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ここでお聞きする内容か分りませんが、質問いたします。

もうじき、今の職場で解雇になる予定です。

前に別のところで同じ状況になった時に、
ある熟年のOBの方に、「自分を捨てる」ということをしなさい、と言われました。
私は、この意味がよく分りません。

勝手に解釈しているのは、自分が哀れだとか、そういった自分がかわいいと思っていることからくる感情を捨てなさい、ということ?というようなことです。

この「自分を捨てる」とは、詳しくわりませんが仏教でいわれているような、無になる、というようなことなのでしょうか? どこからきているのでしょう。
また、一般的に言われていることなのでしょうか?

また過去のような状況になり、この言葉が救いになればと思っています。

A 回答 (10件)

我のことでしょう。


つまり、自分が強いと我が強いということでしょう。それはエゴと通じます。
 わがままとも通じます。
 我と我がぶつかれば喧嘩になると知りましょう。
 我をすてて自分の意見をすてて、うまくいったということを聞きますが、自己主張が強いと、周囲が見えなくなり、忠告も聞けなかったり、客観から見れば、失敗しそうなことでも、我が強いとそれも見えなくなって失敗をするということがあるんでしょう。
 人はいろんな関係性のクモの巣の中心にいますが、その関係性の先にはもっと複雑な関係性がつながってますが、自分からはそれが見えていないということでしょう。
 ですから、我を捨てるとうまくいくよといってるんでしょう。
 
 具体的にいえば、バイトはサボることを考え、経営者は人を動かすことを考える。また経営者は、儲かるようにお客の喜ぶように仕事を変えていく。その指示に、バイトは何でこんなことやるんだという。説明されてないからわからないのでしょうか。また経営者は、自分の考えではなく、お客の考えに合わせれば、そこに自分の考えは入りません。
 たとえば10人従業員が必要だが、みんな気に食わないから解雇すれば、結局自分がすべてを背負う。しかし体は1つ。そういう状況なら、自分を捨てるということになるのではないでしょうか。
 これはたとえ話ですが。
 必要だからやるのであって、好きでやってるんじゃないということにも通じるのではないでしょうか?
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「自分を捨てる」=「プライドを捨てろ」ということじゃないですか?

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 自分はそろそろ熟年の入口にいます。

また現在の職場に満足しており、解雇される予定もありません。その分は、割り引いて読んで下さい。

 文面を読む限りですが、前回も今回も、解雇されても派遣労働者のようには暮らしには困らない、という印象を受けました。この前提で書きます。

 「自分を捨てる」ですが、「能動的に考え方を変えれば、別の生き方も見えてくる」程度の意味に取れました。言葉自体は、仏教思想から来ていると思いますが、受動的ではなく、能動的に(納得して)です。

 自分は「管理職になったら、この会社を辞める」と、部長と取り締まり役の前で言い切った事があります。中年もかなりの古株になった時期に、全くの別業界へ転職した経験もあります。我田引水で言うと、会社における立身出世も、年収アップも望まないという意味で、これも一つの自分の捨て方だと思います(管理職になると、年収ダウンするのが現実ですが)。
 このような性格のおかげで、チームに入った新入社員は、10日もすれば私とタメ口ですが、気にもなりません。自分で納得しているせいだと思います。

 ものすごく卑近で矮小な例だとは思いますが、現実はこんな処ではないかと思いました。
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この事を明確に書くという事になると、仏教では3,00巻もある経典になってしまいます。

キリスト教では聖書の厚みになります。ですから、書きつくしたり、分からせる事は出来ないと思いますが、一応書いてみます。

自分を捨てるという事の前提があります。自分には二つの人格があるという意味です。仏教なら「自我意識」と「仏性」という二つです。キリスト教なら「私」と「神」という事になります。

人間の苦しみとは心の苦しみの事を言う場合が多いと思います。この苦しみとは心の矛盾や、対立という事になります。是が宗教の元になっています。自我意識が漠然とした不安に悩まされるという事です。

言い方を変えたなら、得体のしれない不安感に襲われるという事です。是は、キリスト教的に言うならば、全て「罪悪感」という事になります。生きてゆくことが罪の意識でさいなまれるという意味になります。仏教ならば「業」という事になります。

いまの時代では「鬱」という事になります、或いは神経症、自律神経失調症、或いはいまの医学では治り難いと言われている過敏性腸症候群等にもその事が関係しています。

人間には二つの人格があるという事は、1981年のドジャ、ースペリー博士のノーベル賞受賞となった「分離脳」の研究成果です。左脳の人格は自我意識の事です。言語を持っていて、論理的に解釈する機能の事です。生まれてからの記憶や、学んだ事で判断する機能の事です。

もう一つの人格は無意識や、潜在意識を統率している意識です。体や心の調節もしています。ホルモンなどの分泌や、びっくりした時には心臓の脈拍までも自在に変える事が出来ます。命そのものを働かせている存在ともいえます。動物が固有の情報を持っていて、クモが巣を作る、亀や鮭が生まれた処を教えられなくとも「既に」知っている事と関係しています。

人間にも当然命そのものの働きを司どっている者が存在しています。是が右脳の人格と言えます。生まれる前の記憶を持っている者とも言えます。生まれてから、誰にも教えられなくとも乳を飲む事を知っていたり、不安や安心というものを知っています。

人間の活動は、起きている時には、自我意識が働いているのは約15パーセントというアメリカの研究成果が有ります。残りの85パーセントは自我意識が関与していない事になります。

この事が関係して来ます。聖書では天国という言葉で言い表されています。心が平安という意味になりますが、「天国に一番近い存在は、幼子」という風に書いてあります。是は、脳の機能分化が未発達という意味になります。

天国から追放されたという意味は「脳の機能分化が完成に近くなった」という意味になります。分別心を起こす脳が完成に近くなったという事です。今までは「心は一つ」として働いていたところが、二つになって争い始めるという意味になります。

中二病という言葉が有りますが、この頃が機能分化がほぼ完成に近くなる頃です。昔から宗教家が「無常を感じて」出家をしたいと思う頃の事です。

長くなりそうですのでこの辺で結論を書いてみます。自我意識が自分自身の働きが分かったと言う事を「悟りが開いた」と言います。キリスト教なら「神に在って和解した」という事になります。漠然とした不安は、もう一つの自分の意識が加えて圧迫であったと知るという事です。

それからは自我意識が「従」でもう一つの意識が主人になったという事になります。もう一つの意識の主人公は「無功徳」で生きています。期待しないで生きているという事になります。

貴方に言うならば期待する心は置いておいて、とにかく我を忘れて、自分の為ではなく、上司やお客様の事を優先にして、その事だけに重点を置いて働きなさい。という事になるかと思います。

自分を捨てるという事は、自分の利益や期待を捨ててという意味になると思います。その時に貴方の評価は格段と上がるはずです。何事も自分の為にやっている時には評価が低くなって、生きる意味さえも見失ってゆく気がします。
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確かに受け止め方が難しい表現ですね。


OBの方の真意はわかりませんが。

自分なりの解釈で申し上げると
「今まで」の自分の「我執」を捨てろということかな。と。

今までしがみついていた価値観や自己評価やその他もろもろのものを一旦、
リセットして、新たな自己 を 新たなフィールドで構築していったらいいよ!という
前向きなアドバイスに捉えたらいいのではないかと思います。

仏教の「無」という思想は賛否両論あるかと思いますし、この欲望のうずまく社会で
「無」となるのは、ある意味 欲望があって当然である本来の人間の生を否定するもののように思えて
人生の実態や確実に存在する現実を無視ししてそこに 色即是空=すべて「空」だの「絶対的虚無」を持ち出し、
悲観的ペシミズムから逃れるために、そこまでして心の平安を得るなんて、ナンセンスだと思いますから。
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どんな人間でも、否定されなくて済むようなまともな人間はいません。


何度も何度も言われなき否定を受けてこそ、ほんのちょっとだけまともな人間の仲間入りができるというわけです。
かといって、人間は自分で自分を否定することはできません。
自分で自分を否定するような自己否定は自己否定になりませんからね・・・
そこで、何が自分を否定してくれるかと言えば、上司であったり、環境であったり、奥さんであったりするわけです。
あなたの場合、職場にいれなくなったわけですから、環境からの否定ということになります。
あなたが、もしその職場が本当に愛する職場だったなら、その職場を離れることがどれほど辛いことでしょうか?
そんな時に使う言葉が「捨てろ!」です。
自分からもうこんな職場は辞めてやると思っていたのなら、そこで捨てても自己否定にはなりませんよね?
その場合は、職場から逃げたいわけですから、逃げずに留まることが自己否定になりますよね?
つまり、「捨てる」とは自分を否定するために、自分の情を逆に勝利するということになります。
しがみつこうとするものは、手放し、手放したいものは、愛着を持て・・・
応用すれば、悲しい時には喜び、嬉しい時には悲しむ・・・
心が小さい時には大きく、大きい時には小さく・・・
自分の思い(=情)の逆を掴み取るということです。
その時に、否定されなければならない嘘の自分を消し去り、隠されていた本当の自分、まともな自分に戻ることができるのです。
そう考えれば、肯定されてばかりいる人がいたら、いつまでも否定されず、本当の自分に戻れないかわいそうな人だということになります。
否定された時に湧き起こる情をその情のままにではなく、正反対の情で乗り越えようとする時、人は情を正しく成長させることができるのです。
悲しいことを悲しいだけで終わるのなら、誰でもができるのです。
悲しみを結婚式の喜び以上の喜びとして、賢明に転換できるなら、それが知恵あるものの乗り越え方になるのです。
バカや愚か者ではありません。真に知恵ある者は、逆の真理に気付ける者なのです。心の努力で!!
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 多分、仏教思想から出た言葉だと思います。


 「自分を捨てる」
 ちょっと気の利いた、洒落た言葉なので知識人たちが広めたのでしょう。

 修行僧は修行の為に都会を捨てて山にこもり修行します。
 都会は人間の欲望を刺激しすぎて、修行できないから。

 そうして修行しているうちに、仏(ほとけ)の世界に我が心を遊ばせようとするならば、‘自我’から離れなければならない、と気がついて、そこから「自分を捨てる」という言葉を思いついたのでしょう。

 でも無理をする事はありません。
 我々は世捨て人ではないのです。
 我々は、この欲望が渦巻く社会の一員として、自分の為、家族のため、社会のために働いているのです。

 この我々が、自分を捨てたら何が残りますか。この荒波の社会で生きていけますか。

 この社会で生きるなら「自分」は捨てるものではなく育てるもの、という受け止め方のほうが適当かと思います。

 「自分を捨てる」が、「自分を生かす」と同じ意味に受け止められるのなら、そのOBの助言は適格だと思いますが、そうでなければかえって迷ってしまう言葉ですね。

 我を張るな、ということでしょう。
 
 そのうち無心になるなんて言葉も、関連させながら理解が深まってくると思います。

 ちなみに、無心は‘夢中’に近い言葉ではないかなんて、思っています。
 夢中に何かやっている時って、“我”も“時間”も忘れてますよね。
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もし「自分を捨てるということをしなさい」が、



>自分が哀れだとか、そういった自分がかわいいと思っていることからくる感情を捨てなさい

という意味だとしたら、それはこう言う意味です。「あなたは無意識的な歯車として社会で働いて行きなさい。自分で考えたりしちゃだめ。社会において無意識的に、金を奪い合い結果として助け合う経済奴隷として生きなさい」ていう。

これは、自然科学から言える「アリ型進化」という社会進化の指向です。
つまり、自発的に人間らしく考えず、アリやハチのように他律的に活動するしかないよ、ていう。アリやハチは遺伝子のプログラムにより個体は反射的に動く。同じく現代人も「お金のために働く」というように、個体は自発的に労働するわけではなく、お金(=遺伝子)に操られて活動する。

人間は本来、自律的(自発的)な生物で、3千年かけて本来の「ヒト型進化」から先に述べた「アリ型進化」に移行途中なのです。これは事実です。誰も気付かぬまま進んでいます。

もし「ヒト型進化」=自律的社会化に興味がある場合は、原始共産制である「家族」を見ること。無償で助け合ってますよね?(共産主義と間違わぬように)、そして「国民総幸福量」で有名なブータン王国や、「国民の生活満足度」で有名なデンマークなどを研究するだけで、いかに我が国が「助け合い」を損なっているか解りますよ。

デンマークの生活保障を本屋さんで読んでみましょう。
気持ちが楽になります。決して日本がスタンダードではない。日本にいるからって日本の低レベルな保障制度などを「あえて使ってやるか」ぐらいの「自発的(自律的)な気持ち」(=自分を捨てるな)で生きてください。私も2度も失業してますので、痛いほどわかります。

当然ですが「会社都合の解雇」ですから失業保険もすぐに出ますし、生活はひとまず、、、でしょう。悲惨なのは(よほどの国家資格がない限り)次の職場の給料はおそらく15万円とかになりますから、まぁ笑うしかないでしょう。生きているだけでいいじゃないですか。

人間という生物は「生きるために生きている」のですから。(それとも昇給や出世や貯金のために、あなたは生きてきたのですか?)
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直接その方の話を聞いたわけではないので推測にすぎませんが



意味がわからないことを聞かされて、その場で質問しなかった点が気になります。
OBが適当なことを言ってると思って聞き流すという判断もありですが、ここで質問しているということは意味があると思ってらっしゃることですしね。

>その会社では、朝から終電まで、休日も働いていました。

ここまでの話から受けるイメージは、いい子と思われたい願望が強いのかなというものです。

企業サイドに偏って考えると、企業はいい子が欲しいのであって、いい子と思われたい人間は欲しくないでしょう。
具体的には、滅私奉公を基本としながら体調管理や質問、自己主張を巧くできる人材を望んでいると思います。無茶な要求ですが・・・

まあ、とにかく「いい子像」の更新が必要という意味で「自分を捨てる」ことが必要かもしれません。
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意味は色々考えられますね。


1つは、自分のやり方を捨てろという意味。
仕事のやり方で同僚や上司と言い合いになるような人は困りますよね。
仕事を勝手に自己流でやってしまう人も困ったものです。

2つ目は、自分の時間(プライベート)を捨てろ、という意味。
会社が忙しい時になのに、デートの約束や自分の趣味を優先させて平気で早く帰ってしまう人。
このような人は同僚や上司に嫌われますよね。

3つ目は、会社に忠誠を誓え、という意味。自分のためでなく会社のために生きろ、ということ。
戦時中は兵隊さんが自分を捨ててお国のために戦いました。

熟年の方なら3の意味で言っているのかも知れません。
いずれにせよ、あなたは会社よりも自分のことを優先しすぎたのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとございます。

1について:
その方は、その会社を退いてからだいぶ経っていましたので、直接仕事上では関わり合いはない方でした。
ですので、私がどんな仕事ぶりだったか、私のやり方等、知りません。
ですので1は考えらないかと思われます。

2について:
その会社では、朝から終電まで、休日も働いていました。
自分の時間は帰宅後2時間ぐらい? 寝る支度で終わりました。
これは、その人は想像で分っていたことかと思います。

3について:
これが近いような・・・。
戦争中のことが例だと、時代が違うので、ニュアンスが微妙ですが、
自分のため(キャリアアップ・自己実現)というより、仕事を会社が繁盛するために行うこと、と考えれば、自分の立場優先で考えることも抑えられますね。

1~3は、予想外に現実的な例を出していただいたように思います。
例のOBの方は、もっと抽象的な精神の在り方を言っているのだと思いました。
(ということで、ここで質問した次第です。)

お礼日時:2010/01/09 18:31

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