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江戸時代に、今の新橋駅のある所以外に、新橋というところはありませんでしたか?

A 回答 (4件)

新橋は当時は海の中だったのでは?


鉄道というものをまだ誰も知らない当時の日本では、まとまった用地を確保するのが容易でなかったそうです。
それで、地権者の承諾のいらない海の上に線路を作ってしまえということになったと聞いています。
新橋ー横浜間は、日本初の鉄道だそうです。
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この回答へのお礼

解答、有難うございます
東京の地名由来 というHPに、1700年ごろ、新橋と呼ばれる橋があったようだと有りました。
新しい橋ということのようですので、他にもそう呼ばれる橋(または地名として)あるのでは
と思って質問しました

お礼日時:2014/09/25 00:56

汐留川に新たに架けた橋が「新橋」とよばれたのであって、地名はその橋の名に由来します。


で、その橋は新橋駅の処ではなく、現在の博品館の処にあった橋で、汐留側は埋め立てられて高速道路になっています。

旧来の橋があったとは限らず新たにその川筋に架かった新しい橋を「新橋」と呼んだのでセーヌ川の「ポン・ヌフ(直訳すると新しい橋、パリ市内だとセーヌ川で一番古い橋)」のようなものです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます
で、その新橋以外にも、例えば広尾のあたりか、麻布の周辺に、新橋と呼ばれた橋が
なかったかというのが、知りたいところです

お礼日時:2014/09/25 11:01

東京中野区に中野新橋って名前の駅がありますね。



玉川上水にも、場所を少しずらして新橋をかけた。との文献もあります。
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この回答へのお礼

有難うございました
こうしてみると、あちこちに新橋があって、面白いですね

お礼日時:2014/09/26 00:43

ありました。


現在の下目黒小学校の側にある目黒川に架かっている橋です。
現在も江戸時代も新橋と呼ばれていました。
但し、現在のJR新橋駅周辺のように地名とはなりませんでした。

港区新橋という地名は1965年以降です
現在のJR新橋駅も元は烏森駅でした。
汽笛一声の新橋駅はその後汐留駅と呼ばれ、現在記念館が建っている場所です。

現在のJP新橋駅付近の地名のもととなった橋は芝口橋と呼ばれていました。
朝鮮通信使を迎え入れるために城門のような構えの門を建てました。
この際に更新した橋という意味で使われました。
数年後火災で焼失して大仰な門は再建されませんでした。

よくよく考えると由来があるようなないような地名です。

新橋ではなく新シ橋と呼ばれる橋は二か所ほどありました。

麻布広尾界隈は台地であった上に江戸時代は大名の広大な下屋敷や畑があるでけのところでしたのでした。
麻布台と呼ばれ現在でも都内有数の起伏の多い地形です。
谷底に当たる窪地には沢山の池がありました。
橋を架けるような川は目黒川だけで天然の農業用水路があるだけでした。
農作業に必要な簡易の橋がところどころに架けられていただけです。
広尾は渋谷川と目黒川にはさまれた広大なススキが生い茂る原っぱでした
広尾が原と呼ばれていました。
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この回答へのお礼

詳しい回答、有難うございました。
私としては天現寺あたりに有ってほしかったのですが、あの程度の溝では
橋としても小さいでしょうから、江戸市民が知っているということは
なかったでしょうね
お調べいただいて、どうも有難うございました

お礼日時:2014/09/25 21:37

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