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歴史を勉強していてたまにみる用語なのですが
どういう意味なのでしょうか?

調べた所、

家族員が分離して新たな家族を創設する行為,およびそれによって形成された家族をいう。しかし家族員の分離がすべて分家とはならないし,また分家行為に基づかない分家もみられた。分家は村の承認を得なければ新しい家の成立とみなされず,また転入した家が社会生活の必要上,ほかの家と本家分家関係を結んで成立する分家もあった。

とありましたが、全く意味がわかりません。
家族が分離して新しい家族??分家行為に基づかない分家??
何を言っているのか全くわかりません

どなたか簡単にわかりやすく教えてください。
概要だけで大丈夫です。細かい知識はいりません

質問者からの補足コメント

  • お礼を削除してしまいました。
    申し訳ないです

    お返事ありがとうございます。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/30 22:44

A 回答 (7件)

№3です。



その場合、次男や三男は結婚しても「山田」姓のまま分家になります。ただし養子として他の家に入った場合は相手先の姓を名乗ります。

「家督」とは、姓だけでなく土地建物や財産、家系など一切を指し、さらには江戸時代以前は肩書や身分まで含まれていました。

「家督を引き継いでいない長男」というのは、まだ父親が健在で家長が父親である状態のことを説明したつもりです。

次男が結婚する場合、昔は家には残らず同じ姓のまま新しい「家」を作り独立しました。これを分家と呼びます。現在は、次男は結婚したら新しい「戸籍」を作ることになります。
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この回答へのお礼

再びお返事ありがとうございます

残念ですがやはり理解できません

現代では実家暮らしの山田家の長男と次男が
それぞれ誰かと結婚して、
夫婦で新しくどこかで暮らしたとします。

これはものすごく普通の行為だと思いますが、
この行為を昔は分家と言ったのですか??
結婚した次男はあくまで名前は山田さんではありますが、
もう元の山田家の人間ではなくなるという事ですか?
現代では結婚しても元の山田家の次男である事は変わらないですが
今でいうと他人扱いになるという事ですか?

家を作り独立という言葉も意味がわかりません。
物理的に家を建てるという意味ではないですよね?
家を作る、とは??

お礼日時:2016/10/01 10:49

#5です。

分家の存在意義ということで書いてみます。

簡単に言えば仲間を増やすことですね。しかし江戸期・明治期では発言権は家にあったので単に人数(家族)が増えたのでは意味はありません。分家を作ることで発言権も増したのです。
分家を増やすことで農家は村の中で、商売人は商売仲間の内で、武家も幕府内での発言力を増すわけです。当然のことですが分家は本家に歩調を合わせます。
農家が分家を作る際には生活できるだけの田畑を与えるわけですからそれだけの財産をもっていなくてはなりません。豪農ではないにしてもかなり裕福でないと分家できませんでした。一般に長男が本家を嗣ぎ分家するのは次男以降ですが必ずそうと決まっていたわけでもないです。小生の先祖は末子(五男)が本家を嗣いでいます。
日常的には本家は分家の面倒を見ます。一時的に金を用立てたり役人等と折衝をします。一族のリーダーとして分家全体を指導します。
また分家には本家を助ける義務がありました。金銭的な支援はもちろん、農作業や家屋普請の手伝いなどは積極的にせねばなりません。本家に後嗣がいない場合は自家を潰してでも本家の存続を図ります。
これは江戸期・明治期の制度では財産や各種の権利・義務が個人ではなく家に付随していたためです(現代では個人に付属)。そのため家がなくなると例えば苗字御免の特権とか明治期の爵位などは消滅するので家の存続は極めて重要だったのです。
武家では幕府などに出仕するのは主人だけです。江戸初期や末期など人手が足りない時は次男以降も部屋住のままで出仕することがありました。幕末の京都見廻組は部屋住の次男三男から採用されています。
武家の禄は家に与えられていたので家が潰れることは食えなくなることを意味しました。使用人も解雇され浪人になります。
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一般には長男が家を嗣ぎ、次男以降は分家します。

分家の際には生活に必要なだけの財産(田畑など)を分けますがそれが不可能な場合は分家できません。もし分けると本家すら食べられなくなるからです。
次男以降は結婚もできず主家で奴隷同様の生活をせねばならないこともありました。映画「楢山節考」に出てくる「ヤッコ」といわれる人です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B1%B1 …

分与可能な財産が十分にある豪農や豪商家では次男以降を分家させるだけでなく夫婦養子を迎えて多くの分家を作ることもありました。
分家は主家を維持する義務があります。万一主家に後継ぎがないなど存続の危機がある場合は自家を潰してでも本家の存続を図りました。

江戸時代(特に初期)には幕府は色々とケチを付けて大名を取り潰しました。そこで大名は分家を作って自家の血筋をどうにか残そうとします。もし本家が潰されても分家が残るわけです。たとえば美作国津山藩森家(初代は森蘭丸の兄)は元禄時代に潰されますが3つあった分家は幕末まで続いています(播磨三日月藩、赤穂藩、備中新見藩)。こんな例は数多くあります。

普通の農民は分家しただけでは一人前とは認められません。「判株(百姓株)」という一種の免許のようなものを持っていないと村での発言権や藩への要望も制限されました。これを得るには当人の人格が良いこととある程度のカネが必要だったようです。なお年貢は土地にかかるため誰の所有でも納めねばなりませんが判株を持たない人は持っている人の名義を借りて納めた地域もあったようです。また判株制度はどこの藩にもあったものではないようです。

明治以降は家の存在がはっきりします。現代的に言えば家は会社に相当し、家長(家の主人)は社長に相当します。分家の際は役場に届け出て別の家を作ったことを承認してもらいます。詳細は家制度で検索してみてください。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

記述されている内容はなんとなく理解でしたのですが
私は一行名に書いてある

>一般には長男が家を嗣ぎ、次男以降は分家します。

という文の意味を知りたいのです。
分家という言葉の意味、行為の意味がわからないのです

お礼日時:2016/10/01 10:33

普通は長男が家督を継いで主家になります。


次男以下は嫁をもらって分家を作ります。
多少の財産分与もありました。

これ以外の分家は雇人に性を与えて分家としたり、
主家が頼りない場合後見人を主家、分家にしたりかな。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

主家が足りない、とは??
いろいろなパターンがあるのですね

お礼日時:2016/09/30 22:48

簡単に言えば、男の子供(息子)が何人かいた時、家督を継げるのは長男だけで、次男以下は結婚すると家を出て別に自分の家を構えなければなりません。

これを分家と呼んでいました。

昔の武家では、家督を引き継いでいない長男や、独立せず主家にそのまま残る次男を「部屋住み」と呼んでいたようです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

例えば山田さん一家だった場合、
次男は結婚し次第、山田と名乗ってはいけないのですね?

と、すると
>家督を引き継いでいない長男
とは?? 
この長男は家を出たという事ですか?
この場合長男は分家ですか?
家に残る次男が結婚しても山田さんでしょうか?

お礼日時:2016/09/30 22:43

本家、分家は農家とかではよく使う言葉です。


本家は元々あるおうちでその家にいる家族で経営などを長年行っていますが、例えば弟等が家を出て新たに起業し、嫁を迎えたりしたらその弟の家は分家と言ってますね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

実家を出てどこかで実家と別の職業について
家庭を構えたら、その家が分家なのでしょうか?

お礼日時:2016/09/30 22:39
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。

残念ですが理解には至らなかったです

お礼日時:2016/09/30 22:37

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