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父が亡くなりました。この悲しみを夫は分かってくれず冷たい・・・

初めて質問させていただきます。
小さな子持ち主婦です。

3週間ほど前に父を亡くしました。
これまで身辺整理などで忙しく気が張っていたため精神的にはもっていました。
(夜は毎日泣いていますが。)

最近、やっと落ち着いて父のことをあらためて考える時間ができるようになったため、自宅で泣いてしまうことが多くなりました。
(実家は自宅から割りと近くにありますが、実家にいるとき母の前では泣かないようにしています。)

また最近では精神的にまいってしまっているため、体調が思わしくなく横になることも多いです。

夫は家事などを負担してくれ協力的であることには大変感謝しているのですが、気が強く
「泣いてもお父さんは喜ばない」
「笑って生活することが供養になる」
という考えで、亡くなった直後は泣いたもの現在は平素と何ら変わりない生活をしており、私の悲しみを理解できないようです。


そして
「また泣いているのか」
「しっかりしろ」
「だらだら横になっているなら実家に帰って休め」

といわれたことから、私が
「本当の両親でないから分からない」
「どうしてこんな時くらい優しくしてくれないのか」
とキレてしましました。

そんな経緯で現在夫婦関係はギクシャクしています。

取りとめもない質問になってしまいましたが、夫に私の気持ちを少しでも理解してもらうにはどうしたらよいでしょうか?

また私はどのように夫に接していったらよいと思われますでしょうか?

どうかアドバイスのほどよろしくお願いいたします。

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A 回答 (22件中1~10件)

こんにちは。


私も先日、父を亡くしました。
私はまだ学生で、家庭も子供もないので、我慢しないで泣きたい時に泣いています。授業中にふと涙が出てきたりもします。
母も仕事が終わって帰宅すると泣いています。

家庭と子供のために強さを求められる質問者さんは大変ですね。
泣きたい時には泣く、という当たり前のことを我慢し、毎日の生活に没頭しなければならないのは、本当に辛く、虚しいと思います。

頑張れ頑張れ強くなれとよく言いますが、そんなのは悲しみを乗り越えた先に自然とあるものではないでしょうか。
子供がいるのだからいつまでも泣いてるな、強くなれ。そんなことないですよ。子供を見くびるなと言いたいです。例え幼くてもです。

私は悲しんでる母親に無理して笑ってもらうより、泣きたい時には泣いてもらいたいです。
それくらい受け止めるのが子供の私の役目だと思っていますし。いつまでも泣いてるな!なんていう親じゃなくて本当に良かったです。

確かに残していった側としてはいつまでも泣いていてもらいたくないと思います。
先に逝く人間なら誰もがそう願うと思います。
だけど、そんなのは充分に落ち着いてからの話じゃないですか?
急ぐ必要なんてないですよ。
急がなくたって時間は勝手に過ぎていきます。ゆっくりゆっくり悲しみを癒して下さい。

私も夜は泣いていますし、父の遺影に向かって「残していく側は気楽でいいよねクソ親父」なんて愚痴りながら、毎日やっています(笑)
そんなものじゃないでしょうか。

回答を見て、あまりにも精神的に強い人ばかりで驚きました。強いってどういうことなんだろうなと考えさせられました。

質問者さんの側に行って、抱きしめてあげたいです。

大切な人を失うのは本当につらいことなんだと私は学びました。
これからは、大切な人が悲しんでいたら、私は黙って側にいてあげたいです。

旦那さんのことは嫌いにならないで下さい。
男性はそういう考え方のようです。
父がそうでした。
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充分に気遣い優しい言葉を掛けてくれているじゃないの?


何が不満なのだろうか?

あなたが望む言葉をあなたに掛けてくれないから不満なんじゃないの?
これじゃ、旦那さんは、やる瀬ない思いよね。
多分、精一杯の言葉だと思うけどねぇ。。。

タイトルと内容が違うよ!あなたが我が儘なだけ。
知り合って何年?
未だ未だ相手の性格が分かってないね!
私は、もっと冷たい言動かと思ったけど…全然でした。
この人と この先も一緒に生きるつもりなら、もう少し素直な気持ちで接したらいかがですか?
「また泣いているのか」も「しっかりしろ」も「実家に帰って休め」も言葉は乱暴だけど相手を思いやる気持ちが伝わってきますよ。
あなたには、それが伝わらないの?
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愛する人を亡くすということ



これは経験しなければ、わからない苦しみです。
3週間で治るほど、生易しい苦しみではありません。

この、辛さは、あまりにも知られておらず、あなたの御主人や一部の回答者の方のように、
頑張れと言ってしまう人が多いのです。
よく、これを二次被害と呼んだりもします。

グリーフケアという言葉があります。いろんな研究がされています。ネット上にもいろんなコミュニティがあります。死別した悲しみを癒すことを研究したり、様々な活動があります。
本もいろんな種類が出ています。少し、のぞいてみてください。いろんな死別経験者の声が聞けると思います。
亡くした人を支えるために周囲はどう接すればよいかを書いている本もあります。

3週間なんて当然、10年単位で苦しむ人も多いのです。そして、心が重傷なので、頑張れという言葉や乗り越えてという周囲のプレッシャーはさらに心を傷つけ、修復が遅れるのです。このへんの知識は、今、大多数の人にありません。
苦しんでるあなたを応援したい気持ちから、周囲の人は簡単に言ってしまいますが、単に知識と経験がないだけなのです。死別の苦しみは複雑なので、しょうがないのですが。

そういう前提からあなたは、無理をしてはいけません。当然、休む時です。実家に帰ってもいいのです。
今、頑張ることができない心の重傷状態なのです。今、生きているだけで、あなたはとても前向きなのです。そんじょそこらの人より、激しく前を向いているのです。

夫の理解は、自分で説明できなければ、それとなく本を渡すなど、理解してほしいことを訴えることです。今は、御主人に配慮できないけれど、もう少し時間が必要なのです。この理解を求めることは夫婦では当然です。わがままではありません。人生に数度しかない苦しみです。御主人がここを理解しようとすることは夫婦愛にとって必要なことだと私は思います。キレてしまう気持ちもわかります。でも、できるかぎり冷静に、重傷であることを理解してもらって、死別の苦しみと、今これ以上頑張れということはきつすぎることを理解してもらうようにしてください。

あなたが真剣に理解を求めても理解してくれないのでは、今後の夫婦生活の危機くらいに感じます。
「病めるときも、健やかなるときも」という精神に御主人が欠けてしまうからです。
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こんにちは。

30代既婚女性です。

男女の脳の違い、感性の違いを学ばれると、お互いに譲り合えるのではないかな?と思いました。

男性は「強くあること」「前進すること」を是とする価値観が強いと思うんですよ。
ご主人の言っていることも、一理ある。

でも、私も女なんでわかるんですが、女は「そうだよね」「わかるよ」などの“共感・慰め”を求めるんですよ。

この女性の求める行為は、男性にとっては侮辱に等しい場合もあるようで、なかなかそうしてもらえない場合も多くあるようです。
そもそも感情や気持ちに鈍感な男性は、“共感の必要な状況”すらわからない場合が多いですからね…。

ジョン・グレイ氏や黒川伊保子さん、その他の方々の著作を読んで、男女のコミュニケーションのすれ違い、裏目にでる言葉などをお互いに学んでみてはいかがでしょうか?

ネット上にもあると思いますよ。


私だったら…
「肉親を亡くした喪失感でうつ病になる人もいる。
 精神的ショックで動けない、やる気が出ないというのも、自然なことだと私は思う。

 あなたの励ましの言葉は、悪気はないと思うが、正直なところ今の状態の私には合っておらず、
 骨折しているのに走れといわれているようで、責められていると感じる。
 
 男と女では、辛い時にして欲しいことがとても違うということは知っているか。
 私もこの本を読んでよくわかったので、よかったら読んでもらえないだろうか。

 このままでは父の死のショックはもとより、あなたの言葉によって参ってしまう。
 女にとっては辛い時にこういうことをされると、後に離婚を考えるほど心が離れることもある。
 私としてはあなたにそういう感情を持ちたくない。
 
 あなたの優しさもわかって受け入れたいと思うが、弱っていてそれができない。
 申し訳ないが、“今の私に合う、私の求める優しさ”でもって、私に接してもらえないだろうか。
 どうしてもわからないというなら、せめてそっとしておいてくれないだろうか。」
って言って相手を説得するかな。

同時に、「理解してくれ」と望むことは、無理なことを望んでるのかな?って自覚するのも有効です。
男女はまったく違う生き物なのですよ…。
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30代既婚者男です。



まずは、心よりお悔やみ申し上げます。
辛かったですね。あなたはただ、ご主人に今の辛い
思いを共有して欲しかっただけなのにね。

そこであなたに同じ男としてご主人の思いをお話し
します。
ご主人は、あなたのことを思えばこその厳しい言い方
なのだと思います。
あなたがいつまでも悲しんで、辛い思いをして欲しく
ないから、あえて毅然とした態度で接しているのかも
しれません。
あなたに一日でも早く立ち直って欲しいという願い
なのです。

私もよく妻にあなたと同じことを言われます。
私は妻が辛く苦しい時には、こうした方がいいとか
こうでないといけないみたいな事を、妻と為と思い
言ってしまうのです。
でも妻は解決して欲しいのではないのです。
ただただ心に寄り添って欲しいだけなのですね。
ここが男と女の思考の違いなのです。
男は理論的に解決する方向で物事を見つめてしまう
生き物なのです。

あなたがどう思おうとも、ご主人がどう思うかは
ご主人の自由なのです。
あなたを愛して結婚したのですから、あなたの今の
苦しみは理解できないかもしれないにしても、
理解したいと思っているはずです。
でも、どうしていいのか分からないというのが
本音ではないでしょうか。
あなたの今の苦しみや悲しみは、あなたにしか
分かりません。
それを分かって欲しいではなく、あなたはただ素直に
今の苦しみをご主人に話すだけでいいのです。
それを理解するかどうかは求めないことです。

親との別れは、100%例外なく全ての人に訪れる
試練です。
あなたのお父さんが望むことは、あなたがあなたの
人生をしっかりと生きてくれること、笑顔で今を
乗り越えてくれることです。
あなた自身がいつか寿命を全うして旅立った時に
今のお子さんに、あなたもそう思うはずです。
もしあなたのお子さんが、あなたを失った悲しみで
毎日泣いて辛く生きていたとしたら、どう思うかです。
それにお父さんも、自分が原因であなた達の家族が
上手くいっていないと知ったら、悲しむのでは
ないでしょうか。

私は両親とも健在ですので、あなたの本当の悲しみを
理解できないかもしれません。
でも、今こうしてあなたにお答えしている間は、
あなたの心に寄り添い、あなたの今の苦しみを理解したい
と思いながら書き込んでいます。
負けないで欲しい、乗り越えて欲しい、そう心から思います。
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貴女は優しい方ですね・・・と述べた者ですが 過ちがありました。



50才の okkinaa様でした 訂正させて頂き 「強い意見」に賛成の意を評します。

ご主人様と共にお子様の成長を祈ります。
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貴女は優しい方ですね。



当方 五年生存率 九%の病との共生です。
私が 二人の娘に望む事は 「自立の人生」を歩んで欲しい事です。
一見 冷たくも薄情にも思えるでしょうが 誰人も「生老病死」の苦しい人生を歩まねばなりません。

最初の方のご意見にもあった様に 貴女とご主人様までも 仕事も手につかずでは お父様は還って
辛く苦しみの世界へ 居るかも知れません。

立派な ご主人を支え お子様の成長の糧として 微笑んで下さい。
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お父様のこと、お悔やみ申し上げます。



女性と男性は、死の悲しみへの立ち直りかたが違う「傾向」があるようだ、と思うことがあります。

女性も男性も変わりなく、悲しみは悲しみです。

過去を思い、忘れないこと=亡くなったかたへの誠意ではあります。
ですが、今までと同じ生活に戻るのは、亡くなったかたを「忘れた」行為ではありません。

故人を心に住まわせ、「生活」していく。
この切り替えに抵抗感を抱くのは女性が多いように、私は感じます。そういう私も女ですが。


私の父も、今病と闘っています。亡くしたら、思い切り泣きます。落ち込みます。確信があります。


でも、思い切り泣いた後は、頑張って前を向きたいです。父との「今まで」をおぼえていれば、父は私にとって「生きて」いますから。


なんだかご質問に回答していませんね、すみません。

悲しみに寄り添う優しさもあれば、違う形で表される優しさもあると思います。

質問者さまが、ご自分のペースで癒されることをお祈りいたします。
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ご主人のおっしゃる



>「泣いてもお父さんは喜ばない」
>「笑って生活することが供養になる」

と言う言葉は、正解だと思いますよ。

親が亡くなれば、悲しむのは当たり前の事ですが
貴女には貴女の家庭があり、ご主人や子供さんに責任ある立場です。

親が子供より先に死ぬのは、ごく自然な事です
仏教の教えでは、人は死んだら浄土に行って、苦労のない極楽生活が出来るそうです。
毎朝、手を合わせて、亡くなったお父さんに感謝しましょう。
そして、ご主人や子供さんに笑顔を見せてあげましょう。

私は、ここ3年のうちに、父を初め身内を6人亡くしました。
私より若い、兄弟同様に育った従兄弟も二人亡くなりました。
骨を拾ったり、仏事続きで疲れました。
しばらく休憩させてくれと言う気持ちですが・・・・
数ヶ月前、母が肺炎で入院し、検査過程でガンも見つかりました。
たぶん数ヶ月以内には、骨を拾う事になるでしょう

「やっぱり、人間って、死ぬんだなあ」と、今更ながら、実感しています
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ご主人のご両親はご健在ですか?だとしたら、ご主人のご両親が


亡くなったその時に初めて「他人の死と肉親の死の温度差」を実感
されると思います。

いくら義理の親と行っても所詮は他人です。
色々お手伝いをしてくれるだけでも私は優しいご主人だなと思いますよ。
私も一昨年、肉親をふた月続けて亡くしました。四十九日も終わらないままに
次の葬儀ですからね。身も心も疲れ果てましたが、それでも私は子どもの母親で
自立した家庭を持っています。哀しみに暮れている時間はたっぷりあるものでは
ありませんでした。

ご主人の励ましはごもっともですよ。もちろん親を亡くされてまだひと月も
経っていないので、哀しみが深いのは当然のことです。それでもやはり
生きていかなければならない残された人間は「日常」を疎かに出来ない
ものなのです。日が昇れば洗濯をし、家が汚れれば掃除をする。子どもが泣けば
抱いて、夫が仕事から帰れば労をねぎらう。それが生きて行くと言うことです。
それだけに「日常」というのは残酷ですが、そのおかげで少しずつ哀しみを忘れ
現実の世界に戻っていくことが出来るのです。


肉親を亡くした哀しみで心を埋め尽くされてしまった質問者様は、この暑い中
お仕事をしてがんばっているご主人を労る気持ちを持っていますか?泣いてばかり
いるお母さんを見て、お子さんは不安を持ちませんか?無理ににこにこしていろとは
言いません。でも質問者様だけ時間を止めて生きることは出来ないのです。


2年経った今でも親兄弟を亡くした哀しみはずっと引きずったままです。それでも
泣くのは家に誰もいないとき、とかお風呂の時…などと決めています。今は単なる
ご主人の無責任な励ましにしか聞こえない

>「泣いてもお父さんは喜ばない」
>「笑って生活することが供養になる」

は本当ですよ。ただ質問者様の胸に響かないだけです。それは哀しみで「感謝」や
「人を思い遣る気持ち」が鈍っているからです。自分が亡くなったことで娘の家族が
暗い顔をしているのを喜ぶような、そんなお父さんでしたか?違うでしょう。そして
質問者様のお母さんが「こんなに泣いていてもお父さん喜ばないよね」と言ったら
それに対しては「そうね」と納得するのではありませんか?それはやはり質問者様
ご自身も「夫は他人」と思っているからですよ。それもご主人は感じているので
しょうね。

>「本当の両親でないから分からない」

これはご主人も傷ついたと思いますよ。質問者様が逆の立場だったらどう思いますか。
ご主人もきっとその日がくれば気づくはずです。そして質問者様もその時はきっと
上手にご主人を支えて上げることが出来るはずです。他人だからこそわかり合えるまでに
時間が掛かるのです。だから肉親以上に思いやりを持たないと良い関係は築けません。
そしてそれは片方だけの問題・課題では無いのですね。

お父さんの前で手を合わせてお父さんの心の声を聞きましょう。
亡くなってしまった親にまで心配をかけ続けるのは最大級の親不孝だと
私は思います。
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Q母が父の死から立ち直ることができません。

母が父の死から立ち直るにはどうしたらよいでしょうか。
皆様のお知恵をお貸しください。

昨年の春に父が定年を間際にして急逝しました。
母は父の定年後に二人で一緒に旅行に行ったりすることを楽しみにしていたようで、父の死に大きなショックを受けたようです。
(もちろんみんなショックを受けましたが。)
私も弟も結婚して別の家に住んでいるため、それ以来母は一人で生活していましたが、父への依存が大きかっただけに父がいない生活に耐え切れなかったようで、うつ病になってしまいました。
私は夫の仕事の関係もあり、母が住む実家から約60km離れた場所に住んでいるため、あまり頻繁に会いに行くことはできないのですが、時間を作って週末に会いに行ったり、ときどき我が家に泊まってもらったり、毎日電話をかけて話を聞いたりとできる限りのことはしているつもりです。
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ご回答のほどよろしくお願いいたします。

母が父の死から立ち直るにはどうしたらよいでしょうか。
皆様のお知恵をお貸しください。

昨年の春に父が定年を間際にして急逝しました。
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Aベストアンサー

レスありがとうございます。

例えば「趣味」です。
趣味とは、よほど大事なものなのです。よく加藤 諦三さんが著書で仰っております。
私は四十代男性ですが、二十代の頃、英会話サークル校で同席だった女性が、
「私の母は、歳を取った時困るから、寂しくなるから、だから趣味を持ちなさいって言うの。
だから私は英語を習いにきているの」と言っていました。
又、高齢者の施設等では、習字でもカラオケでも俳句でも絵でも「趣味」というものを重要視します。

「趣味」とは、要は「自分が好きなこと」です。「自分が好きなこと」とは、
例えば幼児にとっては「自分という存在の全て」に近いものです。

人のために生きる。そしてそれに区切りがつく時がくる。
その時、やはり「自分を支えるもの」が必要なのです。
元より真の自立の意味とは
「自分の力だけで自分を支えて立てること。自分の力だけで生きられること」であります。

そのために、趣味というのは時に、とても大切なものであろうと思うのです。
精神的な自立。自分だけで自分を支え立てること。これができないとしたならば、
厳しい言葉になりますが、それは「甘え」。或いは「依存(他者依存)」とも云えるのか、と。

しかし元よりお母様を責めるつもりは毛頭ありません。ご容赦下さい。
特にこの年代の方々は、趣味だとか言っている間もなく、ひたすらに自分のことを捨ててまで、
懸命にご家族のために生きてこられたのだと思うのです。ですからお母様は立派な方だと思います。

脳血管障害でも何でも、高齢になってそういう運命がやってきた。病気で倒れた。
そしてリハビリです。
例えばそんな時、自分を支えてくれるものは「趣味」であったりもします。
趣味である○○がやりたい。もう一度やりたい。この気持ちがリハビリの意欲となったりもするのです。

そんなことで、一つの具体的手段として、お母様に趣味を持つことをお勧めされるのも宜しいのかな、と。
或いはもし既に趣味をお持ちなら、それに一層力を入れるよう、手助けをして差し上げるのです。
そして、趣味というものの大切さを、さりげなく諭して差し上げるのです。

レスありがとうございます。

例えば「趣味」です。
趣味とは、よほど大事なものなのです。よく加藤 諦三さんが著書で仰っております。
私は四十代男性ですが、二十代の頃、英会話サークル校で同席だった女性が、
「私の母は、歳を取った時困るから、寂しくなるから、だから趣味を持ちなさいって言うの。
だから私は英語を習いにきているの」と言っていました。
又、高齢者の施設等では、習字でもカラオケでも俳句でも絵でも「趣味」というものを重要視します。

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Q父が亡くなり、心にぽっかり穴が・・・

父が亡くなり、悲しくて心にぽっかり穴があいてしまっています。

4月3日に、父ががんで亡くなりました。
私はひとり暮らしで、実家も電車で30分くらいの距離にあります。
父が元気だった頃は親子関係は良かったものの、父が無口だったせいもあり、あまり実家に帰っていませんでした。
父のガンがわかったのは昨年12月で、それ以来家族3人(母、弟、私)でできる限りそばにいて看病をしました。こんなに一緒の時間を過ごしたのは成人して以来初めてで、父も母に「子供達は本当によくやってくれる」と言ってくれていたようです。

その父もとうとう天国へ行ってしまいました。
それ以来、私は心に穴があいたようで本当に辛く、悲しく、まだ信じられない気持ちです。
離れて暮らしていたので、今でも実家に帰ったら父がいるようで・・・
父の事を思い出して、いつも泣いています。

母は一人暮らしになったので、私よりもっとさみしく感じていると思います。(弟も実家を出ています)
母親を励まさなくてはいけない私が、こんな感じでいいのか情けないです。

このどうしようもない気持ちは、時間が経てば少しずつでも癒されていくのでしょうか?
今はただただ辛いです。

父が亡くなり、悲しくて心にぽっかり穴があいてしまっています。

4月3日に、父ががんで亡くなりました。
私はひとり暮らしで、実家も電車で30分くらいの距離にあります。
父が元気だった頃は親子関係は良かったものの、父が無口だったせいもあり、あまり実家に帰っていませんでした。
父のガンがわかったのは昨年12月で、それ以来家族3人(母、弟、私)でできる限りそばにいて看病をしました。こんなに一緒の時間を過ごしたのは成人して以来初めてで、父も母に「子供達は本当によくやってくれる」と言って...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。
同じような境遇なので思わず返信しています。

私の父も、昨年の4月に他界しました。膵臓癌でした。
こうして返信を打ってはいますが・・私もまだ、父が居ないことが信じられないでいます。
実家に帰れば仏壇もあるし、父の葬儀や納骨も見たはずなのに。
それなのに、まだ父に逢えるような気がしています。
時々、「逢いたいけど逢えない」現実に苦しくもなります。
逢えないことが分かっていても、もう1度だけ逢いたいと思います。

私も、亡くなって毎日、何ヶ月も泣きました。
今でも泣きます。・・今も、泣いています。
悲しくて苦しくて、どうしようもない日もあります。
だって、大切な大切な父親です。
優しい優しい、大好きな父親です。

でも・・・
こうして父が亡くなって1年経ってみて。
悲しみは癒えないけど、苦しみはまだやってくるけど。
それでも、父との思い出を思い出したり、
父ならどう言うか、どう振る舞うかと考えてみたり、
今年も父の誕生日を皆でお祝いしたり・・・
ちょっとした拍子に父を思い出し、
母や妹と「お父さんは〇〇だったね」と話したりしています。
そして最近、これがいつまでも心の中で生き続けるということなんだと気付きました。

父は色褪せません。
いつも優しく心の中にいてくれます。
父が亡くなり1年が経ち、泣く日もあるけど、思い出に笑う日もあります。

きっと質問者様のお父様も素敵な方なんですね。
最期まで看病出来て、親孝行が出来ましたね。
ああしていればよかったと後悔がもしかしたら出てくるかもしれません。
私は、未だに後悔の念に苦しむこともあります。
でもその時はそれで精いっぱいやったのだからと、言い聞かせています。
そして心で父に謝っています。

ただただ辛いお気持ち、本当によく分かります。
でも、質問者様のお父様も、質問者様の心の中、記憶の中で生き続けていますよ。
今は思い出すことすら辛いかもしれませんが、
きっとその思い出が愛おしく、忘れたくなく、思い出したくなる時が来ます。

なんだかちっともアドバイスにも答えにもなっていませんが・・・
質問者様が今はただただ辛くて当たり前で、
でも、今の私は父を亡くした頃よりは元気に過ごせるようになっています。
父を忘れたのではなく、父と一緒に生きているから。

すみません、こんなことしかお伝え出来ませんが・・・
お父様も質問者さまも、ひとまずは本当にお疲れさまでした。

はじめまして。
同じような境遇なので思わず返信しています。

私の父も、昨年の4月に他界しました。膵臓癌でした。
こうして返信を打ってはいますが・・私もまだ、父が居ないことが信じられないでいます。
実家に帰れば仏壇もあるし、父の葬儀や納骨も見たはずなのに。
それなのに、まだ父に逢えるような気がしています。
時々、「逢いたいけど逢えない」現実に苦しくもなります。
逢えないことが分かっていても、もう1度だけ逢いたいと思います。

私も、亡くなって毎日、何ヶ月も泣きました。
今でも泣きます...続きを読む

Q義父が亡くなりました。私の両親はどこまで参列?

昨夜、主人のお父さんが亡くなりました。
明日がお通夜、あさってが告別式の予定で慌しく準備をしています。
葬儀場での通夜、告別式になりますが、お通夜の後は親族に残ってもらって食事をふるまう予定だそうです。

そこで質問なのですが、私の実両親はどこまで参列するのが常識なのでしょうか?
通夜、告別式のみの参加が普通なのか、それとも親族と一緒に通夜後の食事にも参加すべきなのか?
そして告別式後の火葬場まで付いて行くものなのか?
お互いの実家は今は年賀状程度のやり取りしかありませんが、隣県同士ですので私の実家から葬儀場までは電車で1時間くらいかと思います。

地域差もあるのでしょうが、主人のお母さんもあまりご存知ないようで、普通はどの程度まで関わるものなのかがわからず困っています。
もし経験がおありの方がいらっしゃいましたら教えて頂けないでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

通夜や葬儀にお参りするのは、故人にではなく喪主・施主に対する儀礼です。
ご主人が喪主なのか、喪主は他の方なのかで違ってくる場合があります。

>それとも親族と一緒に通夜後の食事にも参加すべきなのか…

何事もおじゃま虫はいけません。
通夜が始まる前か途中に、喪主または喪主に近い人から、
「あとまで残ってね」
と耳打ちされたら、残って食事をいただきます。
何も言われなかったら、読経が済み次第帰ります。

>そして告別式後の火葬場まで付いて行くものなのか…

通夜時の食事は軽食で、多めの人数分が用意されます。
葬儀後の精進あげは、人数を正確に把握した上で料理屋さんに予約します。
そのため、通夜のうちに、
「明日もきてもらえますか」
と聞かれますから、「はい」と答えれば、斎場にも行き、会食も呼ばれることになります。
お参りだけで帰りたければ、その旨を返答します。
最初から何も聞かれなければ、葬儀にお参りしなくとも良いし、お参りするとしても終わり次第速やかに帰宅します。

>主人のお母さんもあまりご存知ないようで…

喪家側から見れば、通夜が一段落したら香典帳に目を通し、多額の香典を包んできてくれた人には、
「明日もよろしくお願いします」
と声をかけるし、少額だった人には特に声をかけることはしないと言うことです。

要は、斎場にも行き、精進あげも呼ばれるかどうかで、香典の額が違って来るわけです。
ご実家が婚家と近い親戚であると考えているなら多めの香典を用意し、あまりおつきあいする気がないなら少なめの香典にしておけば、あとは喪家側が判断すると言うことです。

通夜や葬儀にお参りするのは、故人にではなく喪主・施主に対する儀礼です。
ご主人が喪主なのか、喪主は他の方なのかで違ってくる場合があります。

>それとも親族と一緒に通夜後の食事にも参加すべきなのか…

何事もおじゃま虫はいけません。
通夜が始まる前か途中に、喪主または喪主に近い人から、
「あとまで残ってね」
と耳打ちされたら、残って食事をいただきます。
何も言われなかったら、読経が済み次第帰ります。

>そして告別式後の火葬場まで付いて行くものなのか…

通夜時の食事は軽食...続きを読む

Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q親の死を乗り越えたものの、無気力。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また人付き合いも悪くなりました。

軽い夢遊病のような状況です。一番苦しい時期に悲しみを堪えてふんばらなければならなかったこともあった反動なのか、喜怒哀楽の感情が上手く制御出来ていない感じがし、頭には常にモヤがかかったような状態です。行動にせよ言動にせよ、以前と比べて明らかに”芯が通っていない”と感じます。

はた目から見る分には正常のようですが、このような状態が続くとマズいな、とは感じます。

どうしればようでしょうか?もし似た様な状況を克服した方がいましたら、何か良い方法を教えて下さい。
よろしくお願いします。

尚、多忙のためお礼が遅れてしまうかも知れません。ご了承下さいませ。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また...続きを読む

Aベストアンサー

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんでしょうね。いっしょです。

一人で、好きなだけ、泣き通す時間が必要でした。

で、それは、今だったら、もうすっかり正常なので、ちょっとした、ニュースとか、写真とか、音楽、美術、なにかちゃんとしたものにふれたとき、すぐに来ますけど、(ニュースを見たらすぐ泣けるという意味です)

当時は、まとまった時間、集中出来る環境がないと、なんかとにかくぜんぜんダメでしたね。
「今、そのモードじゃない」という感じでしょうか、切り替え「しちゃならん」と思ってるからか、切り替えスイッチ、入らないんですよね。

わたしの場合は、死んだ家族と、同居の家族のほうが、ある意味、立ち直りが早くて、
わたしのほうがついて行けなかったです。それもものすごくつらかった。時間のたちかたが、ひとりひとり、違うんですよね。本当に違います。もうそれはどうしようもない。

なので、一人暮らしの、一人の部屋で、「もう帰省した」とか「旅行中」とか、友人や彼氏に嘘をついて、ひとりになりきりました。買いだめして。ちょうど、夏休みとか冬休みとかの長い企業だったので。

やっと集中出来て、モードに入ると、もう、あきれるほど、何時間でも、泣けるんですよ。
びっくりです。

それで徐々に治った感じですね。

参考になれば。

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんで...続きを読む

Q親の死からの体調不良

30歳主婦です。
父が急死し、およそ四ヶ月が経ちました。
始めの一ヶ月は殆どどのように過ごしたのか記憶が無く、ただ必死に母を慰めて支えていたと思います。過食になって激太りし、睡眠不足でイライラしたり、ヒステリックになって涙が止まらなくなったり吐き気が続いたりと辛い数ヶ月を何とか乗り越えて来ました。
しかしここ最近、体中のあちこちが不調です。時折、突然父の事を思い出し、涙が止まらなくなって辛い事はありますが、以前よりは精神的に安定して睡眠も取れていると思います。
目・耳・鼻・内臓・関節、あらゆる箇所の異常に不安な毎日です。
各病院に行こうと思っているのですが、精神的なものから体調不良になっている可能性もあると聞きました。
こういった場合、まずは心療内科に掛かった方が良いのでしょうか?私としては精神的不安定さも以前程感じていません。なのでカウンセリングを受けても実際患者になりうるのかなと思ってしまいます。
とはいえ正直自分の状態がよくわからないというのが本心ですが、手当たり次第に病院を回って一刻も早く安心を貰った方が賢明でしょうか?
因みに各病院で診察して貰う場合、父の死の事は伝えた方が良いのでしょうか。口に出すと涙が出てくるので出来れば言いたくありません。

経験者様のご意見があれば是非聞かせていただきたいです。
宜しくお願い致します。

30歳主婦です。
父が急死し、およそ四ヶ月が経ちました。
始めの一ヶ月は殆どどのように過ごしたのか記憶が無く、ただ必死に母を慰めて支えていたと思います。過食になって激太りし、睡眠不足でイライラしたり、ヒステリックになって涙が止まらなくなったり吐き気が続いたりと辛い数ヶ月を何とか乗り越えて来ました。
しかしここ最近、体中のあちこちが不調です。時折、突然父の事を思い出し、涙が止まらなくなって辛い事はありますが、以前よりは精神的に安定して睡眠も取れていると思います。
目・耳・鼻...続きを読む

Aベストアンサー

すべては心から発せられていることですね。

気持の準備もないまま、お父様が急逝された。
あなたもお母様もパニック状態になったはずです。

それでもあなたとしてはお母様が心配で、自分の気持ちを押し殺して誠心誠意お母様に尽くした。

やっと何とかお母様が落ち着いてきて、ちょっとホッとしたところで、今度はそれまで押し殺していたあなたの気持ちが膨れ上がる。

あなたの心の中では、当然のことながらお父様の死については決着がついていない。
心の葛藤やひずみが身体の各所に現れている。

このような状態だと思います。

心療内科を受診されることが良いと思います。
お父様の急逝、その後のお母様の状態、その間のあなたの状態、すべて話すべきです。

涙が出てしまうのは、あなたの心が不安定だからです。
この間の一連のことが自分の中で消化できていないからです。

ジッと話を聞いて、適切な対応をしてくれると思いますよ。

Q親が亡くなった人にかける言葉

先日、私の職場の同僚のお父さんが亡くなりました。
私は、こういう経験がなく、今度彼女に会ったら何て言ったらいいのかわかりません。
もう3日も休んでいるので、何も言わないのもおかしい気がするし。
それとも、触れるべきではないのでしょうか?
今度会ったときに何て言おうかと悩んでいます。
相手を気遣い、かつ不快にさせないことばがあるでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。 30代オンナです。

私は5年前に実母を癌で亡くしました。
そのときに会社の皆さん、友人たちにいろいろな言葉をかけてもらいました。
「大変だったね」「何かできることあったら言ってね」等々なぐさめやねぎらい(お通夜・お葬式は大変だった!)の言葉はどれもありがたいものでした。

ただ、うちの母親の場合56歳という若さで亡くなったのでそれは私自身とても残念で悲しいことでした。
唯一「まだ、若かったのに残念ね・・」という言葉には正直辛く感じました。

わたくしごとをゴタゴタ並べてしまいましたが、やはり何か言葉をかけてあげたほうが良いと思います。
腫れ物を触るように気をつかっていただいたことがあり逆にこっちが気をつかっちゃったりしたことがありました。

ただ、なくなった直後は葬式やら事務手続き等でとても忙しくて亡くなったんだ実感というものが感じられません。
できたら、落ち着いた頃に(49日が終わり、2か月くらいたったころ)食事にでも誘ってお話を聞いてあげてみてください。

Q父の死から立ち直りたい

父が末期癌で亡くなりました。
一周忌法要がようやく終わりました。
一年前良く泣いていましたがそれも収まっていましたが一周忌になり桜をみてあの頃の長いような短いような闘病生活が昨日のことのように思い出してしまいます。
最近は涙もろくなり思い出すだけで涙が止まりません。
うつ病にもなりました。

もっと強くなりたい。
死から立ち直りたい。
でも泣いてばかりの毎日です。
あの時ああしていれば、こうしていればなど後悔ばっかり残っています。

どうやって肉親の死から立ち直る、受け入れればいいのでしょうか?
同じような体験を経験した人のアドバイスがあれば助かります。

Aベストアンサー

8です。
そうですね、書くこと以外では、乗馬などは現実的に良い療法とされていますね。

療法のなかでは、やはり丁寧にことばにするというのは、特別です。
けっして、反省や内面を書くのではなく、
簡単な心の動きでも、丁寧にことばにする・言語化する作業です。
わかりにくいかもしれませんが、
確認すると集中ケアしてパイプがつながる、という心の働きを利用しているものです。

世界があたりまえの見方で見えなくなっている部分がありますから、
書くといってもなかなか言葉にできないわけですが、その嫌な感じや苦しい感じに直面することも意味があるんですね。

たとえば桜を見て悲しくなる場合、家族が桜の下ではしゃいだりしていれば、
穏やかな気持ちと、乱れた気持ちが突き合わされます。
チクっと葛藤があって、心が穴を修理しようと自然に動き出す。

しかし一人では、なかなかこのエンジンをかけられないです。
自分で確認するには、泣くことも必要だし、再確認も必要になります。
なんで俺は泣くのか、苦しいからだ、何が苦しいんだろう、
ただきれいに咲いているのがやりきれない、
いつか平和な気持ちで花見ができるようになるんだろうか、
と、たとえばですが、少し書き留めておくと、
二度これを同じ強さで味わうことがなくなります。心は同じ強さを繰りかえさない。健康な状態ではそうです。

書くこと以外では、確認ではなく、習慣的な力を使って埋めるという作業もあります。
禅寺のような掃除洗濯炊事の繰り返しを、一日一定のリズムでできれば効果的ですが、
はっきり言って自力で日常にこれをするのは難しいです。修行や、行動療法でもない限り。。。

心を他の命にあずけるという方法もありますね。
乗馬はその好例です。犬も似ています。
出産や育児で安定する場合がありますが、相手が馬や犬のように同調しないので、大変な面もあります。

あとは、生活の中でできるのは、料理と睡眠でしょうか。
料理は、新鮮な材料を目や鼻で選び、手で触り、調理の過程を踏んで、味わうところまで、自分で行います。
生のエネルギーは、新鮮な食べ物にはまだ酵素として残っており、摂取することで体の生命力を補ってくれます。
食材に触れて、死のそばから離れるということだけでも、軽くなるものがあるのは確かのようです。

眠れないときは、薬に頼って寝てください。眠ることは一番大切です。
そして、深くゆっくり息を吐くような呼吸は、心が強くしなやかになります。
脳と体にかかった負担が取れるためです。

8です。
そうですね、書くこと以外では、乗馬などは現実的に良い療法とされていますね。

療法のなかでは、やはり丁寧にことばにするというのは、特別です。
けっして、反省や内面を書くのではなく、
簡単な心の動きでも、丁寧にことばにする・言語化する作業です。
わかりにくいかもしれませんが、
確認すると集中ケアしてパイプがつながる、という心の働きを利用しているものです。

世界があたりまえの見方で見えなくなっている部分がありますから、
書くといってもなかなか言葉にできないわけですが...続きを読む

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

Aベストアンサー

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む


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