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朝鮮人「当時日本人」の徴用工は日本人の給与の60%から80%もらっていた。
無論安いが朝鮮人給与の数倍これでもまだ文句があるのだろうか?

A 回答 (3件)

徴用は、戦時下の労働力不足に対処するため、1939(昭和14)年に制定された「国民徴用令」に基づき、日本国民すべてを対象とした義務だった。



 当時、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは国際法に照らしても、問題はない。むしろ、朝鮮半島で「徴用」が発動されたのは44(同19)年9月と遅かった。

 気配りもあった。徴用先は労務管理の整備された事業所に限定され、給与も法律で決められていた。留守家族には収入減の補償まであった。

44年11月に徴用され、東洋工業(現マツダ)で働いた鄭忠海(チョン・チュンへ)氏が著した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)には、手厚い待遇の様子が描かれている。

 徴用工は清潔な寮で、絹のような布団で寝起きし、食事も十分だった。当時では破格の月収140円という給料をもらい、終戦後には日本人と別れを惜しんだという。

 危険が伴う職場では、さらに待遇は良かった。九州の炭鉱では月収で150~180円、勤務成績の良い徴用工には200~300円が支払われた。屈強な朝鮮人の給与が、体力に劣る日本人を上回ったとされる。

高賃金にあこがれ、多くの朝鮮人青壮年が、内地に密航したことも分かっている。徴用工が「強制連行」でないことは、数々の資料や証言から判明している「歴史的事実」といえるのだ。
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日本人の平均給与の60%~80%て多すぎるだろう!


当時の日本人の給与起業家、軍人、兵器工場、炭鉱婦、百姓、のてやり過ぎ。イギリス植民地インド人は約20%マハラジャでもイギリス人と同等です。
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>朝鮮人「当時日本人」の徴用工は日本人の給与の60%から80%もらっていた。



そのソースどこにあるの?

日本人と給料は同じで週に休みは2日あり、日本人も動員されたと記憶しているが。
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