プロが教えるわが家の防犯対策術!

とある時代小説を読んでいたところ、「(夜襲は)13日の寅の刻に決まったぞ」という言葉がありました。

寅の刻とは今の時間でいう明け方3時頃だという事は知っていたのですが、

子の刻が23時だと考えた場合、13日の寅の刻とは今でいう14日の3時の事ではまさかないですよね?

もちろん13日の3時の事ですよね?

つまり、昔の暦では今より約1時間早く日付が翌日に変わっていたという事なのですよね?

A 回答 (6件)

お尋ねの「寅の刻」は13日なのか、14日なのか、ということですね。


現在では日付が変わるのは午前0時と誰もが思っています。しかし江戸時代には日の出で日付が変わるというのが一般の人の認識でした。時計がなかったので正確な時刻の認識ができず、日の出という誰もが認識できる事象での日付変更としたのです。
ですから歴史史料を読む場合に深夜から日の出までの日付については注意せねばなりません。そういうわけで「13日の寅の刻」は現在の時刻に換算すると「14日の午前4時頃」と考えるべきです。時刻は2時間きざみですからその前後約1時間が寅の刻ということになります。(しかし暦の学者などは子の刻で日付が変わるとしていた人もいたようですが小生の知る範囲ではごくわずか。)
他の方の回答にもありますが、江戸時代の時刻は日の出、日の入りが基準です。その時刻は季節によって変わりますから寅の刻は一年中常に「午前4時頃」ではありません。夏には少し早くなり午前3時半頃、冬には遅くなって午前4時半頃と考えるべきです。
時刻をもう少し細かく表すには「寅の上刻(じょうこく)」「正(しょう)寅の刻」「寅の下刻(げこく)」という言い方もありました。上刻は少し前、下刻は少し後です。いずれにしてもかなりアバウトということですが当時の人々の生活には支障はなかったのでしょう。江戸など都市部には時の鐘が設置してあり人々はそれに合わせて生活していました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

日の入で日付が変わるとは思ってもいなかった事で目からウロコでした。

あ、ちなみに皆様の回答を読ませていただきましたところ、江戸時代の設定で回答をいただいものが殆どだったのですが、
私がふと疑問を持つに至ってしまった小説は司馬遼太郎さんの「関ヶ原」でして、石田三成を夜襲しようとしている日付と時刻の事なので、江戸時代より若干前ですね。
ふふふww

それにしてもこういう事って学校では教えてくれない事でしたので、非常に興味深かったです。

回答をいただいた皆様に感謝いたします^^

お礼日時:2015/06/14 14:07

何月の13日かによってかなりの時間のずれはありますが、便宜上24時間を均等に2時間で割ったとして回答しますね。


 
時代にもよるのですが、江戸時代は役所が考える時刻制と、庶民が考える時刻制に違いがありました。
役所には時計もあり、暦を作るという仕事上、学問的に時刻を記録しましたので、子の刻を始まりとしていました。

しかし夜襲と言う事はおそらく盗賊か何かで、お役人側の時刻感覚ではないでしょうから、庶民の間で一般に広まっていた、「朝が一日の始まり」という感覚でいいと思います。
朝と言うのは、日が昇ったら、という意味です。
当時の庶民における一日の始まりは、今で言う日の出の時刻の、ほぼ30分後からでした。

つまり「13日の寅の刻」は、今で言う「14日の午前3時」です。
 

ここからは余談です。

江戸時代の半ば頃までは寅の刻は3時から5時までの二時間を指しましたが、幕末頃には半時ずれて、4時から6時までを指しました。
従来は3時~5時の真ん中である4時を「寅の刻の中刻」と称し、これこそが真の寅の刻で、その前後一時間は「幅」でした。
それがいつしか、寅の中刻からが寅の刻であるという認識になり、半刻ずれました。
よって、その小説が幕末あたりの時代設定なら、13日の寅の刻は「14日の4時」です。

ただし、当時の時刻は24時間が均等に割られてはいなかったので、季節により大分違いが有り、寅の刻が4時になるのは冬至の時期あたりで、夏至頃だと2時半から3時50分くらいまでになります。
    • good
    • 3

江戸時代には、あるていど時計も普及していて、南中と南中の間(=正子)が一日の変わり目という認識も広まっていただろうと思います。


丑三つは有名ですが寅の刻というのは、なんとなく大雑把ですね。

ちなみに今の時刻は1年間同じように時を刻むため季節によって”一日”が地球の自転とズレるので、昼の12時丁度に南中にならなかったり、日の入り時刻が一番早い日が(日の一番短い)冬至の日と違っていたりします。
    • good
    • 0

No.2の方の書かれている通りで、江戸時代には日付のかわる


時間が明確ではありませんでした。
電気が無い時代なので、子の刻はほとんどの人が寝ている時間であり、外を歩くだけで「盗賊」と断定されても仕方が無い時代でした。
ただ、日付が変わるのが「子の刻」だとしても、子の刻の始まりの
23時ではなく、「正子」である0時だったはずです。

話は変わりますが、夜襲には2種類があります。
圧倒的に戦力が劣る場合、夜間に戦った方が有利なので、
寝入りばなの亥の刻あたりに設定されます。
忠臣蔵の討ち入りのように、絶対に逃がしてはいけない相手が
いる場合は、明るい時間に戦えるように寅の刻あたりに設定
されます。

また、江戸時代の時刻は世界的にも珍しい、季節で時間の
長さが異なる不定時法でした。もし、春分・秋分あたりですと、
No.1の方が書かれているように寅の刻は3時~5時となります。

http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo …
    • good
    • 0

「一日 始まり 中世」でちょっと調べてみると, なかなかに難しいようです.


・子の刻からはじまる
・丑の刻からはじまる
・寅の刻からはじまる
・夜明けからはじまる
の複数が混在しているようにも見えます.
    • good
    • 0

子の時間とは、午前0時(午後11時から午前1時)で、寅の時間とは、午前4時(午前3時から午前5時)ですねえ!だから13日の寅の刻と

は、13日の午前4時(午前3時から午前5時)ですねえ!
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!