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なのでしょうか。

昔の金持ちや資産家には当然の様に数人の妾(=愛人?)がいるのが

当たり前だったと聞くのですが本当でしょうか。

確かに歴史等を見てもその傾向は強いような気がしますし

腹違いの子が出てきて財産を~というようなドラマも多いようながします。

少し昔の時代は・・

奥さんも自分の旦那は金持ちだから妾、愛人の1、2人はある意味

当たり前、織り込み済で特に腹を立てる事でも無い。

ちょっと違う家族の形・・と言った様な風習・文化だったのでしょうか。

ご教示お願い致します。

A 回答 (4件)

こんにちは。


そうですね、昔は愛人である妾は当たり前でしたね。

これは、文化や風習はもちろんのことですが、その時代は経済的なものが多いからです。

当時は、サラリーマンや会社員というよりも丁稚という時代でした。女性は女中。

それで給料というよりも泊りがけで「白い飯がありがたい」という文化で一般人は芋しか食べれませんでした。休みは主に、盆と正月だけ。

殆どの家庭が貧しいので、娘を売りに出すのも当たり前の時代でした。

そこで「妾になれば、自分も家族も安泰」という感じです。

今じゃ考えられないことですが経済的に今みたいに豊かではなかったので、そうなるのも自然の流れですね。

現在でもアラブ諸国では一夫多妻制は当たり前でして、一人の長者に数十人の嫁。みたいな感じで今でも現実昔の日本みたいなことが行われている国もあります。

アラブ諸国は一般の人たちは、とても貧しい(本当に明日食べる物も無い)ので自然とそうなるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
愛人という言葉は今のようなスキャンダラス、ふしだらって感じではなかったんですね。

まあ世情を反映してお互い様・・って時代だったんですね。

お礼日時:2011/07/03 12:33

戦前までの日本は実質上の一夫多妻制でした。


江戸時代までの上流社会と同様に、跡取りを得るという思いが根底にあったといえます。
それ以外にも、結婚は一種の経済制度であり、上流階級の結婚は家柄や財産に基づいていたといえます。
つまり、男女交際は経済とは別のところで営まれていたのです。
個人的に女性を囲えなくても、遊郭やそれと同じような施設がありました。
男女格差が大きいからそんな世の中になっていたのですね。

話は逸れますが、今でも、イスラム圏では制度上も一夫多妻制が認められている所があります。
それらの国ではやはり金持ちは複数の妻を持っている人がいます。
私の知人にイスラム圏の人がいますが、それは事実のようで、彼も比較的上流に近いのでもう一人妻がほしいといっていました。
しかし、多妻にもそれなりの掟があり、複数の妻は平等に扱わなければならないとのこと、それが原因で離婚となり、莫大な慰謝料を請求されることがあるそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/19 01:51

父は(82)6歳まで、街中の別宅で育ったそうです。


祖母の実子なのですガ、祖母がヒステリックな人だったためだそうです。
私が五歳位まで、五十年前の時まで、今でいう障害者の方お二人が住み込みで家内のしごとをしていました。
祖母が嫁に来た時、ねえやさんが一緒についてきたそうです。
農地解放で没落。それでも、今は不動産があるので、農家を趣味(年間150万注ぎ込んで、収入無し)に生活してます。馬鹿でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/19 01:51

そうですね。


男の甲斐性として、2~3人はいました。

そして、盆暮れ正月などには、正妻が妾宅を訪問して、『いつもお世話になっています。』と挨拶をし、手土産を渡した・・・と言われています。

愛人とのケンカどころか、悩んでいる癖なども相談しあったり、和気あいあいしていたようですよ。

それは、妾は正妻をたてているし、正妻も妾を夫を世話してくれる人と認識しているから。

何より、資産がたっぷりあれば、嫉妬もないのです。

少ないお小遣いで愛人作ろうとするから修羅場になるだけ。

それぞれに別け隔てなく、屋敷と車と使用人を与えておけばよかったのですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/19 01:52

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