人生のプチ美学を教えてください!!

経済を学んでいる学生です。
アダム・スミス、リカード、ミル、マルクスらの経済学の概要については、一応は勉強した(講義を聞いた)のですが、このコラムの意味が理解できませんでした。
特に最後から2つめの段落、「『効用か費用か』で現実を論ずることは限界に近づいている」という部分がさっぱりわかりません。
初心者にもわかるように説明していただけないでしょうか。アホな質問ですみません。

A 回答 (3件)

おそらくポイントはここでしょう。

参考URLより引用

「カネボウの化粧品事業の営業キャッシュフローは
年間約三百億円。買収額が約四千五百億円だとすると
営業キャッシュフローの十五倍にあたる。
企業価値の算定には、時価総額と純負債の合計額を使うことが多い。
日本の化粧品会社の時価総額と純負債の合計額は
営業キャッシュフローの平均八倍程度。
それと比べるとキャッシュフローの十五倍という買収額は
割高にも見えるが、全体の四割強の二千億円程度が
商標権への評価だったようだ。

花王はカネボウブランドに二千億円の価値を認めた計算になる。 」

>「株価で会社の価値が決まる」というのは、市場のつけた値段、
>他人の欲望のつけた値段が価値だ、っていうような
>プラグマティズムだと解釈していいんでしょうか?

アムラー氏は、「・・・アメリカニズムの思考原理は・・・」と
言ってますから、おそらくいいんでしょう。

>だったら、カネボウのブランドの価値を市場が評価し、
>それによって会社の価値が決まることと「効用説」は
>矛盾しないんじゃないか・・・って思ってしまうんですけど。

ここで評価しているのは、市場ではないんです。(おそらく)
花王です。花王は、効用に基づいて価値を算出しているのではなく、
カネボウというブランドに価値を見出している、
ということでしょうか。

参考URL:http://cache.yahoofs.jp/cache?url=http%3a%2f%2fj …
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます。

>ここで評価しているのは、市場ではないんです。(おそらく)
>花王です。

なるほどー。そう考えれば納得です。
この筆者が言いたいことはわかった気がします。
どうもありがとうございました。勉強になりました。


=======================
以下は僕の勝手なひとりごとです。

このコラム、悪文じゃないのかなぁ?
それとも、日経の平均的読者は、このくらいすぐにわかるのかなー。僕が不勉強なだけなのか?

それと、花王がカネボウのブランドを高額で買収しようとしたのも、消費者が「花王が作った花王ブランドの化粧品」よりも「花王が作ったカネボウブランドの化粧品」を高く買う(と見込める)からなんだし。
ブランドの価値っていうのは「他人に欲望を起こさせる力、たくさん金を払わせる力」とも言えるわけだし。

としたら、ブランドに巨額の値段がついたことは、効用説を補強する証拠になっても、否定する証拠にはならないんじゃぁ?
「必要だから欲しい」のも「欲しい気がするから欲しい」のも、どっちも需要なんだし。うーん。。。

お礼日時:2004/02/26 23:27

私も新聞に載せるような文章かなあ、と思います。


私の解釈が正しいとした上で、

1.限界革命をある程度理解していないといけないこと。
2.「花王はカネボウブランドに二千億円の価値を認めた」
という情報を知っていないといけないのに、
文中では明記されていない(強調されていない)こと。
3.イントロは意外性があってよかったのにその後の
つながりが不明なこと。(ほんとにそういう意味で日銀幹部は言ったの?)
4.具体例に乏しい。
「資本主義が抱える矛盾を会社は巧みな『いいとこ取り』で乗り切ってきた。」
私からすると、なんのことがさっぱり分からない。

以上、まとめると欄の大きさのわりにテーマがでかすぎます。
日経は、科学欄なども他紙と比べ異常に詳しかったりするので
いいんですけどね・・・
まあ、それが売りだと思えばいいんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですよね! 1はともかく、2~4は筆者の責任ですね。
それとカネボウ事件の意味をどう捉えるか、この筆者の見方はバランスとれてるのかも気になります。

何度も丁寧にご回答くださりありがとうございました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2004/02/28 01:34

私もその文を読んでさっぱり分からず流してしまったのですが、


今日改めて読み直してみました。

「『効用か費用か』で現実を論ずることは限界に近づいている」
という文の一歩前に「平均的個人」という単語が見えるかと思いますが、
おそらくrepresentative agentにあたる概念だと思われます。
経済学では、個人の多様性は理論的に扱いにくいので、
個人の平均的な特性を仮定して効用理論のようなものが
作られたと私は理解しています。

しかし、日亜化学、カネボウに見られるように
平均的な個人の積み上げではなく、一握りの天才たちのような
偏差値(受験勉強の意味でなく、あくまで統計用語;
平均からずれている、ぐらいの意味)の高い人間によって、
あるいはブランド価値のようなよく分からない価値
(少なくとも興味ない人間にはさっぱり分からない価値)
によって、現代の会社の価値は決まってしまいます。

という意味で「限界に近付いている」のではないでしょうか?

私は経済学を勉強しているとは言っても
ゲ-ム論なので限界革命うんぬんはあまり知りませんが
参考にしてください。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。なんだかだいぶわかってきた気がします。

>経済学では、個人の多様性は理論的に扱いにくいので、
>個人の平均的な特性を仮定して効用理論のようなものが
>作られたと私は理解しています。

そうかー、そうですよね。費用説も、その点では同じですよね。


・・・で、すっかりわかった気分になりかけたんですが、

>ブランド論や発明論に仮託して問われているのは、会社のエンジンを支えてきた平均的な人間の価値そのものである。
  の部分と、
>株価が会社を評価するという効用説
  の関係がやっぱりわかりません。

「株価で会社の価値が決まる」というのは、市場のつけた値段、他人の欲望のつけた値段が価値だ、っていうようなプラグマティズムだと解釈していいんでしょうか?
だったら、カネボウのブランドの価値を市場が評価し、それによって会社の価値が決まることと「効用説」は矛盾しないんじゃないか・・・って思ってしまうんですけど。

つまり、カネボウのケースは、伝統的な効用説が「限界に近づいている」ことを意味するわけじゃなくて、逆に効用説でしか会社の価値を計れない時代がきた、ってことを意味するような気もするんですが・・・。う~~~ん (><*


せっかく丁寧に解説してくださったのに、のみこみが悪くてすいません。
もしお暇があったら、もうちょっと教えてください。


ご回答どうもありがとうございました。m(_ _)m

お礼日時:2004/02/25 23:25

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