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戦前の日本にとっては、生糸がいちばん重要な輸出品でした。
けれど、絹織物の生産・輸出は、どうだったのでしょう? 高校・日本史Bの教科書や資料集には、ほとんど記述がないから、よくわかりません。

そもそも、絹織物をつくるための技術には、めざましい革新がありましたか?
織物をつくるための機械に「力織機」というのがありましたが、それはたしか綿織物をつくるためのモノですよね?

A 回答 (3件)

まず明治初期の日本の在来型製糸業は輸出してもふるいませんでした


変革のきっかけになったのは1880年代に導入されたフランス、イタリアからの近代的繰糸機導入です
特に後者のケンネル式繰糸機は革命的な技術革新をもたらしました
近代化された日本の製糸業はアメリカの絹織物業者への輸出が増大
さらに均一の生糸を生産する共同再繰という技術の導入と品質の厳格化により日本の輸出産業の中核として確固たる地位を築きました

一方当時の日本の綿糸紡績業はふるわず、イギリスや英領インドからの輸入超過でした
日本の紡績業の紡績機械の輸入代替が遅れたため国内生産量が輸入を上回ったのは1920年代で
30年代にRU型スーパーハイドラフト紡績機が開発され世界的水準に達しました


(力織機は絹織物業でも使われます)
日本が力織機を装備した綿織物業や絹織物業の生産が増大するのは1910年代以降です
優秀な熟練女工と非熟練男性労働者間の賃金格差、労働者の逃亡、自殺なども表面化するのもこの時期です
1926年のG型自動織機の開発により綿織物での世界的トップ地位を築いたのです


長文失礼致しました
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

綿糸、綿織物、製糸については、教科書とか参考書にくわしく書いてあったので、だいたいのことは分かっていましたが、絹織物でも力織機が使われていたっていうのは初耳でした。
「豊田佐吉の国産力織機=綿織物をつくる」というイメージしかなかったので…。(汗)

絹織物のほうでも、豊田の国産力織機を使うことができたのでしょうか? それとも、なにか別の力織機が発明or輸入されて使われていたのでしょうか?

それと、私は「G型自動織機」というものの存在を知らなかったのですが、日本の綿織物業がどんどん生産を伸ばして、世界に輸出できるほど成長していった事実は有名ですよね。
ところで、いっぽうの絹織物業では、そういった国際競争力とか、輸出増大とか、発展はなかったんでしょうか?

お礼日時:2011/09/19 22:33

 日本の絹織物は、当然ながら和服が主な用途だったので、いわゆる小幅の反物に限られていました。

羽二重は例外で、輸出もされていました。

 欧米では、広幅の織物が標準なので、日本の反物は需要がありません。また、高額で消費者の嗜好に左右される商品なので、市場に近いところで生産する方が合理的です。

 現代でも、事情は変わりません。衣料品を例にとると、安価で良質な中国製(ユニクロなど)の日常品が溢れていますが、高級品になると国産メーカーやイギリス製の生地が市場を支配しています。
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この回答へのお礼

なるほど、納得がいきました。
欧米にしてみれば、日本でできあがった絹織物を輸入するよりも、とりあえず生糸を輸入しておいて、自国で消費者ニーズにあわせて加工したほうがよかったのですね!!

お礼日時:2011/09/19 22:46

言葉足らずで申し訳ありませんでした


補足いたしますと

一番目の段落に書かれているのは綿糸ではならく絹糸の製糸業で
明治時代後期から日本の主力輸出産業として発達します
そこに書かれてある品質保証では開明社商標を確立して粗悪品を排除し
輸入先であるアメリカの絹織物業者の信頼を受けていました

G型自動織機とは豊田自動織機製作所の開発した国産初の自動織機の正式名称です
付け加えるとこの自動織機は当時の繊維機械のトップメーカーであったイギリスのブラッド社が特許実施権を買収する程の高水準の自動織機でした
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