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明治半ばの養子となっている戸籍を入手しました。
仮に戸主を青木太郎とさせていただきます。

前戸主は女戸主でこれも仮に青木キクとさせていただきます。
身分事項欄を見ますと青木キクさんが明治41年に死亡して家督相続をしています。
戸主の青木太郎さんは明治27年の出生なのですが
前戸主との続柄は養子となっておりまして、父母欄ですが
父が亡青木市蔵(これも仮です)、母が亡青木キク、そして養母亡青木キクとなっています。
養父欄はありません。

実母と養母が同姓同名で別人という可能性もあるとは思うのですが
実際の氏名は特徴のあるものなので同一人物の可能性が高いと考えています。
離婚あるいは父死亡での婚姻解消となった場合で養子にできるのかと
さまざまなその後の想像していますが実際のところありえる可能性は
どういった場合でしょうか。よろしくお願い致します。

戸籍の記載を参考画像として添付させていただきすので
ご指導いただけますと幸いです(作り直したものです)。

「明治期の戸籍、実母と養母が同一の可能性」の質問画像

A 回答 (2件)

明治時代は戸籍がいいかげんだったから、キクの子がキクとか、キクの姉(妹)がキクというのもありました。



呼び方でそれを区別してたり(大キクとか、小キクとかetc. )色々調べたほーがいいですよ


うちのばーちゃんは、姉妹で同名でした(^_^;

この回答への補足

手を尽くして従前の戸籍を調べてみました。
とても複雑な内容でしたのですべてをご説明できないのですが
キクさんの婚姻前の姓は青木でした(字が異なっておりましたが同じ読みの姓でした)
離婚後戸籍の記載にミスがありましたのでこういったことが影響していたのかもしれませんが
末の息子さん(太郎さん)と娘さんを戸籍に迎え入れておりました
なぜか太郎さんのみ養子縁組をして、娘さんは入家という扱いでした(何女というままです)
太郎さんに家督相続をしましたのでそういった扱いなのかもしれませんが
同時にちがう対応でしたのでちょっとしっくりしませんでした

この青木家の戸籍にも深刻な誤りがいくつかありましたが修正されていたり
明治初期の戸籍にありがちな誤りで想像できるうるものでした

補足日時:2012/11/23 02:24
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この回答へのお礼

アドバイスをありがとうございます。
そうですね、戸籍は完全なものでないこともしばしばありますよね。
ただ身分事項欄はともかく下側の名前などの表記はほとんど間違えていないように感じます。

現在では同じ両親からでは同様の名前はつけられなくなっていますが
これはいつからなのでしょうね。

姉妹で同じ名前「キク」という場合は、ご両親のどちらかが異なっていたり
漢字が異なっていれば今でも可能な状況だと思いますが
古い戸籍ですと変体仮名や漢字の混じった名前というものもありますので
これがどういった扱いになるのか、はたまた以前は同じ名前をつけることも可能だったのか
ちょっと悩ましいですね。

もう少し皆さんからの回答をお待ちしてどうしても気になるようでしたら従前戸籍の請求も
考えたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/23 02:29

 先日上戸彩主演で「金子みすゞ」のドラマが放送されました。


金子みすゞのウィキペディアをちょっとコピペします。

山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)出身。郡立大津高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業。父・庄之助は、妻(みすゞの母)の妹の嫁ぎ先である下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったが、1906年(明治39年)2月10日、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死[1]をとげる。劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。叔母の死後、雅輔の養父・上山松蔵とみすゞの母が再婚したため、みすゞも下関に移り住む。同時に、みすゞと雅輔は実の姉弟でありつつ、義理の姉弟の関係となる。

 この例などは質問者さんが言うところの実母と養母が同じ人ってことではないでしょうか?

この回答への補足

タイムリーなご回答をありがとうございます。
もっとも私はそのドラマを見なかったのですが。

ご説明でどういうつながりなのかかんたんにはわからずにひとしきり混乱しましたが
「金子みすゞ 家系図」で検索しまして関係がわかりました。
上山雅輔さんが戸主の戸籍があったとしましたらまちがいなく「父上山庄之助、母ミチ」
そして「養父上山松蔵」とはなっていると思います。
この場合戸籍に「養母ミチ」と追加記載されるのかはよくわかりませんでした。

添付しました戸籍に誤りがなく読み解くとしましたら
青木市蔵さんとキクさんは離婚をしておらず先に市蔵さんが亡くなったことがわかります。
キクさんがもともと同じ青木姓だったのか、何らかの理由で夫の姓を名乗ることができた。

古い時代ですので青木市蔵さん戸主の戸籍は存在せず、市蔵さんの父などが戸主の戸籍があり
市蔵さん死亡によってご子息はその戸籍にとどまり、キクさんのみ除籍になったなど
いろいろと考えて悩んでいます。

born1960さんのご指摘の場合も養母欄への記載があるか絶対の確信は持てないのですが
確かに実母と養母が同名で表記される可能性も少なくないと思います。
とても参考になりました、ありがとうございます。

補足日時:2012/07/23 02:56
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この回答へのお礼

手を尽くして従前の戸籍を調べてみました。
とても複雑な内容でしたのですべてをご説明できないのですが
キクさんの婚姻前の姓は青木でした(字が異なっておりましたが同じ読みの姓でした)
離婚後戸籍の記載にミスがありましたのでこういったことが影響していたのかもしれませんが
末の息子さん(太郎さん)と娘さんを戸籍に迎え入れておりました
なぜか太郎さんのみ養子縁組をして、娘さんは入家という扱いでした(何女というままです)
太郎さんに家督相続をしましたのでそういった扱いなのかもしれませんが
同時にちがう対応でしたのでちょっとしっくりしませんでした

戸籍はむずかしいですね ありがとうございました

お礼日時:2012/11/23 02:26

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