トインビーというイギリスの歴史家が、確しか「19世紀は、ヨーロッパ文明が世界に拡散した世紀である」と言ったような記憶があります。ただし、トインビーが言ったのか、外の人が言ったのか、そもそも誰も言っておらず私が単に思っていたのか、わかりません。仮に、誰かが言ったとしても正確な内容は覚えておりません。何もかも曖昧です。仮に、トインビーがそのようなことを言ったと仮定して、話を進めます。
歴史では、細かいことを調べることも当然大切であることはわかっています。しかし、ある世紀はこういう時代であった、というようなマクロに、丸ごと考えることも大切だと思っています。
それで、質問したいのは、20世紀は、大づかみにいうと、どういう世紀だったのでしょうか。同じように、19世紀や18世紀・・・は?、なども教えて下さい。
回答は、その人の歴史観や人生観に大きく左右され、個々人で当然違うとは思い、非常に無茶な質問とは思いますが、教えて下さい。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
トインビーの「19世紀は、ヨーロッパ文明が世界に拡散した世紀である」という言葉を下敷きにするなら
「20世紀は、ヨーロッパ文明が世界に定着した世紀である」
というのが妥当なところではないでしょうか。
そもそも「ヨーロッパ文明」とはなんでしょうか。実際のところルネッサンスが始まる直前の中世ヨーロッパはアジアよりも人口や文化に劣り、アラブよりも学問(宗教だけでなく数学・天文学・建築学など)に劣ったどちらかというと後進国だったといえます。
それが14世紀頃から始まるルネッサンスによって活性化され、キリスト教の新しい考え方を産みます。それが16世紀までかけて熟成された後、さらに啓蒙主義を生み出したのです。
この啓蒙主義とそれによってもたらされた、ポスト封建主義(私たちは資本主義と民主主義と呼んでいます)がヨーロッパ文明を世界に広める大きな役割を果したのです。
この点で、20世紀はヨーロッパ文明から一番遠い国である日本の近代化(資本主義化と民主主義化)が為され、その後2回の大戦を経て、植民地が独立する形で世界中が近代化され、そして20世紀最後のイベントはソ連の崩壊による事実上の共産主義の終焉によって、20世紀中に世界の近代化が完了したといえます。
21世紀の今日、共産主義であっても資本主義的な運営を行わないところはありません。ですから20世紀はヨーロッパ文明が世界中に根付いた世紀である、と思います。
回答ありがとうございます。
質問欄に書きましたように、トインビーの言葉は曖昧な記憶ですが、仮に彼がそのとおり言ったとして、説明されていることになると思います。
<ヨーロッパ文明が世界に定着した世紀である>
ですね。最後は、
<共産主義の終焉によって>
<資本主義と民主主義>とが、
<世界中に根付いた世紀である>
ということですね。
歴史の俯瞰を通して、ダイナミックに、20世紀を描いていただきました。
No.11
- 回答日時:
前回書き落とした部分とオヤオヤと感じる説に関しての訂正をさせていただきます。
>そもそも「ヨーロッパ文明」とはなんでしょうか。実際のところルネッサンスが始まる直前の中世ヨーロッパはアジアよりも人口や文化に劣り、アラブよりも学問(宗教だけでなく数学・天文学・建築学など)に劣ったどちらかというと後進国だったといえます。
それが14世紀頃から始まるルネッサンスによって活性化され、キリスト教の新しい考え方を産みます。それが16世紀までかけて熟成された後、さらに啓蒙主義を生み出したのです。
この中にある「アラブ」はこの段階では成立していません。イスラムであり、それは一つの思想に基づいた政治システムを示すものです。そしてこのイスラムに対峙するのがキリスト教的価値観です。
ルネサンスはキリスト教による中世社会からの脱却を志向する「合理精神形成」の潮流であり、明らかにキリスト教(法王庁)との対立関係にあります。
ルネサンスおよび宗教改革以後のキリスト教が、どの様に熟成されそして啓蒙主義を生み出したというのでしょうか。
>この啓蒙主義とそれによってもたらされた、ポスト封建主義(私たちは資本主義と民主主義と呼んでいます)がヨーロッパ文明を世界に広める大きな役割を果したのです。
ここにトインビー主義者の典型的な理由付けが示されているともいえます。少なくとも近代市民社会の形成は、封建的経済システムから資本主義(前期資本主義)的生産システムへの移行過程と説明される。
それは思考様式としての“ism”を指す呼称ではなく、様式としての“style”を指し示す用語です。両者を恣意的に混同させることは学問的に認められる行為とはいえません。
また“Capitalism(資本主義)”と「民主主義」は必ずしもイコールの関係にあるともいえません。19世紀末から20世紀に掛けての資本主義は帝国主義段階と呼ばれ、帝国主義は枠組みとしての国家・領土を越えて展開します。
>この点で、20世紀はヨーロッパ文明から一番遠い国である日本の近代化(資本主義化と民主主義化)が為され、その後2回の大戦を経て、植民地が独立する形で世界中が近代化され、そして20世紀最後のイベントはソ連の崩壊による事実上の共産主義の終焉によって、20世紀中に世界の近代化が完了したといえます。
「近代化」と「経済システムの移行形態」をどの様な関係と理解しているのか理解に苦しみます。確かにカール・マルクスの『経済学批判』の序文および『資本主義的生産に先行する諸形態(遺稿)』には原始共産制以後の生産様式の変遷が分析されていますが、それと時間軸としての20世紀の関係には一言として触れてはいません。またそれが「いつどのような形で訪れるか」も明確には示していません。
テクニカル・タームとしての「近代化」が一つのイデオロギーとして形成されるのは1950年代から60年代にかけての話であり、当時の冷戦構造を前提とするアメリカの国際戦略抜きにしては語ることができません。1945年以後のアメリカは世界中に対し「常に相手を捜し求める」形で、アメリカン・スタンダードの正当性を誇示してきましたが、それも実質的に70年代のベトナム戦争の敗北および米中接近を起点として「内実のないハリボテ」が暴露された形です。
『ベルリンの壁の崩壊』が象徴するものは「超大国による支配の終焉」ではあるものの、「事実上の共産主義の終焉によって、20世紀中に世界の近代化が完了した」といえるでしょうか。この文脈を辿りますと、「近代化とは共産主義の終焉」となってしまい、資本主義の矛盾やその後にある経済システムの枠組みは何であるかとの問いに答えることができないことになってしまいます。
従って、上記の見解には「ポスト封建主義(典拠不明)」「資本主義」「近代化」の内容が一言として説明されていない部分に途轍もない誤解と問題が内在していることだけは明らかです。
トインビーが「歴史家」として内包している最大の問題点は、彼の持論で根幹とされる「文明」を形成する要因が自然的環境と偉大なカリスマ的指導者に求められている部分であり、これは不可知論と批判されても仕方のない所です。殊に「指導者」の概念が問題であり、権力との関係・権力の形成過程が明確に示されていない点であやしげな宗教とかわりありません。また近代歴史学の要件である実証性およびそれに基づく合理的な理論体系が構築されていないとの点で「物語の類」の域を出ないと評価されています。
追記。
ニーチェによる「神殺し」がどの様な意味を有しているのか。少なくともニーチェの構想にあったのは「原点回帰としてのヨーロッパのあり方」の模索であり、そのために中世ヨーロッパをシンボライズする「教会」の仮面をはぎ取るための行為だったともいえます。これが「ルネサンス」の本質的部分であるともいえます。
再度の回答ありがとうございました。
TANUHACHI様の回答は、難しく、なかなか理解できませんでした。当然です、私は理解するに相応しい歴史の知識をほとんど持っていませんので。
ただ、いろいろな見方があるのだなぁ、と痛感しました。
トインビーの問題点についても提示して頂きました。
少しはわかったところは、今回の回答の本流にはあまり関係ないところですが、アメリカは
<アメリカン・スタンダードの正当性を誇示してきました>
です。よく言われる、アメリカは世界の警察官を自称しているところですよね。これの良い面で発揮されたのが、北日本大震災で、航空母艦まで動員してして災害の救済に活躍した、ことと思います。
No.10
- 回答日時:
私は人類の発展は科学の発展と密接な関係にあると思っています。
その観点から言わせてもらえれば
16世紀 大航海時代
17世紀 古典物理学の時代
18世紀 産業革命
19世紀 民主化の時代・電磁力学の時代
20世紀 電気の時代
ガリレオ辺りから急速に科学が進歩し出すわけです。
高校数学で習う対数、微積がこの頃体系化され、天文学の大幅な進化を生みます。
欧米の文化の礎になったのは実に2500年前のギリシャ文化です。
人類は自然現象を数式にするという発想を紀元前に持っていましたが、
都市国家の滅亡の過程でそれがいったん途切れてしまいました。
再会するのに実に1700年あまりの年月がかかっているわけです。
もし、中断がなかったら平安時代に電気の時代が達成されていたかもしれませんし、
あるいは、ギリシャ文化がなかったら、今でも我々は馬で移動し、人力で田畑を耕していたかもしれません。
回答ありがとうございました。
なるほど
<電気の時代>
ですね。
目に見えない(装置は見えますが)何かが、(特にエネルギーと情報分野において)20世紀に大きい影響をもたらしてきましたね。
私の月並みの発想では、今世紀は、電子または原子力の時代になる、のでしょうか。
No.7
- 回答日時:
>20世紀は、大づかみにいうと、どういう世紀だったのでしょうか。
20世紀は人類が地球規模で繋がった時代だと思います。
その原動力はイギリスの産業革命に端を発する
蒸気機関の発明であり、
繋がる過程の方法が大国による植民地政策であり、
その軋轢が二度の大戦であったと。
形式的ではありますが、国連というような、
全地球規模の組織ができあがったのも
その象徴と言えると思います。
回答ありがとうございました。
なるほど
<人類が地球規模で繋がった時代>
ですね。
その前が、国や民族内で繋がり、その前は、村や町内で繋がる、となりますね。
人の意識も、国連などに示される地球(世界)意識、国民意識、町民意識に対応するわけですね。
今世紀は、地球から飛び出しいって、宇宙規模で繋がった時代、になるかもしれませんね。
No.4
- 回答日時:
一言でいうならば『20世紀』=「戦争と革命の世紀」でしょうね。
またトインビーの文明史観はその後の歴史学者によって悉く批判の対象となっていて、現在では評価にも値しない程度の存在です。
その根拠としては、歴史は単なる時系列の蓄積ではないこと。時系列で括ってしまった場合には、「空間としての歴史」概念を捨象することと同義でもあること。そしてそれを構築する「構造としての歴史」を排除することにもなります。ですからPax Romana、Pax Britanika、Pax Americanaそして冷戦といった歴史事象を~世紀は何の時代などと乱暴に括ることはできないことになります。
早急な回答ありがとうございました。
<「戦争と革命の世紀」>
ですね。
言い訳することになりますが、私は、歴史をまとめて読んだこともなく、考えたこともなく、単に断片的に本を読んだくらいの知識しかありません。
<トインビーの文明史観>は、かっては有名だったようですが、今はあまり良く評価されていないのですね。なるほど、
<歴史は単なる時系列の蓄積ではない>
ですね。ただ、不勉強者には、Pax ・・・・などは、耳触りが良いので、つい記憶していたのかもしれません。
No.3
- 回答日時:
「大量生産、大量破壊の時代」でしょうね。
まず、人口が爆発的に増えました。20世紀初めには世界人口は推定で約20億人でしたが、21世紀になる頃には約60億人になりました。何より人口が「大量生産」されたというべきでしょうね。1901年はまだ日本は明治時代で、世間はまだ真っ暗でした。20世紀が終わる頃、夜に人工衛星から地球を見てもその形が分かるほど電灯が世間に普及しました。
第一次大戦と第二次大戦ではかつてないほどの大量破壊が行われましたが、大量破壊ができたのも、それだけ生産することができたからでした。原爆は究極の大量破壊兵器といえるでしょう。
早急な回答ありがとうございました。
なるほど
<「大量生産、大量破壊の時代」>
ですね。
工業などの隆盛により大量生産が可能になり、(#1の回答者様も挙げられているように)大戦などにより大量破壊が行われたのですね。
19世紀は、工業の発展の時代になるかもしれませんね。
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