【大喜利】【投稿~10/21(月)】買ったばかりの自転車を分解してひと言

アヘン戦争は主に海戦によって行われたのでしょうか?

だとしたら、イギリスは中国東岸部まで清国を負かすほどの艦隊を送るほどの海軍力をもっていたのでしょうか?

それとも清国が負けるに至った、他の要因があったのでしょうか?

A 回答 (3件)

清の船はイギリス艦隊に対する戦闘力がゼロに等しかったので、海戦と呼べるほどの戦いはありません。


イギリス艦隊は北京に近い天津を襲って清朝の宮廷を震え上がらせた後、大運河を封鎖して江南から北京への食糧供給を断ち、清を屈服させました。
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この回答へのお礼

制海権をあっと言う間に決めてしまうほどの差だったのですね。

ありがとうございました

お礼日時:2008/05/11 23:45

「主に海戦」とは言い難いですね。


清国の海軍はイギリス海軍に全く太刀打ち出来ず、制海権を簡単に奪われてしまったからです。
このため数においては圧倒的に劣るイギリス側は、海上からいつでも好きなところを攻撃できるという圧倒的に有利な状況を獲得し、それにより清国は屈服を余儀なくされました。
日本もこのような清国の敗因は認知されており「黒船来寇」が大きな衝撃を与えたのも、日本側にはこれに対抗できる船が存在せず、一度戦争になれば清国同様に制海権を奪われてしまう事が白日の下に晒されたからです。
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この回答へのお礼

「海戦」とは言えないほどのレベルの差だったということですね

ありがとうございます

お礼日時:2008/05/11 23:43

こんにちは。


>海軍力を持っていた、というのが正しいと思います。
まあ清国の防衛体制も、欧米から見れば時代遅れで非力だったのは確かですけど。

当時、イギリス(大英帝国)は、「日の沈まぬ国」と言われていました。
あちこちに沢山の植民地を持っていて、それらを全部あわせるといつもどっか昼間になる、という事です。

なので、本国を守る本国艦隊の他に、植民地を守る為の艦隊があり、当時、そちらに向かった東洋艦隊はその一つです。

当時はアジア地域はヨーロッパ諸国の植民地だらけでした。
イギリスの植民地であったインドで作ったアヘンを清国に売りつけて始まったのがアヘン戦争です。
東洋艦隊の守備範囲はこの巨大なインドも含んでましたから、かなり大規模な物だったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2008/05/11 23:41

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