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江戸時代には「士農工商」といって身分差別がありました。
更に、農民の武士に対する反感を抑えるため、
「えた」・「」という身分までつくり、彼らはかなり過酷な生活を強いられたそうですね。
では、もし現代の日本人が身分差別真っ盛りの江戸時代にタイムスリップして、
「人間は皆平等だ!」
などと叫んだらどうなりますか?
確かに江戸も末期には、福沢諭吉の名言、
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
という考えも生まれてきましたが…。
おそらく平成時代の人間(男女問わず)が
全人間平等だなどと主張したら、もしかして即、首が飛ぶかも…!?
身分差別、時代背景に詳しい方、教えて下さい。

A 回答 (10件)

平等という概念を西洋が言い出したのは随分新しい時代になってからで、その新しさの故に、未だに西洋では平等であることを中々受け入れられていませんね。

その典型がアメリカです。私はアメリカに30年程住んでおりますが、ラジオやテレビで毎日「自由」と言う言葉を何回も聞くのに、「平等」という言葉は滅多に聞きません。一ヶ月に一、二度聞けたら良い方です。アメリカでは平等なんて言ってしまったら、先進国の中で世界でも類を見ない程の貧富の差や、黒人、ヒスパニックの取り扱いに頭を痛めることになってしまうのは目に見えています。

その点、日本では「平等」の認識は大変古く、鎌倉幕府の貞永式目の中で「本領安堵」という形で、各豪族に私有財産権を認め、将軍と言えども身分をかさに着て、豪族の財産を勝手に奪うことができませんでした。聞くところによると、この貞永式目は人類史の中で私有財産権を基本的な人権と明記した世界最初の憲法だそうです。その式目のなかで、女性に対する財産相続権を男性と同じにするべく多大な努力は払われており、それを保証する為に、嫁に行った先でも自分の実親の老後の面倒を見ることを義務づけているのは有名な話です。

また、江戸時代を含め、それ以前の農家でも女性の役割は十分認識されており、その結果、男女は平等に扱われておりました。その一番本質的な根拠は、田植えのときの女性の体力にありました。田植えはしゃがんだり前屈みでやらなくてはならないので、どんなに力のある男性でも女性の持久力には絶対に叶いませんでした。これは男女の体の構造の違いに基づいているので、男にはどうしようもないことです。ですから、田植えと言う、日本の農家で最も重要な行事では女性が主役で、男性は畦から苗を放り投げたり、昼飯の面倒を見たりする以外に大したことは出来なかったのです。こんな状態でしたから、女性は男性に対してどうどうと平等を主張できたのです。その名残かどうか知りませんが、今でも家の家計の切り盛りはほとんどの場合女性に任されておりますね。アメリカでは50%以上の家庭で男性が財布のひもを握っているのとは大違いです。

しかし、日本人のほんの数パーセントきり居なかった武士の間では、確かに女性の出る幕がほとんどなかったので、その特殊な社会の中では確かに女性を差別していたことは認めますが、それは日本国民のなかで少数派に属する例外的な現象です。でも、武士の方がテレビの絵になるのでそんな面ばかりを放映して、今でも日本の若者達が日本蔑視、西洋崇拝の洗脳をさせられているようです。


「平等」が何故重要な概念なのかを説明する論理は大変曖昧なものです。その証拠に、西洋ではそれを正当化する為に「神の下に平等」などと、理屈にもならない「神」なる概念を引っぱり出してこなくてはならなかったのです。でも、そういう意味では日本でも同じような所が、歴史的には在ったようです。事実、日本では天皇を別格として、全ての人間は天皇の下に平等であるという意識を作り上げて来ました。そのような意識がなかったら、江戸から明治への大政奉還が何故、無血で実現できたか理解することは出来ませんね。将軍家と言えども天皇の下では一介の人間であり、その一介の人間が権威を得ていたのは、天皇から頂いた征夷大将軍と言う肩書きのお陰であるという認識が徹底していたからで、そんなことが可能だったのです。

日本では「命令させる筋はないが、頼まれてしまったのならば仕様がない」という発想が昔も今も在ります。これはアメリカや西欧のような命令社会の人達には中々理解できない発想です。

まとめると、少なくとも鎌倉以降現在に至るまで、日本は西洋とは比べるられない程高度に平等意識を発展させて来た国だということです。
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皆さんの回答を興味を持って読ませていただきました。


この場合、法的に(慣習法を含めて)どうなるかということが、質問者の意図だと思います。江戸時代といえども、根拠なしに、人を罰することは出来なかったのではないでしょうか。”人心を惑わした”という罪はあるのかどうか。
私が知っているわけではありませんが、教えていただければうれしいです。
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幕末に「アメリカでは将軍(大統領のこと)を入札(選挙のこと)で選び、町人でも誰でもなることができる」と聞いたある武士は、「アメリカとはなんと野蛮な国だ」と絶句したそうです。

しかも、その武士は外国に興味のあるどちらかといえば開明的な武士だったのです。
当時は日本はもちろん、中国でもヨーロッパでも王家があって王家が支配していくというのが「常識」でした。それを「誰もが平等」なんていうのは、まるで一番強い奴が王様だみたいなジャイアンかラオウが支配する北斗の拳ワールドのような無秩序な野蛮国というイメージがあると思います。

ただ、それが「政治的な意図はない。あくまで宗教的な概念だ」と主張すれば多少は人々の理解も得られるでしょうが、とはいえ身分制度の否定に繋がるわけですから、「御政道を批判するとは不埒千万」と捕らえられることは免れないでしょう。

また、身分制度というのは意外に今でも世界各地に残っています。例えば中東諸国なんかがそうで、王国も多く、議会は形式上の存在に過ぎなかったりします。また、ヨーロッパ諸国でも階級制度は未だに残っており、日本人が想像するよりはるかに職業選択の自由はありません。
しかしこれも一概には否定できないもので、例えばアフガニスタンは王国として長年上手くやってきたのに、無理やり選挙による(見かけだけの)民主主義国家にしてしまいました。結果、テロリストまがいの連中が支配する無秩序国家となってしまいました。それぞれの民族性と歴史にあわせた政治制度を採用するのが最も平和的な解決方法なはずで、それを無視して自分たちの政治制度を押し付けるあたりアメリカが野蛮国といわれるゆえんです。
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吉田松陰が、黒船に乗っって密航しようとして失敗し、投獄されたときに、獄中で高須久子という女性と知り合いますが、彼女は、武家の未亡人でありながら身分の低い者(彼女の場合は芸能で生計をたてている人たちでした)と親しくしていたという罪で投獄されていましたので、幕末期なら、やはり投獄されるのではないでしょうか。



福沢諭吉の「学問のススメ」は、確か、明治五年の発行だったと思いますので、やはり、明治時代になるまでは、何らかの形で刑を受ける事になると思います。

身分制度は、奈良時代の大宝律令から明治維新がなるまでは、時代によって多少の違いはありますが、おおむね国家の定めた法律のような物だと思いますので、その法律に違反すれば、裁かれるのが普通ではないか?と・・・。

ちなみに、維新後も華族制度がありましたので全人間平等ではなかったと思います。
選挙権も一部の人にしかなかったですから・・・。
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平安時代の最澄空海も似たような事言ってるしね。


それと天皇が含まれないのは、天皇は天と人との挟間に存在する者だもの。
だからこそ、万人は平等なり。と言えるのだけどね。

そういえば、米沢藩藩主の上杉鷹山も農業というか率先して土に塗れてたんだがね。
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そもそも「人口の約半数が身分移動を経験する」場合すら存在する社会において, 「身分差別」ってどのくらい意味があるんでしょうか?


ちなみに福沢諭吉についていえば「天は人の上に人を作らず, 人の下に人を作らず, でも天皇は別」だったはず.
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特に問題無いでしょう。


仏教において「万人は平等なり」との教えがありますので
江戸時代において発言しても仏教の説法としか見られないでしょう。

仏教の平等とはどんなことか
http://www.shinrankai.or.jp/qa/qa0209.htm
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安藤昌益という人が、「武士は要らない、みな農業をせよ」という著作を残しました。


地元では尊敬される医師だったようです。

彼がどのように周りに主張し、どのような反応があったのかはよくわかりません。

参考URL:http://www006.upp.so-net.ne.jp/hizumi/
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恐らく、キリシタンとして処刑されるでしょう。



そもそも「人は皆平等」とは、キリスト教の次の教えが由来になっているんですよ:
“創造主(神)が人間を創った。故に創造主(神)の下では人間皆平等である”
これを教義の一つとしたキリスト教をベースに、法の下の平等などの人権という概念が
ヨーロッパで生まれたのです。

ちなみに、“創造主(神)が人間を創った。故に創造主(神)の下では人間皆平等である”―
これは長いこと異教徒には適応されませんでした。
キリスト教が国教状態だった昔―日本の江戸時代全盛も含む中世―の欧州諸国では、
相対的に未開と見なされた民族で異教徒なのは同じ人間では無いと見なされて、奴隷にされました。

以上の理由で以て、キリシタンとして捕らわれ、処刑されるかもしれませんね。
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何も起こらなかったことでしょう。


なぜならそのような言葉は理解できないことですから。
しかしその言葉の意味を解説して、「将軍も君たち町人や百姓も同じ人間なのだから、本来・・・」と説きだしたら御用になるだろうと思います。
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