もし、日本がイギリスのように大々的に第一次大戦に参加するはめになったとしたら、日露戦争でひいひい言っていた日本が、その100倍?規模くらいの第一次大戦の交戦主要国が行ったような、動因、兵器製造、作戦遂行能力があったのでしょうか?

実際には、そういうことがあっても、対独墺ですから、陸軍の西部戦線派遣と海軍の地中海艦隊派遣いうことなのでしょうが、仮に、対露に対して全面戦争しなければならなくなったとして、当時のドイツのような作戦遂行能力生産力があるのでしょうか?

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A 回答 (5件)

第一次大戦後に日本陸海軍共に幾度か試算をしていますが、いずれも結論は「日本には主要国が行ったような国家総力戦を戦う力はない」というものでした。


その後、日本の工業化は第一次大戦後の恐慌の波に洗われつつも急速に進展するのですが(例えば日本の自動車生産数は1930年代の10年間でほぼ100倍近く増えます)、欧米列強にはやはり大きく見劣りする状況のまま第二次大戦に突入することになります。
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この回答へのお礼

やはり、だめでしょうね。結局工業力がまだ育っていなかったのでしょうか。主要機会は輸入品でないと一休品の性能が発揮できない時代ですし、無理なのでしょう。

お礼日時:2009/05/17 17:32

ないです。


もし帝国陸軍が欧州に派遣されることになったら、必要な兵器はよこすように、つまり、大砲、機関銃、機械、自動車の類は最低でも貸すか、くれなきゃやだよ、と言うでしょう。

じつは勃発直後から、英仏セルビア各国から、派遣軍だしてください、と言われていたのですが、帝国陸軍は日本を護るために特化しているので、と言い逃れしていました。

実は、機関銃が置いてある塹壕、という場所で戦った経験がある軍隊は、日露だけだったのです。
特に日本軍はこりた。機関銃陣地は歩兵だけでは落ちない、という経験している。欧州では日露戦争のことは、極東の特殊事情。欧州から離れている田舎の軍隊と、田舎の守備隊の局地戦、としか認識していなかった。日露軍だけが機関銃陣地攻撃の研究していたといっても過言ではなく、特に日本軍はそれに執着しています。
ですから、派遣されて意見を述べることができたら、かなり異様なことが起きたように、ときどき思えてなりません。

海軍は実際に派遣されて、日本のエスコートは優秀だと評判でした。また当時、金剛は世界でも有数の強力艦だったので、きてくれ、と言われていますが、そこまではおつきあいしかねたのが事実でしょう。
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この回答へのお礼

ないですよね。山県有朋も完全に打ち負かされたという感慨をもらしているのではないでしょうか。

お礼日時:2009/05/17 17:30

日本はほかの国がドイツと戦っているうちに、中国や太平洋でのドイツの利権を奪うために参戦したのです。

本気で国力を発揮するつもりなんてありませんでした。
地中海に艦艇を派遣したのは、欧州諸国から要請があったので、お付き合いで派遣しただけです。
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この回答へのお礼

全面戦争をそれをやろうと思えばできたのか、できなかったのかですね。

お礼日時:2009/05/17 17:31

日露戦争では高橋是清がユダヤ系アメリカ人の協力を得て、日本公債を無事発行し終えて、日本が戦争体制の維持が可能となり、ロシアとポーツマス条約を結べるようになりました。


 ロシアからの賠償金がとれませんでしたが、日本が我慢して条約を締結したことで、日本公債の売れ行きが順調に推移しました。
 戦時公債を償還するために、追加の日本公債を発行できたのですが、日比谷事件で日本国民がポーツマス条約に不満を抱いていることがわかると公債の評判が悪化します。是清はこれを一時的なものとしてうまく説明して、危機を乗り越えます。
 
 以上は津本陽「生を踏んで恐れず 高橋是清の生涯」(幻冬舎)にでていることです。日本は西欧からはまだまだ国力がないものと評価されていたし、第一次世界大戦の戦時需要があってようやく国力を回復しました。
 英米で公債を購入してもらったからこそ、ようやく条約にこぎつけている日本に多方面への戦争する国力はありませんでした。
 軍備費の増額に批判的な浜口雄幸は襲撃され、井上準之助は暗殺され、高橋是清は2.26事件で暗殺されます。これ以降日本はおかしくなっていきます。つまり国力もつかないまま太平洋戦争に突入していくのです。
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この回答へのお礼

やはりないですよね。

お礼日時:2009/05/17 17:33

一応英国艦隊出航後の後詰めとして、マルタ島に大日本帝国海軍が駐留していました。


第一次大戦後に本格的に独自兵器の開発が始まっており、メジャープレイヤーの格では無かったですね。
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この回答へのお礼

ですよね。結局PKO的活動の範囲内でしか兵力を供出できませんね。

お礼日時:2009/05/17 17:34

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Aベストアンサー

忘れたころの回答でスミマセン。締め切られてないので、一応…

先日たまたま古い『朝日年鑑』を見る機会がありました。
『朝日年鑑 昭和19年版』では、掲載されている年表の中に「大正3年 世界大戦勃発」とあります。ここでは単に「世界大戦」で、まだ「第一次世界大戦」の語は使われていません。第二次世界大戦については、「大東亜戦争」と「欧米戦争」に分けて記述されており、それをひとつの「世界大戦」として捉えてはいないようです。
いわゆる太平洋戦争は、日本では開戦後まもなく「大東亜戦争」と公式に命名され、敗戦までそれが使われています。
それが『朝日年鑑 昭和22年版』では、「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」とも普通に使われており、このころまでにはすっかり一般に定着しているのがわかります。
国内では「第一次世界大戦」の語は、「第二次世界大戦」の語と同時に、戦後のわりに早い時期に生まれ、遅くとも昭和22年までには一般に定着したと考えてよいようです。あるいはGHQと一緒に入ってきた英語を訳した用語かもしれませんね。
ちなみに本のタイトルなどに「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」を使ったものは、国会図書館の蔵書検索で見ると、昭和ヒトケタごろすでに何冊も出ていますが、これらは今「第三次世界大戦云々…」という本があるのと同様の近未来小説の類のようです。

忘れたころの回答でスミマセン。締め切られてないので、一応…

先日たまたま古い『朝日年鑑』を見る機会がありました。
『朝日年鑑 昭和19年版』では、掲載されている年表の中に「大正3年 世界大戦勃発」とあります。ここでは単に「世界大戦」で、まだ「第一次世界大戦」の語は使われていません。第二次世界大戦については、「大東亜戦争」と「欧米戦争」に分けて記述されており、それをひとつの「世界大戦」として捉えてはいないようです。
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太平洋戦争なんて所詮、第二次大戦全体で見れば 東部戦線>西部戦線>>北アフリカ戦線>バルカン戦線>太平洋戦争>日中戦争
こんな感じの立ち位置に過ぎない、ちょっとした小争いですよね?
教科書に載せる内容は精々、原爆投下程度だと思うのですが...。

どう思います?

Aベストアンサー

>>こんな感じの立ち位置に過ぎない、ちょっとした小争いですよね?

日本の左翼、沖縄で基地反対を言っている方、原発反対を主張している方といった現実が見ていない人、もしくは、「死んでしまえば、無だよ。結局、人間の人生なんて意味ないじゃん!」と考えている方からの立ち位置であれば、そんな意見もあるかもしれませんね。

日本が戦った「大東亜戦争」(日本を占領支配したGHQは、「大東亜戦争」という言い方を禁止し、「太平洋戦争」とすることを命令しました)は、自国領土を拡張するためとか、資源が欲しいっていう理由だけではなく、「帝国主義反対、人種差別反対」を戦いの目的にしていました。

このような高尚な「大義」を掲げた大東亜戦争に並ぶものとしては「奴隷制度廃止」をかけて戦った米国の南北戦争を思い出すくらいです。
(私は歴史に詳しくないため、同様な「大義」をかけた戦争が他にもあるかもしれませんが・・)

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日本の未来が良くなるように、と太平洋上の島で玉砕した日本兵たち、特攻機で爆弾かかえて突っ込んでいった若い人たちのことを知れば、「ちょっとした小争い」なんて、私は言えません。

>>こんな感じの立ち位置に過ぎない、ちょっとした小争いですよね?

日本の左翼、沖縄で基地反対を言っている方、原発反対を主張している方といった現実が見ていない人、もしくは、「死んでしまえば、無だよ。結局、人間の人生なんて意味ないじゃん!」と考えている方からの立ち位置であれば、そんな意見もあるかもしれませんね。

日本が戦った「大東亜戦争」(日本を占領支配したGHQは、「大東亜戦争」という言い方を禁止し、「太平洋戦争」とすることを命令しました)は、自国領土を拡張するためとか、資源...続きを読む

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

> 韓国、北朝鮮の人々の心情を、ある程度、代表しえる回答を希望します。

全くこの条件が分かりません。

> 当時の大韓帝国国民は大勢として、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が軽く、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が重いと考えていましたか。

国民をどの層と考えているのかは存じません。
日清戦争当時、朝鮮は清の属国です。王を中心とした一派は清にすり寄りますが、失政により、最終的に甲午農民戦争という内乱になります。この時の処理の対立が日清戦争の引き金です。
日清戦争では、国王を中心とした一派は清にすり寄りますが、朝鮮という国自体は日本側に立ちます。これは、朝鮮内部の勢力争いの中で、この当時は親日的な勢力が優勢であったということを示しています。

日露戦争当時も国王を中心とした一派はロシアにすり寄りますが、様々な失政のため、国王は数度の暗殺未遂事件を起こされるほどに権威がなく、知識人階級の大部分は一進会に代表される親日的な路線でした。

この流れは、開化派から独立協会、一進会の系譜の中で一貫しています。
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したがって、知識人に関していえば、
日本のほうが、国王・清・露よりも苦難が軽いと考えていたといえるでしょう。

> 韓国、北朝鮮の人々の心情を、ある程度、代表しえる回答を希望します。

全くこの条件が分かりません。

> 当時の大韓帝国国民は大勢として、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が軽く、どの国の勢力下に入ることが最も苦難が重いと考えていましたか。

国民をどの層と考えているのかは存じません。
日清戦争当時、朝鮮は清の属国です。王を中心とした一派は清にすり寄りますが、失政により、最終的に甲午農民戦争という内乱になります。この時の処理の対立が日清戦争の引き金です。
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Q第一次世界大戦時のオーストリアとフランツ・ヨーゼフ1世について質問です。

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Aベストアンサー

第一次世界大戦は、参戦した全ての国にとって「予想外」に発生した戦争です。
例えば、普仏戦争なんかでは、プロイセン(というかビスマルクかな)が、フランスとの戦争をしたがっていた(戦争を始める大義名分を探していた)わけです。
これに対して、第一次世界大戦は、1914年時点で、戦争をしたいと思っていた(戦争の機会を伺っていた)国は一つもありませんでした。

「なぜ第一次世界大戦が発生したのか?」、というのは歴史学上の大きな謎といってよいものでして、いまだに決まった学説はありません。
起こったことだけを単純に後から見れば、
・主に鉄道網などで決まる兵力動員にかかる物理的な時間などの要因で決まっていた、各国の軍の兵力動員計画が、互いに矛盾した状態になっていて、全ての国で動員計画が同時に実行されると、結果的に、戦争を「自動的に引き起こす」ようになっていた
ということですかね。この意味で第一次世界大戦を「時計仕掛けの戦争」なんて言ったりすることもあります。

とはいっても、普通は、各国の動員計画が互いに矛盾していたからって、それが本当に戦争につながるなんてことはないはずなんですが、第一次世界大戦の時には、さらに、各国の政治家が、相手国の政治家の意図を互いに誤解する、というアンラッキーも重なりました。

>オーストリアはセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦へと突入

と書いていますが、オーストリアはセルビアに宣戦布告しただけであって、第一次世界大戦なんてものを引き起こすつもりは全くありませんでした。
サラエボ事件は、第一次世界大戦勃発の「きっかけ」ではありますが、「原因」ではありません。

他の参戦国(ドイツ、ロシア、イギリス、フランスなど)にしても、オーストリアがセルビアに宣戦布告をしたからといって、自国とは基本的には何の関係もないわけで、めぐりめぐって結果的にに自国が他の列強相手に全面戦争に巻き込まれる、なんてことを想定していた国は一つもありませんでした。

第一次世界大戦は、参戦した全ての国にとって「予想外」に発生した戦争です。
例えば、普仏戦争なんかでは、プロイセン(というかビスマルクかな)が、フランスとの戦争をしたがっていた(戦争を始める大義名分を探していた)わけです。
これに対して、第一次世界大戦は、1914年時点で、戦争をしたいと思っていた(戦争の機会を伺っていた)国は一つもありませんでした。

「なぜ第一次世界大戦が発生したのか?」、というのは歴史学上の大きな謎といってよいものでして、いまだに決まった学説はありません。
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Q第一次世界大戦時の中東戦線関連の質問です。

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Aベストアンサー

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Q第一次世界大戦は当初何と呼ばれていたのでしょうか?

「第一次世界大戦」というのは、第二次世界大戦が起きてからの呼び方だと思います。それ以前は何と呼ばれていたのでしょうか?

Aベストアンサー

身に回りの史料等、探してみました。
明治大正時代の雑誌・・・『風俗画報』では対ドイツ宣戦布告に際し、数号に渡って「欧州戦乱号」を特集しています。
(アダルトの風俗ではなく大衆風俗の意味の風俗です。念のため)

宣戦布告に際し天皇の詔勅には
「朕ハ深ク現時欧洲戦乱ノ殃禍ヲ憂イ」
帝国議会開院の勅語にも
「欧洲戦乱ノ殃禍今ヤ東洋ニ波及シ」
と、欧州戦乱という表現を用いています。
日本が参戦する以前の時点では「欧州戦乱」という事でしょうか。

日本も参戦し、終結後・・・
直後の史料がなくどういった表現をされていたかは
わかりませんが、少し下って昭和に入り九年発行の三省堂の教科書用歴史地図には
「世界大戦」と表記されていました。
ご参考までに

Q小学生のころから歴史が好きで、今まで 戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦

小学生のころから歴史が好きで、今まで
戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦と
勉強をしてきました、ほかに何か良さそうなものありますか?

高2です。

Aベストアンサー

必ずしも歴史書が歴史の真実を記しているとは限らない。それに、歴史書は必ずしも面白くない。面白く無ければ人間は読むのをやめてしまう。

そこで私が推薦するのは、パール・バックの「大地」だ。中古で千円以下で手に入るようだ。第一巻だけでも読むと良い。あなたの人生が変わる。とてつもない価値の有る本だ。ピューリッツァ賞と、ノーベル賞を取っただけの事はある。

Qなぜ日本は第一次世界大戦に参戦したんですか?

なぜ日本は第一次世界大戦に参戦したんですか?

Aベストアンサー

第一次世界大戦は、オーストリア皇太子が殺害されたサラエボ事件を発端に

起きました。

ドイツ、イタリア、オーストリアからなる同盟国と、

イギリス、フランス、ロシアからなる連合国との戦いです。

1902年にイギリスと日本が結んだ日英同盟が日本が参戦した理由です。

この日英同盟は、同盟国であるイギリスが1ヶ国と戦争した場合、日本は中立を守り、

イギリスが2ヶ国と戦争した場合は、日本はイギリスを支持するという内容でしたから

参戦したのです。

が主戦場はヨーロッパでしたが、日本はヨーロッパに参戦した訳でなく、イギリスの敵に

なるドイツの東洋艦隊の基地であった青島と膠州湾を攻撃し、その後青島を支配下に

置いた、、という戦争です。

Q日露戦争後の日露関係。

1905年9月 ポーツマス条約調印。
1907年7月には、第一次日露協約。

日本は、戦死傷者約20万人、戦費17億円?を費やし、国民の不満は爆発して日比谷焼き打ち事件も起きています。
それなのになぜ、戦後2年間ほど経つと日露両国は、協約を結ぶほどの関係ができたのですか。
何が両国に協約を結ばせたのですか。
仲直りするには早ければ早いほどよいに決まっている、と思っていますがすっきりしません。
なお、1916年2月2日の読売新聞には、「露から続々と軍器の注文があって、砲兵工廠では昼夜の分かちなく大多忙を極めている…」とあります。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

主戦場が中国だったので、双方の国民に悪い感情が残らなかったのでは、と思います


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