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山賊で検索しても観光旅行関連のページしか出てきません。
詳しい方に質問です。
昔は大名ですらも軍勢を連れなければ物見遊山お一つもできなかったそうですが、今は女性ひとりでも好きな場所を旅行できます。
日本国内限定だと山賊は一体いつごろまで生存していたんでしょうか?

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A 回答 (6件)

何か特別な裏づけとか史料を持ってるわけではありませんが、たぶん、山越えをするような長距離の移動を、ほとんど徒歩でしなくなった頃からじゃないでしょうか?



つまり、明治の陸蒸気にはじまる鉄道の整備と、乗り合い馬車などに始まるバスや車での移動・・・

鉄道網や道路網が整備されて、乗り物で移動するようになると、ほとんどの人は徒歩で山越えをしなくなるのでは?

そうなれば、数少ない、徒歩や自転車での移動の人が通りがかるまで、山で待っていなければなりませんし、ものスゴイ山奥なら、1年に一度だって通らないかも・・・。

そうなると、乗り物を止めて金品を奪う事になりますが、そのためには、山賊もそれなりの武装しなくてはいけません。
でも、旅人が現在所持している金品略奪が目的となると、武装をガッチリしたワリには、さほどの金額を稼げるとはとうてい思えないので、ハイリスク・ローリターン=「ワリに合わない」って事なのではないでしょうか?

ドロボー系の犯罪というのは、「ワリに合わなくなる」と、自然とすたれていくものでしょう。

そう考えると、今のハイジャックやバスジャック・・・あり得ないけど電車ジャックが、もし、金品目的なら、昔の山賊にあたるのでは?と思いますが、やっぱり今なら、ちょっと電話するだけで稼げる「オレオレ詐欺」のほうがワリに合うでしょうね。

もし、金品目的でハイジャックするなら、乗客を人質にとって、多大の身代金を請求しないと・・・いや、それでも捕まるな・・・きっと。

もちろん、どなたかがおっしゃってたように、個人レベルの山賊系の犯罪は今でもあります。
スリ、ひったくり・・・山奥じゃなくても出没します。
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>山賊で検索しても観光旅行関連のページしか出てきません。


詳しい方に質問です。
昔は大名ですらも軍勢を連れなければ物見遊山お一つもできなかったそうですが、今は女性ひとりでも好きな場所を旅行できます。
日本国内限定だと山賊は一体いつごろまで生存していたんでしょうか?

明治時代か大正時代ではないでしょうか。千葉県での話しですが、郵便局の特定郵便局長の家系の人間が、このようなことを言っていました。
郵便制度ができてしばらくの間、本局から離れた特定郵便局まで郵便物を運ぶとき、郵便局員はラッパとピストルを持ったそうです。郵便物の中に現金書留などがあり、途中の山道で襲われる危険があるからだそうです。下総台地の中の特定郵便局までは本局から12キロメートル程度。一番高い地点の標高にして40m程度の山道です。当時はうっそうと樹木があったと言うことですが、近代に入っても山賊(話した人間は山賊と言っていました)だか、追いはぎはいたということです。

以上、参考に。
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>日本国内限定だと山賊は一体いつごろまで生存していたんでしょうか?



「山賊」の定義によって、回答は変わりますね。
山間部を根拠地とした野武士軍団だと、関ヶ原の戦いの頃まで存在しました。
(蜂須賀小六に代表されるような、○○党と呼ばれる集団)
山間部を根拠地として通行人から金品を略奪する集団だと、幕末まで存在しました。
(箱根裏街道を拠点とする、雲助画代表的な集団)
山間部及び暗闇に出没し通行人から金品を略奪する集団だと、昭和初期まで存在しました。
(一般的には、追い剥ぎと呼ばれていました)

余談ですが、明治初期まで「山嵩(さんが)」と呼ばれる集団がいました。
日本全国の山々を、自由に移動出来る権限を持った集団です。
(有史以来存在し、幕藩体制下でも権限を認められた)
豊臣秀吉も、百姓を止めて信長配下になるまでの期間、彼らと一緒に移動したとの記録があります。
明治政府の「戸籍制度」によって、定住化が強制され解散。
地方によっては、この集団と山賊とを混在している場合もあります。
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「山賊」とは言っても意味するところは幅があります。


たとえば、酒呑童子のような館を設けて、周囲を荒らしていた山賊もいたでしょう。
また末の方で考えれば、二、三人で旅人を襲う連中も、やられる方にとっては山賊でしょう。
後者のようなのは、現在でもいます。その意味では絶滅していません。
ただ「山賊」ではなく「犯罪者」と呼ばれるようになっています。

柳田國男の『妖怪談義』の中の「山姥奇聞」に以下のような文章があります。
「現実に山の奥には、昔も今もそのような者がいるのではないかということである。……」(講談社現代文庫版131p)
この文章は昭和初期に書かれました。ここで「そのような者」と書かれているのは山姥のことですが、
昭和初期までは、山の中には文明の及ばない場所があるということを
実感することができたという証拠になります。
山姥がいる(と思われる)くらいなら、山賊だっているでしょう。

現代と昭和初期で決定的に違うのは、自動車の存在です。
昭和30年代ぐらいまでは、個人で自動車を所有することは
金持ちの特権でありました。また道路も整備されておらず、
山を越える場合は徒歩で行く必要がありました。
しかし今は、徒歩で山を越える人はまずいません。
徒歩でなくてもよくなった時点で、文明や法治の及ばない場所は
日本から消滅し、恐怖の対象としての「山賊」もなくなったことと思われます。
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 幕藩体制が確立した江戸時代だと思います。

領内を自由に移動できないようでは藩の経営なんてとても出来ません。どの藩も自国の治安は必死に守ったと思います。守らなければ年貢も入ってきませんし、取りつぶしになってしまいます。
 ちなみ蜂須賀小六(秀吉の家臣)は山賊の頭領だったようです。
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 日本においては織田信長の領国では女性も一人旅できたほど治安が良かったそうです。

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Q昔の茶屋は山賊に襲われなかったの?

タイトルの通りです。山賊が出た、という記述が残る山にも茶屋跡などがありますが、山賊にしてみれば金を持っているかいないかわからない旅人を襲うより、旅人から儲けているはずの茶屋を襲ったほうが手っ取り早いのでは、と話をしていました。もちろん茶屋も教われないために何か防護策をとったのではと思ったのですが、何か詳しいことを知っているかたがおりましたらよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

ははははは、何か好きだなあ、こういう質問。

まず「金を持っているかいないかわからない旅人」という点ですけど、常日頃から「道中」をする人=大道芸人や渡世人は別として、商用で街道を歩く商人なんてのは「格好の獲物」だったんではないかと。
(大抵は、大きな商談=品物の買い付けとかで旅をするわけですから)
そうでなくとも最低限の「路銀(旅費)」、すなわち現金を常に懐中にするのは当時の旅人の「基本」だったと思います。
また、たとえ大金を持っていなかったとしても、それこそ「身包み一切」、すなわち衣服や道中差(護身用の刀)、その他の旅道具一式を奪って売り飛ばせば、それなりの「収入」が得られたのではないでしょうか。
「道中手形(身分証明)」なんてのもかなり使い道あるかも知れません。
(もっと言えば「安寿と厨子王」の昔から「人身売買」という手段もありますし)

「峠の茶屋」が襲われなかった理由としては、
・「茶屋まで襲うような狂暴な山賊がいる」ということになれば、自然と旅人もその道を避けて通るようになるので、敢えて手付かずにしておいた。
・山賊自身、峠の茶屋を「飲み食いの場所」にしたり、「情報収集の場所(※)」などに使っている。
(※いかにも大金を持っていそうな客がいたら、一足先に仲間のところへ知らせて待ち伏せをする、等)
・旅人は所詮「余所者」なので、山賊の被害に遭ったとしても「茶屋の主人の言うことを聞かなかった旅人が悪い」ということになりがちだが、「地元民」の茶屋を襲うと、地元の捜査機関が「山賊征伐」に乗り出してくる可能性がある。
てなとこではないでしょうか。

「いくつか時代小説を読んだ」という程度の、あて推量ばっかで恐縮ですけど。

ははははは、何か好きだなあ、こういう質問。

まず「金を持っているかいないかわからない旅人」という点ですけど、常日頃から「道中」をする人=大道芸人や渡世人は別として、商用で街道を歩く商人なんてのは「格好の獲物」だったんではないかと。
(大抵は、大きな商談=品物の買い付けとかで旅をするわけですから)
そうでなくとも最低限の「路銀(旅費)」、すなわち現金を常に懐中にするのは当時の旅人の「基本」だったと思います。
また、たとえ大金を持っていなかったとしても、それこそ「身包み一切...続きを読む

Q海賊と言えば村上水軍を思いつきますが、山賊と言えば・・ちょっと思いつき

海賊と言えば村上水軍を思いつきますが、山賊と言えば・・ちょっと思いつきません。
Wikipediaには、
盗賊とは、法規から逸脱し、武装して掠奪・強奪行為を旨とする集団を指す。その形態によって、山賊や海賊などとも呼ばれる、とあります。

少人数の集団でもよいですが、日本の中世以降で山賊はいましたか。
せいぜい2,3人くらいの追剥ぎは除きます。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

海賊が特別視されるのは、船を操るという特殊技能故で、
それが戦争では水軍(海軍)として雇われることになります。

山賊は、ちょっとした腕っ節があればすぐにでもなれますし、
戦争になってもせいぜい雑兵として雇われ程度でしょうから、
あまり歴史に名を残すことは少なかったのでしょう。

日本で有名なところでは、楠木正成といった悪党か、
蜂須賀小六のような野武士といったところでしょうか。
彼らも、雑兵の域に留まらない戦力と戦闘技能を
持っていたので名を残すことになりました。

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

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風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

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Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q野武士はなんですか

野武士というは、盗賊とか、山賊とかという話しなら

いつも聞いてましたが、

その「野武士」とは、戦国時代で別に生活して活動しましたから

なんか、他の時代で活動した山賊や盗賊とは違うことがありませんか

Aベストアンサー

野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。

領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。

戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(かわりに野武士の勢力圏での安全を保証していました)、富裕な村落を略奪したりして生活していました。ただし、「略奪」は野武士に限らず、当時の武士においては軍事演習と実益が得られる一挙両得の行動で、武士として「やましさ」を感じるような行為ではなかったようです。

交通の要衝で通行料を徴収し安全を保証する活動を通して、水運業者や馬借などの陸運業者との繋がりの深い野武士も多く、室町時代初期の「悪党」と呼ばれた武士と共通点が多いように思います(「悪党」には同族的な要素が強いのですが、「野武士」の集団では血縁関係は必ずしも重要な要素ではなかったイメージがあります)。

野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。

領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。

戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(か...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q雑兵(野武士・盗賊)から武将になった例

雑兵として、合戦に参加
   ↓
負けて敗走
   ↓
仲間内で徒党を組み、近隣の山で野武士・山賊化
   ↓
近隣大名(本拠としている地域と敵対している大名家等)に仕官or勧誘
   ↓
徒党ごと、大名の家臣団に組み込まれ、徒党のリーダー格はその大名家の武将となる

このような例で、雑兵から武将になった例は戦国時代にあったのでしょうか?
出世の度合いは仕官先が地方の小大名や大大名下の一領主等でも、中級武士・武将格であれば何でもOKです。
国内でない場合は中世ヨーロッパ等の例でもかまいません。

また、この例があったとして、山賊・野武士時代はただの下っ端Aから
リーダーが出世した事(武将→一国の主)で、下っ端Aもそのリーダーの下で部隊を率いる
武将クラスとなった例はあるでしょうか?

Aベストアンサー

こんばんわ。

NO4.の bungetsu です。

「お礼」を読みました。

木下秀長

農民から秀吉の部下となったとはいえ、いきなり、軍隊の指揮官へなった時は驚いたでしょうね。

もともと「帝王学」を学んでいないにもかかわらず、やはり、努力もあったと思いますし才長けていたのかもしれませんね。

また、秀吉も一農民から信長の草履取り、そして、ついには、関白にまで上り詰めたのですから、

この二人は出世頭と言うべきかもしれませんね。

Q日本から海賊がいなくなった時期と理由

昔は日本にも海賊がいたらしいですが、今はニュースや新聞を見ても海賊は一度も登場しません。いつごろ、どういう理由で消滅したんでしょうか。

Aベストアンサー

大名になっても水軍としての機能や海域の支配権は持っていたでしょうから、新しい海賊は発生する余地が無いでしょう。
また、徳川政権が各大名に領国統治の厳格化を課した事も有るのではないでしょうか。
一揆など領国内の治安が不安定だと、減封や転封或いは改易なども有りましたから。

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Q通りゃんせの歌・・・帰りの何が怖い?

通りゃんせの歌で
「行きは良い良い 帰りは怖い 怖いながらも通りゃんせ 通りゃんせ」
と歌いますよね。

私はむかしこの歌について「7歳のお祝いに札を収めて成長をお祝いする」ために天神様へのお参りをするということで聞いたことがあるんですが、めでたい席の帰りでなぜ帰りが怖いんでしょうか?お払いとか受けた後のはずなのに。
むしろ細道の行きの方が感覚的に怖く感じます。子供の成長についても7歳までのほうが7歳からよりも危ないような気がしますし。

なにか魔物の伝承でもあるんでしょうか?

Aベストアンサー

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じような地平の話というか、心の状態なのだと思います。「神隠し」とは何かというと、子供が行方不明になるのですが、これも散文的に理由を考えると、例えば、人さらいにさらわれたとか、山人とでもいうか、サンカとか、山男とか山姥などと呼ばれている人々が連れ去ったとも言え(サンカと山人や山姥との関係は必ずしも明確でありませんが)、または、迷子になって死ぬ子供とか、または、食人の野生人が山にいたのかも知れません。
 
  散文的な話ですが、子供が遊びにでかけると、行く時は、遊びに行くので楽しいが、帰れるかどうか分からない……「神隠し」に会う可能性があるぞ、という歌なのではないかと思います。「帰りは怖い」は、行って帰って来て、帰りが恐ろしいのではなく、帰ろうとすると恐ろしいものがたちふさがるということを警告している、あるいは、遊んでいる子供達は、直観的に理解していたのかも知れません。
 
  「七つのお祝いに、天神様の細道」ですが、天神は怨霊を神として祭ったものです。非常に古い日本の伝統的な宗教観が、怨霊は神として祭らねばならないということを教えるのです。そして「七」というのは、吉兆数ですが、神秘数でもあり、諸星風に言うと、「異界」への数とも言えます。
 
  諸星の話からの連想だと、「神隠し」の背後には、子供を神の生け贄にして殺すという儀礼が背景にあった可能性も想定し得るのです。七歳の祝いの日に、子供に晴れ着を着せて、神界への細道を進ませ、そして子供は消えて、帰って来なくなるのです。
 
  行きは、「神界」へと晴れて行くのですが、帰りは、「異界=黄泉の国」へと帰って行くのです。それでもよいなら、「通りゃんせ」という歌なのでしょう。
 

参考URL:http://homepage2.nifty.com/osiete/s683.htm

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じ...続きを読む


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