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日本人で苗字を持っていた人は武士階級で平民は明治以降だと聞いています。そして、苗字を付けたのは町にある寺の和尚さんが適当に付けたように聞いたのですが、本当ですか?

A 回答 (4件)

苗字(名字)は明治以前にもあったのですが、江戸幕府の政策で平民が公に名乗ることが許されなかっただけです。

ですから、性をもっていた人ももっていなかった人もいたと考えられます。
明治になり、平民苗字必称義務令で誰でも姓を名乗っていいこととなり、平民が姓をつける場合は以下のどれかに該当していたそうです。
1)江戸時代から公では名乗れなかった名字を使う
2)江戸時代以前の先祖が名乗っていた名字を復活させる
3)庄屋、名主、お寺の住職などの人につけてもらう
4)地域や集落で連帯感を表すためにみんなで同じもしくは似た名前を使う
5)自分で考えて名字をつける

ですから、色々な付け方があったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いろいろパターンがありますね。自分の苗字はどうだったんだろうと思います。

お礼日時:2015/03/13 08:21

当時は文字を読み書きできる平民は極めて少数でした。


ですので、文字の読み書きができる寺の和尚や、大地主や士族などに、適当に付けてもらいました。
そして、当時の平民は、江戸時代の習わしから、何でも上の人から授けられて喜ぶ封建社会的思想が徹底していましたので、苗字を授けられても何の抵抗も無く、すんなり受け入れました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。何となく当時の長屋での人々の雰囲気が分かったような気がします。

お礼日時:2015/03/18 12:24

自分でつけた例


山と田んぼの間に家があったから山田
田んぼの中に家があったから田中
近くに大きな林/小さな林があったから大林/小林
塩田の近くだから塩田
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この回答へのお礼

それが一番多いパターンですかね。有難うございます。

お礼日時:2015/03/13 08:23

基本、自分で苗字を考える。

ですが、
周囲で学のある人に頼むケースが多かったでしょう。
庄屋さん、長屋だったら大家さん、町内の顔役、寺小屋や習い事のお師匠さん、など。
江戸時代は、お寺が役所の戸籍係のような役割をしてましたから、最終的にお寺の住職が付けるケースも多かったかもしれません。
山口県の場合、奇兵隊などで、武士とその他一般人との境がゆるくなってましたから、知り合いの元・武士というパターンも。
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この回答へのお礼

有難うございます。町内の博識のある人につけてもらったのですね。でも、なんだか適当な感じは否めませんね。

お礼日時:2015/03/13 08:22

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