プロが教えるわが家の防犯対策術!

中世ヨーロッパの騎士についておしえてください!
性格などなど

A 回答 (2件)

細かく言い出すときりがない話ですが…


カール大帝没後、フランク王国が分裂し、そこへノルマン人の侵入などもあって。西ヨーロッパ社会は混乱し、経済や文化も衰退します。
社会の混乱から貨幣の価値は不安定となり、貨幣の必要ない自給自足経済が主となります。その経済単位が荘園です。
中世西ヨーロッパは、物々交換を中心とした農村社会で、多くの人々が領主の支配する荘園で自給自足の生活を営みました。
このような時代、自らの生命や財産を守るには、信頼のできる人と強く結びつく必要がありました。
強者は主君となって、主君に忠誠を誓い戦うものに封土などを与え自らの安全をはかりました。
このような土地を媒介とした主従関係を封建制度といいます。有力者に軍事的奉仕する人が騎士です。
騎士道などと格好いい感じでよく言われますが、結構美化され過ぎで、後付けなものや後世の創作も多かったりします。
実際、非戦闘員に対する略奪暴行殺人は当時では常識でしたし、戦をしかけ捕虜をとって身代金を稼ぐような連中もいました。
騎士道の徳目の一つ、「忠誠」についても結構思い込みで勘違いしがちですが、中世ヨーロッパの封建関係自体は双務的な関係です。
どんな主君にでも騎士が一方的に忠誠を尽くすというものではなく、主君も新たな封土を与える等騎士の働きに見合った扱いをする義務がありました。
主君を変えた騎士を悪く言うより、優秀な騎士をつなぎとめておけない甲斐性無しの主君は見限られても当然ということです。
戦のたび主君が入れ替わっているなんてことも特別珍しいことではなかったようです。

騎士になるには、現代ならの小学生にあがる頃から主君の小姓となり、仕事の傍ら、勉学や武術などを学びます。
中学生になるころからは、従騎士として主人である騎士の身の回りの世話をしたり、実戦経験も積んだりします。
そして、成人となる頃、主君から叙任の儀式をしてもらい正式の騎士となりました。
騎士叙任の儀式は、叙任者が、合掌した騎士となる若者の腰に剣をはかせ、剣の平で肩を叩いたり、頬を平手で打つなどの行為が行われます。
先輩に従って経験を積み学ぶということはゲルマン人社会にみられた従士制度がその原型と言われています。
一方、肩を剣で叩くことは古代ローマの儀式に由来するとのことです。
    • good
    • 0

何を言いたいのかよくわからん。

性格は個人に帰属するもので、騎士として一括りにできる筈がない。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!