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タイトルのとおり人にとって宗教はなぜ必要なのか?教えてください。

A 回答 (68件中61~68件)

私も無信心ですが、宗教の伝えようとしている事には興味があります。

同じ事を考えた事がありました。

今私が感じているのは、「人は訳を知りたがるから」と「指針を示して欲しいから」だと思っています。

人は訳を知りたがるから:とても理不尽な運命に出会った時、「神の意思、試練」など、超越した理由があれば、運命を受け入れて希望を持ち続けられるのではないでしょうか。

指針を示して欲しいから:導くという事ですが、宗教が発生して広めるためには、既に存在している社会のルールやモラルを肯定しなければ広げる事はできなかったでしょう。 モラルの指針を織り込む事は重要だったと思います。
仏教でもインド→中国→日本へと広まる際に、儒教や道教の影響などを受けていると聞いています。

また、迷った時に希望を与え、方向性を示してくれる宗教はありがたかったのではないでしょうか。

 他の方の回答、私も大変参考になりました。質問していただきありがとうございます。
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私は無信心ですが、宗教は否定していません。


日頃から考えている自論もちゃんとありますが、ご質問への回答だけすることにします。

なぜ必要か? というご質問ですが、その答えが心のよりどころであるから、ということは言うまでもありませんが、小分けにすると様々な理由があります。
というわけで、以下、各論。

・辛い気持ちの人を救うため(私の祖母がそうでした)

・誕生、結婚、死、等々、人生の中のビッグイベントの意味づけを重くし、確固たる曰くをつけるため

・善を勧め、悪を戒める理由付けをするため
(自然科学をいくら極めても、善悪という概念は出てこないこともあり)

・人、社会とのお付き合いをしやすくするため
(私の場合、祭りや棟上のときだけ「神道」)

・世の中の心理、すなわち、自分の存在、人間の存在、万物の存在、宇宙の存在の意味や理由を「わかりやすく」知りたい

たぶん、まだまだ理由はあると思いますが、今、思いつく範囲ですと、上のいずれかに入りそうです。


逆に、なぜ私が無信心で大丈夫なのか、ということも背理法的に述べましょうか。

・殺す、盗む、搾取・独占、等々が悪であるというのは、公理があると認識している

・物理学によって、宇宙の始まりに神という「思考を持った存在」の手を借りる必要はなかったようである、ということを知っている。

・同じく、幽霊や罰当たりやたたりなどの概念も、物理学を学ぶこと等によって、実は、物理学的現象でなく、人の心がもたらしたものであることを理解できる。

・自分の悩みを自分で解決することができる。自力で解決できなくても、自分から解決を求めていく手段を持っている。


なお、テレビで最近、「なぜ少年は、すぐキレるのか」みたいな特集をやっていたとき、出演者の一人であるどこかの先生が言っていたことには感心しました。
あまり覚えていませんが、こんな感じのことです。

「学校は勉強を教えるところ。それが道徳・挨拶・生活習慣のようなところまで指導するところであると考えられているのは、日本の大きな特徴。海外では普通そう考えられておらず、そういう役割は教会などが行なっている。」

なるほど。宗教はやっぱり必要なようです。
ただし私はお祭りと神事のときだけ。(笑)
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宗教の基本は「人はどのように生きるのか?」だというようなことを以前本で読みました。



人間は必ずいつか死ぬので、死後の世界や霊魂のことを考えるようになり、対極にある「生」を考えるようになって宗教は生まれたのだと思います。
また、運のいい人悪い人などがいるわけですが、何であの人ばっかり...と考えるところから、どこかに人間の意志を超えた神がいるのでは?となっていくんですね。きっと。

アメリカにおける基本的人権は「神」に与えられた平等で、一神教にとって神は絶対的なもので心のよりどころでも、正邪を決める物差しでもあるようです。

日本人は無宗教とか宗教音痴といわれますが、
習慣としては神道の影響が大きいですね。
(ちゃんと洗ってあっても)人の箸や茶碗を使わないのは「穢れ」を嫌がるからだそうです。
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生きていくうちにいろんな問題が出てきて精神的に辛い時期があっても自分だけで解決できない人達が何かに頼るために入るんじゃないですかね?


自分の周りで起きた問題を、目に見えないモノにすがって解決できるとは僕は思えないですけどね。
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あまりに根本過ぎていい答えがありませんが、


「苦しい時の神だのみ」ということで、
#1さんにほぼ同意です。
もう一つ、人間が社会生活をするなかで、
「何かに所属する」ということは大きな意味を
持ちます。なぜ、こういう事になるかは、さすがに
専門家でないと分からないのですが、
人は所属を求めます。
本能的にはそういった軽い雰囲気もありますが、
新興宗教などでは、入信すると、お勉強が
待っています。事実宗教は学問と言い切る
宗教もあるようです。
そうなると、心のよりどころというだけでは
勤まらなくなります。むしろ、お金や時間の
面で苦痛に感じる事さえあると思うのですが。
それでも、それを乗り越えれば幸せになれると
思っているわけですから。
まあ、必要ないと言ったところで、死んでしまえば
お坊さんが来るとは思いますけど。
(いや、呼ばなくていい場合は削れるのかな?
とにかく、葬儀屋さんに頼んで処置しないと
その辺に埋めたのでは、死体遺棄の罪に問われかねないですからねぇ)
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一番最後に頼れるものを持ちたい人にとって、とても便利なものだからだと思います。



不安でも神が守ってくれる、今は不幸でも神が観ていてくれる、などと自分を応援することに神が使えるのであれば、
人に迷惑をかけることをしない限り、宗教は人間にとって有用なものです。

但し、オウムではないですが、宗教の名の下に正しくないことを正当化する例もありますが、これは宗教が
悪いのではなく、その使い方の問題です。

日本人は無宗教が当たり前のようですが、これは「仏様」というのが広く認められており、宗教の
代わりになっているような気がします。
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日本人には宗教という概念は分かりにくいかもしれませんが、



人は 何かを信じる事によって心が満たされたり安らぎを感じたりするからです

たとえば カレシに愛されてると感んじるのは カレシに愛されてると信じているからです。

親友がいて、信頼感を持つ喜びも(親友と信じあっていると実感するからです)

それらと同じような感覚で 神を信じることによって自分は幸せになれると 信じることの喜びが 宗教という感じです

簡単にいうと 浜崎あゆみのファンは 浜崎あゆみ教という宗教を信じてるみたいなものです(熱狂的なファンは浜崎あゆみのいない世界は考えられない等) 
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心の平安を求めるためだと思います。

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