No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>日本の封建制といえば家臣は1人の主君に仕えますが
このようなことはありませんでした。
戦国時代に戦闘で主君が戦死した場合に、敵に処刑されるのを嫌って股肱の臣がその場で殉死しました。
生き残ってもろくなことにならないと判断した場合です。
有能な家臣であれば、むしろ敵方が迎え入れました。
あるいは、直ちにその場を離れ、次に雇ってもらえる武将を探しました。
関ヶ原でも、秀吉の股肱の臣が多数家康に加担しています。
藤堂景虎が遺した家訓にも「「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と記載されています。
藩幕体制が整った1663年には殉死禁止令を出しています。
これに反して、病死した親父の寵臣に向かって「じじい、まだ生きているのか」と言って腹を切らせたバカ息子がいましたが、幕府は即刻このバカ息子の石高を削って他国へ国替えをさせた上で、腹を切った人の家族も処刑しています。
江戸時代の藩士も幕臣も、現在で言えば公務員です。雇用を保証してくれる藩や幕府という組織には忠実でしたが、個人である主君はあくまでもその時点での最高権力者として対応しました。
主君に忠誠などとやられたらお家騒動が頻発して収拾がつかなくなります。
忠臣蔵の話はあくまでも芝居の上での話しです。
殉死をさせたのではなく、騒乱罪に対する処分です。
二君にまみえずだの、武士道だのと言ったのは明治時代の新渡戸稲造の類の人間です。
「葉隠」は江戸時代」には佐賀の奇書として相手にされませんでした。
むしろ内容が不穏当であるとして禁書とされていました。
第二次世界大戦後に雇用の安定と確保の為にサラリーマンの終身雇用制度が定着しました。
「日本の封建制といえば家臣は1人の主君に仕えます」というのはその結果生まれた都市伝説です。
No.3
- 回答日時:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%8F%B8
時代が下って武士化した下司の中には鎌倉幕府に従って地頭の地位を獲得して現地に勢力を伸ばす者もいた。地頭は荘園領主が勝手に免ずることが出来なかったため、次第に自立の姿勢を強めるようになり、荘園領主側も下司に対して武家に奉公しない旨を請文を提出させたりする対抗策を取る場合もあったが効果は薄く
以上引用
つまり荘園領主(権門勢家)の家来でありつつ、地頭職≒鎌倉殿の家来である
というのが普通のスタイル
時代が下って武士化した下司の中には鎌倉幕府に従って地頭の地位を獲得して現地に勢力を伸ばす者もいた。地頭は荘園領主が勝手に免ずることが出来なかったため、次第に自立の姿勢を強めるようになり、荘園領主側も下司に対して武家に奉公しない旨を請文を提出させたりする対抗策を取る場合もあったが効果は薄く
以上引用
つまり荘園領主(権門勢家)の家来でありつつ、地頭職≒鎌倉殿の家来である
というのが普通のスタイル
No.2
- 回答日時:
主君と家臣が心情的に深く結ばれるのは江戸幕府が成立し
戦争の危機がなくなり平和が定着してからです。
そりゃあそうです。戦が続く中では自分と自分の家を守る
ために必死で知恵をしぼり、勝つ側を見定めねば没落です。
室町時代が始まる南北朝の争乱期の現和歌山県在住の武士家族で
父と息子がそれぞれ南朝と北朝に別れて戦った記録が残っており、
一家の存続をかけてどちらが勝っても良いようにしました。
元々、領主(在地地主の武士など)は自分の所有地を保持するため
より強い勢力に従ったわけで、二股は自然なことです。
彼等は会社に忠誠を誓うサラリーマンではなく中小の自営業者。
主従がビジネスライクな関係だから主君は家臣が逃げないようサービス。
江戸時代は藩が会社組織的に確立。生涯雇用になったので忠誠心競争。
No.1
- 回答日時:
戦国時代、大国に挟まれた弱小武将など、両方の臣下っぽい立場が結構あったようです。
合戦のたびにあっちに味方したりこっちに味方したり。たとえば松平家、家康の父が領主だった時期、昨日は今川、明日は織田と両方のご機嫌とりに明け暮れてたと。。明智光秀も、足利義昭の家臣という立場のまま、朝倉家にしばらくいて、そこに見切りをつけて信長の元へ。しばらくは両者の仲介役みたいな立ち位置でした。
対馬や琉球など、日本と中国、朝鮮のちょうど中間の位置ですから、時には日本ではなくそっちよりの立場になったり。
毛利家も、徳川の世になっても朝廷との関係を持ち続け、いちおうは征夷大将軍の下だけど、天皇直属の配下でもあり、天皇の命令があれば、幕府ではなく天皇に従う可能性もあり。そういう思想が倒幕思想の一つのきっかけだったと。
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