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子供にお受験をさせる保護者の方の考えを知りたいです。

(1)大学を一つの到達点においた場合、どのような大学を目標にするのか
(2)なぜ地元の公立校ではいけないのか

友人に東大に合格した人間が居ますが、彼は小中ともに、ド田舎の公立校で、一般の子供たちとなんら変わらない(外でスポーツをしたり、ゲームに没頭したり)生活を送っていました。
高校は「公立受験が面倒」という理由で、特待のとれた中堅私立高に進学しました。
授業中にゲーム機を取り出したり、休み時間にトランプをしたり、受験1か月前まで仲間と放課後はマクドナルドにたむろしたり……
とにかく、彼は青春を「遊び」という形で謳歌しつつ、それでもなお栄光を勝ち取った人間です。


受験勉強が楽しい、という人がいますが、同じ「東大合格」なら、小中でめいいっぱい遊んで情緒を培った人の方が「得」しているような気がします。
まあもちろん、人生の何に力点を置くかは人によって違いますが、「人生をめいいっぱい遊び」つつ、「学問の成功」も勝ち取った彼の方が人として一枚上手のような気がします。

幼いころから、来る日も来る日も「お受験」のことで頭が一杯の子供を見聞きすると、「ほんとにそれでいいの?」とか、「そこまでしなくてもいいだろう」と疑問を感じますね。

あるいは、「そこまでしないと東大に到達できないの?(笑)」

A 回答 (8件)

なるほど。

補足をいただいたので、追記です。
つられちゃいましたよーー。くどいと嫌われそうですが、私、学校が大好きで、国内外問わず、いろいろ見に行っているんです。

多分、がり勉ちゃんママにあてられたのですね。
今は、ほしひゅうまやほしいってつのような親子はウケない時代ですからね。あれはあれで、本人たち楽しんでやってるんですよ。
それにしても、、質問者様の周りには、元気ない子どもが多いのですね。

、、こどもが夢も目標も語らないというのも、ちょっとちがうと思うんです。

幼稚園の子でも、フィギアやピアニストやオリンピック選手やプロ選手やら、将棋しやロボット工学者にあこがれるケースをよくみます。なんか、大人のこっちまで元気もらいますよ。実際、スポーツや音楽の分野では、3歳からという年齢をよく聞きます。
それで、、私が思うのは、幼稚園や小学校くらいまでは、「本気でプロになるんだ」とか、思わせてていいんじゃないでしょうか。遊び歩くのも楽しいけれど、本気でクラブに打ち込んだとか、必死に勉強やったとか、、。
その結果、プロには入れず、関係ない就職をして、大人になった今は趣味で続けてるとか、子どもに教えてるなんて人生も、意外と素敵なんじゃないでしょうか。。

なんか、中学入るまで子どもらしく、中学出たらとたんに大人のような目標もてとか、みんながみんなそんなふうにはいかないと思います。それ、難しいですよ。中学校で職場体験、高校でアルバイト禁止、不純異性交遊禁止で、大学出た途端一流企業に婚活にって、気持ちついていきませんね。

あと、私は親の仕事の都合で海外から帰国したてで小学校入学でしたが、語学の問題もあるでしょうね。バイリンガルが引け目を感じない環境を作っている学校もあります。小学校の途中から帰国子女枠など。私は、語学や生活習慣で苦労したので、最近の私学をみてると、「ここいれてほしかったなあ」なんてとこもあります。私の幼稚園は全部英語で、靴紐のついた紐靴やリンゴの丸かじりという英国式の幼稚園だったので、マジックテープついたくつとか、うどんとコッペパンの給食とか、文化の違いにすごくとまどいました。


まあ、何を滑稽と思うかは個人の主観の問題で自由ですが、、私も、実は、国公立エリート校一筋で育ちましたが、、よくいましたよ。大学受験や高校受験で、「見栄ハリ受験」といって、わざと箸にも棒にも引っかからない名門校受けて、「あそこなら落ちてもしょうがないやろう」とか言うわけです。
うちは、私学や浪人なんてできる家庭環境じゃなかったので、一生懸命勉強しましたが、正直あきれましたね。田舎セレブは田舎セレブで大変だと思いました。田舎もんだけど、セレブじゃなくて良かった。
お友達も、高校はあかんかったのかもしれませんね。まあ、たいした問題じゃない。結果オーライです。
まだまだ、就職、結婚、子どもの成績と、みんなのセレブを続けるのはつづけるので大変です。
そういや、高校の同級生から、就職まではうまくいったけど、結婚はまだという話になった時に、「田舎の両親や友達の期待が重い。結婚願望はないが婚活はなりふりかまってられない」という愚痴をきいたことがあります。
「この正月だけ両親に恋人のふりしてくれ」なんて、見栄ハリ婚活もありましたが、実際ご結婚されたかたもいて、面白かったです。


一時、ゆとり教育なんてことが一生懸命語られたことがありましたが、、頑張る子供を見ると、元気がわきます。そんな、やる気や勇気に水差すようなことばっかり言わんでも、くじけても失敗しても、馬鹿見ても、子どものときくらいやりたいようにやらせてあげればいいじゃんと思います。


私学には、宗教もありますから、それが理由というかたもいるでしょう。ですから、クリスチャンはクリスチャン同志、仏教徒は仏教徒同志が気楽でよいということもあるのでしょう。ちなみに、宗教は、信者であることを理由に点数加算していることが多いです。信者で点数加算されてる人とか、あんまりがりがりしてないですよ。

それに、、
昨今、公立の学校でも、ヒエラルキー徹底しようと暴行恐喝事件おこしてる集団もあります。ああいうの見てると、何故私学を設立しないのか疑問です。公立の学校からは、村八分だろうが滑稽な人だろうが弱い人だろうが三軍だろうが誰も追い出す法的権利がないのです。法的権利がないものを自分の権利と勘違いして非合法的手段に走る。残念な地方教育現場も増えています。
本来、日本のセレブには、私立を設立してご学友を選ぶ権利があるわけです。「そこまでしてご学友選びたければ自分が私立の学校つくればいいじゃん」と思います。それが合法的な本来のやり方なんだから。

今の日本の公立学校は、一種地方豪族の私有といえなくもないところもあります。私は、帰国子女で、外国の公立の学校に通いましたが、その国の元首も皆子どもは公立でした。日本は、王様も行政の首長も教育にたずさわるたちばにありませんから、それ以外の人が仕切るわけです。これは、、アメリカや日本など、一つの特殊なスタイルといえるかもしれません。中央集権でないのが良いところですが、地域の権利の名のもとに、地方の生活弱者の国民としての最低限の権利の保証が徹底できないデメリットもあります。
昨今教育現場で事件を起こした子どもたちを見ていくと思うわけです。茨0教育長の息子が公衆わいせつ罪をはたらいても、何とか教員にしなくてはならなかったり、それはそれでいろいろ前近代的でややこしい土地柄の場所もあるわけです。

普通に子どもを公立の学校に通わせることができて、私はラッキーです。
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この回答へのお礼

>こどもが夢も目標も語らない
おそらく私の文章力が底辺なせいでしょうが、私はそう思っていませんよ。
子供は子供なりに、色々な夢を持っているでしょう。
それを、「エリート志向の親」が勝手に「お受験」という形で塗りつぶしているのではないかと思っただけです。あなたのお話によれば、なるほど私学は確かに良い面がたくさんあるようで。私の周囲に悪い例が多かっただけなのかもしれません。

私の生まれ育った土地は県内では「住民のレベルが低い」などと言われておりますが、そこで過ごした小中時代をまったく後悔していません。
大学も、一応エリートなんて言われる部類ですし、少なくとも学習面での悪影響はなかったでしょう。友人の彼は東大にまで上り詰めてしまったわけですが。
それとの対比(?)で、小中もエリートの学校に通う人たちに対して、「そうまでする必要はあるのか?」と思っていたわけです。

ですが、そういったエリート校には、やはりそれなりの良い面があるようで。

まあ、子供の意思でしょうね。
私はまだ結婚していませんので何とも言えませんが、いつか子供が出来たときには、少なくとも小中のあいだは好きにさせたいと思っています。
その過程で、エリート校に行きたいというなら、あなたのおっしゃる通りメリットはたくさんあるようですし、それもふくめて好きにさせたい。

エリート校に対する「過剰」のイメージはぬぐいきれませんが、真にそうしたいと思うならば。


補足への回答も含め、回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/30 21:42

中高一貫校出身の25歳男です。


保護者ではありませんが興味深いご質問だったので回答させてください。

私は地方住まいですが、いわゆる中学受験で地元で名前の通った私立に入りました。
地元の公立中学は一部素行の悪い生徒が幅を利かせたり部活も厳しい縦社会で親は心配したのでしょうか、言われるがまま小学校4年生の終わり頃から中学受験の塾に通い、落ちれば公立進学というなかで何とか合格しました。
ですが、入学後の成績は下から数えた方が早く、同級生に馴染めなかったこともあって悲惨な青春時代を過ごしました。
クラスに馴染みどのような階層や家庭の友達とも仲良く遊んで、先生に指示されて放課後勉強の苦手な子に教えていた小学校高学年の頃と比べると、惨めで仕方がありませんでした。

当然これらの結果の責任は私自身にあり、親を責めたりすることはしませんし、育ててくれたことに感謝しています。
ただ、選択肢として公立に行くか私立に行くかは小6の頃に決めさせて欲しかったという思いはあります。
公立と私立、それぞれのメリットやデメリットを説明してくれたり、子供に意思を訊いたりしてくれていたら、私は違う選択をしたかもしれませんし、それによって全く異なる青春時代を送っていた可能性もあったかもしれません。
ただそれもあくまで「たられば」でしかなく、過保護な親(特に若干強権的で自分の考えを押し付ける父)に自分が従順すぎただけなのです。
小学生時代に親に一度たりとも将来の夢や進路を訊かれなかった子供は珍しいと思います。
そして今は親のお望み通りと言いましょうか、自らの意志で父の営む会社に勤め楽しく仕事をしています(笑)

このような体験をしてきた私が考えるに、受験の意義というのは「自分の頭で考え、判断・選択し、目標や夢を作り、それに対して努力するということ」だと思うのです。
これは人生を歩むうえでもかなり大事なことだと思いますし、小学校受験は無理にせよ中学受験は満12歳ですからしっかりと情報を与えれば、ある程度は子供本人が判断できる年齢なのです。
そうして受験をするかしないか自分で考え決めた(もちろん親のアドバイスや誘導もありますが)子供であれば、どのような道に進もうとも自分で人生を切り拓けるのではないかなと感じます。
小学校受験にしても受験自体は親の判断ですが、その後子供にきちんと自分の事を考える能力や「ONとOFF」を使い分けられるような自己管理力が備わっているならば、おそらく質問者様が文面上で挙げていらっしゃる「めいいっぱい遊び学問の成功も勝ち取った」方は確実に多数存在すると思いますし、たとえ東大や京大といった最難関に合格できなかったとしても、自分の人生を自らの手で拓いていくだけの力は十分に身に付いた状態で大学に進学していくと考えます。
ただ、質問者様の仰るように勉強漬けで東大より遊びもして東大の方が一枚上手というか、今後の人生をかなり上手く渡っていけそうだなというのは共感です(笑)

つまり、お受験がどうこうというよりかは、「親が子供に子供自身の人生を歩ませることができるかどうか」が最重要なのかなと思います。
幼い頃から英才教育を受け猛勉強の末東大に行っても人の話を聞けず挨拶ひとつもできない東大生であっては、それは自分自身の人生を歩めてこなかったのかなとも感じますし(こういった場合親御さん含めた家庭の影響や責任も大きいような気がしますね)、どのような選択肢を取ろうとも自分の意思を持って生きていける人はどういう環境でもやっていけると思います。
もちろんお受験を経験した人がダメ、非お受験組が良いというわけではなく、自分で生きられるだけの知識や経験や術を持っていれば、お受験も非お受験も関係なく、できる人はできる、できない人はできないということではないかと考えます。
ただし、一般的にお受験組はやはり打たれ弱い面があるので、落ちこぼれると相当頑張らないと苦しいのは確かなのかなという実感はありますね)

私もそう遠くない将来結婚し、親になりたいと思っています。
子供を授かったら、上に挙げたような物心ついた頃には自分で自分の人生を歩んでいける子供を育てていきたいですね。(私の仕事は私の代で終わりでしょうし尚更です)
その為にも幼い頃からたくさんの経験をさせ、色々な人と関わり、好奇心と夢を持たせ、興味や好きな事を大切にし、進路に選択肢が出てきた時は可能な限り情報を与え、心ゆくまで相談に乗り、自分の頭と心で決めてもらうのが現時点での理想です。
そういう意味では、私が少年期に味わった惨めな失敗も案外悪くは無かったのかもしれません(笑)
いつかそれが最良の糧だった、最高の反面教師だったと言えるような日が来るようにしたいですね!

私事も入って申し訳ないですが、私の考えはこんな感じです。
長々と失礼いたしました。
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追記



努力の末オリンピックでメダルを取る人もいれば、彗星のように現れ、たいした努力もなくメダルを取った例もあります。いつからはじめたかではなく、それを手に入れたいと思いたってから、あきらめなかったことが大切なのかもしれません。

私学受験は、東大合格のためにやってないんでしょう。むしろ、自分がやりたいスポーツの強豪校が上についているからとかいうことが志望動機の人もいます。


始めるのがいつでも構わないとはいうものの、勉強が嫌いで面倒だからあまりやりたくない人は、東大に向きません。時間の使い方が下手な人も無理でしょう。
お友達は、口ではいろいろ言ってたとしても、学問の話題が合う出会いを求めて東大に行かれたことと思います。

うちの子は、実は、良心的な幼児教室やお受験塾だけやって、経済てきに自信がないことから私立受験はけり、国立はくじにはずれました。
不真面目でひやかしのような受験でありながら、幼児教室にも塾にも行かせた理由は、、、地元で天狗になってほしくなかったからです。
同級生の中では良く出来たんです。模試でも一桁でした。でも、性格的に、単純でしっかりしてないタイプです。自分が二番手以下という場所の方が、本人が落ち着いていたと思います。
男の子で月齢が高く、体格も良かったので、どうしても同級生に囲まれていたらお兄ちゃんみたいになってしまう。小さいころ、よく、同級生におんぶをせがまれていましたね。
男の子には、縦のつながり、この子の場合はお兄ちゃんが必要と思い、小さいころから、塾やらお稽古やら運動やら、常に上の学年に入れてもらいました。



うちの子は、使い分けてます。自然観察に誘う友達、将棋に誘う友達、柔道の友達、塾の無料講習やテストに誘う友達、遊びに行く友達、、。「あいつは、ここに誘うとじゃまするけど、こいつさそうとあいつもついてくる」などと、悩んでいて時期もありましたが、住み分けができてきたようです。
東大に行ったお友達にしても、勉強のことは、あまりあなたのまえでは話題にできず悩んだなんてことがあったかもしれません。
うちの場合、男の子の縦のつながりを大切に、校風のあうところがあれば、がんばって私立に入れていたかもしれません。
「使い分け」など、いろんな出会いにもまれるなかで培われたものも財産ですが、でも、ちょっとややこしくて面倒でもありますから。
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>子供にお受験をさせる保護者の方の考えを知りたいです。


そんなこたしらねえが一人ひとり違うんじゃあねえの。
まあ、ある程度の傾向はあるかもしれねえ。

自分も子供が普通の公立小の6年の時、上2人の子供は国立付属を受けさせた。
一応、お受験てぇ言うのかな。
それで、(2)から回答しときましょう。
これは一つ理由があった。

自分が中3のころ、普通の公立中にいて、あんまり勉強をしていなく、成績も良くなかったんだが、せめてまともな公立高に行きたいと思って、3年くらいになったらちったあ勉強しようって思ったわけよ。
そしたら邪魔をするバカがいるじゃあないの。

それから高校に入ったら、国立大の付属中から来たのが結構いた。
話を聞くと、そんなバカはいなかったって言うじゃあないの。
それで、国立の付属中には、そんなあバカはいないんだと思ってよ、上の子2人は国立の付属中に入れたってわけ。

一応お受験って言うかどうかはしらんけど、こんな例はあります。
ちなみに、一番下の子は、私の転勤(転職)の関係で、普通の公立に言ったけど、別に問題なく、今高3です。普通の高校の。まあ地域トップ高とか言われていますがね。

ちなみに国立の付属中は高校がなかったんで、高校からは普通に受験しています。

(1)については、まあ、お金もあまりないので地元国立といいたいところですが、上2人はかなり離れた国立に行きました。3番目はお受験しておりませんが、旧帝狙っているようです。
まあ、駄目だったら受かるところいくって言っていますが、どちらにしても国立でしょう。

さて、あなたの質問でちょっと問題だなってとこを上げておきましょう。

東大に行った友人さんのことですが、まあ、事実なら正直レアケースで、めったにいませんから比較対象の例としてはあまりよくないと思います。みんながこんなことができるわけじゃあありませんし、全国民から言えば、東大に普通に入れるってレアケースでしょう。

プラス
>高校は「公立受験が面倒」という理由で、特待のとれた中堅私立高に進学しました。
はあ~というような話です。
そんな理由で私立にいくか?
公立受験が面倒だったら私立も面倒だろうと思うんだけど?

どうでもいい下らん話で比較するんじゃなくて、書くならもっとまともな比較をしてくださいな。
読んだだけで、どうでもいい、下らん質問だと思いましたよ。

この回答への補足

さらに補足。
私は極論、極端な例を用いているという自覚はありますが、あなた方にしてみれば反論をしやすいのではないでしょうか?

>邪魔をするバカ
私も中学の時、こういう輩はいましたが、私は家で勉強していたので気になりませんでした。
学校は、友人と交流する場だとすら。



どうでもよいですが、ちなみに東大生の友人が「私立」を選んだ理由は、それから卒業までの期間遊べるからだと言っていました。家族の目を気にせず。
事実遊び呆けていました。

補足日時:2013/11/20 22:03
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お受験も何も、どちらでも良いと思います。

が、正直、10歳やそこらで世の中なめきってしまうよりは、もがいても何か手に入れようと必死になっている方がましなんじゃないでしょうか。アホに見えても必死こいて馬鹿できるのなんて、子どものうちだけです。30過ぎるころには、転職やら事業の成功失敗やら、もう馬鹿はやっていられません。

確かに、お受験なんてやってる子より、生き生きと公立高校でやってる子がいることも認めますが、、
公立校で一番心配なのは、そういう子ではなく、その子の子分達です。
その賢い子が、あるAさんという子を馬鹿だと言えば、自分より馬鹿だと思い込む。その賢い子が、あるBさんという人を賢いと言えば、だれもBさんの愚かな点に気が付かなくなる。。
あくまで賢いということになった子の基準でしか物事見えないやつをいっぱい従えてるわけです。

公立一本でいくと、公立普通科高校受験なんか、ヒエラルキー意外にたいした特色はなく、大学についても、ヒエラルキーの中での順位しか考えないことが多いですが、、
そもそも、旧国立大学とは、元々お国の役に立つ人を育てる場だったこともあり、結局自分につてやコネやバイタリティがなければ、何の就職もなかったりします。つまり、官僚試験でも受けるのなら良いのですが、別に、そこが人生のゴールとも限らないと思うのです。
ちなみに、私立の学校や学習塾は、それぞれがそれぞれの目的をもって設立されています。卒業生が先生になって戻ってくるなど、一つの小さなこねになることがあります。
が、公立の学校では、そういうことが通用ません。したら汚職です。
先生になりたい人、民間企業に就職したい人、官僚になりたい人、みんな、ランクだけでなく、校風を考えるべきでしょう。

だから、10代で「世の中無様で馬鹿ばっか」などとタカをくくってないで、自分の目でちゃんと見て、もっといろんなことにチャレンジしてみたらいいと思うんです。通う必要はありませんが、私は、子どもをだしに、いろんな学校に潜入するのが趣味でした。うちの子も、いろんな学校に情報交換してくれる友達や先輩がいます。接してみると、相容れない中にも、お互いを認め合える部分が生まれます。私立もいろいろ面白いですよ。学習塾も、私立校も、全く行くつもりなくても、見学させてくれます。逆に言うと、そんな未知の世界に潜入できるのって、一時期だけで面白いです。大人になったら入れてもらえませんから。

ところで、その東大生は、東大を出て、なにになりたいのでしょうか。これからも、あなたの胸をすかっとさせてくれるようなご活躍をされることと思います。多分、私立出身の奴はとか、お受験なんてやってるやつはなんて、食わず嫌いせず、一つ一つ、自分の目で、自分の心で確かめて、馬鹿にすることもあれば認め合えることにも出会い、一歩ずつ前に進まれることと思います。あなたも、ご自身で何か、がんばってみてはいかがでしょう。

馬鹿だなあと思うことは、少し離れて生暖かく見守りましょう。賢いなあと思えるような出来事や、私もやってみたいと思えるようなことに出会えると良いですね。

この回答への補足

他の方への補足も兼ねます。

知り合いに何人か「お受験」した子がいるのですが、どうも、面白くなさそうな顔をしているのですね。「親は四六時中「勉強」ばかり」とかなんとか。あるいは、「私立校に通うことをステータスにしている」とか。
私立受験をしている子はどうもそういった親の変なプライドとかが目に見えるようで気に食わない。
それに、「普通の公立小中学校に通って、高校から受験」という人で、大学なら有名国公立、そうでなくてもちゃんとしたところに就職している人間など、ごまんといますよね。
私が引き合いに出した東大生は、確かに偏った例ではありますが。彼抜きにしても。

小中受験は、「お子さんが納得し、理由を分かった上での選択」ですか?
親が勝手に、数多のレールを1本にまとめ上げてしまっただけではないんですか?
まだ情緒も発達しきっていない子供を勉強漬けにして、それを子供が楽しいと思うのは、「他に選択肢がないから」ではないんですか?そうでないと言い切れますかね?

友人と、あるいは周りの人とかかわりあって、馬鹿やるべき時期を、周囲に盲目にされ、勉強だけしか見えなくなっても、それは喜ばしいことでしょうかね。


ちなみに私は勉強は嫌いではありませんが、勉強しか頭にない人間は嫌いです。
しかしこの質問を彼らに向けて問わなかったのは、そのように「仕向けた」のは保護者であると考えたからです。

あまたある選択肢を見、体験し、その中の一つとして「勉強」、いや「学問」に身を捧げようというのは素晴らしい。賞賛すべきです。
しかし、幼いころから「お受験」「お勉強」で頭がいっぱい(にさせられてしまった)人間は、はたして真の意味で称賛に値するでしょうか。
あるいは、その保護者は。

補足日時:2013/11/20 21:49
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塾も無いど田舎で地元の高校に通って東大に合格した人を知っています。


田舎のレベルの高くない高校から大して勉強もせず
東大にいったかたも知っています。
そんな天才君とくらべても・・・。

お受験は中高の受験がないことと
ある程度、経済状態の良い家庭の子どもたちが
集まりますので、大きなトラブルを避けることが出来る
ということです。

家庭環境のよい子というイメージもつきますね。
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本人が楽しんでいるのなら、それでいいのではないですか?


その人にとってはそれが遊びと同じ感覚ですので。
あまり勉強しすぎてコミュ障になったり疎まれたりするまでになるのは流石にどうかと思いますが、

(1)大学を一つの到達点においた場合、どのような大学を目標にするのか
殆どの親にとって最終目標は大学ではないですので、子供にどんな職業に就いてほしいのか、その子供がどんな職業になりたがっているのか、で変わってくると思います。
医者にさせたければ最高の目標としては東大理IIIだと思いますが。
子供を進学校にやっている親は大抵そうだと思います。

(2)なぜ地元の公立校ではいけないのか
地元の公立校にいるよりは、進学校などで高度な勉強をすれば、明らかに将来の選択肢が広がります。
せっかく将来の夢が決まったのに、もうどんなに努力しても夢に届かない。ということになる可能性が低くなります。

何の努力もせずに大学受験を成功させられるような天才は一握りです。凡人がそんな天才に太刀打ちするためにはそれなりのお金をかけ、努力をしなければなりません。
その努力を笑うのであれば人として最低だと思います。
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小学校さえ通ってしまえば、高校受験も大学受験もしなくていい。


これに尽きるのでは?

エスカレータゆえ、学力はついてこないみたいですけどね。
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