、実際よくよく頭の中で考えてみるとこっちの方がだいぶ当然に聞こえるかもしれません。

質問者さんの3つの仮定は僕のことにあてはまらないんですが2番目の「野蛮な死刑制度がない」というプライドが心を支えているというのはまんざら外れでもない印象です。


>なぜ終身刑程度で犯罪を許すことができるのでしょうか? 理屈でなく、感覚としてどう思っているのでしょう?

「あなたをさばくほどの正しさは私にはない。でも野放しには出来ないしなにより人を殺してしまったので罰さないこともできない。というわけで刑務所に入っていてください。」っていうのが結構近いですかねぇ


>それともそれはドイツのインテリ層に多い考えで、庶民レベルでは「終身刑の方が苦しいから、死刑には反対」という感じなのでしょうか?

結構ドイツでは人間が人間をさばくこと自体に嫌悪感が広がってるような気がします。終身刑があるのはいわば犯罪にブレーキをかけたいからみたいで「喰らえ!犯罪者め!」というわけではなさそうです。ちなみに僕は庶民です。

死刑賛成って言う話はドイツで聞いたことがないんですがひょっとするとあるのかもしれませんねえ。


あと最初に書いた「社会」という言葉ですがこれは文字通りドイツに住む人間の集合です。ただ社会に何かが起こったときに自分が影響した部分は社会を人口で割った割合ではなくほぼ1で考える人がドイツには多い気がします。つまり景気が良くなれば自分が頑張ったからだと考え、選挙のときも自分の一票で政治が変わるような気がしている人が多いと思います。何気なく使った単語ですが僕の文章では結構大切でした。最初に書かなくてすみません

できるだけ僕の感情とかを混ぜないように書きました。僕の意見も書きません。参考になれば嬉しいです。

この回答への補足

どうもありがとうございました。
心の中の謎ともやもやがかなりすっきりしました。
死刑制度の差は、死刑に対する考え方の違いより、社会(国)に対する考え方の違いが根本にあるようですね。
 これまで死刑廃止の意見を聞くと「きれい事を言うな」と思っていたのですが、だいぶ感じ方が変わりました。

 でも、今の日本で死刑を廃止するのはまだ早いのかも知れませんね。死刑廃止や人権云々言う前に、社会(国)に対する考え方が成熟しないといけない気がしました。ドイツでは「自分が国を作っている」という感覚のようですが、日本では「権力者が国を支配している」という感覚ですからね(みんな選挙権持っているのに・・)。
 このままで日本の死刑を廃止したら、「権力者が無理矢理死刑を廃止した」だけになってしまい、日本の社会が進歩したことにはならないでしょう。

 目先のことしか説かない(ように見えてしまう)死刑廃止論者がいけないのか、
 権力批判しかしないマスコミが悪いのか、
 それに迎合している我々が悪いのか、
 社会(国)に対する考え方が教科書に明記されていないのが問題なのか、
どれが原因なのかわかりませんが、これらを改める必要がありそうですね。

 などと偉そうなこと書いてしまいましたが、実は私も昔学校の道徳の時間に「社会(国)に対する考え方」を学んでいて、そして、今ではすっかり忘れているだけ、という可能性もあります。もしそうだったらゴメンナサイ!

補足日時:2007/11/07 10:44
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