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つまらない質問なんでありますが、けっこう真剣でもあります。

サウナ、温泉、スポーツ施設なんかの浴場では、私も周りも皆な
タオルを葉っぱやパンツの代わりに隠して歩く習慣があるような
気がします。女性に聞くと、女性もそのような人が多いと聞きま
す。仕事柄、海外、特に中国、韓国へ行くことが多いのですが、
風呂でそういう人は皆無であります。欧米でもスポーツクラブ
のシャワールームではそうみたいですよね、、、。つまり、日本人
特有の習慣?価値観?

恥ずかしいと思う自分を納得させたいんです。歴史や背景を
ご存知の方に教えていただきたいのですが、、、
よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

>サウナ、温泉、スポーツ施設なんかの浴場では、私も周りも皆なタオルを葉っぱやパンツの代わりに隠して歩く習慣があるような気がします。


女性に聞くと、女性もそのような人が多いと聞きます。仕事柄、海外、特に中国、韓国へ行くことが多いのですが、風呂でそういう人は皆無であります。欧米でもスポーツクラブのシャワールームではそうみたいですよね、、、。つまり、日本人特有の習慣?価値観?

はい・・回答します

まず基本的に公衆浴場の歴史的経緯から回答する必要性がありますが、
世界的には、沐浴・水浴などの生活習俗から様々な入浴と介される行為が確認できます。
もっとも原初は現代的衛生技術の発展による清潔さを求めての行為ではなく、宗教的・儀礼的行為と解するのが妥当でしょう
したがって、宗教的・儀礼的行為である以上は、ある程度の公共性・習俗性があることから、全裸という傾向が強いと言えるでしょう
まぁ、悪い言い方をすれば、衣服が発展していない時代から入浴という行為があるので、最初は全裸ということになるでしょう
もっともこの入浴というのは、娯楽の側面もあって入浴施設に食事や遊技場が併設されているケースが多いことも、現代の入浴の考えとは大きく異なると言えるでしょう
つまり、世界的には入浴というのは、近代以前においては、娯楽であって「衛生」という観点からの行為ではありません

では、”陰部を隠す”の傾向に関して論説すれば、実は質問者が指摘するように、<日本以外の諸外国では入浴時に陰部を隠す行為は一般的ではない>という見解があるようですが、現代社会ではそうでもありません
そもそも、公衆浴場と内風呂における入浴方法の相違性があるわけですが、例えば、フィンランドなどの北欧諸国では、概して陰部を隠して入浴します。アイスランドでも同じです。
世界各国を知り得る立場ではないですが、概して緯度の低い地域の公衆浴場においては、陰部を隠す傾向だと思われます。
ただし、これは現代においての傾向であって近代以前になれば史料がないので、回答はできません
ただし質問者が思うほど、諸外国では「陰部を隠さない」ということはないとは思います

さて、日本人の入浴に関しては、体系的な史料がないわけですが、、原始的な沐浴の類を排除して、いわゆる公衆浴場としての原初としては、鎌倉時代の寺社仏閣の入浴施設を指摘できるでしょう
これについては、詳しい民俗学の見解もあるので簡単に説明しますが、要は荘園が削減された寺社が副収入を狙って、禊などで利用される広い「水浴び場所」を有償開放したのが原初と考えられます。
(もっとも、実際には、禊のために施設を有料化した、という見解もあるようですが・・・)
その後、地域の寺社における禊の空間が衆人化されると、水ではなく”お湯”が求められるようになります
ただし、我々が発想するような< 『湯船』にお湯を満たす >というような入浴方法ではなく、サウナです
おおよそ銭湯は、サウナから始まったと思っても結構です

(補足)
なお、水戸黄門で”陽炎お銀”が 武家屋敷で内風呂に入る という描写がありますがかなりリッチな武家でしかありえない話です。それが地方の大名であれば現実味はありますが、代官などのレベルの屋敷ではまずありえません。

さて、その銭湯ですが、基本的には『混浴』です
したがって、男女乱れて入浴することになるのですが、文献によれば、陰部は丸出しです。
もっとも、湯気が濛濛(もうもう)としているので相当に近接しないと見えなかったそうです

(補足)
現代のスーパー銭湯でも見られるマッサージのサービスは、江戸時代初期には確認できるようですが、これが一種の性風俗であってことは言うまでもありません。
ただし、この時代の性風俗では、同性同士の擬似性交も氾濫した時代です
”陰間”という用語がありますので、興味がありましたら調べると良いでしょう

さて、本題の前を隠すようになった話ですが、

諸説ありますが、白木屋事件を経緯とする見解が有名です
http://jikenshi.web.fc2.com/newpage403.htm
マニアックでもない事件なので、覚えておくことを推奨します

この事件を経て、下着の普及が啓蒙された経緯があって有名といえば有名なのですが
この見解はあまり論理的な説得力には欠ける話ではあります
しかし、当時の女性が下着を身につけていないことをもっとも有名にしている話ではあります
もっとも、これは入浴時ではないのですが、平時において下着を身につけないなら・・ということは言うまでもありません
つまり、陰部が見えることへの羞恥心が根本的には存在しなかった時代が日本にも大正時代まで確認できます

(補足)
公営プールは戦前までは、水着着用すらNGだった事実があります
水着の繊維が排水施設の不具合にさせる要因だったこともあるそうですが、一説によれば、プールを利用する男性は、全身剃毛を強制されたそうです


さて、結論から言えば、日本でも陰部を隠すという考えは戦後と考えても良いでしょう
実際に、褌などの類は、陰部を隠す目的という見解はあまり支持されていません。通説は、陰嚢などの部分を外部刺激から保護する・激しい身体運動に対して陰部を抑制するなどの意図が主体だったと言われています

以上のように、局所的には、入浴時には陰部を隠すことは行われる傾向にあります
日本においての陰部隠しの歴史としては、”陰部を晒すことが恥である”という西洋的価値観の流入によって導入されたものでしょう

もっとも、西洋的価値観と表現していますが、陰部を隠すことを当然とする宗教というのは、キリスト教くらいのもので、それも怪しい話とも言えます
むしろ、一般的には生殖器に対する信仰は、多くの地域に原始宗教に確認されるものですから、本質的には、陰部を隠すことが当然という考えは日本人が強烈に刷り込まれている部分はあるのかもしれません

それを如実に指摘できるのが、陰毛に対する意識の違いです
日本人は概して陰毛を剃毛しませんが、一般的に東アジア諸国を除く多くの諸外国では、陰毛の剃毛が常識です
おそらく日本人は <陰部を陰毛で隠すという考え>・もしくは、<陰部ではなく陰毛が恥ずかしいもの>という思考回路があるのではないでしょうか?

したがって、東アジア諸国を除く諸外国では、入浴時には陰部を隠さない傾向が多いと言えるのでしょう
実際に、ヌーディストビーチ(全裸で海水浴が可能な海水浴場)を観察した研究者の論文(学術論文であるんでんすよ)でも、その傾向が指摘できます

なお、ある人曰く、『日本人が身体的特異性に対する過敏反応がある』という指摘をしています
曰く、例えば、身体機能などに劣等感がある人は、身体を隠したがるのが心理的には当然に働くもので、男性なら包茎・女性なら貧乳・陰部の恥毛分布など ということから説明が可能らしいです
この見解については、世界各国の現代人において羞恥心の強い人ほど、陰部を隠す傾向などから考察できるかもしれませんが、そんな研究は誰もしてくれないでしょう

他にも、日本人の「穢れ」・「ハレの日」などの意識からも指摘できるでしょうが、
個人的には、陰部を隠すという価値観に対する過敏反応の結果が、身体的特異性に対する過敏反応 と共鳴して日本人が入浴時に陰部を隠す傾向を強めた・・と考察しています。

長くなりましたが、こういう世俗的なネタは歴史学的な見地で論説するのが大好きなので回答させてもらいましたw
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この回答へのお礼

ありがとうございます。白木屋事件・・・もちろん存じていますが、
腰巻からパンツのきっかけと思っていましたので、お風呂の習慣にまで
影響があったとは思っていませんでした。それに、その事件以前から
隠す習慣のあった証拠かもとさえ思っていました。

日本のサウナだと、ロッカーにタオルか下着が入っていて、洗い場まで
隠す道具?が提供されるのが一般なので、東アジアのいわゆるロッカーには
自分の衣服を入れたら後は裸で歩けという習慣にとても違和感を感じて
困っていました(苦笑)。

>日本においての陰部隠しの歴史としては、”陰部を晒すことが恥である”という
>西洋的価値観の流入によって導入されたものでしょう

だれが間違って西洋的価値観を教えたんでしょうね(笑)。とても納得しながらも、
なんで誤って流入されたのかが・・・。でも、それがわかっていても、裸で
堂々と歩けるようにはならないと思いますので意味はありませんが・・・(汗)。
若い時に、お金もないので、米国ではYMCAやらユースに宿泊しました。
もちろん、シャワーはオープンスペースで、使うのに勇気が必要でありました。
同性愛者の方に、厳しい社会差別のあった時代で、そういった方の溜まり場とも
揶揄されていた時代でしたので、巻き込まれたら大変だと、恥ずかしながら、
私もある意味でも差別観を持っていた時期であります。

混浴は苦手なままでありたいなあって思いますが(笑)・・・(苦手なことが)
女性を女性をじていたい証拠みたいで・・・ただ、その入るマナーまでは存じて
いなかったので、丸出しだったとは・・・。

本当に、ありがとうございました。とても、とても勉強になりました。

お礼日時:2012/10/29 11:54

No.3&8です。

少し別の視点から考察してみました。

現代の私たちは、公衆浴場で入浴する際全裸になることを当然だと考えますが、江戸時代でも元禄ころまではそうではなく、男女とも別に持ってきたふんどしをして入浴していました。これはそれ以前の風呂が空風呂(からぶろ)と呼ばれる蒸し風呂形式だったことが影響していると見られますが、道徳的・性的な羞恥心も働いていたと推測されます。

やがて、ふんどしなどをはずして全裸で入浴するようになりますが、それでも手拭いで前を隠して湯に入ることになったのは、羞恥心のほか前の時代の名残りがあるのではないかと私は思います。

そのあたりの事情を、嘉永4年に出された「洗湯手引草」(あらいゆてびきぐさ)という銭湯経営者向けの書物のなかの「湯屋万歳暦」には次のように記しています。

一、慶安の頃までは男女共に洗湯へ行に、別に褌を持来りてこれをしめかえて湯に入る。上るときは底浅き下盥(しもだらい)にて洗い流し、持ちかえる。これを湯もじという。その後手拭にて前を隠し湯に入し事になりしが、下盥は天保の初めまで残りありしが、不浄というて近頃は一同になし。

ふんどしをしめかえて湯に入り、あがるときはそのふんどしを専用のたらいで洗って持ちかえっていたとは、現代の私たちから見れば驚きですが、式亭三馬の「浮世風呂」にも銭湯でふんどしを洗っている場面が登場します。西国出身でそのような江戸の銭湯事情を知らない男がそれを手拭いと間違えて顔を洗って「臭か匂いのする湯たい」と驚き、ふんどしの持ち主は「洗おうとしていたふんどしがない」と大騒ぎになります。これは単なる作り事のドタバタ劇ではなく、銭湯で専用のたらいでふんどしを洗うということは、ふんどしをはずして入浴するようになった「浮世風呂」の時代(19世紀初めの文化6年刊行開始)にもまだあたり前のことだったのですね。

国立国会図書館のデジタルデータにある「洗湯手引草」のアドレスを参考に挙げます。「湯屋万歳暦」の該当部分は25~26の映像にあります。

参考URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539997
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。とても勉強になりました。

他の回答の方々が、戦後という回答の中で、江戸までの時期にも
羞恥心かどうかは別に、隠すことが変でないと思われる事実もたく
さんあることがわかりました。感謝します。

お風呂だけでなく、何をもって日本人が簡単に謝ることができる
ようになったのか・・・ごめんなさいが簡単に言えるようになった
のは戦争に負けた直後からなのか・・・そんな疑問も持っています。
実は、海外では今でもごめんなさいはなかなか言わないんです。
英語のアイムソーリ―は、迷惑かけたねぐらいの意味ですし、
中国語のプーハオイ―スも、わざとじゃあないんだ~ぐらいの意味
ですし・・・。どうも戦前、戦後で日本が新し独特のモラルを持って
いるような気がします・・。

恥とはなにか・・・本当に難しい概念だっていうことだけは今回の
皆さんの回答を拝読してわかりました。

お礼日時:2012/10/31 10:36

No.3です。

念のためですが、「公衆浴場で前を隠す習慣」といっても、いつも前を隠しているわけではありません。そんなことをすれば、身体を洗うことはできず、パンツをはいて入浴しなければいけなくなります。私が幼いころ(50年ほど昔です)は家に風呂がなく、銭湯に通っていました。その際親などにいわれ、また周囲の大人たちのほとんどが実行していたのは「脱衣場から洗い場に入るとき」や「洗い場から湯船につかるとき」などには、前を隠すのが礼儀だ、ということでした。

江戸時代の川柳には、No.3に引用したものだけでなく、同様の発想の、「赤貝が蜆をはさむざくろ口」や「女湯の喧嘩片手でつかみ合い」など、少なくとも「銭湯で女性は前を隠すべきものとされていた」と考えなければ理解が困難な句があります。

そのような情景を描いた絵(例えば「競細腰柳風呂」歌川芳幾画 明治元年)もありますので、「当時、少なくとも女性は銭湯で前を隠すべきものだと考えられていた」ということは確かだと考えますがいかがでしょうか。

またさらに江戸の銭湯を描いた式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」の序言には次の一節があります。(これは以前東京大学の入学試験(日本史)の問題文に引用されました、ここで引いているのはその部分です)

つらつ鑑みるに,銭湯ほど近道の教えなるは無し。その故如何となれば,賢愚・邪正・貧福・貴賤,湯を浴びんとて裸形になるは,天地自然の道理,釈迦も孔子も,おさんも権助も,生まれたままの姿にて,惜しい欲しいも西の海,さらりと無欲の形なり,欲垢と煩悩と,洗い清めて,陸湯を浴びれば,旦那様も折助も,どれかどれやら同じ裸体。
(中略)色好みの若い者も,裸になれば,前をおさえて,おのれから恥を知り,猛き武士の,頭から湯をかけられても,人込みじゃと堪忍を守り,
目に見えぬ鬼神を片碗に彫りたる侠客も,ごめんなさいと石榴口にかがむは銭湯の徳ならずや。心ある人に私あれとも,心なき湯に私なし。たとえば,人,密かに湯の中にて撒屁をすれば,湯はぶくぶくと鳴りて,たちまち泡を浮み出す。
(中略)湯の中の人として,湯の思わくをも恥ざらめや。すペて,銭湯に五常の道あり。

「色好みの若い者も、裸になれば、前をおさえて、おのれから恥を知り…」とあることから、男性も前を隠すのが銭湯で入浴する上での作法だと考えられていたのではないかと思います。このほか「浮世風呂」には入浴の際に「田舎者でござい、冷えものでござい、ごめんなさい、(不慣れなものです、冷えた身体が触れて不快な思いをさせたらごめんなさい、くらいの意味でしょうか)」と声をかけるなど、江戸の銭湯で入浴する際の細かな気配りや作法が書かれています。他人を不快にさせない配慮が大事だと考えていたことは明らかで、「前を隠す」のもその一つの表れだと思います。
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この回答へのお礼

たびたびありがとうございます。隠すことが皆無ではなかったことが
とても理解できました。

もともと艶っぽいは、エログロとは異なって、直接的な表現を避けて
通るものだと思っています。そして、それは日本文化の特徴のひとつ
とも思っています。

日本人は、マナーを作るのが得意な人種だと思っています。電車で携帯
電話を使ってはならないは、とても外国の人には受け入れられない・・・。
隣の人と話すのはOKで、電話で話すのはNG・・・私は不快感のない人間
なんで、今でも不快と思う人の気持ちがわからない・・・もっとも、海外
で自分も電車の中で平気で使っているからだとは思いますが・・。

自分が自分の価値観を持ってから作られた文化は、なじめないものも
ある・・・でも前を隠す文化は刷り込まれているのでなかなか捨てられない
のであります。少なくとも、回答者さんの回答を拝読して、サウナは
日本で入ろうって思った次第です(笑)。

本当にありがとうごじました。

お礼日時:2012/10/30 11:21

お風呂といえば 別府


ということで 別府大学に 資料があった
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/downlo …

ビクトリア人が見た日本の入浴
なので、イギリス人主体で、19世紀後半となります

P78 1863年
見なきゃ話にならないよということで、日本人の入浴を見た!
男も女も子供もすっぽんぽんで、恥ずかしがってもいないぜ

P81 1880年
道端で真っ裸で行水しながら会話している


P85 1898年の St. Johnさんによれば
「おれは、当然タオルで隠して入ったけどね」 < 日本人は隠さないで、英米人は隠すんだよ という前提での文章

ここからわかるのは、100年前では

イギリス人:裸で風呂にはいるものではない、隠すべきだ
日本人:風呂にはいるんだから裸だよね、隠しませんよ

という感じであります。


追加
韓国 こんな時日本人, そんな時韓国人: 日韓文化の違い(2007年の書籍)によれば、最近まで内風呂は少なかった。とのことなので、公衆浴場文化(というか 入浴の仕方)というのが、実地で継承されているのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

明治は遠くなりにけりですねえ。

ふんどし、腰巻の時代は隠さなかった・・・パンツになって
考えた??日本人にとってパンツの影響は意外に大きかった
のでは・・・そんな風にも思えてきました。

お礼日時:2012/10/30 11:11

おかみさん、時間ですよ


を、みんなが見たからではないか?

1970年代初頭に、銭湯を舞台にして、女風呂だから女性が裸という理由で上半身裸だったが、下半身は隠していていた。

1963年 内風呂普及率 39.1%(東京) 59.1%(全国)
1973年 内風呂普及率 73.3%(全国)
データは下記より
http://alianet.org/pickup/alianews100/furo.pdf
http://www.env.go.jp/council/06earth/y060-39/mat …

江戸末期の銭湯では、誰も隠していない
http://1010.or.jp/sento/history/05.php

内風呂の普及により、公衆の面前で入浴スタイルを取るときのモデルが、前時代からの継承とならず、「おかみさん、時間ですよ」が刷り込まれたのではないだろうかという推測です。

傍証1 私は1959年生まれで、1971年に小学校の修学旅行の段階で、風呂にはいるときにタオルを巻くとかそういう文化はなかった。

傍証2 1980年ころには、修学旅行の入浴で水着を着用するというのがニュースで話題になっていた。
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream …
1991年の海外からの留学生が 日本語学習 と日本語の文化的要素という論文で「。 ガラス戸を開けて入る時は,前をタオルで隠す。今の高校生などは, うち風 呂になれているせいか,海水パンツや水着で入る人もいる」
と理解している。

たかだか10年くらいでも、大きく風俗は変わるものである。

傍証3 性行為における顔射
http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen29/gijirok … npa.go.jp なので警察庁が公開している情報ですが、AVなので性行為のモデル学習をすると、それ以前の世代には思いもかけない行為をしてしまうという趣旨の内容(一部)
この「演出上の技法としてつかったもの」『(時間ですよにおける、下半身を隠しての入浴)なり(アダルトビデオにおける、特殊な技法)』が、それ以外の情報を知らないがゆえに、通常のものと理解してしまった。
という仮説です。
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この回答へのお礼

すごい仮説ですね~・・・説得力に脱帽いたしました。

ちなみに、私は親のいない昼の再放送で堺正章さんの掛け声を
聞いていました(汗)。あの若者が、じいさんタレントとして
週末の夜に料理番組・・・時の流れは早いですねえ。

記憶をだどると、私も回答者さんと同世代なんで・・・我々が
変えちゃった文化かもしれないですねえ。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/30 11:08

画像検索で調べても分かりますが、


江戸・明治時代の銭湯の風刺画では、前を隠している女性は見当たりません。もっとも女湯だから、という見解もありえるでしょうが、混浴の図画もあります

二枚画像があるサイトだけ一応提供
http://sasazuka.blog.ocn.ne.jp/nakano/cat6613180/

文献にも指摘できますが、出典を提示しても、確認しようがないので、割愛しましょう

したがって、文献・絵画で分かる限りは、確実に隠すことは一般的ではありません


ちなみに、大事な回答を付加しておきます

外国人は、性器に対する意識は希薄ですwもっとも性交の場合では別らしいですが、
日本人は反動的に性器や性的表現に関しては過度に抑制的なのでしょう。日本人の反動が更に反動になって、日本の性風俗・性的嗜好の自由度は、非常に懐が深いそうですがねw
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この回答へのお礼

いつから、何をきっかけには迷宮入りかもですねえ(苦笑)。

反動的と言われても、私も日本人なんで、ついつい隠します(汗)。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/30 11:00

江戸時代は家に風呂がある家は殆どありませんでした。


火事防止の為、大商人でも風呂が無かったと言われています。

町人や街娘、下級武士は混浴で銭湯に入りました。
幕末に銭湯に入った外国人が街娘が居るので驚愕したそうです。


昭和初期まで家に風呂が無いのが普通でした。


戦後、大家族から核家族化しはじめました。
子供部屋や洋間などが普及しはじめます。

昭和は3児が普通でしたが平成に入り2児、1児が普通になります。
見られる事が少なくなり、集団行動が無くなりました。


韓国の家族制度は悪く言えば江戸時代の制度です。
家長が絶対で逆らう事すら許されません。

酒をすすめられたら家長に顔をそむけで隠して飲みます。
先には決して飲みません。

閉鎖された世界は火病と言う国民病を生んでいるとも言われています。
しかし、大家族や集団行動が多くその点では勝っているようです。
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この回答へのお礼

確かに、大家族とか長屋がなくなり、小家族、団地・・・そういう
時代背景があったかなあとは思いますねえ。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/30 10:58

ご質問のような「歴史の教科書にはまず書かれていないような難問」を考えるのに、大いに役に立つのが江戸時代の川柳などの文芸です。



江戸時代の銭湯の湯船は「柘榴口(ざくろぐち)」といって、屋根をし、まわりを囲い、出入り口が鳥居の形に小さく開けてありました。

そこで「抱いた子を蓋(ふた)にして出る柘榴口」という有名な川柳があります。これは幼い子どもを抱いていると前を隠すことができないので、抱いた幼児で前を隠しながら母親が柘榴口から出てくる、と言う意味です。少なくとも江戸時代の銭湯では女性が前を隠していたことがわかります。
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この回答へのお礼

艶っぽいっていうのが似合いそうな川柳ですね。
ありがとうございました。きっと、この手の歌や川柳を積み重ねると、
常識とかモラルとかの変遷も理解できるんでしょうね。

お礼日時:2012/10/29 19:19

かなり複雑かつ難しい問題で、決して結論は出ないと思いますよ。



ご存知の通り旧約聖書には、アダムとイブが知恵の実を食べたらお互いに自分が裸では恥ずかしいということに気づいてしまってイチジクの葉っぱで股間を隠したと書いてあるわけです。
ということは、旧約聖書が書かれた時代には「股間をさらすと恥ずかしい」という価値観が人々にあったことの証拠です。そして、質問者さんのように「なぜ股間を出すと恥ずかしいんでしょう?」っていう人がいて、そういう人たちに対する回答が「ご先祖様が知恵の実を食べたからだよ」だったわけです。

羞恥の意識と公序良俗の考え方って、よく考えるとかなり複雑怪奇です。
山梨県の石和温泉は、戦後に畑から突然温泉が湧いたのが始まりのかなり新しい温泉です。で、当時NHKのニュース映画で「畑から突然温泉が出て大騒ぎです」と報じられて、そのニュース映像を見たのですが、かなり衝撃的です。まず温泉は簡単な幕で囲まれただけの野天風呂で、さらに混浴でした。入っているのはみんな地元の人たちなのですが、おじちゃんもおばちゃんも子供もみんな同じ風呂に堂々と入っていて、さらにその様子をカメラで撮影していてそれを誰も気にしないのです。つまり、ニュースには女性のおっぱいが堂々と映っていたのです。つまり当時「報道として風呂の様子を映画にするのは猥褻ではない」のが常識とあったわけです。しかし一方当時は「チャタレイ夫人の恋人」というのが猥褻だということで削除を求められました。今読むと「どこが猥褻なの?」と聞きたくなるような大人しい表現です。また、映画でガラス越しにキスシーンを撮ったら「淫らだ」と批判されもしたのです。
一方現代では、ヘアヌードがほぼ解禁になっている一方、テレビじゃおっぱいが見られなくなりました。お色気番組なんてほぼ絶滅したといってもいいでしょう。

欧米では、基本的な価値観として「人前で裸になるのは禁物」というのがあります。アルプスの少女ハイジを主人公にした映画で、題名は知らないのですが昔たまたま深夜に放送されたのを見たのですが、寄宿学校に入れられて生まれて初めてお風呂(浴槽)を見たハイジがおそるおそる裸で風呂に入ると、カーテンの向こうのクラスメートの女の子は下着を着たまま風呂に入っていて(しかも石鹸で体を洗っている)「ちょっとこの田舎娘、なんで裸で風呂入っているのよう!」と大騒ぎするシーンがありました。実は昔はヨーロッパでは下着を着たまま風呂に入るのが常識で、他にもジャン・レノが主演した「おかしなおかしな訪問者」というフランス映画でも、中世からタイムスリップした騎士が下着を着たまま風呂に入るシーンがあります。日本でそれをやったら風邪を引くとしか思えません。
しかしその一方、ビーチでおっぱいを出したりサッカー場では興奮した若者が真冬でも上半身裸になったり、「お前らは着たいのか脱ぎたいのかどっちなんだ」と聞きたくなるほどです。
ヨーロッパ人の「裸になりたい症候群」はかなり歴史が古く、古代ローマのあの「ガリア戦記」では「ガリア(今のフランス)人は戦闘の直前になると興奮して脱ぎだす。これから刃物で斬りあいをするのに裸になるってどういうこと?ほんと野蛮人だよ」という文明国家ローマ人の戸惑いが書かれています。

昭和40年代頃までは、日本でもバスの中とかで赤ちゃんに普通におっぱいをあげていたわけです。別に誰も気にしなかったし、お母さん本人(当時は結婚が早かったので20代半ばのお嬢さんのはずです)も気にしなかったのです。今もし山手線の車内で若いお母さんがおっぱいを出したらこっちが戸惑ってしまいますね・笑。
韓国や中国の「前を隠さない」というのは、その昔の日本のおおらかさと同じだと思います。中国にはあの有名なニーハオトイレも地方ではまだまだ見られるそうですからね。
私はアラフォーですが、幼児の頃の写真を見ると、結構フリチンの写真が残っているんですよ。フリチンのまま近所の子と遊んでいたりね。あの金太郎の前掛けのアレを着てフリチンです。男の子も女の子も、幼児がすっぱだかでそのへんをウロウロしてても世間は「あら可愛いわねえ」って笑っていました。何がどう変わったのかは分かりません。

この回答への補足

以前とことなり、ベストアンサーが一名しか投票できず、残念です。

たくさんの回答をいただいた中で、

>「ご先祖様が知恵の実を食べたからだよ」

一番知的なウイットをもった真実?だと感じました。
重ねてお礼申し上げます。

補足日時:2012/10/31 10:39
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この回答へのお礼

ありがとうございます。またまた、回答というよりコラムと呼ぶべき大作で、
感謝感激です。

>その昔の日本のおおらかさと

いつから変わったのか・・・少なくとも戦後だとは前回答を拝読して感じた
のですが、そのきっかけが知りたいなあと思うわけです(苦笑)。
私は、回答者さんよりひとつ世代が上なので、一生懸命思い出したいのです
が・・・子供の頃の公衆浴場で大人が前を隠していたか否かが思い出せない
でいます。もちろん、幼少時は銭湯に手をひかれてかよった口なんですが・・。

>中国にはあの有名なニーハオトイレも地方ではまだまだ見られるそうですからね。

三年ほど前に、中国の高速道路のSAで、壁のない穴だけの男性用大便
スペースを見ました。これは、どんなに歴史を学んでも、私には利用不可能な
代物です。

欧米文化は、さわり程度しか経験なく、隠したいだか出したいんだかという
ことだと、出したいって思ってしまってました。服を着たままの入浴という
歴史を教えていただき、ただ、ただ驚いているわけです。
米国人は、とにかくお尻は、他人を馬鹿にしたり、笑ったりする種にするの
が好きな連中ですんで・・・男女が並んで裸のお尻を並べる祭りなぞは
おおらかだなあって思います。この場合は、身体の構造上、男性より女性が
陰部がおおらかになっちゃうわけですが・・・彼らは平気なわけで、理解
に苦しんじゃいます。まあ、そんなにはっきり見えるわけじゃあないから
良いのかもしれませんが・・・。

次回の海外でのサウナ等は、おおらかにいけるんでは・・そんな勇気の沸く
解説でありました。重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2012/10/29 16:13

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