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木戸孝允はなぜ心が病んだのでしょうか?
木戸孝允について調べてみると心が病んでいたことにわかりました。幕末で生き延びたことや、今までの経歴から精神的にもタフだと思っていたので驚きました。

それだけ、政府に不満があったのでしょうか?

A 回答 (2件)

実際、彼は晩年、京都にある京都霊山護国神社に蛤御門で亡くなった志士200名あたりと高杉や久坂と一緒には無理でも同じ場所に妻の幾松と眠っています。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2018/05/28 00:25

山口の出で、木戸公や幕末について学生時代調べました。


木戸公は新政府に不満や居場所がなくて精神的に病んでいたのではありません。
木戸公の本名、桂小五郎はご存知の通り逃げの小五郎と呼ばれて揶揄されていました。
自身は剣の達人でありながら自分に賛同する同士が池田屋で殺害されても、蛤御門や長州征伐で散っていた久坂や第二次長州征伐途中で志し半ばで倒れた高杉の死や供養にも立ち会うこともできず、彼の成し遂げた功績は大きかったですが、その代償としての藩や藩内の武士たちの信頼や人望は薄く新政府では西郷亡き後は大久保、岩倉、後輩の伊藤や中心となり桂は新政府でも居場所がなくなったことや、先に記した幕末の同士家族から許しを乞うことができず、先に自分の犠牲のために亡くなっていった同士の霊にうなされていたとも言われています。
彼が晩年、精神的に病んでいたという史実は残されていますが、彼の成し遂げた功績に変わりはないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

回答を聞くと繊細な方立ったのかなと思います。生きにくい世界だったのでしょう。大久保みたいにはなれなかったのかもしれません。それが彼のいいところだったのかもしれませんね

お礼日時:2018/05/27 01:53

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