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三十代半ばの小学校教員です。

一昨年、適応障害・うつ状態になりました。原因は、異動してすぐ初めての高学年担任を任され、学級崩壊したことでした。その後約一年間休職し、リハビリ勤務を経て、今年1月から復職させていただきました。一昨年からずっと心療内科にもお世話になっています。

初めの3ヶ月は、管理職をはじめ周囲の先生方に支えていただき、子どもたちにも恵まれ、何とか勤務することができました。

新年度になってからは、少人数指導として勤務することになりました。(同じ学校です。)
5月末頃より、高学年での授業が全然うまくいかなくなってきて、朝出勤するのがかなり辛くなってきました。出勤途中に強い吐き気や頭痛、倦怠感や脱力感に襲われます。学校に着いてからもそれは変わらず、無理やり表情を作って、何とか授業をしている状態です。

ついに先日、耐え切れなくなり体調不良を訴え早退しました。そのまま二日間欠勤が続いています。(朝電車には乗るのですが、どうしても最寄駅で降りられませんでした。)

管理職の先生方には、高学年での授業がうまくいっていないことや、毎朝出勤が辛いことなどはお話ししましたが、「担任ではないのだから、あまり気にしないこと。無理せず、とにかく頑張ろう。」としか言われませんでした。心療内科の先生は、「すべて6割の力で仕事すればよい。」と言っています。私としては、再び休職ということは避けたいと思っています。しかし、結局二日間も欠勤してしまって・・・両親には「ただの甘えだ。」と叱られ、自分でも罪悪感と情けない気持ちでいっぱいです。でも、仕事環境も変わらないし、出勤して授業をするしか道はなく、今は絶望感に襲われています。

同じように一度休職されて復帰した方、経験談やアドバイスなど教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

教員の現場復帰の際に、気を付けて頂いていることは、少し思考や物事のとらえ方を変えて頂く訓練をします。

これをしないと、薬を飲んで一時的に楽になっても根本が何も変わっていないことが多々あります。よくあることが、自分の出来ないことに意識を向ける!もちろんこれも大切でですが、これだけでは何も変わりません。現場復帰して、状態が悪かった時に出来なかったことが出来るようになったことも自己評価して頂き、出来た事、出来なかったことの両方を見てバランスをとることが大切です。このような訓練をされることが、現場復帰への大切なポイントになります。
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もと大学教員で、心理士、そして、うつの経験者(50代後半、男性)です。


心理士であるのにうつ経験者というのは、お恥ずかしい気もしますが、体験談としてお読みください。

ご質問の文章や、他の回答者様へのお礼を拝読しますと、大変誠実でマジメなお人柄が窺えます。
それだけに、適応障害・うつ状態になられ、休職を経験されたこと、さらに復職されたのに、またうまくいかない面が出て来たことについて、とても悔しく思っていらっしゃることがよく分かります。
自分で書くのもどうかと思いますが、私自身の経験に重なるところもあり、とても他人事とは思えません。

私自身は、平成17年1月にうつと診断されました(専門家の端くれですから、それ以前から自覚があり、いつまで保つかと思いつつ働いていました)。
その際には、3ヶ月ほどの病休で復帰できたのですが、復帰後、リハビリ勤務などなしに、ほぼいきなり通常の仕事に戻りました。
大学院の博士後期課程がスタートしたときに重なったこともあって、勤務軽減もありませんでした(医療看護系の学部でしたが、同僚のこういう病気にはかなり冷たい態度がありました)。
1年あまりで再発し、その後は、病休、休職と復職試行を繰り返していました。
最終的には休職可能な期間を満了するのに、復職できず、50歳代半ばで退職(平成23年10月)。
その後は、自宅で療養しつつ、心理相談室を営んでいました。
平成24年5月から、抗うつ剤は断薬し、本年3月、「寛解」と診断され、精神科通院から一応、解放されました。

結果論となって、大変恐縮ですが、復職を急いで仕舞われたか、復職当初からまた、過剰な仕事をして仕舞われたと思います。
私自身も、何度も失敗しましたが、自分の回復状況についての自己評価は、どうしても甘くなります。
今から思えば、たとえばうつになる前の80%位には、回復したと思ったのも、実際には、せいぜい50%だったでしょう。 
ひょっとしたら、質問者様にもそういうところがおありかも知れません。
回復状況については、主治医や、管理職の方など第三者の判断もよくお聞きになって、慎重にお考えになってください。

また、適応障害やうつは、世間一般では、「心の病気」と捉えられていますが、医学的には、脳の神経伝達物質に障害がある、前頭葉や海馬などの働きが低下しているなど、脳の病気と考えられています。
したがって、単に「心が折れてしまった」とか、「単なる甘え」なのではなく、その背後には、脳の働きが低下しているということがあります。
私自身も、復職に向けたリハビリを行っていた時、名古屋駅(勤務先は名古屋市内にあり、近郊に住んでいました)で、パニックを起こしかけました。
人や物が多すぎて、頭の情報処理が追いつかなくなったというイメージでした。
また、親しい友人が見舞いに訪ねてくれた時なども、会話や応対で、そのあと疲れてしまうということも何度か経験しました。
テレビの音声や、近くで突然大きな音がするのに過敏になったということもありました。

これらは、私の理解では、脳の働きが低下しているため、情報処理が追いつかなくなって、いわばオーバーフローしたものと思います。
とくに、人と相対することは、ものとは異なり(ものは、こちらがどういう操作をすれば、どういう反応が返ってくるか、予測できますし、その予測が外れることはまずありません)、予測が困難なことも多く、また、たとえば会話について行くには、かなり集中して話を聞いて、それを理解して、どう答えれば良いかを瞬時に考えて……ということが必要となります。

とくに質問者様が教えていらっしゃる小学生ですと、その反応や行動は、思わぬことが、大人の場合以上に多く、脳にかなりの負担がかかっていると推測できます。

あれこれややこしく書いてしまいましたが、結果から見ますと、やはり回復状況が十分でないまま復職され、回復状況で対応できる以上の負荷がかかってしまったため、適応障害・うつ状態が再燃した(あるいは、悪化してしまった)状態にあると思われます。


>5月末頃より、高学年での授業が全然うまくいかなくなってきて、朝出勤するのがかなり辛くなってきました。出勤途中に強い吐き気や頭痛、倦怠感や脱力感に襲われます。学校に着いてからもそれは変わらず、無理やり表情を作って、何とか授業をしている状態です。

>ついに先日、耐え切れなくなり体調不良を訴え早退しました。

このように書いていらっしゃることから、上述のように、再燃あるいは悪化していると思われます。
他の回答者の方も書いていらっしゃいましたが、これはやはり、「壊れる前に安全弁が働いた」と、私も考えます。
私としては、ここで敢えて無理をなさると、「風邪がこじれて、肺炎になって……」と同様に、さらに重症化し、余計に治りにくくなる可能性が大だと思います。

学校や子どもたちに迷惑がかかるとお考えになるでしょうが、質問者様のこれからの人生にも大きな影響が生じかねませんので、ここは主治医ともよくご相談になって、もう一度、しっかり休んで、体調を整えて、再挑戦を期すということがよろしいのではないかと、強く思います。
無理をなされば、出勤できないこともないかとは思いますが、万全でない体調のもとで、継続して出勤できないとすれば、その方が、周囲に与える迷惑は、却って大きいと、私自身の反省も込めて、敢えて申し上げたいと思います。

適応障害、うつ病、うつ状態は、治る病気だと思いますが、治し方を間違えると、治りにくいものになってしまいます。
症状がひどいときには、服薬と休養が不可欠です。
少し楽になってきましたら、ご本人としても、生活リズムを整える、散歩・ウォーキングなどの軽い運動をする(これらは、気分転換や、日光を浴びることにもなり、うつにも良い効果があることが知られています)、など、回復に向けて意味のある活動に少しずつ、スローすぎると思われるくらいのペースで取り組むことが大切になります。

質問者様の誠実なお人柄、仕事への態度は、管理職や同僚の方はもちろん、子どもたちもよく理解してくれていると思います。
ここは、やはり、もう一度、仕切り直しのためにも、いったんお休みをとられて、体調を整えることに専念なさった方が良いと思います。
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すみません。

お昼に相談をおみかけしてから、ずっと気になっていて(>_<)ようやくご相談みつかりました(-^〇^-)

私も一昨年うつになった経験があり、職場復帰したものの窓際仕事になり、あげくの果てには、脊椎炎という背骨が曲がり、免疫が暴走し関節を固めて全身の関節に針でさすような分けのわからない病気になってしまい、3月から有休で休んでいましたが今月から二回目の休職をすることになりました。

今回は難病ということもあり、母子家庭なのに無給休職通告されてショックでした(>_<)
私も二回目の休職はしたくなかったのですが、自分の体のことを考えるとそうも言ってられないので、健康保険料などもろもろ自腹で無休。先々の生活費も不安ですが、まだまだ小学生の子供もいるので「母ちゃん体がよくなったら、また頑張るからね」と、気持ちをつないでいます。

私のつまらない話で申し訳けないですが、二回目休職の先輩(-^〇^-)として、辛さや気持ちが痛いほど伝わってきたので、どうしてもご相談者さんの気持ちに寄り添いたかったんです。探すのに時間がかかって、本当にごめんなさい。

真面目なご相談者さんにお伝えしたかったのは、最近の学校では、子供たちや保護者もいろいろで本当に疲れてしまうと思います。それにご両親から、うつの辛さを理解してもらえないのは、さぞかし気持ちが落ち込みますよね。
それで、もし限界なら夏休みまで約一ヶ月ですが、なんとか乗り切ってみると考えるのはいかがでしょうか。
もし、それでも厳しいなら、自分自身の体を守るために休職もひとつの視野に入れてみてください。
最後に大切なのは、相談者さんの心と命ですから。
どうしても先生が辛いなら、他の方やご家族がもったいないと言われようと、一番大切なことは何かと考え、ご自身で整理されるのが一番だと思います。
でも、先生のお仕事が好きでいらっしゃったら、極端ですが離島の先生などもよろしいのではないでしょうか。

いろいろ言ってごめんなさい。でも、とりあえず今日は金曜日だから、美味しいものでも食べて、週末ゆっくり休んでみてください(-^〇^-)
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 ごめん、説明不足で。

子どもを育てて思いますが、子どもは間違うモノです。じゃ、教員は?間違ってはいけない?間違いますよね。子どもは毎年変わるし、親の育て方も違う。同じ事を言って教えても、反応がまるで違うときがある。
 いい教師にこだわりすぎると、完璧な教授法を追い求めがちです。だけど、受け手の感受性や社会観念が時代と共に変われば、マニュアルなんて吹っ飛びます。つまり、子どもの反応を見てから対応を考えればいい。
 ある年の芸術鑑賞で落語をしたんです。係でして、打ち合わせ等しました。午前午後と二展開したのですが、若手のヒトは、一字一句同じ台詞でした。真打ちのヒトは…、のっけからやる気のなさそうな声で、だらりとした雰囲気で「まんじゅう怖い」が進んでいきます。午前の部は反応が良かったんです。私の知るまんじゅう怖いが展開されました。午後は、反応が鈍かったんです。すると、途中で話が変わっている。「落語は授業の見本になるから聞くといい」と聞いてましたが、身震いしましたよ。オチは忘れてしまいましたが、終了後、興奮して「あんなやる気のない雰囲気から始まって、午前と午後に話を変えるなんて感動しました!!」なんて失礼なことを申してしまいました。真打ちの方は私の言葉に嫌な顔ひとつせず、笑みで返してくれました。
 その時の反応を見て、飲み込む。これはこちらに余裕がなければできません。私が言う「子どもとマトモに向き合ってはいけない」ってのは、子どもと少し距離を持って、俯瞰で見るということなんです。目の前で全部対処していては、捌ききれません。少し距離を開けることによって、今しゃべっている子どもの隣にいる子どもの表情も見れます。「自分が早くしゃべりたいのか」
 あなたは真面目すぎるんですよ。だけど、子どもには少しハンドルと同じ遊びの部分がある方がいい。きちきちで授業をするから、ついて行けない子どもに焦りがうつってしまう。だから、教えた者も満足感が得られない。
 授業ですべては教えられません。その分は後でもできます。だいたいの流れが流れたら、こどもたちは、「今日はこんな事をした」と母に話せます。それができれば充分です。それができる子は自ら学び始めます。教師は、勉強の内容を教えるのではなく、勉強はこうすれば理解できる、添い寝をしてあげるのだと思います。
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No.1です。



「弱くなった」んじゃなくて、ぶっ壊れる前に安全弁が働くようになっただけですよ。

多分もうちょっと時間が必要なんだろうなぁと思います。

自分と上手く付き合えるようになると、なんとかなります。

とにかく、焦らない、無理をしない、だと思います。

ご参考まで。
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教えるのが好きで、


教えるスキルや
隠れている才能を引き出すスキル完璧ならば、
有名な学習塾を職場にするか、
塾ではなく学校で教えたいのであれば
著名な私立校に職を得ませんか。
その方が質問者さまには
宜しいかもしれませんよ。

学習塾・私立校で教える自信がないのであれば、
社会人を教える公的な機関等で
教師として活躍しませんか。
他、塾等で教えながら、
大学院に行って、勉強する道もありますね。
あるいは、
校長さんらと話し合って、
(病気の療養を兼ねて)
オランダやフィンランドの進んだ教育を
研究してくるのなどもいいかもしれませんよ。
その後、JICA等で、
才能を活かして外国で活躍することも
おススメです。

自信と心の余裕を取り戻せると
いいですね。
ご成功を祈ってます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回答者様の示してくださった道は、全く考えもしなかったことでした。
ただ、私としてはこのまま公立校で子どもたちと楽しく過ごして
いきたいというのが一番の願いです。甘い考えですよね。
異動する前の学校では、本当に楽しい日々を過ごさせて
いただきました。
いま、目の前にいる子どもたちがかわいく思えないというのは
辛いです。

お礼日時:2013/06/21 16:10

 子どもとマトモに向き合ってはいけない。

手を抜くって事じゃなく、巧くいかないことも幅として持っておくこと。歳を取って感じるのは、「巧くなった」のは、巧くいかなくなったら、すぐ助けてもらおうとできるようになっただけなのね。若い頃は、「甘えてはいけない、自分で何とかしないと」なんて思ってたから。助けてもらおうよ。そしたら、1年なんてすぐ過ぎるよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回答者様は、教員ですか?もう少し詳しく「手を抜くって事じゃなく、巧く
いかないことも幅として持っておくこと。」の意味を教えていただけないで
しょうか。
今の私のやっている授業は、自分でも手抜きにしか思えなくて・・・。
目の前にいる子どもたちがかわいく思えなくて、教材研究をして分かりやすい
授業をしようという意欲が全くわきません。本当に、最低だなと思います。
確かに主治医の先生も、「所詮ガキ相手なんだから、まともにぶつかるな。」
とは仰っていました。

お礼日時:2013/06/21 16:05

II型です。

現在はほぼ寛解状態で通常勤務に戻って足かけ3年になります。

酷かった時は24か月で延べ10か月休職しました。

要は、治ったつもりになって出勤してはまたおかしくなるの繰り返しでした。
実は治ってなかったという単純なことです。

その時悟ったのは:

動けないときは、無理をしない。
動きたくないときは、動かない。
焦らないようにしようと焦らない。

でした。

この感じを大切にしつつ、日々のルーティンが少しずつこなせるようになって行って、なんとかなってきたなと確信が持てたら、そして、またおかしくなるんじゃないかという不安がものすごく小さくなったら、復帰の準備をしましょう。

それから馴らし出勤をして、残業は出来ませーんと明るく開き直り、定時で帰っって、仕事は家に持ち帰らず、そんな感じで一年も経てば、「あれ、残業できるじゃない」って感じになるかと。

もちろんこれは私個人の履歴ですから、質問者さんにそのままあてはまるかどうかはわかりませんが、一応ご参考まで。

なんにせよ、薬をちゃんと飲んで、焦らない、頑張らない。
我侭だと言われようが、とにかく気乗りがしないときにはやらないのがいいと思います。

お大事に。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに復職して第一週目から、主治医に止められていたのに残業もやって
突っ走っていました。
その時は夢中で、周囲のサポートもあり仕事が「できちゃった」のだと思いますが、
今になって、うまくいかないことがでてきて、簡単に心が折れてしまったのかなと
感じています。
冷静に考えれば、今の状況より、休職前の方が明らかに辛い状況だったのに
欠勤してしまう・・・自分は本当に弱くなったと思います。
授業の準備も全くやる気が起きないのですが、そんな自分を許してよいのでしょうか。
でも、回答者様の仰る通り、もう「頑張る」のはやめようと思います。

お礼日時:2013/06/21 15:59

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