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科学者の方に質問です。

研究の本来の在り方として、貴方はAとBのどちらの考えに近いですか?
また、その理由を教えて下さい。

A  「世の中に役立ててこそ研究する意味がある」
B  「役に立てよう、とか思って研究するべきでない」

外部資金獲得とかいろいろ現実的な問題は抜きにして、
研究の本質という意味で考えた場合について教えてください。

ご回答よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

Aです。


Bの人は何のためのサイエンス?と疑問です。自己満足ならサイエンスではなく趣味の範疇ですね。
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この回答へのお礼

ノーベル物理学賞を受賞された小柴先生は、研究成果がどのような役に立つのかと記者に聞かれて『役に立たない』とおっしゃっていたみたいですね。

>Bの人は何のためのサイエンス?と疑問です。
>自己満足ならサイエンスではなく趣味の範疇ですね。

その論理であれば、趣味でも(サイエンスでなくても)ノーベル物理学賞は受賞できることになりますが。。。

駄文失礼致しました。。。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/13 00:23

研究の発端にはシーズ・ニーズの2つがあります。



「シーズ」は「こんなこと思いついちゃった。役に立つかどうかは知らないけど、とりあえずすごい技術だと思うから研究してみよう!」というもので、B「役に立てよう、とか思って研究するべきでない」ですね。
例えば、ライト兄弟の飛行機は、空を飛んでみよう!という発想で作った面白マシンです。
完全にシーズで、役に立つかどうかなんて二の次です。
アインシュタインやニュートンなんかもこちらだと思います。

一方で「ニーズ」は「こんな需要があるから、それに応える技術を作ろう」というものです。A「世の中に役立ててこそ研究する意味がある」の方ですね。
例えば、青色のレーザーを作ればブルーレイなどの技術に使える。だから青色発光ダイオードを作ろう、というのは需要に対する開発なのでニーズです。
エジソン、ノーベルなんかもこちらですね。


どちらも間違っているということはありません。
その問い自体がナンセンスです。

それでもあえて言うなら、研究として正しいのはBのシーズ、発明として正しいのはAのニーズだと答えます。
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この回答へのお礼

>どちらも間違っているということはありません。
>その問い自体がナンセンスです。

おっしゃる通りだと思います。

ただ、何というか、研究者のなかでも特に学者(大学教員)の方々は、例えばその研究が名目上はニーズに基づく研究であったとしても、その発端が(その研究をやろうと思った根本的な発端が)、「社会貢献したい」という気持ちからか、「好奇心を探求したい」という情熱からか、どちらから来ているのかを知りたくて、質問させて頂いた次第です。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/13 00:56

一応数学者です。



代数学の非常勤講師までしか行ってないけど。

体壊しましてね~~。

えっと、「AでもBでもありません」。

これは数学と言う特殊性もあるかと思いますが。

これが見つかるとこうなる! なんてことを考えていつもいるわけではないですし、

その逆で、これが解けると、NET上の暗号理論はもっと強固になる!と考えて

やる場合の両方がありますし、

そもそもそんなことよりも、「好奇心」のほうが先立ったりもします。

この先に何が待っているのか?

「そこに山があるから登る」のと同じかもしれませんが、

目の前に「知らない問題があるから、考える」。

 #ちょっとかっこよすぎるか? ヽ(・∀・)ノ ワチョーイ 

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)

小柴教授の場合は、はっきり逆ですがね。あの方は(Bではなく、ものすごいAです)

│・ω・`)<コッショリ、御用学者さんの典型ですから><

そうじゃなきゃ、カミオカンデ なんて 大規模な実験設備は作れませんよ><

 #単に研究費が要らない数学屋の僻みです^^;
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 23:20

これはAと答えるのも仕事うちであり、A(大儀名分)がなければ予算がつきません。


多くの職業科学者において、A(大儀名分)の内容をいかに作文するかは死活問題です。
今回、質問者さんはその現実問題を抜きにして答えて欲しいのですよね。

そうなるとAとBの対立する選択自体がどちらも「研究の本質」の答えにならない様な気がしますよ。

C「有名になりたい。ないしは、大発見をする夢を見続けたいから」でしょう。
D「他の仕事より楽しいから」でしょう。

逆説的ですが、現場において、科学は科学者による科学者のための研究をさせてもらっているんですよ。いわば他の営利事業よりも私利私欲の中に閉じているのです。質問の条件である現実問題を抜きにしたら、大手を振って本人の趣味になります。研究の本質は科学者の趣味です。科学者の趣味が、他の人の福利に還元される(仕組みの中で生活している)というのが真相です。

やはり質問サイトは正確な事実に近づける練磨の場所だと思いますので、小柴氏の名誉のために勝手に小柴氏について述べます。
私の見聞きしてきた有名な科学者の中で、最も明確に、Bを主張されたのは小柴先生です。「何の役にも立ちません」と明言されたのは結構知られている話だと思います。
小柴さんは詐欺師ではないのです。私は正直な科学者を尊敬します。科学精神とはそういう価値観判断をする事だと思います。まるで効かない薬はまるで効かない、およそ無駄な検査・再診はおよそ無駄なコスト、確実な保証のない政策は確実に保証されないと、まずは認めてから選択肢の一つにするのが科学ですね。

すべての技術者・科学者・医者が多かれ少なかれ、関わっているとは思いますが、捏造気味の金目当ての研究成果などはどうしょもない悪趣味と言えます。金欲しさに創作活動して平気でいられる人は最初から科学者以外になるべきです。速やかに科学活動を止めるべきです。金よりも真実という価値観が科学者ですよね。事実を創作したら意味がなくなってしまいますね。科学者はこの世のフィクションに関わりたくない人がすべきですよね。でなければ高尚な趣味である科学研究の本質が、正反対の宗教儀式の創作に入れ替わってしまいます。そうなると看板と中身が違う訳ですから、宗教よりも、悪趣味科学の方が、インチキであり、教育・医療・産業、あらゆる方面で(気が付きにくい)有害思想になります。言うまでもないことですが、素人の間違いではなく専門家の間違いが問われるべき社会問題なのです。趣味と言っても遊びじゃないのです。責任が伴います。ですから責任を問われない優しい無責任社会かつ専門家にこびる権威主義社会では、科学は金のかかる遊びに成り下がります。しかも生理学医学系の場合は、命をおもちゃにしていることになりますよね。おもちゃにしないという手続きは取られていますが(それがAですね)、実際は、極めておもちゃですね。パソコンなど、自分の趣味の道具よりも、生命はポイポイ粗末に使用されているのが真実なんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 23:20

 すごく儲けることと、社会に貢献する事業をすることとどちらが企業にとって重要か、という問いにも近いと思います。

結局企業だって、或る程度のレベルになると儲けだけ言ってられなくて、その企業自体にコンプライアンスとか社会貢献とかが求められるというか、社会に影響力を持ってしまうということですよね。野球選手がファンを意識しないで、チームを意識しないで自分だけの世界で上手ければいいかとかそういうのとも似てる気がします。要するに或る程度行くとそれは切っても切り離せない世界であって、どちらかとかいう問題でなくなる気もします。


ただ、多くの研究者はAと見せつつも実際は研究が単に好きだからというのであると思います。仮にAを考えた時に自分のやっていることにあまり意味がないと思ったらやるべきでないと思えるヒトがどれだけいるかというのは疑問でしょう。まあ、矛盾だらけだけど、多少は世の中のためにつながるかな?ぐらいの漠然としたものは誰でも持ってると思いますけどね。役に立つって言ったって数年後の話なのか、10年後のはなしか、100年後の話かそれは分野によって見据えるものが違うと思いますし、現実的には近いものほど説得力は湧きますが、それがヒトによっては???な技術って少なくないですよ。


個人的には、アカデミックの研究の本質という意味なら、たとえばAの研究をしてたら意外とBとつながっていた、からちょっと脱線してAとBの関係を明らかにしたいとか、そういうのが目的とは別の次元で許されるという点にあると思います。
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この回答へのお礼

なるほど、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 23:18

研究者ではありませんが、皆さんの答えの意味が


人によって違ってますよね。

「世の中に役立つ」というのが、学術的な貢献なのか、
より実利的で世の中をより直接的に豊かにするための
貢献なのかで全く答えは違ってくると思います。

小柴さんは後者の意味でおっしゃっているのでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 23:17

すべてではありませんが、大まかに言うと、


A-企業内研究者の考え方
B-それ以外(大学など)の研究者の考え方

になるのではと思います。
私は「A」のタイプです。(本心はBですが・・・)
研究の結果が生む「利益」でメシ食ってますので。

研究の本質と言う面から見ても、上記になるのではと思います。
やはり置かれている立場で本質も変わるものです。


本来の在り方としては、「利益」が目的ではなく、人間の「知的探究心」から来る欲求を満たすことが本来の在り方だと思いたいです。(たぶん正解だと思います。)

なぜなら、人間って「思い込み」のある生物で、理論的に攻めても結果が得られない場合が多く、たまたま失敗により、思わぬところから結果が出る場合も多いもの。(ノーベル賞の田中さんなど)
結果的に、世の中何が役に立つのかは、その時点ではわからない。
いろいろな事柄を研究することで、後で応用の効く研究もたくさんあります。

小柴さんのニュートリノにしても、今は直接役には立たないけれど、近い将来、別の形で役に立つことがわかる日が来ると思います。
人類はまだニュートリノについて知っているわけではないです。
何かができる可能性がわかった時に、小柴さんの研究が役に立つ可能性も0ではないです。

「研究」って、結局人間の役に立つ事柄の「パーツ」に過ぎないわけです。
このパーツとあのパーツを組み合わせることで、何か新しいものができるように、この研究結果とあの研究結果を組み合わせることで、より便利な社会を造ることが可能になるものです。

なので、Bの考え方で研究をしていても、成果が論文などで残っていれば、後の人達にとっては大変貴重な研究になることと思います。
もちろんすべてではないですが、それがどれかわからないから、なんでもかんでも研究をしているわけです。

ムダと言われるような研究はないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなって申し訳ありません。わかりやすいご説明ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 23:17

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