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真田幸村はなんで強いって言われてたのに天下取らなかったんですか?

A 回答 (6件)

幸村は、個々の戦闘が


強かっただけです。

個々の戦闘が強いだけの武将なら、いくらでも
おりました。
武田信玄、上杉謙信等々。

日本国を分断するような壮大な戦略を
建てる能力が無かったのです。

三国志の諸葛孔明をご存じでしょう。

彼は、天下を三つに分けて、争う
構想を打ち立て成功しました。

こういう大きな視点にもとづく
戦略を建てる能力がないと天下が
取れないのです。
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あまりにも話が飛躍しすぎです。


昨年のNHK大河の真田丸を見れば分かります。

真田幸村なんて当時は全く無名の武将に過ぎません。
たまたま大坂の陣での戦いが上手くいっただけで、その他にはこれといって
何ら武功はありません。
それに比べて父親の真田昌幸の方がよほど有名な武将でした。

真田丸のドラマの中でも大阪の陣の戦いの後、「これほどの戦は初めてだった
ので今でも足が震えている」と自分で言ってますが、おそらく実際の感想に
近いのではないかと思います。

天下を狙うような信長や秀吉や家康といった超有名な武将などと比べるレベル
の武将ではありません。
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それを言ったら、父親の真田昌幸の方が領地も城も持ってたからまだ可能性があったでしょうね。

この人もとんでもない武将で、徳川勢の侵攻を何度も撃退しています。10倍の敵を相手にして撃退するなんて芸当ができる人はそう滅多にいませんが、真田昌幸はそれをやってのける人でした。

でも周囲が上杉だ北条だという大勢力だらけで、地の利を活かして防衛することはできても、外に出ていける状況じゃなかった。普通だったら速攻で滅ぼされてるような弱小勢力だけど、戦闘力と政治力により周囲からは、「真田の存在はウザいけど、滅ぼすには受ける損害が大きすぎて割に合わないから、向こうが手を出さなければ放置しとけ」って状態に持ち込むことに成功してたわけです。でもそれが限界。

このとんでもない親父さんでさえそれが限界だったのに、城も領地もなく浪人になっちゃった状態から再スタートして天下取りってのは、無理ゲー過ぎるでしょう。
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取らなかったのではなく、取れなかったんですよ。

経済力と家臣が少なかったですから。
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自分の力量を弁えていたから。

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強いやつがボスやってるのは小学生とマンガの世界だけです。

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