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タイトルのとおり人にとって宗教はなぜ必要なのか?教えてください。

A 回答 (68件中41~50件)

別に必要でないと思います。

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♯17、14さまに同意。



日本で宗教っていうと、なんだか現世利益ばかりを追い求めている印象がある点、それから政教分離って思想はもともとキリスト教を背景に育ってきた文化の中でキリスト教を分離しましょうってのが原点なのに日本では形だけを持ってきてしまった点などが、「人は弱いから必要」だとか、あるいは「必要ない」といった見解の源泉に思えます。

14さま、17さまのおっしゃるとおり、近代科学の出所となった(西洋の)哲学はすべて、神をどう捉えるか、という視点から発しており、何をどうあがいてもその上に現在あるのです。
ニーチェから発した自然科学の体系はないでしょ?(そのニーチェもキリスト教の呪縛から逃れたかっただけだけれども)

それから、資本主義だの、民主主義だの、我々が極普通に受け入れ、水のように感じているシステムだって、キリスト教の影響を抜きには成立しなかったし、また日本でそれらがうまく回らない原因の一つは根本的にクリスチャンじゃないからだと思います。

そすると、我々の生活に宗教なんて、切っても切り離せない関係にあるのですよ、現実的に。

ただ、そんなこと義務教育の中では一つも教えないから、末端の、出てきた結果だけの科学や社会を見渡し、そこからきりはなされた新興宗教を見ると、…普通の感性をお持ちならぞっとするわけですよ。

もっとも、私の書きようではキリスト教がのみ、必要ととられ兼ねない論調となってしまいましたが、たまたま近・現代の仕組みに密接に結びついた宗教がキリスト教であっただけであり、仏教だって、イスラム教だって、あるいは神道だって、ここでは例示しにくいけれども必要云々ではなく、切り離せないものなのです。

ただ、それを信仰という形でどう捉えるかは、まったく別の問題なのでしょうが。
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 宗教が生まれるには、歴史的必然があったと考えています。

でもこれは、単に私の考えに過ぎません。

 人類が小さな社会生活を始めたとき、その集団は血縁集団であったと思います。その後、その集団が発展した結果、人口増加により血縁意識が薄弱になっていきました。そして、その集団が他の血縁集団と合体することにより、血縁意識は集団内の一部の間にのみ有効なものとなってしまいました。

 一般論ですが、人に限らず生物には、その生存および子孫の繁栄について、利己的な達成欲が本能的に備わっていると思います。始まりは、単に同一血縁者の数が多かっただけかも知れません。集団の中にある勢力が生まれたのです。その勢力は考えました。他の勢力の力を利用して、自分たちの勢力を維持、伸張させるにはどうしたらいいか。当時の人知で全く解明できなかった多くの自然現象は、当時の人類全てにとって「恐れ」の対象でした。その勢力は、自分たちが恐れていた対象を敬い、奉る中心に存在することにより、集団全体を支配しようとしたのです。いろいろ試行錯誤はあったと思いますが、その結果、生まれたものが「宗教」だと思います。

 今日、代表的な「一神教」としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教がありますが、その全てに一神教ではなかった時代があります。一神教に限らず、多くの地域で幾多の神が敬われ、そして滅んでいきました。こうしてみると、宗教は、民衆を支配するための手段又は支配階級に対する反抗の手段として生まれたという側面もあるかと思います。

 さて、世界中の多くの国家で民主主義が採用されている現状をふまえると、私が個人的に考えた宗教の発生理由は、ほとんど無いに等しいといえます。
 私は、少なくとも人類が生きるために「宗教」が必要だと考えたことはありません。しかし、「宗教」は、人類が少なくとも4~5千年の間、馴染んできた心のよりどころです。でも、共産主義のように、宗教を否定する「無神教」という「宗教」思想も出現しました。

 「宗教」など必要無いという考えが正しいかどうか、答えが出る前に人類は滅亡しているかもしれません。

 長文失礼しました。
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私にとって宗教とは、「アイデンティティーを保つための重要な要素」です。



私の母がキリスト教の信者で、よく聖書の勉強などをさせられます。私は母の入っているキリスト教の「良くない部分」を見ているので、これから先も入信することはないつもりです。
私から見れば、一神教の宗教は、私生活を削らされ、家族を分断されてしまう危険なものにしか思えません。

ただ、こんな偉そうな事を垂れていても、心の奥底では自信をもてない、自分自身を保てない自分が存在します。
そして、本当に自分自身を保てなくなった時、何かの形で助けを求め、それにすがりつこうとします。
これが、人が宗教にはまり込む一つの要因なのではないかと思います。自分自身を保つため、神にすがりつこうとするのです。
私の母の場合も似たようなもので、他の信者の方を見ても、神を信じることで自分自身のアイデンティティーを保っていらっしゃる方もいます。
もし、彼らから神を奪い取ってしまったら、おそらく人格もしくは内面が崩れてしまうでしょう。

又、
「何故、自分はこの世に存在するのか」
「どこから生命は生まれてきたのか」
といった疑問も、生きていくうちに自然に沸くものです。そういった疑問に対し、教科書では進化論などで生命が誕生したと記されていますが、本当のことは誰にも分かりません。
そこで、一番理解しやすく、誰にでも分かりやすいのが、「神が人間を作った」という考え方です。
無宗教である場合、「神が人間を作った」という考え方は非常に非科学的で、なおかつ危険思想のようにもとらえられます。
ですが、難しい理屈を並べ立てられて「人間はこのような進化を辿って生まれてきた」と言われるより、「神が人間を創造した」と言われる方が、簡単で分かりやすいと思います。

だらだらと小難しく分かりづらいことばかり並べ立ててしまいましたが、結局の所宗教とは「人にとってアイデンティティーを保つためになくてはならないもの」だと思います。
私は実際の所宗教が苦手だったりするのですが、だからといって神を全く信じないわけではありません。
心のどこかでは、少なからずとも神を求めてしまっているのです。

繰り返しになってしまいますが、人のアイデンティティーを保つ大事なもの。
それが宗教だと思います。
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>人にとって宗教はなぜ必要なのか?教えてください。



この質問のしかたを見ると、質問者さんは宗教が必要と思われた上で、なぜ必要なのか?と問われているようですので、それを踏まえて答えると・・・

●宗教なんて必要ありません!(^^;)●


人間は弱い生き物です。
ただ単に心のより所が欲しいだけだと思います。
現代人に心が病んでいる人が多いのです。


私から言わせれば、宗教を信じている人は「かわいそう」です。
No.23の方もおっしゃっている通り、現代の宗教のほとんどが、

>神をネタにして金儲けをするために。その他、神を自分の都合の良い様に利用するために宗教は存在するのです。

だと思います。ごくごく少数の所は違うでしょうが、そんな宗教なんて、すぐにカルトと呼ばれてしまいます。

私は無神論者です。が、冠婚葬祭はちゃんと社会のルールに則って、常識的に行動します。仏の前では手を合わせますし、結婚式では賛美歌を歌います。
でもそれは宗教ではなく、社会生活の一環として、一常識人として行っているだけです。ほとんどの方は、そうでしょう。
でしたら別に形式だけの宗教などはいらないのです。

本気で宗教を信仰している人。
神・仏・ア●ー・池●大▼ など信じている人。

個人の勝手ですから否定はしませんが、僕から見たら滑稽ですね。

人類の大半が何らかの宗教を信仰しているので、私の意見は少数派でしょうが、何十年、何百年、何千年後に、まだ地球が存在し、人類が文明を営んでいたら・・・この状況は一笑に付されるでしょうね。
「昔の人類はなんて愚かだったんだ・・・」と。


宗教で心が救われる人が多数いるのを否定はしません。

しかし、宗教で多数の尊い命が奪われている(戦争・紛争)事も事実です。


一番ベストなのは、宗教に頼らず、自分の意思を強く持った人間が増えれば良いのだと思いますが・・・

無理でしょうね。
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宝くじを当ててもらうため。



交通事故に遭わないため。

病気を治してもらうため。

入学試験や入社試験に合格させてもらうため。

株が上がる様に。

飛行機が無事着陸できるように。

元気な赤ちゃんが生まれる様に。

恋人が出来る様に、あるいは、恋人と結婚できるように。

戦争がない平和な世界が来る様に、あるいは、戦争に勝てる様に。

天国に行ける様に、あるいは、気に入らないヤツを地獄に落とすために。

神をネタにして金儲けをするために。

その他、神を自分の都合の良い様に利用するために宗教は存在するのです。

宗教は、人間が自分の利益のために自分で勝手に創ったものであり、本来、神と宗教とはなんら関係ありません。

神は宗教などなくても存在しています。

現実を見て、神様はきっと神の国で嘆いていることでしょう!!!
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私見です


現代の日本人にはなかなか感覚として理解し辛いものでしょうが・・・
貧困や戦乱などによる、現代の先進国では普通考えられない「辛い」などという言葉では表せない状況においては、人間は宗教などのような精神的拠り所がないとそうそうやってはいけないんじゃないかと思います。そういうところや、他の方がおっしゃっているようなこと、政治的な意味合いなどから興って、今に至るんじゃないでしょうか
で、現在においては、おこりと同じ部分とともに、文化や信念として成り立っているんではないかと・・・
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体系としての宗教の必要性、一番の目的は教育です。



過去において、他民族の土地を占領した支配者が
政治を行う上で、宗教はとても便利な物でした。

もともと価値観の違う他民族に、
自分たちの信仰する宗教を教え込む事により、
倫理観・価値観を効率よく浸透させる事ができるからです。
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人にとって、宗教は必要かとの問いですが、無宗教でも健やかに生きている人はたくさんいますし、原始的宗教でも世界の三大宗教でも、信じている人にとっての効能は、大差はないものと思われる。


 ではなぜ宗教というものが、二千年・三千年、原始宗教にいたっては、かなり昔から、脈々と続いているのかといえば、それは、信仰対象である神なり仏なりが、確たる存在であるからであろうと思われる。
 確かに、目には見えないのであるが、見えないから、存在しないというのではないであろう。
 神・仏が確かに存在しているからこそ、人間というものが存在しえるとも言えるのではないであろうか?
 人間が、宗教を必要としているというよりも、神仏の方が、人間を必要とし、人間の思考の中で、脈々と存続し続ける事を望んでいるのであろう。
 では、人間が思考の中で、神仏を思わねば、存在しないのであろうかとも思うであろうが、そうともいえない。神仏は、即ち、人間の思考の中と、宇宙空間を含む全てとを繋ぐものなのである。
 キリスト教においては「愛」であり、仏教においては「慈愛」と呼ばれているようである。
 慈愛・愛が即ち人間を含む存在の全てを包括しているのであり、人間は、慈愛・愛のなかの一部なのである。
 であるから、人間が、神仏を意識し得ないのは、まるで、普段は、何気なしに呼吸をしているのに似ている。
 人間が信じようと信じまいと、神仏は、人間を愛・慈愛として包んでいるのである。

 結論としては、必要かと問われれば、必要である事を意識し得ないほどまでに、既に、充たされていると言うことになるであろうか。求める前に、既に神仏は与えつくしているのである。
 納得してくれましたか?
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皆さんの回答を読みましたが、


宗教を定義して発言をされている方は誰もいません。

質問者は宗教の定義をきちんとしてみてください。
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