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こんにちは。太平洋戦争におけるアメリカ側の失策等について質問したいと思います。

先日図書館にて歴史に関する雑誌を立ち読みしたのですが、その中に南太平洋海戦
というあまり馴染みのない海戦についての記事が乗っておりました。

その海戦は戦闘では日本側の勝利に終わったようであり、その勝利の要因の中には
アメリカ側の失策もあったように読めました。

また逆に日本側がかなり合理的に空母を動かしているようにも思えました。つまりその
記事を読んでみて、意外と日本人もしっかり考えていたのだなと思ったのです。

そもそも私は太平洋戦争のおける日本の緒戦の勝利は連合国側の油断と二線級の部
隊によるものであり、アメリカが本気を出した後はなすすべもなく負けたと思っていました。

さらに具体的にいえば、非合理で精神論だけで最初の勢いで勝っていた日本が、合理
的で冷静で理知的なアメリカに最終的には完膚無きまでに叩きのめされたとイメージし
ていたのです。

しかしその記事を読んでみてアメリカも意外と失策をしているのだなという事と、日本も意
外としっかり戦っていたのだと思うに至りました。記事を読んでいても南太平洋海戦の時
点ではアメリカが油断しているようにもみえませんでしたし、また二線級の部隊で手を抜い
ているように見えなかったからです。

そこで太平洋戦争を語る時に勝ったゆえにあまり語られることのないアメリカ側の失策、
もしくは無能な司令官、または無意味な作戦などアメリカの不合理な点などを教えてい
ただけたらと思います。

もちろんこの質問でアメリカという国をことさらに貶めるつもりはありません。ただ私個人と
しては、100%合理的という事も100%不合理な事もないと思うので、アメリカ=合理的で理
知的で冷静というイメージとは違うアメリカを見てみたいと思っております。

A 回答 (9件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%A4%AA% …
これ?

結果
この海戦でアメリカ軍は「ホーネット」を失い、「エンタープライズ」も大破したため、太平洋における稼働空母数は一時的に0となり、アメリカ軍側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた[135]。しかし搭乗員の損害は少なく、「エンタープライズ」をヌーメア(ニューカレドニア)で応急修理を実施して第三次ソロモン海戦を始め、ガダルカナル島近海に進出してくる日本軍の艦艇に脅威を与え続けた。

これが端的にまとめていると思うが。

この段階で、海軍兵力では 日本>アメリカ
この兵力差の状況で、日本の進出を防げたというのは、戦略的勝利じゃないの?

戦争の終結へのグランドデザインがあったかどうかの違いだと思いますよ、日米の違いは。

該当の戦闘における空母の運用云々というのは、美味しい料理(戦略目的)を出すのに、包丁使い(空母の運用)がうまかっただけで、料理が出せなかったと言えるんじゃないの?


不要というか不合理に思えるのは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3% …

日本打倒のために、中部太平洋侵攻とニューギニア=フィリピン侵攻の二軸侵攻が取られたけど、インドネシアをほっておいたように、フィリピンもほっておいたほうが効率的(アメリカの出血も少なかった)んじゃないかと思うんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

とても参考になりました。

お礼日時:2013/04/20 08:54

失礼ながら、質問者さんの世界観そのものが現実的でないように思えます。



100%合理的なら、敵の位置や規模や意図がすべてわかるでしょうか?

高性能レーダーに飛行機が写っても、そのパイロットの戦意や任務は写りません。

どんなに優れたスパイでも、敵の心を読み取る事はできません。

いや、自軍の将兵の能力すら正確には把握できません。

戦争に限ったことだけでなく、この世は分からないことだらけです。

分からない以上、合理的であろうとはできても、結果的には不合理な事をいっぱいしてしまうものです。現実の世界では。目を閉じて行うスイカ割りみたいなものです。戦争も。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私としては同じミスでもどうしようもないミスと
防げたミスがあると思います。そしてその防げた
のに防げなかったミスを不合理という言葉で表現
しました。

なんにしても文章はわかりにくかったみたいで申
し訳ありませんでした。

お礼日時:2013/04/20 09:12

いえ、基本的に、


アメリカ軍にとっては合理的な判断の元でアメリカ軍は戦っており、
日本軍にとっては合理的な判断の元で日本軍は戦っています。
そこをudon-sobaさんは勘違いしているのではないでしょうか。

作戦が失敗してしまうことや結果が伴わなかったことはまた別の話でしょう。
問題なのは、外野がどう見てしまうかということです。


単に失敗した、判断ミスをした事例を知りたいだけなら話は別ですが、それは合理的だの理知的だのとは全然違うものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私としては、たとえその行動を起こしたものにそれなりの理由があ
ったとしてもそれがある目的を達成するための方法として理にかな
っていなければそれは不合理と呼べると思います。

そして目的に対して理にかなった方法をとらなければ失敗する可能
性も高まると思うので、失敗と合理性は全然違うものだとも思えま
せん。

なんにしても私の文章がわかりにくかった事については反省してい
ます。申し訳ありませんでした。

お礼日時:2013/04/20 09:26

1944年8月以降の米軍は失策しかありません。



9月、フィリピン奪還作戦の前哨基地としてペリリュー島の確保に動いたのですが、3日で攻略する作戦が3ヶ月要しました。日本側は戦闘員僅かに6000名で、米軍は二個師団を投入、戦死傷1万名弱、PTSD数千名を出しました。

フィリピン作戦も1年かかっても攻略出来ず

硫黄島はあまりにも有名

沖縄戦も9万の日本軍を全滅させるのに司令官は戦死(米軍唯一の司令官戦死)・8万名以上の戦死傷、PTSD数万人、艦船数百隻が特攻で損傷、シャーマン戦車は7割以上撃破される散々な結果でした。

本土空襲も400機を失い(この内、日本上空で墜落したのが約200機)、損傷した機材を含めると600機ほど損害を出しました。

軍及び国務省は戦争継続不可能と判断したのです(日本列島侵攻作戦は無理)
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この回答へのお礼

お礼遅れてしまい申し訳ありません。

これまでの私の印象では、アメリカが反抗に転じた後は難なく日本本土
まで迫っていたと思っていたので、このような苦しい戦いもあったとい
う事がとても意外でした。

もしかしたら1944年以降の米軍には楽勝ムードが生まれて詰めを誤り、
不必要な損害を被ったのかもしれませんね。

お礼日時:2013/05/02 07:49

udon-sobaさん、おはようございます。



僕はアメリカの失策を挙げるならば、これより少し前の第一次ソロモン海海戦だと思います。確かにこの南太平洋海戦が日本側の戦術的勝利であったということは確かだと思います。ただ、ここで日米の間での補給や修理能力の点で米側がかなり有利だったということが明らかになってきます。たとえば、日本海軍が失った航空機や搭乗員はとても優秀な人が多く、彼らのレベルに達する搭乗員が出なかったことや損傷した艦船の修理能力の差が浮き出てきます。また、この頃になると日本国内に残っている重油が百万トンを切っていたことから考えると、とても次の攻勢作戦を取るための能力をほぼここで使い切ってしまったと思います。次の第3次ソロモン海海戦でさらに戦艦を二隻も失ってしまうことからさらに日本の戦力は減少しているのに対し、米側はかなり戦力が充実していきます。たった1年足らずのガダルカナル島争奪戦で日本海軍はその力がかなり落ちてきました。
この点米側は、終始一貫して戦略的に補給や修理能力の点の弱い日本を消耗戦に持っていった分だけ有利だったと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

質問文に南太平洋海戦の事を書きましたが、単純に日本側の
勝利と捉えるのは間違ってたみたいですね。

ここでの消耗戦が日本側の体力を奪いその後に大きく影響を
与えた事がよくわかりました。

それと米軍の失策として第一次ソロモン海戦が挙げられてい
るのでそれについて詳しく調べてみようと思います。

お礼日時:2013/05/02 07:58

陸戦なんですが、


日本軍の不合理として、
補給軽視とか銃剣突撃などがあげられていますね。
しかし、この論は間違っているんです。

今日のアメリカ軍も銃剣突撃を訓練しています。
近代の陸戦は、
(1)まずは後方の大砲と爆撃により、敵陣を支援攻撃。戦死者の多くはこの時。
(2)前線の機関銃や迫撃砲で、生き残った敵兵の頭を上げさせない近接支援攻撃。この間に歩兵は遮蔽物を利用して低姿勢で前進。
(3)十分接近してから立ち上がって銃剣突撃。走りながら撃っても無駄なので銃剣を使用。

日本軍も十分な補給があれば、十分に(1)と(2)を行いました。補給が無いからやむを得ずに(1)と(2)を省略することがあったのです。

また、補給軽視の件なのですが、
そもそも、本気のアメリカ軍を敵に回して、十分な補給を届かす方法があるでしょうか?
アメリカ軍は、補給路の護衛のために、護送空母と駆逐艦を100隻ずつ作っています。それでも、しばし、海兵隊は水不足に苦しんだそうな。
この護衛艦隊を守るために、主力艦の決戦で勝たねばならず、主力艦を守るためには空中戦で勝たねばなりません。ものすごい工業力が必要です。
南の島に補給を届かすには、アメリカ並みの国力が必要だったのです。

日本軍は、戦闘機の製造にかけ、戦車の製造を中止してまで戦闘機を作りました。アメリカの10%以下の工業力で、アメリカの30%もの戦闘機をつくりました。粗製濫造で故障が多かったそうですが。

日本軍はアメリカに対して、意外と健闘したのです。そもそも、アメリカと戦うことが間違ってますが。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

貴重な話をありがとうございます。私としては、当時の
日本はバカ、アメリカは利口という考え方とは違う意見
を聞きたくてこの質問をしました。

そのため日本がバカという時に必ず持ち出される銃剣突
撃と補給軽視について、バカと切り捨てる以外の意見が
きけてとても勉強になりました。

質問者さんが最後におっしゃられた通りアメリカを敵に
した事自体が誤りだったとは思いますが、個々の場面に
おいては日本側も決して無能とは言い切れないと思いま
した。(もちろん無能な司令官等はいたとおもいますが)

お礼日時:2013/05/02 08:06

(1)開戦劈頭、ハワイを奇襲された事。


ハル・ノートを日本側に渡した翌日の11月27日に、米海軍のスターク海軍作戦部長は、ハワイのキンメル太平洋艦隊司令官にあてて警報を発しています。「本電を戦争の警報とみなせ。日米交渉は終わりを告げ、日本の攻撃的行動がここ数日中に予想される。・・・」と。
米陸軍のマーシャル陸軍参謀総長も同じ11月27日に、ハワイのショート陸軍部隊司令官に警報を発しています。「日米交渉は日本政府から継続の申し入れが無い限り終わったように思われる。日本の今後の行動は予測できないが、すぐにも敵対行動が始まる可能性がある。・・・」と。
そして、この警報を受けとったハワイでは、その日のうちに陸海軍合同の幹部会議が開かれます。
しかし、そこでの判断は日本軍によるハワイ攻撃はありえないと判断するものでした。
そしてハワイ周辺の哨戒については月曜から木曜まで毎日、訓練を兼ねた哨戒機を飛ばしていましたが(北と北西にも哨戒機を飛ばしていました)、金曜から日曜日にかけては、哨戒機の整備とパイロットの休日にあてていました。
そして、ハワイの現地時間で12月7日の日曜日に、日本軍による真珠湾奇襲を受けます。
このハワイに奇襲を受けた事について米国は原因を究明するために調査委員会を設置しますが、キンメル太平洋艦隊司令官とショート陸軍部隊司令官に誤りがあったと結論が出ました。
警報を受け取っていたにも関わらず、警戒を強化するどころか日本軍を侮って奇襲を受けたキンメル、ショートの両人は、大きな判断ミスをしたと言えるでしょうし、両人が責任をとらされ解任されたのも当然かと思います。
ちなみに真珠湾攻撃前に、陸軍のマーチン少将や海軍のベリンジャー少将は日本軍による真珠湾攻撃の可能性をありえると声をあげていましたが、彼らの発言が受け入れられる事はありませんでした。

(2)開戦初期、フィリピン防衛に失敗した事。
日本軍がフィリピンを攻撃して来た場合、米軍はバターン半島に撤退して抵抗する作戦でした。計画では4万3千人の6ヶ月分の食料を運び込み、米本土から救援が来るまで6ヶ月間持ち堪える作戦でした。
しかし、開戦となるとマッカーサーは一説によるとマニラ市に保有する自分の財産を保護・処理するためにマニラからの撤退を遅らせます。実際、バターン半島での篭城命令は12月23日になってようやく出されます。しかし、この遅れは致命的で食料は2ヶ月分しかバターン半島に運びこめず、抵抗の準備は遅れました。
しかも、その後のマッカーサーの指揮ぶりも優れたものを見せる事はなく「カムバックした元チャンピオン・ボクサーが久しぶりのリングの上でとまどう姿を思わす」と酷評される始末です。
兵士達までもが、コレヒードル島要塞に篭ってなかなか姿を見せないマッカーサーを「穴堀りダグは、岩の上、ぶるぶる震えて身を伏せる・・・」と馬鹿にした歌を作って歌うしまつです。
フィリピンの早期陥落はマッカーサーの指揮に問題があったと言えるでしょう。

(3)ロサンゼルスの戦い。(情報の問題&米国内のパニック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5% …
上に貼ったウィキを読めばわかりますが、1942年2月25日、米軍は幻の日本軍相手に戦争しています。
なお、これより前の1941年12月8日にはサンフランシスコが爆撃されるとか、12月9日には日本艦隊がサンフランシスコとロサンゼルスとの間を航行中とか、12月11日には日本の主力艦隊がサンフランシスコ沖に到着などという情報が、米本土西海岸を防衛する米第三軍司令部に寄せられています。
当時の第三軍司令官は12月11日の日記に「全軍警戒態勢を発したが、どう対応すべきか見当もつかずに部屋をぐるぐる歩き回るばかり」と書いています。
これらは不正確な情報に踊らされた例ですが、こうした事例はこれだけでなくもっとありますから、いかに当時の米軍の情報収集態勢に問題があったか分かろうと言うものです。

(4)潜水艦の魚雷問題。
開戦初期、米潜水艦は魚雷の低性能と不良品に泣かされました。
日本の輸送船、第三図南丸などはいいで例で、米潜水艦から5本も魚雷を命中されましたが、なんと全部不発で爆発しませんでした。
米潜水艦の艦長達は魚雷の欠陥の報告をしましたが、米海軍軍需局と魚雷研究センターは魚雷の欠陥を当初は全く認めず、攻撃が失敗するのは米潜水艦の艦長と乗員の腕のせいにしました。
最終的には魚雷の欠陥を軍需局も認めますが、新型のまともな魚雷は1943年秋になってようやく配備されるようになりました。つまり、米潜水艦は開戦から約2年近くもの間、欠陥魚雷を使わされ、戦果を台無しにされ続けていたのでした。

(5)人種問題。
米国には激しい人種問題の対立があり戦争遂行に障害となっていました。軍内部でも黒人対白人の対立があり、ルイジアナの暴動では28人の黒人兵が射殺され3千人が逮捕されています。3千人と言えば丸々1個連隊に相当します。
第二次世界大戦中の米本土での人種対立については、以前ここで「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」という質問で、私はNo.14で回答していますので、それを読んでいただけたらと思います。
「日本が太平洋戦争で犯した最大の失策」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7671998.html

(6)訓練プログラムの問題。
よく日本軍は精神主義で科学を疎かにしたと言われます。
その逆に米軍は精神主義を疎かにしすぎました。
その結果は米軍の兵士が戦争神経症にかかる割合が日本軍やドイツ軍の三倍にもなるという数字です。
さらには、敵と交戦した兵士達のうち実際に発砲した兵士の割合は25%であり、4人に3人は敵に発砲せず、人を殺すことに対する道徳的葛藤や、発砲すれば今度は自分が敵の的にされるという恐怖から逃れられなかったという問題です。
科学を疎かにしてはいけませんが、精神も疎かにしてはいけません。

(7)米軍によるキスカ攻略作戦。
日本軍の撤退を掴めず、さらにキスカ攻略作戦では同士撃ちで100人死亡という無駄な損害を出しています。
「キスカ島撤退作戦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B9% …

(8)台風に2度、突っ込み無駄に損害を出す第38任務部隊。責任は査問会でハルゼー提督とマケイン提督にあるとされており、マケイン提督は更迭されます。
「ジョン・S・マケイン・シニア」・・・下のウィキの「神風と台風」の項目をお読み下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7% …

○まあ、他にも細かい事を言えば色々ありますから、結構、米側も失策を犯してますね。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

まず真珠湾攻撃についてですが、日本側の成功の要因の一つとして
アメリカ側の油断が挙げられそうですね。しかし一般的にはアメリ
カ側の油断が表に出る代わりに、日本側の卑怯な騙し討ちだったと
いう意見やアメリカ側は知っていてわざとやらせたという陰謀論に
よってその油断が覆い隠されているように思えます。

次にフィリピン防衛についてですが、これもアメリカ側の失策によ
り簡単に陥落したといえそうですね。しかしこれに関してもアメリ
カ側の失策を挙げるよりも、フィリピン防衛の米軍は二線級の戦力
であったという意見や日本側の突然の攻撃にアメリカ側の防衛体制
が整っていなかったという意見やアメリカは本気ではなかったとい
う意見によりその失策が一般的には見逃されていると思いました。

これらの一般的にはあまりあげら得ることのないアメリカの失策に
ついて数々の事例を教えて頂きありがとうございました。

お礼日時:2013/05/02 08:54

ちょいと脱線してしまいますが、


陸軍の射撃の実態について説明させてください。

しばし、「人間性が邪魔になって、敵に対して発砲できない。」説が語られますが、陸戦の実態を知れば、おかしいと気づけます。

なぜ、陸軍は狙撃兵以外はあまり実弾訓練をしないのか?なぜ、特殊部隊以外では、下士官の狙撃の腕が低いのか?

それは、なんと、狙撃兵以外の歩兵は、弾丸の命中を期待されていないからなのです。
近代の陸戦の「殺し」の主役は砲兵部隊です。彼らの関数計算が、敵の戦死者の70%を超えます。
次に、歩兵部隊の機関銃。さらに、迫撃砲。機関銃は、数発ずつ撃って、実質、長距離の散弾銃として使用されます。だから、当たる事があります。
歩兵の小銃に当たる敵の戦死者は1%ほどかな。

会田雄次氏が実際の陸戦を、
「砲撃の爆発音と砂埃で、何にも聞こえない、何にも見えない。」
と伝えています。
見えなくとも、歩兵は、敵の前進を防ぐために、「弾幕射撃」を行います。これが、歩兵の実戦での射撃。敵一個人を狙うのは「狙撃」。一般の歩兵は、敵のいそうな方向にテキトーに撃つんです。

軍事評論家兵頭氏は、
「歩兵は、機関銃のためにスコップで穴を掘れ。小銃など持つな。その分、機関銃の弾丸を持ってやれ。」と言ってます。そう、歩兵の小銃は、敵の前進を恐れる兵士のお守りに過ぎない事が多々あるのです。ちなみに、兵頭氏の作戦は、独ソ戦で、しばし、ソ連軍が成功させています。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

正直すべてが初めて知ったことなので驚いています。今まで
砲兵や歩兵などの役割についてはあまり考えた事もないので
砲兵によってほとんどの死傷者がでるというのには驚きまし
た。

そうなると砲兵の重要度がとても高いということになるので、
それらの砲兵を揚陸できた米軍の方が有利だと戦争において
有利だったと言えそうですね。

お礼日時:2013/05/02 09:19

>非合理で精神論だけで最初の勢いで勝っていた日本が



日本は日本なりに合理的には戦っていました。陸軍軍人も、海軍軍人も、エリートはバカじゃないんですよ。例えば陸軍は南方戦線に部隊を送ることを渋っていました。それは陸軍の仮想敵国がソ連だったからという理由もありますが、合理的な理由では「だって補給が持たねえじゃん」と分かっていたのです。ただ、ここから先が日本人的なのですが「いくら仲が悪いとはいえ、海軍の手前ある程度はお付き合いしないわけにはいかない」ってところがあったのです。
でもガダルカナルなんかの場合でも、ガ島では補給が不足しているというのは分かっていて、実は結構じゃんじゃん食料なんかの補給品は送っていたんです。だけど、あの人跡未踏のジャングルの中で補給ルートを作るってことを誰も考えなかったんですね。だから後方には食料が山積みになっているのに、前線に送る術がないから腐らせる。こういうチグハグさが日本軍の特徴ですね。

物流の世界で「ロジスティクス」というのがあります。東日本大震災のとき、日本中から支援物資が被災地に届きました。しかし支援物資はとにかく深い考えなしに送られてきますから、現場で必要としているものが届くとは限りません。阪神大震災のときはそれで混乱して、食料が不足しているのに毛布ばかりがじゃんじゃん送られてくるなんてことがあったそうです。
それで東日本大震災のときはあのヤマト運輸が会社としてロジスティクスのノウハウを投入しました。各地から送られてきた支援物資は、まず大規模基地にすべて送られます。基地では中身を開け、物資を水や食料や毛布や電池や衣類というふうに中身を分け、所定の位置に整理します。大規模基地の先には中間基地があり、そこを中継して各地に物資が届けられます。各地に物資を届けるドライバーは避難所などを回りながら、今不足している物資がなにかを聞き取り、それを中間基地で補給するのですが、足りない分は大規模基地へ注文して送ってもらうわけです。これで阪神大震災に比べれば支援物資の無駄と混乱はかなり減らせたそうです。

このロジスティクスの基礎は、第二次大戦中にアメリカで作られました。そのノウハウが体系化されて戦後ビジネスの分野に生かされたのです。なにしろアメリカはあの「史上最大の作戦」がありました。ノルマンディー上陸作戦で一番大変だったのは膨大な補給物資をどう滞りなく補給するかでしたから。

しかし東日本大震災でも混乱がなかったわけではありません。支援ルートから外れる避難所があったり、あちこちから支援物資が届いたので同じものばかりが来て山積みになったり。戦争というのもああいう大規模災害みたいなもので、混乱と無秩序は必ず起こります。それをいかに迅速に立て直せるかがその軍隊の能力なんだといえるでしょうね。

日本は対米戦にあたり、南方から石油などの物資を補給しないと短期戦でさえ充分に戦えないとちゃんと分かっていました。だからこそ南方作戦で各地を占領したわけです。そこまでは間違ってない。
だけど、「じゃあどれだけの物資をどこにどう持っていって何をどれだけ生産するか。そのためにはどれだけの船舶が必要か」なんていうグランドデザインを誰も考えていなかったのです。「そこは必死に頑張れ」しかなかったんですね。それが日本の不合理さの象徴といえるでしょう。
一方アメリカでは、日本ではほとんど名を知られていないのですが、アーネスト・キング提督という海軍作戦部長(海軍のトップ)が強烈を通り越して激烈なリーダーシップを発揮して海軍増強計画を推し進めました。このキングさん、本当に性格は強烈だったらしくて、上司からも部下からも蛇蝎のごとく嫌われた(ついでにDVだったので家族からも嫌われていたそうです)そうですが、とても有能なので海軍作戦部長の立場にいました。こういう「嫌な奴だが優秀だから」と抜擢できる合理性がアメリカの強さのひとつでもありますね。

ただ、このキング提督を筆頭にハルゼー提督、パットン将軍などの「有能だけど人格に問題アリアリ」な人は戦争が終わるとみんな失意の晩年を送っています。ハルゼー提督に至っては、最後はかつての仲間に借金を申し込んで回って断られたりしたんだとか。こういう「使い捨て」を厭わないところもアメリカの合理的なところではあります。
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この回答へのお礼

お礼が遅れていまし申し訳ありません。

日本側も太平洋の島々に補給をする事がいかに難しいかを
理解していたのですね。また補給の大切さも理解していた
みたいですね。ただ相手の手前できないと言い出せないと
ころに日本人的な気質を感じました。

それに比べてアメリカ側はアクの強い人間でも有用だと思
えば抜擢しノルマンディー上陸作戦を成功させ、ロジステ
ィクスの元を作るなどとても合理的に動いていたと思いま
した。

この質問の意図はアメリカ側の不合理な点を改めて見てみ
るという事でしたが、アメリカにも不合理な点はあったと
はいえ、やはりこのような合理性を持った国がアメリカな
のだと改めて思うに至りました。

お礼日時:2013/05/02 09:39

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