プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は大学三年生のものですが今後の人生に全く希望が持てないんです。
本当です。

就職活動中で、それが上手く行かないと言うのもあるんですがそれだけじゃないんです。
正直ある程度の大学・外見ではあるので選り好みしなければまあ就職は出来ると思います。
でも就職しても絶対に周囲から浮いてしまうのは分かりきっています。

就活するにあたり自分がいかに空っぽな人間かということに気づいたのがきっかけです。

大学時代何もしてきませんでした。
友達も増えなければ、勉強もしていません。
出来る限り授業をサボり、アルバイトをしてお金を稼ぐことだけに精を出していました。アルバイト先でも浮いてしまいます。

相手から定期的に連絡をくれるような友達は一人もいません。

いい感じになる男の人は格好良くて人間できている感じの人が多いのですが、いつも最初は相手が積極的でも、結局何にもなく終わってしまいます。
私に中身のなさに呆れ(実際に言われたことあります)、そのような人たちには私なんかよりずっときれいで人間力のある人がいるのに気づいたからだと思います。

大抵の人(いい感じになる男性や、短気な関係でしかないであろう人、自分以上に可笑しい人以外)に対し、すごく壁を作ってしまう傾向がありつれない印象を与えてしまうようなんですがと思いますが、大抵のひとが本当は怖くてしょうがないから壁を作ってしまうのでどうしようもありません。

結婚は出来ないだろうし、職場でも辛い立場になりそうだし、今後全く幸せになれる気がしません。

現在は若いからまだ良くても、今後年をとったら全く誰も相手にして切れなくなりそうで怖いです。

本当に好きなのはペットの犬だけです。
それしか私にはいません
もうどうすればいいか分かりません。
本当なんです。
お願いします、励ましなど入らないので具体的な
アドバイスを下さい。

A 回答 (230件中111~120件)

 この欄を埋めてしまい、ご迷惑をかけるが、もうひとつお付け加えさせてもらいたく思う。



 ひとつ重要なのは、今までのあなたとのコミュニケーションにおいて僕があなたを嫌いになったことなど一度もないということだ。またあなたと話す気がなくなったことも一度もないということだ。

 ただ、誰しも感情があることから抜け出でることができないように、それは僕においても同様だ。コミュニケーションの中で感情を発露させたり、あるいは爆発させたり、沈静化のために一時距離を取らねばならないのも当然としてあることであるのだ。もちろん、僕には僕の人生における困難というものも存在する。そこにおいてもコミュニケーションの形に乱れが生じることがあるが、それも前記と同様に誰にでも見られるものでもある。ただ、僕において他の人と違うところは、相手がコミュニケーションを望む気構えがあるのなら、それを拒否することはないということだ。僕自身にとっても、そのような相手とのコミュニケーションは得られるもの少なくないものであるからだ。ただし、相手が最低限の礼法にならってくれることと、最低限の相手への敬意を払えることは、条件としてあるものとなります。そういう意味では、きちんと社会性を意識できる人という、ある意味条件としては厳しいものを課す部分があるのは事実だ。会話の早い段階でそれを掴んでいく人もいるので、そうでない場合にも対応することはありますが。

 もうひとつは、相手に自分の状況をなんとかしたいという必死さが見られるかという部分になります。それがあれば、たとえ人として多少いびつなところがあっても、僕はそのような人を愛好する癖があります。つまり、あなたのような人を好む体質であるということになります。

 もう一つ言えば、コミュニケーションにおいての先を見ながら会話するということでしょうか、特徴的なのは。ですから、このようなメタメッセージのない会話においては相手の気持ちの推移を瞬間的に掴めない面があり、あなたとの間のコミュニケーションの失調を恐れつつ、コメントを置いて行くという形となりました。そして、その中であのような見苦しいものも出てくるということになります。それは上記の感情面も絡んでとなります。

 ですから、以前におけるあなたの攻撃的、否定的なメッセージも、必然性を感じている面がありますので、それはあなたが悪いとか、責めるとかの気持ちはほとんどないと思って良いです。ただ、それらの質、どのような感情がない混ぜとなっているか、には注意を払わないとならないと思っていました。当然なのですが、僕自身落ち度を感じておりながらのあのような状況となった面もありますし、ああ言われて苦しくなる部分もありましたし、いえ、そうでなくてはあのような感情の発露は意味がありませんから良いのですが、もちろん、あなたの中の色々な感情、それの状態を知るには手がかりが少なく、あなたの中の気持ちの推移を推し量る以外になかったと言えます。ですから時間の経過を必要と感じましたし、こちらの感情の整理も必要であったということにもなり、最近の手探りのコメントの投稿となるわけであります。僕を迷惑と感じる気持ちにも、全てがうそであるとは思いはしませんですし、というのは、人の感情には、常に、ありがたい、と、迷惑であるという感情が同時の存在することはしばしばであるからであります。それはあなたや僕のようなタイプの人間では、常にせめぎ合いする二つの感情であると思っています。

 ですから、あなたが望めば、僕はいるということにもなりましょう。しかし、人とは必要、不必要で以って、その存在をコントロールできるものではないのも事実としてありますから、そういう思い通りにならないもの、それすなわち人であると思ってもらいたく、それをよくよく噛み締めるように学んでもらいたくも思います。

 依存を恐れるのならば、依存の典型である、現代宗教というものを含めて考察してみましょう。あれの実体は僕も見てきましたので、そこへの理解はあなたを遥かに凌ぎましょう。また、個人の人間間の依存というものも多く見聞きしてきましたので、それについても考察を及ぼすこと可能です。

 あとは、それらをあなた自身がどのように自分の人生の中で取り入れていくかになると思います。人の形は個性ですから、全面的に良い形を取る必要もないのですよ。現に例に挙げた彼女は、最近僕に対して彼女の取り繕わないパーソナリティをぶつけてきていますし、それで良いのだと思います。

 僕は自我に目覚めてからよりあった、重く覆いかぶさる霧のようなものが晴れるのに三十年かかりました。今も大変な部分は多いですが、そういうものものを経てきたことによって見える地平は人と比べても豊かなものがあるでしょう。苦労とは、それと真摯に向かい合うことで、より自分の感覚を磨き上げるものとしても存在します。

 あなたがこれからコメントする、しないも、あなたの自由でありますし、そうであるべきと思いますので、このようにして僕の現在に至るまでのあなたとのコミュニケーションにおいてのまとめのようなものを載せておく次第です。

 感情の動きを掴めないという現状のあなたの苦しさも大変なものがあるでしょう、偲ばれますが、自分を捨てるベクトルに向かわないで、小さくとも、小片のようなものでも拾う気持ちで臨まれて欲しく思います。たまに捨てるような行動に出るのも、良いとも思うのですが。

 お互い少しでも良い人生を歩めるよう、願いたいものですね。

 また、欄を多く埋めてしまい、申し訳なく思います。伝えるとは常に難しいものですね。
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この回答へのお礼

遅れてしまい申し訳ありません。

最近空の時間が怖くてバイトをしたりお金を使い映画等を見て時間を使っていて忙しく、またなんなんでしょうかうまく言葉にできなかったりしてとても混乱していて遅くなりました。

なんでしょうか、これから書くことをあなたへの攻撃や反抗ととらえずにありのままの私の考えなんだと言うことを理解してください。
私が誠実な方向に向かっていると仰いますが、誠実云々というより本当に脱力感と虚無感が強いことが原因だと思うんです。
なんていうんでしょうか、確かに物事を前よりも素直に見れるようにはなりました。
でもそれはもしそれが自分に関係することであっても自分の中では自分と隔たりのあることだから素直に受け入れられているような感じ、映像が無造作に流れていっててそれをそのまま感じているだけみたいな感じです。
前はすごく主観的だったけど感情は伴って物事を見ていました。
今はただ脱力感ばかりです。
自分でもこれが良い方向に向かうものなのかもしれないと感じることはたまにあります。
でもそれは本当にたまにです。
むしろ最近本当に死ねるんじゃないかと思うんです。
なんていうんでしょうか、今までももし死ねるなら死にたいとは思っていましたが主観的で自我も強く自分に対する執着がありました。
今はほとんど自分、とりわけ自分が生きることに対して執着心がありません。
慢性的な自殺願望がありましたが、前は心の奥底にそれがいて何らかのことによりそれが浮かび上がってくるというような感じでしたが、最近は本当に漠然となんとなくではありますがしょっちゅう死について考えています。
何故生きてるのかわかりません。
私の次のステージはなんなんでしょうか。本当にわかりません。すごく混乱しています。

自分のことばかりでごめんなさい。
一つ聞きたいことがあるんですが、kumosukeさんは重い霧のようなものが晴れるのに30年かかったと言っていますが、kumosukeさんやもしかすると私もなのかもしれませんがそのようなものを持っている人とそうじゃない人とがいるとは思いませんか?
そして持っていない人には本当にそのような気質を持っていなく人間的にも魅力的な人とただ単に何も考えていない人がいて、持っている人はなんでしょうか、上手く世の中に適応出来てない人が多く、また先天的な気質の人と後天的な気質の人がいるように感じます。
私は明らかに先天的後天的が重なっていると思います。
何冊か読んだ本には著者により表現は違いますが、先天的なことにばかり焦点がおかれ、その原因は幼少期の環境となっており一理あると私も思います。
しかし先天的なものは今さらどうしようもないし、後天的なものも今さらどうしようもないことだと思います。
そこで人間的にも魅力的で霧のようなものがないひとについて考えていますがどうも行き詰まってます。
kumosukeさんはこの霧のようなものがある人とないひとについてどうお考えですか?

お礼日時:2008/11/11 01:13

No.119の方へ。

もう、nonameとなっているということは、自身経験がありますから(苦笑)、退会されてしまわれたと思うのですが、また見られた際のために残しておきますね。

 ハリネズミの抱擁という表現は、たぶん、ここの質問でのことをおっしゃられているのかと思うのですが、それは、僕とlovbeticoさんの間に起こっていることを指したものなんですね。僕はあまり他の回答者に悪意(と明らかなミステイク)が見られない場合に、相手を巻き込んでネガティブと取れる表現を使うことはしないのが流儀なのです。ここでハリネズミの抱擁を用いた時は、僕とlovbeticoさんの間で用いていました。

 いや、あの、これで気まずい思いをされたり、気を悪くされたりされないで欲しいのですよね。ここは文字情報のやり取りですから、先に述べたコミュニケーションにおいて最も重要なものとなるメタメッセージ(非言語的メッセージ)が含まれていませんので、そういうことはしばしば起こるものなのです。大事なことは、コミュニケーションの誤りを見つけたら訂正するということを重ねていくこと、重ねられていくことなのですから。それでより良い理解に辿り付けることこそ、どの場においてものコミュニケーションに必要なものなのですから。

 ということを述べておきたく思いました。また、入会された際などには見て確認してもらえると嬉しいと思います。

 僕の考えですが、いやそう有るべきだと思いますが、コミュニケーションとは、何度も喧嘩したり、誤解したりとかの一見ネガティブと思えるものも重ねて、不通の時期なども置いて、そうやって折り重ねていくことで熟成し、本質的なものとなると考えています。これは親子問題、たとえ虐待等が存在しても、においても通じる考え方だと言えると思っています。
 
 先に浮遊するエゴと痛罵した彼女とも、間隔を空けてはコミュニケーションし、また喧嘩したりしながらも、お互いの無事を確認しあっている感じです。

 人間の社会は、どんな強者であっても、持ちつ持たれつの支え合いがないと、なかなか生き抜くことはできません。自然の厳しさに脅かされることがほとんどない反面、いや、ないからこそ、人間間でサバイバルな環境を構築してしまう面があるのです。ですから、コミュニケーションとして、そういう形が、赤の他人の間であっても、どうしても必要となるというのが僕の生きてきた上での抜き難い実感です。

 ただし、ネット上では正常な言葉の積み重ねができる相手でないと、なかなかこれが成せないというのが現実ではあります。それは先に述べたメタメッセージの存在が皆無だからです。正常な言葉の積み重ねができない、あるいは未熟であっても、そこへの意欲と、そこへ向けた萌芽が感じられれば、何とかなるというのも実感ではあります。

 ただ、僕が以上述べたようなことがきちんとできているかどうかは、今回お見苦しいところを見せたように、それぐらいのものでしかありませんが。

 完全な人間などいないというところで、開き直りでなく、いずれお許し頂けるようになれれば良いなと思うところはありますが、それも大変情けない話しだとは思うのですが。
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突然割り込むような形でコメントをして申しわけありません。


以前コメントをさせていただき、Kumo-74様に

「ハリネズミの抱擁」

と言われてしまったものです(笑)
(確かにそうだなーと思いました、自分でも)

私は普段こういうサイトにはあまり興味がないので書き込みなどもしないのですが、ふと目にした質問がっきかけで、なぜか登録してしまいました。

その後登録していたのも忘れてほおっておいたままだったのですが、更新がある度メールで知らせてもらう機能をつけっぱなしだったので、lovbetico様とKumo-74様の今回のやりとりをかげでそっと拝見させていただいておりました(気持ち悪くてすみません(苦笑))。

lovbetico様はもうここをご覧になられていないのだろうな~、なんて考えていたのですが、Kumo-74様の回答にお返事が書き込まれているのを見て、ああ、ちゃんとまだ見ていてくれていたんだ、と思いました。

そしておふたりのやりとりを見ていて、おかしな話ですが私はなんだか安心したんです。

「人間って歩み寄ろうと思えばできるんだなぁ」というか
「わからなくて当然だけど、理解し合おうと思えれば
相手に対して優しくなれるものなんだなぁ」
と、再確認させていただくことができたというか・・・。

粘り強くやりとりをし合うことなんて無意味だろうと思っていましたが、そうじゃないこともあるんですね。

lovbetico様にはKumo-74様がよき理解者でもあったんだな、と初めて気がつきました。
私のような者が発言する必要などなかったんだなと、反省と、そしてまた懲りずに書き込んでしまっている自分に、ちょっと笑えています(笑)

でもどうしてもただ、気づかせてもらったお礼が言いたくて。

lovbetico様が今の状態をここでKumo-74様に言えるのと同じように、現実の世界でも心を開いて話せるよう、よき理解者に巡り会えることを祈っています。

人に自分を伝えるというのは勇気がいることだと思いますが、きっと受け止めてくれる人が、私はいると信じていますので。


では、余計なコメントを失礼いたしました。
気分を害されましたら、申しわけありません。
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ひとつ危惧があるので、コメントしますね。



 No.111は僕が誤解したから故の、ブレイクゾーンに入ってしまったから故の産物であって、No.109への誤解からくる憤りによりが強く、それをすべて素直な気持ちの表明とは受け取らないで欲しいと思います。感情的になって、ブレイクしてしまうと、人とはすべてを否定的に語りだす部分が強いものですから。

 あなたは真面目なので、受け取り方も直球で受け止めると思うんです。No.111からしても、僕に蓄積された他の人たちへの想いもあふれていますし、あなたへの離れていた期間で熟成されたものへの期待があったからでもあります。

 どうか、すべてあなたへの否定的メッセージだとは受け取らないよう、申し訳ないですが、気を付けられたく思います。すみませんでした。謝りようがありません。
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 もうひとつだけ、参考までに付記しておきます。



 僕が見せたような弱さというものは、あなたが凄いと思っている人たち、皆にあるものなんですよ。スポットとかピットフォールと呼ばれるものは、あなたが思わず尊敬してしまうような人たちにも有るものなのです。ただ、それをごく親しい人間にしか見せていないか、それなりの場所では見せているが公では見せていないかのようなものなのですよ。

 僕が相手を受けているひとりも、関係する中に、今話題の有名人がいますが、その有名な人にしても一人の人間であることに変わりありません。その内実、内容は、我々と変わるところはありません。

 人間、皆、色々を抱えながらも日々を生きているものなのですよね。
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 No.114へのものを読みました。

とても誠実な物事への向かい方がうかがい知れるものだと思います。それ自体、とても素晴らしいものだと僕は知るのです。

 その事象への理解の仕方は、以前と比べても成熟したものとなっていると感じます。

 問いかけへの回答ですが、それは失望をさそうようなものとはなっておりません、ご安心ください。とても良くわかる心情と言えるものです。僕とのコミュニケーションへの分析も的を得ていると思います。いや、あなたは分析で以って的を得てしまう力があるが故に、今まで苦しんできたタイプなのだと言えると思います。あなたのコメントからは”反抗期の必要という機能”という、ものが改めて浮かび上がると思います。これに対してのご自分なりの理解は進んでおられるでしょうか。つまり、強い依存があったままでは一人の個として世界に立っていられないために、それを回避しようとするのが意味性の薄く見られる、あるいは真逆をとにかく行く、攻撃と言う形を取るのですね。

 今ある脱力感、麻痺したかのような感覚の世界というものは、次のステージへ向けての準備期間ですね。自分の感覚と、自分の実際の反応が離れている現象、これは今まで力業で周りにすり合わせてきた部分故の内的な歪みを是正する働きのものだと言えると思います。無理が祟ってきたもの、それの転換点を迎えようとしているのだと思います。

 つまり物事を受け止めるという部分においてのフレームワークが変化して来ているということが起こっていると思います。それと自己存在認知という部分での新たな局面を迎えているということでしょうか。危惧の面を言えば、あなたが一人だというところでしょう。このような作業を行う際には、より良いフォローを行えるものがあると助かる面があると言える面があります。ただ、人間は生まれてより、市に至るまで孤独であるという本質的なものがありますから、それをしかと受け止められる部分が養成されていれば、その期間の過ごし方も自ずと変わってくると思います。ただし、人を頼れるという”力”も、人間とは社会性の生き物であり、そこによって醸成が成されるものでありますので、そういうものも必要となると思います。

 取り急ぎですが、このように応えておこうと思います。

 
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 お礼ついでにもう少し踏み込んで言及しておきましょう。



 今回最初に僕が書いたものにですが、あなたはそれを”深みがない”として”本気で心配する”と応えました。そこにあなたの物事の受け止め方の特徴的なパターンが端的に現れていると感じました。

 あなたがどこに”深みがない”と感じたのかは、送りての僕からするとだいたいに想像が付くのです。自分の書くもののクオリティの精査というものは常に行う自分であるからです。そしてそれは”深みがない>本気で心配する”とまでの連絡を行うものであったかと言うと、それほどでもないものであったのです。ですから、僕は応じるにあのような形に入ったわけですね。
 
 僕は以前においてあなたと話していた時から、自己像、つまり僕のものですが、それを揺らすようにしていました。内容の書き方を密にしたり、粗にしたり、文章表現を細やかにしたり、端的なものにしたりと。また、僕のパーソナリティの幅もそこに持ち込んで、違う様相の僕というものに振ってみたりもしていました。ですが、今回はそのようなあなたからの評が現れました。そこにあなたの物事の認知をする際の癖があると言えるでしょう。

 人は物事を受け止める時にも、そして自己の中に収める際にも、もともとあったものから形を変容させていきます。それは自分が理解できるような範囲のものにであるとか、自分が受け止め易いような形にであるとか、もっと言えば自分の望む形にであるとかになります。人は新しい事象に出会ったとき、それを理解するに既成の概念を用いないとならないという認知の際の縛りがあるのです。そして各人、形として同じ概念で以って理解しようとしている場合にも、その概念への理解やら、受け止め方やらの違いにより、アウトプットされて内に収められているものが異なるものとなっていることが多くあるのです。そして、その各人の受け止め方において特徴的なのは、だいたいにおいてその人の望む形での変容というものが強くかかっているというところなのです。

 知者はこれを突き詰めて考えていくことで本質的なもの、本来的なものへと向かわせ、知者同士の会話においては通用するようなコンセンサスにおいて話しを展開することになるのです。知者ならば面と向かう知者よりも異なるところまでの理解に至っているものですが、それらをコンセンサス上で互いに開陳し、相互の違いを吟味し、よりそれへの理解を深めるというプロセスを行い得るわけです。

 では、知者でなければどうでしょうか。それが病みベクトルに向かう際に大きく現れることになる認知の際のコンセンサスからのズレとなり、その人の病みに至る癖となります。そして僕が最近発見したのが、その癖というものが本人の望む形に変容させる部分、その形の癖こそが、その人達をどうあっても抜けられないスポットに落としせしめるのだ、ということなのです。これを愛着行動と僕は形容するわけなのです。その癖である愛着は、まずその人の思考における論理パターンに見られるものであるのですが、それを是正するのが認知療法とか行動療法ですが、それらは愛着とまではそれを読んではいなく、認知の歪みとするのですが、僕から言えばそれは愛着であり、本人が望んでそうしているからこそ抜けられないものであり、思考の中にだけでなく、コミュニケーションの応対にまでパターン化して現れるものだと言えると見ているのですね。

 その本人が望んでいるからこそ、抜けられないのです。それがたとえば精神病患者の何十年と治らない人に見られるものであったり、それこそあなたが問題とした人格障害の人に見られるものであるのです。

 なぜ、それを本人が望んでいると見るかと言うと、そのパターンを出しては常に問題化し、社会との軋轢となるなどと自分を脅かしているものであるのに、何十年もの延々と同じパターンを繰り返すからです。そして、その反応とも言うべき行動の現われ、コミュニケーションの形とも言えるものが、本人が論理回路的に収束させる際に慣れた形、出し易い形、そこに向かうことである程度の自己内的な成果が得られてきたものである、それはマイナスの結果として表出していても、それが成されないよりは自己内でのストレス量やダウナー量が微量であっても好転するものである、ということからも、それが本人が望んでいるものであることが伺えるのです。ゆえに愛着なのです。

 人は慣れた思考における、行動(リアクション)における、つまりコミュニケーションと総体して呼べるものにおける論理展開の自己が保有しているパターンから、今までにないパターンを作り出すことを苦手としています。それを自分自身によってのみにより、見つけ、作り、定着化させることは、大変な労を要するものであるのです。特に慣れ親しみ、強く定着しているパターンにそれを加えるということを強く苦手としています。それゆえに楽な方、愛着しているパターンを、それがマイナスの作用をもたらすとしても、それを選択し実行し続けるのです。その理由は既に上記してあります。

 ということなのです。決して深くはなく、そこから本気で心配するというところにまで導かれるものでは、こちらからすると無いものであったのですね。それをそうと受け止めたところにあなたの愛着行動が見られるわけなのです。

 付記すれば、これに異を唱えたりすることは、あなたの自由です。ですが、僕が受け止めるものとしてはそれなりの内容を伴ったものでないとならないことにはなります。

 すみません、長くお付き合いさせてしまい、また、数度のコミュニケーションにお付き合いさせてしまい、申し訳なく思います。返礼として、今ある気付きを書かせて頂きました。参考にしてもらえれば幸いかなと思います。
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本当に申し訳なく思います。

すみませんでした。

あなたにしてみたら、傷を掘り起こされて、塩を塗られたような気持ちでしょう。

本当に申し訳ない。

今回は逆にあなたのしっかりとした対応に励まされてしまいました。

自分の弱さに飲まれる、それで失うものは常に大きいですね。

すみませんでした。
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この回答へのお礼

kumosukeさんが困惑していることやあなたも普通以上に疲れている人であることはわかりました。
私はきっと自分のことばかりで他人まで気を回す余裕もなく追い詰めてしまったんですね。
特に謝って頂く必要はありません。
こちらこそ最近のやり取りだけではなく以前のやり取りを振り返ってもあなたにも酷いことをしたと思っています。

私に対する失望感を強めるとは思いますが、#113の問いかけに対し正直に答えて差し上げますと今の私にとって生きることは忍耐です。
あなたに対して初めのうちは若干不信感を持っていましたがやり取りを通じて徐々に依存が強くなっていき迎合するようになっていき、そこに無理を感じてあなたに対するよく自分でも分からないけど怒りが込み上げてきてそれが原因となってやり取りが終わったんだと思いますが、今は私はkumosukeさんにありのままの感情を言っており、それがあなたからどう思われるか(評価されようが批判されようが)仕方ないことだという感情があるだけです。
相手があなただからとかは関係なく今の私にあるのは脱力感ばかりだからだと思うので、そのことについて気になさらないでください。
しっかりした対応と仰って頂いておりますが、以前の私にはそれは出来なかったことだとは思いますし、kumosukeさんとのやり取りが中断して、私なりに考えたり本を読んだりすることにより、あの時にはわからなかったことでも今は分かることというのが色々ありますのでそのためと言うのもあるかもしれませんが、それ以上に脱力感があまりに強すぎて不思議ですね、何故か他人の意見が自分の耳に痛いことでも何にも感じないんです。
だからというのが大きいというのが真実だと思います。
本当に不思議です。
小さいことで異常にイライラはしても大きいことに関しては漠然と傷つくだけなんです。
涙も出ません。
かと思うと映画館で映画を見ていると内容とは無関係に急に悲しくて涙が止まらなくなったり、授業を受けててこれまた理由もなく悲しくて泣くのを必死に堪えたりします。
最近は世の中の人は頑張って生きてて本当にすごいと思い、自分の劣悪さをいつも強く認識させられます。
物事を前よりも素直に受け入れられてるはずなのに脱力感が強くてたまに感じる感情はひたすら絶望感です。

お礼日時:2008/11/07 15:33

 なるほど、解析できました。



 本当にコメントはもうしないでおこうと思っていたのですが、No.112へのものへ書かせていただこうと思います。

 まず、あなたと僕(以前は私と言っていたもの)の間には、既にコミュニケーションの失調が起こっています。

 ご存知かはわかりませんが、ネットによるコミュニケーションには、文字、あるいは、映像は乗りますが、本来我々人間が他人の言葉を受け止める際に最も利用しているもの、メタメッセージというものが存在しません。

 メタメッセージが存在しないということは、同語が多義に解されることが常に有る、ということになります。

 では、その同語多義なものを、共通の認識と、共通の理解の間で交わすには何が必要でしょうか。それは信頼というものに近いものとなっているコンセンサスだと言えるでしょう。このコンセンサスを探り探りながら策定する作業が必要となるのです。

 あなたと僕(過去における私)の間では、一度このコンセンサスが破れています。それはお気付きになられたでしょうか。いえ、たぶん、それは感じられているものだと思いますし、そのような形と今は既になっていると感じます。

 そして、僕も傷負うものであるという事実があり、それは何を意味するかと言えば、そのメタメッセージ無き同語多義なものを否定的に解釈する可能性が普通より高くあるということです。

 以前の僕はあなたに対し受け止め手として常にあろうとしていました。しかし、今の僕は受け止め手として立つことにおいての難題というものにぶつかっていて、それを放棄する形から新たに再構築を行おうとしているところがあります。

 現在、想像以上に他の面においても受け止め手としての力を要求されている面もあり、ある意味、その点においてミスを許されない立場ともなりつつあるようでして、それらを鑑みても、現状のラインで行うことには無理があると感じている次第であります。

 まぁ、あなたに見せたように、メタメッセージが無い状況では自分も大いに乱れるぐらいの状況は有るということでありますから、それらとどうその置かれた立場を融合して一なる自己とすべきか、今も晴れぬ霧の中にあるということであります。あなたにとっては、単なる迷惑に過ぎませんが。

 こんなことを言って、押し付けた上で、さらにこう言うのは申し訳ないのだが、一つお聞かせ願いたいことがあります。

 今、想うににおいて、あなたにとって”生きる”とはどのようなものと形容できるものでしょうか。

 僕の見てきた世界、そして今見ている世界は、あなたの想像を超えるものがあり、想像を超えた現実を写し出しています。”生きる”というフレームワークも常に更新し続けねばならないのか。そこまでして生きて何があると言うのか。

 申し訳ない。お見苦しい姿をお見せしたが、これも”私”であることには変わりありません。
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いや、ごめん、確かに、僕は参ってはいる。



書いたことは忘れてくれ。


僕と会ったことが不幸だった。すまなかったね。

さようなら。
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この回答へのお礼

#109のお礼に対して#111の回答を頂いたんだと思いますが、何故そのように感じるのかよく分からないんですが。
私の言い方が何か失礼にあたったのか、もしくは私の考えがおかしいために不快な思いをさせてしまったのなら謝ります。
あなたのお名前から昔ここでお世話になっていた方を連想しましたが、その方はもう私の質問には書かないと仰っていたし、文体や内容も少し変わっていたように感じたのでその方ではない可能性があるのではないかと思い#109のお礼のような文章になりました。
それが何か不快な思いをさせたんならすみません。
言い訳ですが、異常に他人に対する不信感が強いからかもしれません。
でも、kumosukeさんだとしたら口調だけじゃなくて何でかわからないんですが本当になにかあったのかなと心配に思ったのでそのように書かせていただきました。
気に障ったんならごめんなさい。
そしてどうかご自愛ください。

お礼日時:2008/11/05 23:59
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