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戦前派円より価値の低い銭や厘と言う通貨があるのでよく解らないので教えて下さるととても参考になります
戦後の駄菓子は5円や10円ぐらいですがこれが戦前なら5銭あればどれだけ駄菓子が買えるのでしょうか
一応1銭=1/100円 1厘=1/1000円と言うのはwikiで解ったのですが
戦前の飴玉や飲み物、グリコやサクマドロップなどがどの位の値段とか解ると戦前が舞台のお話を見た時とても深く作品がわかるので
誰か歴史と通貨価値などが解る方よろしくお願いします

A 回答 (3件)

No.2 です。


「一粒300m」のキャッチコピーで売ったグリコの話です。
キャラメルやチョコより、後発だったので、売上は少なかった
と思います。
食べた記憶も少ないです。
一箱はキャラメルと同じ十銭だったと思います。
何粒入りかは覚えていません。
角形のキャラメルと違い楕円形なので数えにくいのです。
キャラメルより少し割高だったと思います。

というわけで、グリコのおまけの記憶は希薄です。
(すぐ飽きて棄てたのでしょう)
只一つメダルのおまけがあったのは覚えています。

専ら歯に付き易いキャラメルの厄介になったので、虫歯で
苦しむことになりました。

「ドリコノ」という子供向け乳酸飲料がありましたが、買って
貰えませんでした。
先日の TV で70年位前のドリコノ現品が見つかったとの
報道がありなつかしい思いでした。
うちでは贈答品の「カルピス」だけでした。
ドリコノ飲みたかったなあ。

祭りの夜店の一皿五銭の焼そばこれもだめ。
食べたかったなあ。       お笑いです。
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この回答へのお礼

本当に懐かしい記憶をありがとうございました
当時の子供達の生活が窺えて非常にいい答えが得られて嬉しいです
この度は本当にありがとうございました

お礼日時:2013/08/02 23:14

昭和初期懐かしい時代です。


銭の下の厘は名前だけは、まだ存命?でしたが、
一銭五厘の郵便葉書などのように、五厘単位で
しか使われず、しかも複数の売買しかない。
即ち厘の貨幣の通用は見られませんでした。

こどもたちは駄菓子で一銭銅貨(青銅貨)を出して
飴玉やドロップなど1~2個ずつ買っていましたが
うちでは駄菓子を買うのは禁じられていて、指を
くわえて見ているほうでした。
(これらは大手菓子メーカーでなく、家内工業品で、
いまでも川越市に行けば見られます)

ただし一箱20個入りのキャラメル(明治、森永)十銭
や、チョコレートの大一枚、十銭、小、五銭 はよく
買って貰いました。
綺麗な金属缶に、十種位の色や味の異なったドロップ
が入っている佐久間ドロップは、駄菓子でなく高級品
でした。    五十銭位したようです。

夏は五十銭銀貨、一枚貰って子供たちだけでプール
へ行きました。
入場料が四十銭で、帰りに釣銭で、キャラメルや
チョコレートを買うのが楽しみでした。

こどもたちは飲んだことはありませんが、カフェーでは
コーヒ- 一杯、10銭位したようです。

50銭銀貨が今の500円白銅貨から千円札という所
でしょうか。
後者に近いようです。

今は昔私の懐かしい記憶です。

この回答への補足

凄い参考になります!!
当時を知る人の思い出は凄く自分が生まれてもいない時代なのに何かとても懐かしい記憶に感じます
後はグリコの値段が解るとすぐにベストアンサーに選びたいです
グリコのおまけの思い出があれば是非とも聞きたいです
やはり当時は戦争にまつわる物が主流だったのでしょうか?
物資統制とかでお菓子の一つも買えないような時代はもう二度と繰り返してはいけませんね
8月に入り終戦記念日が近づくとそう願いたくなります

補足日時:2013/08/01 12:06
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細かい物価は分らないんですが



たとえば当時の子供たちが大好きだった
アンパンは
大正6年2銭、大正12年2銭5厘、昭和13年5銭

鉛筆は
大正10年5厘、昭和5年1銭、昭和10年3~5銭
昭和15年10~15銭だったそうです。

消費者物価は日銀の統計と総務省の統計をつなぎ合わせてみると
平成24年の100円は

昭和5年が6銭、昭和10年5銭7厘、昭和15年が10銭2厘
だったとのことです。
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