ギリギリ行けるお一人様のライン

われわれは英語など外国語の曲で歌詞の内容がわからなくても、特に気にすることなくそれを聴いていることができます。
歌詞カードがあっても見ない、必要ない、という人もいます。

「いい曲なんだけど、歌詞が日本語じゃないので内容がさっぱりわからない、聴いていても仕方がない」などと自分は思うことはありません。
音の響き、曲の雰囲気がいいのでそれでよし、と内容を二の次にしてしまえるのです。
(もちろん、そうじゃない人もおられるでしょう)

これはなぜですか?教えてください。
ただの言葉が音楽となった場合、何か変化があるのでしょうか。

A 回答 (6件)

こんにちは。


音楽を理解しているのは「聴覚野」、言葉を理解するのは「言語野」です。
言葉というのは言語野で処理されなければ何も感じることはできません。従いまして、これは音楽ではなく「文学」です。では、果たして音楽とは音の変化によって高揚感をもたらすものであり、これは聴覚野で処理される感覚情報に対してリアルタイムに発生する心の反応です。
言葉といいますのは残念ながら万国共通ではありませんが、音楽が心に作用する要素というのは全人類に共通です。もちろん、歌詞が分かれば当然感慨も増すわけですが、それがなくても音楽が理解できるのは何も不思議なことではないです。

只の言葉が歌になるというのは、ここに「音の時間的変化」が加わるということです。我々の聴覚はこれに対して高揚感を発生させます。ですから極端な話、歌詞が「愛してる」でも「アイウエオ」でもその効果は全く同じなわけです。もちろん、「ランランラン」と「ガーガーガー」ならばどちらが耳障りかというのは聴覚における感覚的な反応です。ですが、「愛してる」にはどうしても言語野を用いた意味理解が必要になります。

それが言葉である以上、ある程度の注意を向けなければきちんと聞き取ることはできません。ですから、興味が湧かなければ日本語の歌詞でもほとんど筒抜けです。歌詞が分からなくて不快、面白くないというのは、それは言葉を聞き取ろうとする、あるいは意味に興味があるからだと思います。ですが、我々には端から外国語を聞き取ることなどできませんので、返って気にならないのかも知れません。逆に、日本語で何を歌っているのか分からないとイライラしますよね。私はおじさんなので、最近の歌に付いてゆけません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、下の方も言われていますが、
確かに言葉を理解するにはある程度集中しないといけませんね。
しかも外国語なので端からわからない。

>只の言葉が歌になるというのは、ここに「音の時間的変化」が加わるということです。我々の聴覚はこれに対して高揚感を発生させます。ですから極端な話、歌詞が「愛してる」でも「アイウエオ」でもその効果は全く同じなわけです。もちろん、「ランランラン」と「ガーガーガー」ならばどちらが耳障りかというのは聴覚における感覚的な反応です。ですが、「愛してる」にはどうしても言語野を用いた意味理解が必要になります。

ここの文がとても参考になりました。
「ランランラン」とか「I love you」と言われているだけでは、聴覚が音として聴く。
それが日本語で「愛してる」と言われてはじめて、言語野の働きが追いつくということですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/12 18:19

ドイツリートやドイツ民謡などが好きでLPやCDをよく聴いていました。

その際、歌詞は自分のドイツ語能力を最大限使い、意味を知ろうと試みます。と言うのは、ドイツリートの多くは、ゲーテ、ハイネ等の超一流の詩人の作品です。変な話ですが、作曲者とゲーテを比較して、はいけませんが、同等に扱い詩の内容を確り確認しないと、作曲者の意図もはっきりと分らないと考えているからです。 歌うための日本語訳ではっきり言って、詩の原作者の言わんとする内容の半分も表現されているか、怪しいので。民謡の場合、その背後にある民族/地域的な状況/文化を知ればもと楽しく聴く事が出来るでしょう。

ロシア語やイタリア語は、残念ながら理解できませんので、日本語の訳に頼らざるを得ませんので、メロディーや歌手の表現力などを主に聴くことになります。言葉が多少なりとも分ればもっと楽しめると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

うーん、確かに。
「聴けてしまう」などと言わず、作詞家もせっかく歌詞を考えたわけですし、
作曲家もそれを踏まえて聴いてほしいと思っているかも知れませんし、
最大限理解しようとするのもいいかもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/12 18:34

音楽の嗜好ではなく聴覚心理の話なのね。



特に聴覚は音をパターン分けして聞いています。
そして、パターンは音色自体以外に引きずられることも多いのです。

マガーク効果しかり、例えばテレビの砂嵐の音を海の映像と流すと潮騒に聞こえるとか。結構いい加減です。

もちろん音同士でも影響を与えます。
歌の場合は曲の音と歌の音に明らかな類似性がありますので、
それらが一体となって処理されます。
一方声だけであれば、もしくは声に集中すれば言葉として聞こえます。

人間の聴覚系の働きにより音の情報を適切に処理して脳の適した場所に送っている。おそらくそのようなことが起こっていると思います。

あくまで聴覚系からの想像ですので、脳科学ではどうなのかは知りません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
説明不足で誤解させてしまいました。

確かに、声だけであれば言葉に集中しますね。

マダーク効果というのははじめて知りました。
外国語はわからん、だから音として処理してしまおう、
というのもそういういい加減さなのでしょうかねぇ(ちょっと違うかな)。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/12 18:27

>それに節がついてI love you♪となった場合、この人が何を歌っているのかわからないけど、その言葉の意味は気にならず、それを音として聴けてしまう理由、


>脳がそう処理してしまう理由、うまく言えませんが、それはなぜなのか、ということをお聞きしたかったのですが…。

音があるからだと思います。
歌詞の内容よりメロディーの進行、音の響き、リズムなどを追うからだと思います。それが音楽です。
またそれは、歌詞を追うより自分に入ってき易いからだと思います。
歌詞を聞いて内容を理解するためには、脳で言葉を処理しなければなりません。考えるんですね。
でも、「曲の雰囲気が好き」とか「アップビートで乗れる」なんていう感想は、考えて出てるものじゃないと思います。
もちろん、音楽理論を学んでる人なら、コード進行とかリズムとか音色とか、色々考える要素があると思いますが、
そのためには聞き込まないといけませんし、普通の人は感覚で好き・嫌い、良い・悪いを判断すると思います。
そうなると、感覚的な部分を優先し、考えなくてはならない部分を省いて、音楽を楽しめる、ということではないでしょうか。
特に、外国語の歌詞は意味が分からないため、内容を求めるより一楽器のように「音色」を感じやすいのではと考えます。
楽器の音が言葉に聞こえないように、外国語が言葉に聞こえなければ、器楽曲を聞いている感覚になるのだと思います。

また、私達日本語が母国の人間は、日本語を聞けば意味が出てきます。
しかし、外国語の場合、外国語を聞いて、発音やスペルが出てきて意味が出てくると思います。
音楽に乗っていればスペルより発音が優先されると思いますが、発音も音なわけで、
時間的余裕や考える難しさから、「聞く→発音→意味」の発音の部分で止まり、音として聞けるのではないでしょうか。

よく分からなくなりましたが、後は脳科学者にでも聞いてください。
ちなみに私は、日本語の曲でも歌詞というより音楽としてのビート感、リズムなんかで聞くものを選びます。
別に歌詞の内容は特に気にしません。歌詞を聞いて歌うようになって、じゃあどんな意味?と考えるくらいです。
なので、歌詞が分からなくても良いですし、器楽曲も好きです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一応意味の理解もしようとしているが、意味がわからない、考える難しさからそれを断念してしまう。
同時に音色としても聞こえるわけですから、声というひとつの音として聴く、処理がより早い感覚的な部分が優先される、というわけですか。

なんとなく理解できました。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/12 17:48

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E7%94%B0% …

桑田佳祐の曲作りは、音先行で、あとで適当な日本語らしいですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
申し訳ありません。説明不足でした。

お礼日時:2010/12/08 00:08

俺に言わせればそれが普通。



音楽は音を楽しむものであって、言葉を楽しむものではないと思います。
まあ、娯楽なので好きにすればいいのですけどね。

日本人は音と言葉を脳の同じ所で聞く、欧米人は音と言葉は別なところで聞く。
そういう研究結果を見たことはあります。

日本人は歌詞に重きを置き過ぎだと思いますし、
どれも似たようなのばっかりじゃないかとも思います。

言葉を楽しみたいなら小説でいいじゃないか、とも思います。

同じ物でも楽しみ方が色々あるのです。

うどんに温かさを求める人は冷たいうどんは頼まないでしょう。
うどんに腰を求める人は冷たいほうが好きかも知れません。
そういう違いだと思います。

しかし、意味が分からないから聞かないと言うのも別にいいのです。
でも、そう言われたら「歌詞が分からなくてもいい音楽はあるのだよ」と言います。

んじゃインストでいいじゃんとなるのですが、なぜか声は入ってたほうが好きです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
すいません、説明不足でした。

たとえば、I love youと言われた場合、英語がわからないと、この人は何を言ってるんだ?ということが気になります。
映画だと、「わからん、字幕や吹き替えなどが必要だ」と考えますが、

それに節がついてI love you♪となった場合、この人が何を歌っているのかわからないけど、その言葉の意味は気にならず、それを音として聴けてしまう理由、
脳がそう処理してしまう理由、うまく言えませんが、それはなぜなのか、ということをお聞きしたかったのですが…。

申し訳ありません。

お礼日時:2010/12/08 00:07

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