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ディベートの必修化?

ある雑誌で、
数年前、全国高校ディベート大会(正式名称は忘れました)で
優勝したという大学生が、
「ディベートを義務教育で必修にすべき」と訴えていました。

・小論文や弁論は、主張が一方通行だからダメ
・それに比べてディベートは、相手と向き合いながら生で主張するから良い。
・更にディベートは、相手の立場に立ってものを考える習慣が身に付くから良い。

私は、特に3番目の主張が納得できません。

相手の立場になってものを考える事自体は、とても重要だと思います。
しかし、ディベートで培われる「相手の立場に立ってものを考える習慣」は、
例えば、将棋などでいう相手の次手を読む習慣、
どちらかと言うと、相手に対し先手を打って、勝つ為の習慣です。

私が義務教育(つまり子供のうちに)で培うべき
「相手の立場に立ってものを考える習慣」は、
相手と歓びや悲しみを共有する、思いやりのようなものだと思うのです。
ディベートで培われる「相手の立場に立ってものを考える習慣」は、
それとはやや異質なものなので、少し違和感を感じる次第です。

勿論ディベート自体は、やりたい人は大いにやって良いと思うのですが、
この学生が言うような理由で、義務教育で必修にすべきだというのは、
皆さんはどう思われますか?

因みに哲学者で大阪大学総長の鷲田清一氏は、
「多文化共生」に不可欠なのは「対話」であり、
「ディベートではなく、ダイアローグとしての対話が必要だ。」
と主張されています。

A 回答 (5件)

ディベートを私はやったことがありませんが、どうも”自分が本当に正しいと考えていないことでも


それを正しいことだと屁理屈を付けて、相手を言い負かす技術”を身に付けることを目的としている気がしています。自分の意見を論理的に表現し、相手に伝えることは極めて大事なことでしょう、屁理屈ではなくて。そのような教育は必要でしょう。日本の教育では従来から、自分の意見を纏めて発表することを教えていなかった気がします。何でもかんでも相手を言い負かすことを学ぶことは変ですね。

この回答への補足

この方のご意見に100%賛成というわけではありませんが、
あえてBAにさせていただきます。

補足日時:2010/04/25 14:44
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/04/25 14:41

おもしろいんじゃないですかね?


しゃべる訓練は確かにスルーされてる領域だと思うし、
相手の言ってることも聞きとって理解して、それでやっとディベートになるので。
そこで急に「言い負かす」ことを懸念しなくても良いと思います。
「勝ち負け」があるからダメだとか言い出したら、体育の授業で「勝ち負け」が起きる内容のものは大部分やめなきゃいけなくなる。
スポーツはルールに則ってやるものなので、反則で勝とうとしたっ認められないわけです。
ディベートも、会話にもルールがある、っていう意識を養う意味が大きいと思うし、
その日本一の学生が言いたいのも大体そういうことではないでしょうか。

この回答への補足

ありがとうございます。
参考になります。

>「勝ち負け」があるからダメ
=とは申しておりません。

>ディベートも、会話にもルールがある
=わざわざ義務教育で必修にして教えるほどのことでしょうか?

勿論ディベートそのものを否定するつもりはありません。
しかし、ディベートによる「相手の立場に立つ」習慣が、子どもの人格形成上、本当に良いものか疑問に思います。

補足日時:2010/04/23 20:22
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息子が8年前、思春期に突入した頃に、小学校の授業でディベートをやり、私も見学しましたが、その世代は今「KYを嫌う」消極世代に育っているわけなので、ディベートをやったからといって、即、社会性を欠くほど、先手を打って勝とうとしたり理屈っぽくなるとは到底思えません。

結局、ディベートを学習しようがしまいが、先手を打って勝とうとする子は受験戦争過熱化の時代から大勢いましたし、人の前に出られない子はKY嫌いの時代にもいます。したがって私は必修化に賛成でも反対でもないし、事実上、すでに必修同然になっているとも感じます。

ただ、逆に聞きましょう。「相手の立場に立ってものを考える習慣」は、今まで小中学生たちに教えてこなかったのでしょうか。うまく伝わったかは別として、学校でも家庭でも十二分に教えてきたはずです。なのに、某ウェブサイトでは偏見に満ち満ちた不毛なケンカが日々繰り広げられているし、一方では、強い立場の側にやりこめられて身内を守れない要人は少なくありません。それが教育のせいだとは言いません。しかし、これだけ世の中に「議論」が溢れているわりには、「議論の教育」というものを、結局、ほとんどきちんとしてきていないのです。

ここで本題に戻ります。くだんの学生がやろうと訴えているのは「ディベートそのもの」ではなく「ディベートの学習」なわけですよね。つまり、授業でディベートを学習する過程で、教師や保護者が指導することによって、「暴走なき議論」「建設的な議論」というものを導く練習をさせるのです。

実際、息子が小学校でやった授業では、日頃の彼らが悶々と抱いているとある不満についてディベートしました。その過程で彼らは先生の指導のもと、不満を単なる怒りとして爆発させるのではなく、整理した論理として表現するすべを学んでいたように感じます。さらにその過程で、自分たちの怒りの根拠のなさや展望の甘さに気づくわけです。また、本番では、不要な怒りを煽らないよう相手の意見を尊重することも実践できていましたし、最後には握手で終えました。それでも拭えなかった閉鎖的な物の考え方に関しては、見学していた保護者が最後に意見を伝えることもできました。少なくともあの授業では最終的に、「互いの意見は相いれないが共生はできる」という結論を導き出せたのではないかと思います。

というわけで、これまで対話の授業をしてきたのなら、ディベートの授業だって、とりあえずどこかの段階で体験させてやっておいてもいいじゃないか、というのが私の意見です。どのみち放っておけば、思春期には理屈っぽくなるものなのだから、その理屈っぽさをプラスに替える授業はあって当然なような気はします。ただしもちろん、指導する側も、きちんとした指導をする必要があります。

この回答への補足

ありがとうございます。
参考になります。

件の大学生の意見より説得力があるかもしれません。

補足日時:2010/04/23 20:41
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義務教育にしなくても、私は小学校・中学校と授業で何度かディーベートをしていましたが


今の学校ではやらないんでしょうかね?

私は「ディベートで相手の立場に立ってものを考える」というのは、勝つための思考のみを述べているのではないと思いました。(その大学生の方がどういう考えを持って発言したのかは、質問文からでは分かりませんが…)
自分が小学生の時の話で恐縮ですが、1つのテーマに対し肯定側の意見を持った生徒でも教員がわざと否定側チームに振り分けられる事がよくありました。
これによりいかに「相手(自分の考えと異なる側)の立場になり、物事を考えるか」ということを学びました。

無理やりにでも逆の思考を受け入れ、メリットを述べ、自分が本当に思っている意見のデメリットを挙げていくのです。
勝ち・負けがある世界だからこそ子供の時には必死になりましたし、
その結果自分と逆の考え方にも納得させられたり物事を新しい見方で観察出来ることもありました。

つまりその大学生は「異なる意見にも目を向け、両方の立場から冷静に物事を見る機会を設けられる」という意味で必修にするべきだ、と言われたのではないでしょうか。

私個人としてはわざわざディベートを必修にして取り扱う必要は無いと感じますが、
どこかしらでたまにディベートをやるというのは、子供にとっては有意義なものになるのではと思っています。

この回答への補足

ありがとうございます。
参考になります。

経験者のご意見は貴重です。
確かにメリットもありますよね。

ただ、この大学生の3番目の意見は、やはりいまひとつ?なんですよ。

補足日時:2010/04/23 20:39
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ディベートを義務教育に取り入れたら理屈っぽい変な子供が増えそうですね。


某カルト集団の上〇と言う人もかなり理屈っぽかったですが、こんな風になるのでしょうね。
モンスターペアレントの卵を義務教育で育成するのでしょうか。

必修にはなりませんよ。
日本の風土に馴染みません。

一学生の主張と考えればよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仰るとおりですね。

お礼日時:2010/04/25 14:40

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