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現在浪人中なのですが、大学について調べているうちに大学って何のために行くのだろうと思って質問しました。
 
最近読んだ「大学とは何か」{吉見俊哉著}という本の中でこんな文章があり、引用させてもらいます。

 ”90年代以降、大学生になるハードルが低くなったことは、大学のユニヴァーサル化といえば聞こえは良いが実質的に大学全体の雰囲気を根底から変化してしまうリスクを伴った。
大学でそもそも真剣に学ぶ気などない学生が増えていけば、学生の「常識」もまた変化し、大学は「学問」とは無縁のテーマパークとなろう。つまり大学は、もはや自由な対話やエリート要請の機関としては程遠く、学歴獲得をほとんど唯一の目的に就職前の若者たちがつかの間の急速を楽しむ通過点になったのだとも言われていく。90年代以降のこの国の大学は、このような変化を大学のレジャーランド化といって嘆きながらも、その根底にある市場原理を否応なしに受け入れていった。ここに浸透するのは、サービス産業も論理であり、哀れな大学教授たちは「お客様」たる学生を「店」に誘い込む客引きとなり、彼らに教育サービスを提供する労働者となった。”

また「大学 授業 つまらない」「大学 授業 面白い」「大学 授業 良い」と検索してもネガティブな情報が非常に多いです。(いいことは皆さんあまり書かないのかもしれませんが、それだけでない気もします。)

たとえば、「教科書の棒読みが多い」「声が後ろまで届かない」「大学教官は研究が重要で教育は重要ではない。」など。
しかし一概に教授が悪いわけではなく、学生のほうにも悪い点があることがわかりました。

なんだかなあと思います。大学に完璧を求めるわけではないですけれど、このことが本当なら大学には行く意味があるのかと考えてしまいます。

自分で本を読んだほうがきちんとした知識が身につくのでは・・と思いました。

学歴はほしいですし、将来はまだぼんやりではありますが「フードバンク」」というNPOで働きたいという夢もあります。そのために本を何冊か読みました。今までの勉強にはないようなリアルなことが書かれています。人間の汚いところも、これから何をするべきなのかということも書かれています。

たとえば、被差別のことや、日本の貧困のことなどです。
これまで学校で何度か教えてもらったことがあります。でも分かってなかったし、心にも響いてこなかった。でも、「いのちの食べ方」(森達也著)などで自分も知ってみようと思えました。私たちの食べる食肉がどのようにつくられて、いかに自分が知らないか、被差別の歴史なども知りました。

大学は教授から教えてもらいます。本は著者から教えてもらいます。
大学も本も知識を与えるという意味では一緒です。
でもこれまで先生からは大切なことを教わった気がしません。
大学はどうか分かりませんが、僕にはすでに魅力のないものに見えます。

長文失礼しました。皆さんの考えを聞かせてくれるとありがたいです。

A 回答 (11件中1~10件)

 


 一般的な話とかをしだすと、結局日本の大学生が勉強しないだの遊んでばかりだの、大学は結局モラトリアムだからなんでもいいとか色々な意見が出ますから、結局「大学に行く意味」なんていうものが存在するのかどうかなんてどうでもいいんじゃないかと思います。極端な話、たとえば美容師とか漫才のプロとかになりたいヒトにどんなに大学での学問の重要性を説いたところで、18才から下積みをしてコツコツとやる以外にその仕事に対してメリットなんてありませんよ。落ちぶれたときの保険的な意味とか、一般教養を養うとかそう言う別の意味で意味付なんてなんでもできますが、他人がとやかくいうと言うレベルでははっきりいって無意味でしょう。そう言う意味では、大学にいってえられるものがないのかあるのかを批判してるおっさんの意見なんてまあどうでもいいんじゃないかとおもいますし、まあそういう批判をするのが仕事なんですから言わせときましょう。逆に言えば、「大学というところにいって学んでみたい」とか「大学生で遊びまくりたい」とか「社会に出る前に時間が欲しい」とかでも行きたい理由、受験勉強をする理由としては十分なんではないかと思います。まあ、行きたくないっていうなら別ですが知らないのに行きたくない、でも別にこれといってやることがないってのも不自然なはなしですよね。食わず嫌いなんですから。

 まあ個人的に思うに、大学生ってのはあるいみ日本社会では一人の子供が初めて親と離れて(自宅から通うひとも多いですが)社会というものを見る時間になるかなあと思います。高校生のガキがまあ限られた世の中で、決まった生活範囲で世の中の全てが分かるはずもなく、日本全体というレベルですら見えてませんよね。そう言う意味では、「将来の夢」なんかで例えば「医者になりたい」といったとしても果たして本当に自分の人生をそんな狭い世の中で生きただけできめていいのかなあ?と思わなくともないです。逆に言えば、大学に入って熱心に学問をやろうとしたら思ったより大学の先生はたいしたことない人ばっかだったり、つまらんかったりもするわけで、それは違うと思うことだってあるわけですし、まあ逆に大学生というある意味肩書きと時間を利用すればそれなりに自分の足で、世の中をみたり、経験したりすることができるわけです。最近は海外旅行も簡単に行けますしね。まあ、本来ならそういう世の中を自分自身で感じ取って自分が将来何をしたいのか、さらに言えばどういう人生をあゆみたいのか、どんな大人になりたいのかというものを築いていくべききがします。いわばその出発点でしょう。そう言う意味では、まあただ遊んでたとかで終わってしまうのは個人的には残念なきもしますが、別に他人の人生なのでしったことではありませんね。

 あと、大学の授業が簡単とかつまらないとかはべつにどうでもいいんです。要するに「学位」をもらえるだけの「義務」を果たせば別にいいんですから。逆に言えば大学がもっと厳しくしたければそれを厳しくすればいいだけであって、簡単にしているのはまあテスト勉強だけが全てではないということもあるのではないかなあと思います。実際問題理系の教授の多くは多分研究のほうに力を入れているでしょうし、そう言う意味でも本当に学問をやりたければそれは授業と違ったやり方で積極的に動くのが正解でしょうし、それが大学生ゆえにできることでしょう。

 いずれにせよ実際遊んでるといっても、それなりに「夢」を描く人たちはその夢にむかって活動を開始していますよ。具体的にどうとは言いませんが、それが100人いれば100通りのやり方があるべきでしょうから勉強しているかいなかだけの基準では到底わかりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
わかりやすい回答で何か「ハッ」とした気分です。それに夜遅くませありがとうございます。
今の大学の仕組みは変えられない。でも自分がどうするかは自分で決めるということが大事ということでしょうか。
他の方も回答ありがとうございました。
非常に参考になりました。

お礼日時:2013/09/08 14:19

本を読んで終わる、カルチャースクールで代用できる程度の専攻をとるから、「大学がレジャーランド」という発想になるんじゃないの?うちら一族はほとんど理系技術系の国公立大卒で、メリットが実に大きい。

実験研究に必要な環境は、月数千円から数万円のカルチャースクールには無いからね。

「について考える」「貧困について考える」なんて、答えは如何様にも出るし、そんな事を考えて飯を食わして頂ける人間はほとんど無いよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
実験や研究という面では大学はメリットが大きいということですね。
もうすこし詳しく回答してくれるとありがたかったです。
貧困などについて知ることでお金を稼ぐのは難しいとお思います。それには同感です。
でも、ちゃんと調べれば結構あると思いますし、そうでなくてもそういうことを知ることって大事ではないですか?
学校では、お金のことや貧困のことを詳しく教え切れてないことをいいたかったのですし、結局あなたはほかのひとなんてどうでもいいんですかね。

お礼日時:2013/09/06 12:29

まず書いている根拠が、1冊の本に基づいているだけですよね。



結局その本から考えることで決めている。

大学は自分で勉強するところ。はっきり言って、他の学生はどうでも良いんです。

レアなケースでしょうが私の例を書きますね。

高校時代76人中75番などという完全な落ちこぼれでした。
数理は好きでやるけれど、英語が出来ずにからっきし駄目。
だけど普通高なので、就職の考えはなかった。
取りあえず化学がよいかなと思って、薬学部2校、理工学部1校を受験し、唯一受かった地方国立理工学部化学科入学。

大学時代は自分としては専門の勉強に頑張った。
地方国立ではあるが、悪くとも学科2位、分野によっては1位を維持。

まだ、学歴ロンダリングなどと言う言葉はなかったが、他大学大学院を受験するも3校続けて不合格。
一時は就職も考えたが、教授の檄で、4校目に他の地方国立大学院理学研究科化学専攻合格。

朝8時半から夜中の12時までの研究生活が始まった。とにかく研究、教授、助手、1年先輩の院生との議論の1年間、続いて先輩はいなくなったが教授、助手との議論や後輩の指導も含む1年間。目いっぱい頑張って修士課程修了。

就職は考えが浅かったのもあるが、最初の勤務は工場での製造業務。しかしとにかく向上心をもって、他企業研究所への転職、地方上級、国家I種にチャレンジしての、公設研、国立研勤務を経て、国立大学職員、さら私大助教授、そして教授に昇任。現在も研究、教育に全力の毎日。とにかく何歳になっても勉強の日々と思って日夜頑張っています。

今日の頑張りも結局、大学、大学院時代があったから。落ちこぼれの高校時代からは連想できない。

地方のそれほどレベル(入学)の高くない大学でも本気で頑張ればいくらでも勉強できる。私の大学院のときの教授が英国留学中に指導した院生が後にノーベル賞をとったので、私の中ではノーベル賞受賞者が兄弟子と言うか指導教員はノーベル賞をとった人を指導していたと言うすごい先生で、自分もその人と議論しつつ院生生活を頑張っていた
んだと言うのが今さらながら思い起こされる。あの日夜頑張った院生時代は今でも貴重な体験である。

とにかく、人の言うことなんてどこまで本当かわからない。大学がレジャーランドかどうか、自分次第。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大学で何を学びたいと思うのかをもっと知りたいと思えました。
自分次第ということですがその通りだと思います。
僕も高校時代はひどくて240人中200位以上に行ったことがありません。赤点もたくさん抱えてました。だから、浪人は浪人だけど再スタートって感じなんですよね。

お礼日時:2013/08/31 18:22

その意見には反対です。




まず戦後1945年~の10年ほどの混乱期は大学に進むべき一定の余裕のある若い男性の数が少なくほぼ無試験で有名大に入れました。
この辺は高倉健(俳優/明治大)や、安藤昇(法政大-ヤクザ)などの著書から言っても明らかです。
戦前戦中も「兵役回避」で大学に行くエリート層が多かった。何も高い理想に燃えて入学したわけではないんです。そういう人は士官学校に行きました。学生も結局徴収されるんですがね。
日本の大学の難易度が一気に上がるのは、全共闘世代ーバブルの1960年代後半~1990年です。
「もっと多くの学生を受け入れろ」と言う事でこういう圧力を受けて私大がどんどん郊外にキャンパスを作り学生数を増やしました。
早稲田所沢や中央大多摩キャンパスはこの時期には未だ無かったんですよ。

代々木ゼミナール開始は1957年、進研ゼミは1969年です。
それ以前も塾はありましたが進学率が上昇「全入」になって大手予備校や浪人がポピュラーになるのはこの世代からです。今の4,5、60代もその恩恵を受けているわけです。
今の60歳前後が「俺たちは違う」と言いたいのは分かりますがこの世代の進学率は30%を超えてますので進学率が5%程度だった戦前のエリート学生とはわけが違います。

近年にしても、大学進学率ランキング
http://convenience.typepad.jp/naze/2012/03/%E5%A …
これで見ると日本は36位で59%です。決して高くない。しかも途上国が猛烈な勢いで進学率を上げてますのでますます下がるでしょう。つまり「全入時代/民衆の高学歴化」は日本だけに起こった事では無く世界の流れなのです。
むしろ日本の大学進学率はこの30年変化がありません。
ちなみに日本同等に専門職を評価する風土がある先進国はオランダ、ドイツ、フランス、スウェーデンなどのヨーロッパの少数国です。特にオランダ、ドイツはその傾向は強い。
専門学校卒でも高収入や社会的身分が約束される。
スウェーデン、ドイツ、オランダ、日本の職人は世界的にも評価が高いですし、本来日本の現在の立ち位置は悪くないと思うのですがね。
スウェーデンやドイツ、オランダは学費は無料ですし、基本入学は無試験です。それでも高卒や専門を選ぶ当りに考え方の違いを感じますね。
「選んでいく」わけで留年や中退も多いですし、セミプロ学生とも言うべき学位を複数持つような勉強熱心な人も多いですね。
アメリカ、韓国は教育費は莫大ながら一方で超学歴大国でも有ります。
同じ新卒でも1年目から3倍以上も給与差がつく事もあるので学歴の重要性が高いのです。
例えばチェルシー・クリントンはマッキンゼーに入社し1年目から年収1000万以上だったと言われています。マッキンゼー自体が平均年収は2000万を超えます。この2カ国では大学生の中には非正規になって300万以下をうろうろする人も多いですからどうしても学歴の重要性は高まります。
しかしこの手の「学歴王国」については多くの国民にとっての莫大な学費や時間がその後の幸福や収入に見合うだけの価値を持っているのか?は疑問ではあります。

大学の発祥自体が神学研究から発してますので(日本人は意外と知らない)、1000年前と比較すれば既に50年前でもかなり性質を変えています。
性質を変えていく事自体問題もありません。

戦前と比較すれば単純学生数でも6,70年代は数倍ですから90年を境にビッグバンが起こった事は有り得ません。肥大する大学のひずみが見えて来たのが90年代だとするのは正解だと思いますが。
>つまり大学は、もはや自由な対話やエリート要請の機関としては程遠く
「エリート要請の期待に応えていた」のは正確にはいつなんでしょうか?前記した通り戦後しばらくは混乱期でまともに試験を施されてませんし、戦前エリートと言える人が大学に入ったのは一時期でした。野口英世のように農家の息子が大学に行くようなケースは例外なんですよ。
東大の設立が1877年ですから、こう「日本の大学のエリート教育は脈々と」と言うのは嘘っぱちです。
よく言われているように大学設立の趣旨からして欧米のそれとは全く違うんですね。ハーバードも初期の教師全員が宣教師だったと言われてますしね。特に日本の国立大と欧米の名門大は創設の趣旨からしてまるで違います。

大学自体の価値はそれぞれ違うし、一概には言えないと思いますよ。誰だって価値の比重はそれぞれ変わりますし。
僕は大学入学直後には数週間で授業や教職員への価値に重きは置かなくなりました。
一言で言えば「やる気がない」んですね。
文系の場合優秀な人は民間に出ますから大学に残ってる事自体どーなの?って疑問符は付きますよね。
倫理・能力的にそういう人はやっぱりいました。学生サイドが見合う事をやってたか?と言うとそれもまた疑問ですが。
この手の「馴れ合い」はずっと前からあったと思います。
一方で図書館は快適だし、食堂は安い。
何か始めるにも留学はしやすく、仲間はいくらでもいる。
そういう部分が魅力だと感じましたね。
あなたが大学以外に価値があるならそういう道を選択するのも手だとは思いますよ。
勉強したいならAIUやKITのようにクソ勉強させてくれる大学も増えてますしそういう所を選べばいいんじゃないでしょうか。

早い話
「マー君と佑ちゃんがその後どうなったか?」
って事ですよ。
佑ちゃんがそうであるように、社会人にとっては有名大を出たから「どやっ?」って時代は終わりましたから。
と言っても僕も入学までは「とりあえず大学に行こう。親や周りに馬鹿にされないぐらいの有名大に行こう」ぐらいしか考えて無かったです。受験生なんてバカで結構、それでいいと思います。
変に考え込んでも答えは出ませんし時間が無くなってしまいます。

あなたが今やってることは要するに逃げだと思いますよ。
「大学は良いところだ、大学に行け」って言って欲しいんでしょうけどあまちゃんですよね。

この回答への補足

確かに逃げているのかもしれませんね。半分くらいは僕も逃げているとは思っていました。ただ、自分たちが含まれているシステムがどういう風になりたっているかを明らかにするのは必要なことではないでしょうか?自分たちが行く大学がなんのためのものなのかという根本について考えるのを怠ってはいけないと思います。

補足日時:2013/08/31 17:24
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
大学には悪いところもあるけれど、良い点に注目してそれを調べていくことが大事だと思いました。
大学ごとに違うところがたくさんあるのだと思います。
詳しい回答ありがとうございました。
夜遅くまでありがとうございます。

お礼日時:2013/09/08 14:22

子供が社会へ出たときにぶつかる壁を先取り体験させてくれるところが大学です。


まず、大学は学歴をとりにいくところです。その意味で今やってる受験勉強は重要だし、受かったあとは落第しないよう適度に通い続けることが必要。
が、それ以外の大学生活をどうすごすかはあなたの自由です。面白い授業があれば通えばいいし、面白くなければ行かなければいい。誰もあなたに一日中教室にいろと強制しないし、いなくたって怒りません。大学は義務教育でないからです。
、その半面、責任も自分でとるのが大学です。授業に出なかったために大事な情報を聞き漏らしたら、それはあなたの自己責任。だれも親切に教えに来ちゃくれません。これを勘違いしてると辛いことになります。「大学は教授から教えてもらいます」 ってのはちょっと違う。「大学では教授が単位をあたえます」が正しい。それ以外は完全にオプションであり、運よく教え上手だったらラッキーで、そうでなかったら自分で勉強して補います。でないと単位がもらえず卒業できないから、損するのはあなたです。
教授なんだからしっかり教えろよという言い分は通用せず、別にあなたが落第しても誰も困りませんよと言われて終わりです。つまり、大学というのは大人の入口なのです。日本では学校教育と一般社会の間に深いミゾがありますが、その間を埋めてくれるのが大学です。
学校時代に堪能できるいたれりつくせりが、社会でも同じだと思ったら大間違いです。例えばいま希望してる職場へ入ってみたら、上司はまずあなたが期待するほど懇切ではないだろうし、社員もいい人ばかりではなく、熱意も乏しい。でもそこでなんだかなーと辞めちゃいますか? 別にあなたが辞めても誰も困らず、あなたが困るだけです。
いま多くのニートが生まれている原因も、実はここにあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大学というのは非常に自由なところなのですね。
「大学では教授から教えてもらいます。」ではなく「大学では教授が単位を与えます。」ですか・・。
でも、大学では私学の場合1授業2500円程度と聞きます。非常に高いと思うのですがどうでしょうか。質問にも書いたような教授がどれくらいいるのかは僕にはわかりません。でも、たくさんのお金を親から払ってもらって、そしてお金をどぶに捨てるようなことになってしまうとしたら納得がいきません。

回答とはあまり関係はありませんが、本のことについて補足させてもらいます。
中世に誕生しヨーロッパ各地に急速に広まっていった大学は、中世が終わるころまでに徐々に重要性を失い、古臭いものになっていきました。デカルト、パスカル、ロック、スピノザ、ライプニッツといった有名な人の中にも大学の教授は少ないようです。
そして、大学の代わりに社会の知的想像力の基盤となったのは、印刷術だったようです。出版産業は、同時代の硬直した大学よりもはるかに可能性を秘めた知のネットワークを作りました。
近年では、インターネットも発展してきていて、大学って何のためにあるの?ってことがより求められていると思います。

お礼日時:2013/08/31 18:11

世界中で日本の大学ほど勉強・研究しないところは他にありません。


質問者も言うように、学歴という外聞目当てなのです。ろくでもないですなw

民主主義は民衆のレベルダウンによって崩壊する。衆愚政治と変わります。
結局、需要と供給なんですよ。じゃあ、質問者は自学自習すればいい。違う?

そこまで言い切るのに、なんで浪人中? 言行不一致とはこの事です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに言行不一致かもしれませんね。でも、僕の場合高校時代がものすごくひどかったので、このままじゃまずいと思って浪人を決めたのです。それで、理系か文系かも決まっていないような僕は、図書館やAmazonなどで、本を借りたり買ったりして自分には何ができるかを考えようと思い、いろいろと知識をため込みました。大学にもかなり期待していました。でも調べたら予想していたのとは全然ちがう(かもしれない。)。結構ショックでしたよ。

お礼日時:2013/08/31 18:33

まあ、ハッキリ言います。


今の大学は、ほとんどの人にとってテーマパークでありレジャーランドです。
勉強したくて入る人は少数派であり、ゼロではありませんが
大半の人はまだ就職したくない、モラトリアムの期間として4年間猶予を取るだけです。
あとは、学歴。これが殆どです。
勉強のために行く理由はほとんど失われましたが、「大卒」と「高卒」「専門卒」では
就ける職業がかなり違います。
だから学歴のために行くというのが現実的な理由でしょう。

質問者さんは真面目な方のようですので、このような大学の現状には失望するかもしれません。
しかし私があえて通ってよかった、と思うのは、良くも悪くも社会の事を知った、という点ですかね。
高校生までの狭い視野から、大学へ通うことで初めて知ることは相当増えました。
勿論自分で調べること、自分で行動すること、責任を取ること……こういった主体性があってのことです。
ただ授業に出て帰って寝るだけなら、学歴を取るためだけに行くのと同じですね。

例えば、被差別について知ったと書いておりますが、その知識は本当に正しいのか。
差別者と被差別者が居たら、片方の意見しか聞いていないだろうか。
或いは第三者はどう見ている人が多いのか。物事を多面的に見ることは出来ているだろうか等……
もし学校で習ったとしても、それは一面的な見方です。
それを自主的に調べ、あるいは詳しい人を探して聞く、ということを、
大学生というものはやりやすい立場にあります。
自由に動け、調べに行く時間があります。学校に専門に研究している先生が要ればなおさら力になります。

社会人になってしまうと自由な時間はかなり制限されてしまいますからね。
大学へ行かなくても一人で家で調べ物をすることは出来ます。
しかし間違って覚えてしまったとして、その間違いを指摘してもらえる機会はかなり減るのではないでしょうか。

まあそういった、副次的な理由もあって、大学へは総合的に行った方が良い
といったところでしょうかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
質問の内容や書き方には少し問題があったと思っているので、反対意見が多いのもしょうがないとおもっていましたが、回答者さんは前向きにとらえてくれたようでよかったです。
僕は人間の汚いところという書き方をしましたが、なぜそんな書き方をしたかというと、目をそらしてはいけないと思ったからです。日本にも貧困は確実にあるし、被差別だってまだ続いているのだと思います。また、狭山事件のような事件を起こしてはいけないと思いませんか?見ないふりをしている限り、楽ではあるけれど、それは本物じゃないと僕は思います。
たしかに、調べ物をするときには大学というのは便利ですね。

お礼日時:2013/08/31 18:54

理由はともかく、大学行くか行かないかは


自分できめればよいこと。
ここで行かない自己理由を後押ししてもらって
どうなるんでしょうか?

>これまで先生からは大切なことを教わった気がしません

あなた以外は広い意味でみな「先生」です。
ここに書き込みしてる、漢字、文章、気持ちの伝え方、
まさか、すべて一から独学ですか(笑々)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「これまで先生からは大切なことを教わった気がしません」と書きましたが、もちろん字を教えてくれたことや掛け算とか足し算ができることは感謝してるにきまってるじゃないですか。
どちらかというと、中高というのが正しいかもしれません。
被差別のこともそうですけれど、もっと実用的なこと教えてほしいんですよね。
年金はいつから払うとか、社会保険ってなにとか、職業訓練校のこと、お金のこと、コカコーラに入っている砂糖がものすごい量だってこととかですね。
もっと、真正面からきてほしいんですよ。

お礼日時:2013/08/31 19:02

その時点で思っていたことは、


・勤めるためには必要だから
・高卒の時点で勤められる職場で一生働きたくなかったから
・あと、高卒の時点でまだ働きたくなかったから
・新しい出会いをさがしていたから
・まだまだ知らないことがたくさんあったから

大学以降の教育で得たと思えるものは
・(今となっては)いろいろな分野で活躍する友人
・論理的な思考方法
・問題解決に対する思考回路
・社会に対する広範囲な視野
・・・・・・
などなど、いろいろあると思いますが、

実際にクラスで習ったことが直接役に立っているかという観点から考えると、
・論文の書き方
・何かを結論付けるための論理的手順
・英語、歴史、文化、経済等に対する一般的知識
位しか役に立っていないかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
僕も同じような(よくわからないことがたくさんあるしみたいな)理由で大学に行くんだと思います。
他の人も同じような理由ではないかと思います。
大学でもっと実用的なことを教えてくれるといいのかもしれませんね。

お礼日時:2013/09/08 14:25

>>大学は教授から教えてもらいます。



大学は、「教授から教えてもらう」っていうスタンスだと面白くないでしょうね。
自分で学びたい分野があり、それを追求するために教授や学生たちといっしょに議論し、学ぶってところでしょう。
科目によって違いはあるでしょうが、アメリカ・カナダの大学で学んだ方によれば、「授業を受けるのに予習は当然」「いきなり、その内容についての議論が始まるので予習なしでは、置いてきぼり」なんて書かれていましたね。ですから、バイトなんてする暇は無い!ってことでした。

まあ、高い授業料を払って、学問をする目的で入学したのに、安いバイト代稼ぎで、その貴重な学生時間を消費するのはバカらしいし、授業をサボる、まじめに勉強しないってのは、もっとバカらしいですね。

>>大学はどうか分かりませんが、僕にはすでに魅力のないものに見えます。

日本の大学は、世界全体の大学レベルで比較すると、低評価になっています。なので、質問者さんが魅力無いと感じられたのは正しいと思います。
日本の大学は、読まれた書籍に書かれたとおり、問題が山積しているといえるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大学がもっと、今の状態からもっとしっかりとした枠組みを作ることは難しいなかなあを疑問に思います。
もっと楽しいとためになる授業が増えれば、良くなるのかも知れませんね。

お礼日時:2013/09/06 12:38

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