プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

なぜ学生は無駄なことばかりするのですか?能力もなく勉強する姿勢もないのに、「教員になりたい」という安易な気持ちで教職を取る学生。
また、勉強を必死にやらないのに「公務員になりたい」という気持ちで公務員の講座を取る学生。どちらも無駄だと思いません?教職に費やす時間があれば、別なこと(部活でもバイトでも)をすれば良いと思います。公務員の講座ならなおさらです。多額のお金と多くの時間がかかっていますから。
おそらく、「教職を取って教員免許を取れば自ずと教員になれるだろう。」と思っているのでしょう。教員採用試験なんて知らないのでしょう。クルマの免許のような感覚です。クルマは免許を取ればすぐに運転できますよね。公務員のほうも同様です。「公務員の講座に通っていれば公務員になれるだろう」と思っているのでしょう。
あとは感覚がおかしくなっているのでしょうね。「教職を取っているほど勉強している」や「部活やバイトを犠牲にして公務員の講座に通っている」と思っているのでしょう。低レベルの高校~低レベルの大学を経験している私だから言えることです。幸か不幸か私は予備校というものに通っていたので、この感覚の違いというのを理解しています。
「中途半端な気持ちでやっても教師にも公務員にもなれないんだから、そういうのはやめてしまえば?お金も時間も無駄だし。経済学の機会費用という言葉を知ってる?」と言いたいです。まあ、そういうことを言えば喧嘩になると思いますが。

A 回答 (14件中1~10件)

タイトルの疑問は自己解決してるようですが。

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何事にもチャレンジすることを奨励する傾向があるからではないでしょうか?



リスクヘッジをせずやみくもにチャレンジして失敗してしまうことは往々にしてあります。
しかし、チャレンジしなかったら後で後悔するし、大事なことは、

きちんとリスクヘッジすることではないでしょうか?
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失敗することで学ぶこともある。


だから無駄とは言い切れません。
(まあ、学ぼうとしない奴もいるけどね)
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無駄という価値観は人それぞれ。

あなたには無駄なことに思える私の仕事の内容も、私にとっては大事なことかもしれません。逆もあるでしょうね。
サルにパソコン与えても無駄なように、古文が無駄と言っている人に古文の大切さを説いても無駄...。だって使えないんだから大切さもわからないでしょ。
また、無駄というのは自分で実際にやってみないとわからないものです。まぁ、やっててもわからずに繰り返す人もいますが...。
「そんなもの無駄だ!」と言っている人に限って本当に重要なことや物事の本質をを見逃したり見落としたりするものです。
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>低レベルの高校~低レベルの大学を経験している私だから言えることです。


それは違います。ほとんどの受験生は一体どの大学へ入るべきか解らない。だから「偏差値(定義が間違っている)」が高い大学へ入りたい。結局入れるところへ入る。成績が良くても同じ事、文理選択さえ分からない。だから「少し舐めてみよう」と東大に入ってみる。目的を見つけたら9ヶ月で進路振り分けで志望先へ行く。だが世の中そんなに甘くない、やっと見つけた志望先の平均点を下回れば蹴られる。蹴られたら自分のレベルを「探し直す」すると「あんたはここ以外受け入れて貰えない」。時々「運良くか、不幸か」定員に一名隙がある」そんなところに入ったら地獄、廻りは秀才だから授業の進度はキチガイの様に速いし術語は説明して貰えない。ここでアホでもまともな奴は挙手して訊ねる。すると授業の速度が下がる、ギリギリ付いて来た奴には感謝される。教授はガッカリするが困らない、優秀な学生は教授室まで付いて来て一時間も納得が行くまで離れないからだ。世界から正規分布は無くならない。
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さすがに教員を目指す身として教員採用試験の存在を知らない人はいないでしょう。

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君ほど愚かの人間も早々見かけないので、個人的には君のその腐った脳みその中に興味があるね。

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学生のウチから無駄ない人生を送れるひとなんてそうそういないでしょ。


大人だってムダを積み重ねてライフスタイルを確立させていくのだから。
完璧にヴィジョンをもって計画よく生きている人なんてほとんどいませんよ。
いたとしたら親に洗脳されたかわいそうな子供達でしょうね。
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一番の理由は「時間」があるからです。


時間があるからこそ無駄なこともできるんですね。

 高給取りでも貧乏人でも時間だけは平等です。
時間があるってなんてリッチで贅沢なことだろう。。。って、アラカンを迎える年令になったらつくづく思います。
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ううん、無駄な場合も確かにあるでしょう。


だけどレベルによるかもしれません。
私は大学受験で3校受験し、2校不合格で唯一受かった大学に行きました。
大学時代に専門に目覚めて大学院に行きたいと思いましたが、当時自分のところに大学院がなく、他大学の大学院を4校受験し、
3校連続で不合格で4校目に合格し、そこへ進学しました。もしここが不合格だったら5校目も準備していました。
修士課程でそれなりに頑張り、指導教員が、某旧帝大の博士課程を紹介してもらえるというところまで行ったのですが、
24歳で働いていないことに対し自己嫌悪もありまして、民間企業の研究所に入りました。
しかし、企業の研究に納得できず、企業2社、公設研1箇所、さらに国研に移りました。
あれだけ大学や大学院に落ちまくった者が、地方上級(トップ合格)および国家I種にはそれぞれ合格できました。
時間的には大変無駄に感じることもありましたが、結果的に無駄ではありませんでした。
国研勤務3年にして、大学に移り、大学も3箇所目ですが、大学に移って27年を迎えています。
世間で無駄なことをするやつと思われているかもしれませんが、この年になって、多少の満足感は持っています。
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