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昔から歴史に関心があり、最近ふと思ったことなのですが、
例えばペリー来航の事件で、当時は外国の方が圧倒的に強く日本を潰して利益だけ取ることもできたはずなのになぜそうしなかったのでしょうか?
無理やり開国させたり、日本を攻めたりしてるので、日本を潰す気なのかと思ったのですが…
日本内においても、幕府の人間を殺したり、いろんな人間を殺すなど残虐的なことをしているのに、どこか途中で終わっていると言うか…そこまでやったのなら、なぜ全滅させるくらいのとどめを刺さないんだろうと思いました。

本当に、ふとした疑問で、私はそのような悲惨な行為は、絶対におこってほしくないと思っています。もし気分を害された方がいたならすみません…

A 回答 (12件中1~10件)

と言うかペリー来航時とかでも信長時代の天下取りで騒然としている時代でも日本は秩序が有ったから付け入る隙が無い=植民地を免れたそんな所じゃ無いですかー曲がり成りにも天皇の地位は低かったですが征夷大将軍と両輪で来ましたから東南アジア.シナ.とかアフリカ.北中南米の様に邪悪なキリスト教徒の侵略から免れたと見て居ますねー。

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塾講師をしているものです。



当時は航海技術の発展により、アメリカの捕鯨船がよく日本近郊に現れるよになりました。

日本はちょうどアメリカから積んできた燃料が切れる場所なので、
アメリカとしては日本を燃料の補給地にすることを目的として日本に開国を求めたというのが通説です。

それはペリーらのアメリカ側の要求に答え、日本が出した新薪給与令(日本側が薪や食料を無償で提供することについてまとめている)
という法律を読めばよく分かりますよ。
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図書館で吉村昭の歴史小説を全部お読みください。

あなたの疑問は解消します。
日本民族が優秀だったのでアジアで日本だけ、植民地にもならず属国にならなかったのです。
日本は驚異の高度教育国だったのです。中国、韓国以下アジアの諸国は全てヨーロッパの植民地となり、悪政に苦しみました。日本が太平洋戦争でそれを解放したのですが、中国も韓国もその恩義を忘れて日本を悪く言います。結果日本は日清戦争にも勝ち、日露戦争にも勝ったのです。
その時に育った甘ちゃん軍人が太平用戦争を惹起して日本は敗戦しました。
その時も米国やロシア、中国、韓国も日本を属国に出来なかったのです。それほど民度がたかかったのです。その時に育ったハングリー経済人が日本をゼロになった敗戦国から世界第二の大国に作りあげたのです。その経済の繁栄に育ったこの投書者層の甘ちゃんが現在の沈滞経済を作っています。まさに歴史の輪廻です。中国と韓国はこの2000年寝ていた国です。日本の躍進に気がついて懸命に日本を追っているのです。自分たちが歴史、文化、政治は伝統と歴史があるのに日本が
経済、社会、豊かさが先行しているので日本を悪しざまに言って国民を欺いているのが中国、韓国です。日本を悪しざまに言わないと政権が持たず革命になります。何故日本から遅れた国なのか
日本より数千年の歴史先行國なのに。今の政治家が悪いのではないか、何をしているのだとなります。それを回避するために日本は悪い国だと小学校から教育をしているのです。
毛沢東の文化大革命は日本から遅れたことを見てやり直しをしたのですが、日本を悪しざまにいうことで責任逃れをしているのです。また日本も今の時代の甘ちゃん政治家が太平洋戦争の苦しみで
戦争を放棄し軍備は持たないと憲法に決めながら外国へ軍隊を派遣する法律を作ろうとしています。又歴史の輪廻で経済大勝から敗戦の痛手になる可能性があります。
中国はもう戦争をする気です。多分20年内に日本と中国、米国は戦争直前、または第三次世界大戦になるかもしれません。中国はこの2000年、特にこの200年やられっ放しの国なのです。
漸く国力がついてきたので血気さかんの暴れ馬てす。人口は13億5000万人もいますので誰も
止められないでしょう。でもまだ一人当りの国民所得は日本の10分の1です。それだけにハングリーが怖い。何をするかわからない國なのです。衣食足りて礼節を知るを徹底教育広報するしか
日本の取る道は無いでしょう。日本のお陰で中国も経済大国になりました。一人前に生活が
出来るようになりました。日本の高度技術と気候温暖をお互いに交流して仲良く更に豊かでゆとりのある社会にしましょうとするしか無い筈です。然し暴れ馬はコントロールが難しいでしょう。
ここで徹底軍備を持たず平和主義、インドガンジー主義で行くか、持つなら日本の谷間の山中に中距離弾道弾200発を建設して一斉に北京上海を爆撃する体制にするか、更に500発いるでしょう。
それか15万トン航空母艦を3隻建造して日本の北、日本海 沖縄周辺に遊弋させるか、運転は米国、管理は日本でするか、選択の時期です。本来はガンジー主義で中国を牽制するのが本筋でしょう。今の日本ならどちらでも出来ます。間違いなく中国は暴れ馬、戦争仕掛けします。先般の
中国トップの演説を見ると戦争前夜です。核心的利益を確保すると言うのはヒットラー、東條英機が言っていた言葉そのものです。歴史の輪廻です。あなたならどうしますか
日本は明治維新で殆ど文盲は無く、インドは今も60%は文盲、中国もまだ日本の昭和40年代以前の経済活動方式です。だから大気汚染が発生中なのです。
情報化時代です。歴史の輪廻はどうなると思いますか。
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日本は何度か侵略の危機にあった事があります


白村江の戦い 元寇 フィリピン提督・イエズス会による日本侵略計画
しかしいずれも未遂に終わっています

上記の3つはたまたま運が良かったというだけです
ペリーの頃になると日本はすでにある程度の国体が確立されているじきです
侵略するより拠点として利用するほうがアメリカ等には価値はあるはずです

全滅させてしまうと また1から作り直さないといけません
それよりも生かしておいて利用する方が得策です
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 西洋以外の国で植民地にならなかったのは、タイと日本だけです。

中国も全体が植民地になったわけではありませんが、植民地的扱いを受けています。

 この違いは何かと考えますに、国の体制がきちんと整っていて、一国としてまとまっていたということでしょう。
 外国船がやってくると、中央に連絡がいき、対応する人間がやって生きて話し合うということが行われていました。
 いかに欧米の軍が強力であったとしても、当時の状況で大軍を数カ月かけて移動させ、このような国と戦端を開くというような国力はありませんでした。
 仮にそういうことをして、勝ったとしても大軍を駐留させ続けなければならず、そこまではできなかったでしょう。
 数隻の船でやってきて、基地を築き駐留軍をとどめ、ということを繰り返すしかありません。

 日本やタイにはそういうつけいる隙がなかったということだと思います。
 中国にしても、一時期植民地的扱いを受けても現在は本来の国土を保ち、一国として独立しています。

 それではなぜその違いができたかと言うと、中世・近世を通じて戦国時代というものがあったとしても国として安定していたということでしょう。
 タイについては詳しくはありませんが、13世紀ごろから王朝が交代しながらも国としての範囲はあまり変化せず、一時は英仏に挟まれて危うい時期もあったものも何とか乗り切り、むしろ外交力を高め独立を保ってきました。タイの外交は小国の外交のあり方として注目している人もいるそうです。
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”当時は外国の方が圧倒的に強く日本を潰して利益だけ取ることも


 できたはずなのになぜそうしなかったのでしょうか?”
    ↑
彼らは狂人ではありません。
儲けのために、侵略したりしている訳です。
だから、例えば植民地の抵抗が強く、採算が合わない、
と判断すれば、武力侵略などしないで、貿易で儲けよう
とします。
事実、戦後は植民地の抵抗運動が強くなったため、
採算が合わなくなり、貿易に切り替えています。
そのため、多くの植民地が独立しました。

日本も同じです。
強引に武力で略奪しなかったのには色々な
理由がありましたが、その一つに日本の
武力があります。

ある英国人の手記です。
台所で物音がしたので、ライフルを持った衛兵が
調べに行った。
しばらくして
もの凄い悲鳴が聞こえたので、主人が見に行ったら
首を切断された衛兵が血だまりの中でけいれんしていた。

これは、ローニンが、あの恐ろしい刀を持って
襲ってきたに違いない。
主人は慌てて部屋に帰り、拳銃を取り出そうと
したが、机の引き出しが施錠されており開かない。
鍵を探しているとローニンが入ってきた。
もうダメだ、と観念したら、幕府の役人の大声が
聞こえ、それを耳にしたローニンが逃げて助かった・・。

この手の話が、幕末には無数に残っています。
そして。
もしも、日本を武力制圧したら、数十万といわれる
ローニンのテロにより、収拾がつかない事態に
なったであろう、という英国高官の手記も残って
います。

つまり、列強は、武力攻撃よりも貿易で儲けよう
と算段したのです。
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 アメリカが日本に開国を求めてきた最大の理由は、中国およびアジアでの通商交易のための燃料補給地つまり中継地としての機能を求めてのものです。

最初から極東の離れ小島に関心があったわけではありません。
 それが具体的に示されるのが明治維新以後の日清・日露戦争とシベリア地域に対するアメリカのスタンスです。

アメリカのアジア観は、幕末維新期のそれとさして変わることもなく、中国を巨大な工場と見なすと同時に最大の市場ともとらえている部分は一貫して同じです。これは経済活動としての側面からの現実的な対応であり、一方の政治的関与の仕方はベトナム戦争に象徴される「世界の保安官」的な傲慢なスタンスといえます。
 落日の超大国にはもはや嘗ての栄光などどこにもありません。ソリッドステートな前時代的イデオロギーでは、新たな枠組には到底対処などできないはずです。
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62歳主婦です。



私も、No.3さんと同じで 吉村昭氏の著書を読まれることをお薦めします。

明治維新のとき、日本は、皇紀2528年でした。

2528年も日本の国は続いていたのです。

日本国は、目に見えない大きな力で守られていたのです。

ここで、日本が潰されていたら、世界も完全に崩壊していたと思います。

大東亜戦争によって、日本の力で、白人によって植民地化されてた、アジア諸国は独立国家に

なれました。

白人によるアジアの有色人種の植民地化は日本によって解放されたのです。

日本には目に見えない「世界を、東南アジアを救うという使命」があったため植民地化されなかったのです。
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それは、全滅させる必要が無かった、からでしょう。



アメリカによる、太平洋と中国大陸制圧のために、日本列島が邪魔になるどころか、

1、艦隊・商船隊の中継基地として有用。

2、日本人は、他の南方蛮族や、アジア諸地域の住民とは違う。西洋的知性とは相容れないが、あなどれない住民である。

3、だから、いきなり戦争を仕掛け、列島全土の制圧に乗り出せば、米国側にも犠牲が多く出そう。

4、石炭などの資源や、ことさらの利益のある地域ではなく、中継基地・根拠地として有用なだけ。

5、だから、全滅させて占領など、そんなことをせずに、アメリカのために、うまく「利用」しよう。

日本を全滅しなかったのは、こうした理由・思惑によるものと思います。
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欧米がねらっていたのは中国です。

アメリカからしたら、日本は中国のてまえにあったので、長旅のあと、大勢をととのえるのにつかおうとおもっており、そのために必要な条件をつきつけたのです。燃料の補給などあったのでは?この燃料の補給をもとめている点は、今でも同じです。PKOとかでも兵站面の協力をもとめていますが、地勢学的にアメリカはアジアからみたら、太平洋のむこうにあるので、どうしてもこのような補給地になる味方の国が必要なのです。

あとは、江戸末期の日本が、国内の政治体制をあいまいにしておりーーーわざとごまかしていたらしいーーーたいくんがだれかとか実権はだれがもっているかとか、そういったことが、相手方にどうしてもわからなかったので、国の制度変更そのものもどのようにしたらできるのかわかっていなかったようです。

あとは、客人を礼節をもってむかえる文化があったので、その点は外国人にも評価されたのでは。当時海外にでた日本人の礼節も高く評価されたときいています。もちろん海外にでたのは一般庶民ではなく、士族ですが・・・

よその国いったとき、歓迎されたとして、そのひとたちを殺してしまおうとだれがおもうでしょう。絶滅させたらあるのは焼け野原となり、宿泊施設もなくなり、宿泊施設で応対してくれるひともなくなるのです。

そもそもつぶすという発想は、外交上の発想ではないですね。つぶしたらつきあう相手がいなくなるからです。略奪者の発想かとおもいますが、略奪というものはしつくすと、あとがつづかないことはわかりますよね。なので歴史がある程度ある国はそういうことをかんがえないのです。
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