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東京都内の『高級住宅街』って結構たくさんありますよね。
最近興味をもったので調べてみたのですが、思ったよりいっぱいあってびっくりしました。

逆にありすぎて、この中の半分くらいは近年の開発によって作られた高級住宅街の様な気がしてきました(六本木とか)。

その中で、歴史と伝統を持った本当の高級住宅街というものはあるのでしょうか?

A 回答 (8件)

結構ありますね。


有名な田園調布、成城学園は言うに及ばず、松涛、白金、番町あたりも高級住宅街ですね。
中でも番町は、かつて江戸城の西側の守備をより堅固にするために、旗本の住居が設けられていた場所として歴史のある町ですから、ここは別格かと思います。
江戸時代から続く伝統的な屋敷街という感じがします。
すぐそこは皇居ですから、都心部の高級住宅街の最右翼でしょうね。
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 隠れた高級住宅地は新宿区若葉町でしょう。

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>その中で、歴史と伝統を持った本当の高級住宅街というものはあるのでしょうか?



東京では、番町(千代田区一番町~六番町)、麹町(千代田区麹町)が歴史と伝統を持った本当の高級住宅街になります。
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定義によりますが、昔から億ションが多かった地域ですと、市ヶ谷駅から四谷駅にむかう周辺など。

すこしおちついた瀟洒なレストランなどもあり、一軒家中心で落ち着いた雰囲気ですと、白金など。

聖心女子大周辺なども比較的おちついた雰囲気です。大学教授にかんしていえば、日本の大学教授はその社会的地位がヨーロッパとくらべて低く、給与もひくいのでーーー教授よりも学生の方がいい車で学校にくるというのはよくきくはなしですーーー奥さんがいいところのお嬢さんなどでないかぎり、高級住宅街にはすんでいない場合がほとんどです。

ほかの回答者もかいているように、東急線沿線の住宅街にかんしては、五島が鉄道を敷いたときに一体的に開発してできたものですし、江戸時代には、目黒のさんまといわれるように、あのあたりも、完全に田舎の代名詞でした。

六本木周辺にかんしては、森ビルが開発したものです。

一方古い住宅街もとくにバブル期以降再開発がすすんでしまい、さまがわりしたところもおおいかとおもいます。乱食い状態で開発がすすんだために、ほかの回答者がかいているように、何丁目まで指定しないと歩いても高級なイメージを体感できない状態になっていたりするのです。

伝統ある閑静な住宅街も近年相当程度こわされてきているということです。ただ何をもって高級と考えるかはその人次第のところもあるので―――値段からいえば都心部のマンションは、別段伝統ある高級住宅街になくとも1億こえるものがざらーーー住む場所は自分なりの尺度で選べばよいかと思います。育った環境などとのかねあいで、なじみにくい土地柄というのはあるものです。少し乱雑なくらいのごちゃごちゃ感がおもしろいとかんじるひともいますし、景観が整っていないとその景観を見ること自体がストレスだというひともいるでしょう。

いずれにせよ、東京は、第二次世界大戦のとき一度かなりの地域が焼野原になり、その焼野原にいち早くのりこんで縄をはりここは俺の土地だと言い張った人間がその土地をとれたという状況が新宿周辺などでは出現していたということですので、当然ながらそのような状況では、むかしながらの名家のおっとりした性格ではいきのこれなかったのではと推測します。ですので、目安としては、焼けなかった場所で、かつ歴史をたどっても、田舎ではなかった地域に、閑静な住宅街がのこっているものならばのこっているはずだとおもいますが、相続税がおさめらずれず、手放された一軒家のあとにマンションなりアパートなりが立つ場合がほとんどなので、20年前の環境さえ保存されていない街区がほとんどだったりします。

江戸時代のお屋敷街にかんしていえば、マンション街に変貌したところがほとんどなので、当然ながらそういうところには、お金さえあればだれでも新に入居できるわけで、ある意味再開発されてしまうと、高級住宅街が高級住宅街であるゆえんがくずれるようなきがします。どんな高級住宅街にすもうとも、必ずお隣さんに恵まれる保証はないということです。

江戸から明治にかけて支配層がかわり、さらに第二次大戦により戦火をあび、戦後の高度経済成長期に大発展をとげた世界最大の都市東京の特徴は、その猥雑さにあるといっても過言ではないくらいで、その猥雑さを多少なりともまぬがれてそんぞくしてきた街がわずかに高級なたたずまいをたたえている、といっていいとおもいます。

住宅構造からいうと、江戸時代までの上流階級は庭のある屋敷にしか住んでおらず、庭のない家にはすめないといおもっていたので、昭和までは小さいながらも庭のある木造住宅にこのんですんでいたが、その子供の世代は、育った家とのかねあいでやはり庭のない家には住めないと思い、郊外に住居をもとめ、さらに、親がすんでいたもとの家は相続税対策として売却され、跡地にはちいさな別の庭のないたてものがたち、という経過をたどって、街並みがくずれ住民がかわっていったというのが、具体的にしっている変貌の姿です。

ついでながらそのような古くからの中上流層のあいだでは、70過ぎくらいの婦人にたいしては、おばさまとよびかけることが慣例化していたことを申し添えておきます。ですがそういう常識はワンルームで家賃10万円を超す地域にすもうとも現在は全く保障されないのです。もともとどこのだれかわからない人間が老人でもない女性にむかって平気でばばあと呼びかけるご時世ですので。また、現在の日本の規制ですと、閑静な住宅街にいきなりパブだとか居酒屋だとかが開業して夜中まで騒ぐ事態をまったくふせげず、たった一軒のパブにより夜間の周辺環境は、劣悪になる現状があります。乱開発を防ぐ法律がない以上、いずれ、ほとんどのもと閑静な高級住宅街消滅というより破壊されるのでは?
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歴史の定義次第でしょうね。



明治くらいまでは今の城西地域は田畑しかなかったんだから武家屋敷が多くあった本郷あたりや番町・麹町あたりくらいしか高級住宅街の冠はふさわしくない、みたいなことを言いたがる東京村人はけっこういますね。

近代以降の東京の住宅街の多くは鉄道会社やそれと結びついた不動産会社が計画的に開発したものです。
高級住宅街としては田園調布や成城学園がその代表です。
そういった企業先導の高級化とは別に、文人や芸術を愛する財閥人が多く住むようになって高級住宅街化したのは荻窪の一部や御殿山あたりです。



余談ですが、私は田園調布のいわゆる邸宅街で育ちましたが、あのへんは普通の暮らしをするには買い物は不便だし急坂は多いしひと気は無いし全然楽しくない、ということを他で暮らしてみて思い知りました。
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ベストテン


1.松濤
2.元麻布
3.田園調布3丁目
4.白金台4丁目と6丁目の外堀通り付近
5.広尾4丁目
6.御殿山6丁目及び高輪4丁目の品川駅西一帯
7.代々木上原駅北の西原3丁目
8.二子玉川駅北東の瀬田1丁目
9.成城
10.大森駅西の山王2丁目
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 それや田園調布ですよ。



 貧乏人が来ないように最低150m2無いと家が建てられないように制限されている。1坪200万円はざらで50坪ならば土地だけで1億円暗い無いとダメと言う場所ですね。家入れると最低2億円というベレルですね。家だけで貴方の一生でもらえるお金のレベルです。



 http://toushi.homes.co.jp/owner/tokyo/eki5056/ka …


 敷地の最低制限している箇所は東京にもまだあるかも知れませんけどね


http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachi …


 同様な物は、兵庫県の西宮市の一部にもあります


 本当の高級住宅地は、制限ありまくりですは、
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こんにちは



文京区の一部が該当すると思います。

昔から文豪や教授が多く住み、大学もあるこの周辺は
治安もよく、住み易いと言われています。

http://www.jk-tokyo.tv/zatsugaku/182/

http://www.jk-tokyo.tv/zatsugaku/165/

http://diamond.jp/articles/-/8355
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