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今英字新聞を訳しているのですが、
固有名詞が一体なんなのかわかりません。
Genghis Khan and Tamerlane とあるのですが、
「Tamerlane」って、なんなのか知っている方いらっしゃいますか?
教えて下さい

A 回答 (2件)

テイムール(タマル・ラン)のことです。


(かたわものといういみです)

ティムールの父は、モンゴル族の一部族の族長で、
チャガタイ=ハン国建国以来の名門の出であったといいます。
ティムールの生まれたのは、
サマルカンドの南方、ケシュという地だったそう。
ケシュにモンゴル人が移住して既に100年以上が過ぎ、
少数のモンゴル人は先住で多数のトルコ人と同化しながら、
わずかにその出生だけを心ひそかに誇る小豪族に転落していたのですね。

チンギス=ハンと同族の名家の子孫という誇りとは裏腹に、
ティムール一族の生活は徒党を組んでの
盗みによって支えられていたようです。

ティムール自身、少年時代に家畜泥棒を働いて失敗し、
リンチを受けて片足が不自由になってしまったのですね。

そこで
ヨーロッパや合衆国では、ティムールを「タメルラン」と呼んでいるが、これは「跛者」という意味なのですね。

ティムールはいつも4~5人の仲間と盗みを楽しんでいたが、
しだいに気前のいいティムールのもとに新入りが増え、300人ばかりにふくらんでいきました。
彼らは街道にも出没し、通行税と称して商人からも略奪を始めたのです。
彼を慕う仲間との追い剥ぎ生活は自由で相当に楽しかったよおうです。

けれどもキャラバンを襲っては喚起する生活を重ねているうちに、彼の中には本来の騎馬民族の血が高まっていったのです。

「南へ行ってシスタンに入り、豊かな羊や馬を狙おう」。

しかし、シスタンでは惨敗を喫し、彼自身、馬からたたき落されて右手の薬指と小指を失い、
またもや足にも大傷を負って、以後一生、彼は足を引きずっての歩行を余儀なくされたのです(一生のタマルン)。

しかしながらこの敗戦で逆に彼は奮い起ち、
サマルカンドの領主を倒して、
1368年、遂に西トルキスタンの覇者となって大遊牧国家の基礎を築いたのですね。

奇しくもその前年、当方のモンゴルの征服王朝元帝国は、漢民族に敗れ滅亡しています。

首都サマルカンドは、東西交通路の要である。

ティムールがガラス製の鏡を手にし、期待を込めてのぞきんだものの、

自分の醜さに男泣きしたというエピソードが残っているのですが、

ヨーロッパでガラス製鏡が発明されたのは14世紀であり、それがたちまちサマルカンドに届いたほど、

この町は東西貿易の最大市場として繁栄していたのであるということになりますね。

「その精神は強靱で肉体も強健、勇敢にして恐れを知らず、あたかも強固な岩石の如くであった。」

これは一アラブ人の目に写ったティムール像です。

何よりも勇敢な軍事指導者であったティムールは、同時に、学者との対話を好み、

「一瞥して物事の核心を悟り」「真実と作りごとを鋭く識別する」極めて明敏な人物でもあったそう。

だが、ひとたび口にした命令は、「決して取り消すことのない」恐るべき指導者でもあったのですね。


タマルランと発音します。
日本語ではテイムールが有名。
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この回答へのお礼

長いながーい解答ありがとう御座いました。
大変よく分りました。

お礼日時:2001/07/08 04:20

Tamerlane=タメルラン=テイムール(1336?-1405)のことです。



ティムールはジンギス・カーンの血を引くと自称していたようですが、出自はトルコ民族で、中央アジアを征服、統一してティムール帝国を建設しました。トルコ系のアジア人を統合し、元(蒙古系)から明(漢族)へ変った中国征服に向かう途中
亡くなりました。ティムール帝国の都だったサマルカンドは現在ウズベキスタン共和国(24百万人、首都タシケント)の観光都市として日本人にも人気のある古都です。(タシケントの南西約270キロ)
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この回答へのお礼

早速の御解答、ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/08 04:18

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