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30数年前の記憶なんですが・・・・

高校の漢文の授業で、中国の故事に”昨日まで無事だったから、今後も無事であるということにはならない”というような意味を習いました。

このような意味の漢文・漢語・4文字熟語(?)等、お分かりになる方、お願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

こんにちは。

No.2、No.3、No.5です。
大変申し訳ありませんが二分割になります^^;

> 子供達あるいは部下へ、”考えも無しに今までのやり方を踏襲”仕様としたときは、多少説教の意味も込めて

質問者様のおっしゃるニュアンスは、以下の二例のように受け止めました。特に一つ目のはお求めの故事そのものではないのかなという気がいたします。いかがでしょうか^^
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・「舟に刻して剣を求む」
舟の上から川の中に剣を落とした者が、舟の流れ動くことを考えず、落ちた位置の印を舟ばたにつけて、岸についてから印の下を探そうとしたという「呂氏春秋―慎大覧・察今」の故事から、時勢の移ることを知らず、いたずらに古いしきたりを守ることのたとえ。「船端に刻を付けて刀を尋ねる」「剣を落として船を刻む」「刻舟(こくしゅう)」とも。故事ことわざの辞典より

・「安じ置きには利無し」
あまり前から考えておいたことは、その場になって役に立たない。臨機応変がたいせつという意。「安じ置きには利なし 用不立言也」『譬喩尽―六』
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他にも、今回は日本のことわざも視野に入れて探してみました。若干意味合いが違うところもありますが、上記故事に行き着くまでにすでに探していたものですから、せっかくですのでそれらも列挙いたします^^

・「明日ありと思う心の仇桜」『親鸞上人絵詞』
明日もまだ咲いているだろうと思っていても、気まぐれな風が吹き荒れれば、桜の花は一夜のうちに散ってしまう。明日があると思っていると、せっかくの機会を失ってしまうことのたとえ。 以下、ことわざ成句使い方辞典より

・「酔生夢死」『明道先生行状記』北宋の儒学者 程頤(ていい)
有意義なことは何もしないで、ぼんやりと一生を終わること。

・「月に叢雲花に風」
好事にはとかく邪魔が入りやすく、よい状態は長続きしないことのたとえ。

・「今日は人の上、明日は我が身の上」
今日は他人の身の上に起こった災難も、明日は自分の身の上にふりかかってくるかもしれない。他人の災難をひとごとと思って見過ごしてはいけないという戒めの言葉。類句「今日の哀れは明日の我が身」

世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。
・「世の中は三日見ぬ間の桜かな」
・「有為転変は世の習い」
・「有為無常」
・「昨日の淵は今日の瀬」
・「滄海変じて桑田となる」

・「魚の釜中(ふちゅう)に遊ぶが如し」
《魚が煮られるのも知らず、かまの中で泳いでいることから》目の前の災いに気がつかず、安逸をむさぼるたとえ。「釜中の魚」とも。 以下、故事ことわざの辞典より

「相聚偸生、若魚遊釜中、喘息須臾間耳」『後漢書―張綱伝』
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この回答へのお礼

何度も何度も申し訳ありません。

趣旨としては、・「舟に刻して剣を求む」・「安じ置きには利無し」だと思いますが、習った内容とはちょっと違う気がします。

専門に勉強されている方にこれだけ探していただいたのに見つからないのでは、私には探せないですね。でも非常に勉強になりました。
有難うございました。

お礼日時:2009/08/12 10:58

こんにちは。



この前のサイトから探してみました。あまり自信なしですが、これはいかがでしょうか^^

「一以貫之」(論語)
http://www.jyofukuji.com/10zengo/2007/05.htm
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

(参考)

冉求曰、「非不説子之道。力不足也。」子曰、「力不足者、中道而廃。今女画。」 (論語)
http://egoisticat.blog.drecom.jp/daily/200506/18

子曰、不憤不啓、不?不發、擧一隅而示之、不以三隅反、則吾不復也。
http://rodeo.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post …

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、
子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人
http://www5.airnet.ne.jp/tomy/koten/rongo/rongo_ …
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こんにちは^^何度もすみません^^;



高校漢文教科書に採用されている故事名が分からないかネット検索で調べてみたところ、国語総合教科書(10社、20種類)の内容を載せているサイトを見つけました。

ここにリンクを張ると連絡が必要とのことなので、お手数ですが、以下のキーワードで検索をお願いいたします^^;

キーワード『 全国漢文教育学会 データ 』
       ↓検索
『「国語総合」漢文教材リスト』

をクリックです。

今回の故事は三十数年前とのことですが、現在の内容もそう違わないかもしれないので一度ご覧になってみてください^^タイトルや原文を見れば何かヒントになるかもしれませんし^^

ただ、意味を調べようと思い、私がタイトルで検索した範囲ではヒットしない故事も多かったのですが、原文を読まれたら意味に関してのご記憶もすぐに蘇るのではないかと思いますので^^

もし蘇らなくてもタイトルに見当が付けば、あとは現代訳だけとなりますからぜひ確認してみてください^^
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こんにちは。



> 専門に勉強されている方にこれだけ探していただいたのに見つからないのでは、私には探せないですね。

お恥ずかしい限りですが、私は漢文に関しては全くの素人で、ことわざ辞典の類を数冊ただ所持しているだけにすぎず勘も働かないため、質問者様のご希望の故事になかなかたどり着けないのは本当に申し訳なく思っています。

高校の漢文教科書に載るくらいの故事でしたら、どこかには必ず載っているはずと思われるので、質問者様のご都合さえよければ、また、私などでよければ喜んでお手伝いさせていただきます^^

私の所有しております辞典類の中には採用項目数が四万三千項目のことわざ辞典もございます。これはキーワード検索のみで意味からは引くことができず、意味からの検索では他の辞典を頼らなければならないのですが、質問者様のお時間の許す限りこれらを駆使してこれからも探してみますので^^ただ期間的には少し長くなるかもしれませんが^^;

なお、原文などの記載については、正解となった時点でもう一度投稿しにまいりますのでよろしくお願いいたします^^


> ”昨日まで無事だったから、今後も無事であるということにはならない”

今回はこれに当てはまりそうな故事を探してきました。

・「流れを尽くして漁れば多くの魚を得と雖も明年魚無し、林を焚いて畋れば多くの獣を得と雖も明年獣無し」
沢の水を汲みつくして魚をとろうとすれば一匹残らずとることができよう。また林を焼き払って獣を捕らえようとすれば一頭残らず捕らえることができよう。しかし、その徹底したやり方のために明年は一匹の魚、一頭の獣をも得ることはできないだろう。徹底的な手段・方法で事を行えば一時的には成功するが、それだけのことで後が続かなくなるから、よく考えて事を行うべきだというたとえ。詐術や無謀な行為は一度はできても二度とはできない。また、戦争などで、徹底的な殲滅作戦はその場での効果はあろうとも人道上から見てよくないことだというたとえ。沢を竭して藪を焚く。『呂氏春秋―孝行覧・義賞』 故事・俗信ことわざ大辞典より

(参考)

・「伯楽の図を察して騏驥を市に求む」
《騏驥は足の早いすぐれた馬》伯楽の肖像を見ただけで、馬を見分ける能力を得たと思い、名馬を買いに町へ行く。物事の本質や実際の努力を忘れて、安易な方法に頼ることのたとえ。また、目的に比して方法が不十分であることのたとえ。『漢書―梅福伝』

・「遼東の豕」
昔、遼東の豚が頭の白い子を産んだ。珍しいことなのでこれをお上に献上しようとして河東にくると、そこの豚は皆白かったという「後漢書―朱浮伝」にみえる故事から、見識が狭いため、世間にありふれていることを知らず、自ら得意になっているさまをたとえていう。
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あの故事で合っている可能性が高いような気がしますので、故事の言い回しが若干違いますが、取りあえず成語林より引用しておきます。



・「舟に刻みて剣を求む」

《原文》楚人有渉江者。其剣自舟中墜於水。遽刻其舟曰、「是吾剣之所従墜」。舟止。従其所刻者、入水求之。舟已行矣、而剣不行。求剣若此、不亦惑乎。

《訓読》楚人に江を渉る者有り。其の剣舟中より水に墜つ。遽かに其の舟に刻みて曰く、「是れ吾が剣の従りて墜ちし所なり」と。舟止(とど)まる。其の刻みし所の者より、水に入りて之を求む。舟已に行けり、而も剣は行かず。剣を求むること此くの若きは、亦惑いならずや。

《訳》楚の国で川を渡る人がいた。その人の剣が舟から水中に落ちた。あわてて舟ばたに目じるしをきざみつけて「ここが私の剣の落ちた箇所だ」と言った。船が止まった。その目じるしをつけた舟ばたから水に入って剣を探したが、舟はすでに移動している。ところが剣は移動しない。剣を探すのにこんな方法では道理に合わないではないか。
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No.2、No.3、No.5、No.6です。



・「飽食暖衣逸居して教え無ければ禽獣に近し」
《「逸居」は、気楽に遊び暮らすこと》腹いっぱい食べ、ぬくぬくと着て安楽に生活していて、何も学ぶところがなければ、鳥やけものと変わらない。

「人之有道也、飽食煖衣、逸居而無教、則近於禽獣」『孟子―滕文公・上』

・「身温かなれば睡眠増し、身安んずれば懈怠起こる」
体が暖かになると眠気をもよおし、心に心配事がなくなれば怠け心が起きる。人間は安楽に甘んじていれば堕落するということ。

「温身増睡眠、安身起懈怠」『童子教』

・「憂患に生き、安楽に死す」
人は心痛の種のある時には緊張して生命を守ろうと努力するが、安楽にふけっていると心がゆるんで死におもむきやすくなる。

「入則無法家払士、出則無敵国外患者、国恒亡。然後知生於憂患、而死於安楽也」

〈訓読〉入りては則ち法家払士無く、出でては則ち敵国外患無き者は、国恒に亡ぶ。然る後に憂患に生きて、安楽に死するを知る。「払士(ふっし)」とは助ける士。『孟子―告子・下』

・「福重ねて至らず、禍必ず重ねて来たる」
よい事は油断しているとたちまち去って再び起こらない。悪い事は一度あると必ずまた起こるものだから、後日の備えを怠っていると、どうにもならないわざわいに見舞われてしまう。

「韓昭侯造作高門。屈宜咎曰、昭侯不出此門。曰、何也。曰、不時、吾所謂不時者、非時日也、人固有利不利、昭侯嘗利矣、不作高門、往年秦抜宜陽、明年大早民饑。不以此時恤民之急也、而顧反益奢、此所謂福不重至、禍必重来者也。高門成、昭侯卒、竟不出此門。」

〈訓読〉韓の昭侯高門を造作す。屈宜咎めて曰く、昭侯此の門を出でざらんと。曰く、何ぞやと。曰く、時ならず、吾のいわゆる時ならずとは、時日に非ざるなり、人固より利不利有り、昭侯嘗て利ありしに、高門を作らず、往年秦宜陽を抜き、明年大早ありて民饑う。此の時を以って民の急を恤まず、而して顧反って奢りを益す。此いわゆる福重ねて至らず、禍必ず重ねて来たる者なりと。高門成る、昭侯卒す、竟に此の門を出でず。「卒」は死ぬこと。『説苑―権謀』

・「宴安は酖毒」
《「宴安」は仕事をしないで遊び楽しむこと。「酖毒」は鴆(ちん)という毒鳥の羽を酒に浸したもの。猛毒である。》安逸をむさぼることは、毒薬のように身をほろぼすもとである。

「宴安酖毒、不可懐也」
〈訓読〉宴安は酖毒、懐うべからず。『春秋左伝―閔公元年』

・「敬、怠に勝てば則ち吉なり、怠、敬に勝てば則ち滅ぶ」
敬虔な心が怠慢の心よりまさっていればよいが、反対に怠慢の心が勝って敬虔な心がなくなると身を滅ぼす。

「敬勝怠則吉、怠勝敬則滅。計勝欲則従、欲勝計則凶」
〈訓読〉――。計欲に勝てば則ち従なり、欲計に勝てば則ち凶なり。『荀子―議兵』
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こんにちは。



これらはいかがでしょうか^^

・「亢竜の悔い有り」

《「亢竜(こうりょう)」は天空高く昇りつめた竜》いったん昇りつめてしまった竜には、それ以上昇れずに下るしかないという悔いがある。富貴、栄華をきわめつくしたとしても、それを永久に維持できるわけでもなく、以後は凋落の不安にさらされること。物事は盛りをきわめると必ず衰えることをたとえていう。
「上九亢竜有悔」『易経―乾』 故事・俗信ことわざ大辞典より

・「自ら伐る者は功なく、功成る者は堕たれ、名成る者は虧わる」『荘子―山木篇』
http://www.ncn-t.net/kunistok/3-1-roso-3-.htm
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この回答へのお礼

勝者必衰の理を表す・・・ってことですよね。

これもいい教訓ですが、ちょっと違いますね。すみません。

お礼日時:2009/08/12 10:54

「守株(株を守る)」でしょうか?


質問本文や回答番号No.1さんへのお礼にある文とは少しニュアンスが違うかもしれませんが……。

参考URL:http://kanbun.info/koji/shushu.html
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

趣旨はこの通りですね。
でも、習った内容とはちょっと違いました。

お礼日時:2009/08/12 10:52

No.2です。


これはいかがでしょうか^^

・「久安を恃むことなかれ、初難を憚ることなかれ」
┌─────────┐
母恃久安、母憚初難 『菜根譚』

「久安」は長く続いた幸せな状態、「初難」は最初にぶつかった困難。したがって、「今の幸せがいつまでも続くと思うな。最初の困難にくじけて逃げ腰になるな」といった意味になろう。

幸せな状態が長く続くと、ついそれになれて幸せがいつまでも続くものだと思うようになる。その結果、不幸に見舞われると、とたんに取り乱してしまう。そうならないためには、普段から抵抗力を養い、物心両面の備えを怠ってはならない。

中国古典一日一言(PHP文庫1987年)より引用
└─────────┘

・「飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな」
┌─────────┐
飽食終日、無所用心、難矣 『論語』

「飲んで食べてごろごろして、さっぱり頭を使わない連中はまったく困ったものだ」孔子はこう語ったあとで、さらに、次の一句をつけ加えている。「博奕なるものあらずや、これをなすはなお巳むに賢せり」

博奕というのは、広い意味での博打である。現代でいえばマージャン、パチンコといったところかもしれない。何もしないでごろごろしているよりは、そんなことでもやっているほうがまだましだ、というのである。たとえそれがなんであれ、やる気を出し頭を使っていれば、そこに人間としての成長があり進歩がある。ごろごろしてやる気のない人間には成長も進歩もない。孔子の言いたかったのはこれであろう。

中国古典一日一言(PHP文庫1987年)より引用
└─────────┘

・「禍福は糾える縄の如し」『史記』
人間の幸不幸は、縄をより合わせたように表裏をなしているものだというたとえ。

今回の一つ目や先程のもそうですが、『菜根譚』という書物にこんな感じの故事が多そうですね^^

私が所有しております故事・ことわざの辞典などでも調べてみますので、検索を容易にする意味で、質問者様が記憶されているキーワード(今回の故事でいうと、「久安」「恃む」「初難」「憚る」など)でも何かございましたら(どんなヒントでも構いません)お知らせください。その他、その漢文の意を端的にひと言で言い表す言葉(たとえば、「人生」「苦難」など)などもございましたら是非お願いいたします^^
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この回答へのお礼

出かけていたので、お礼が遅れました。

いくつも引用いただき、ありがとうございました。
しかし、残念ながらはやり違うようです。

いかんせん30年以上も前の事なので、キーワードは失念しております。
意味・内容はNo.1のお礼で書かせていただいた通りなのですが、この教訓はその当時、本心から”その通り”と思ったので、その後今に至るまで肝に銘じている次第です。

子供達あるいは部下へ、”考えも無しに今までのやり方を踏襲”仕様としたときは、多少説教の意味も込めて意味はちゃんと説明でき、相手も理解するのですが、出典がはっきりすれば、もっと正確に伝えられると思い、自力で探したのですが・・・・・・

お礼日時:2009/08/11 12:47

こんにちは。


次の故事はいかがでしょうか^^


「欹器は満つるを以って覆る」

欹器以満覆

欹器(いき)とは水を入れる器のことで、水が空っぽのときは傾き、半分ほど入れるとまっすぐ立ち、満杯にするとひっくりかえるという。別名、「宥坐の器」とも呼ばれている。

『荀子』宥座篇に次のような話がある。

あるとき、孔子が魯の国の宗廟を参観した際、この「欹器」に目をとめ、ためしに、弟子に命じて水を注がせてみた。すると、満杯にしたとたん、たちまちひっくり返った。それを見て孔子は、「ああ安んぞ満ちて覆らざるものあらんや」と慨嘆したといわれる。

言うまでもなく、満ち足りた境遇にある者を戒めたことばに他ならない。『菜根譚』もこのことばに続いて、「君子もまた満ち足りた状態を求めてはならない」と警告している。そんな状態にあれば、誰でも向上心に欠け、進歩がとまってしまうからであろう。

中国古典一日一言(PHP文庫1987年)より引用
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この回答へのお礼

情報ありがとうございました。

残念ながら、この故事もちょっと違います。

しかしながら、こうやって中国の故事を見ていると、”教訓”になるものが多いですね。あっ、もしかしたら、中国に限らず、日本の故事も再度見直してみようかな?



皆さん、もう少しアドバイスいただけると助かります。
(自力ではどうしても発見できないので・・・・・)

お礼日時:2009/08/07 14:20

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